新たな紋章

 ヤーザンが軟禁されて数日後、皇宮内にある霊廟へヒューゴはアレシアとパトリツィア、ダヴィデ、セレリアを含む承認の貴族達五名、ギリアムとルークを集めた。アレシアにより皇帝名で召集したため、欠席者は一人も居なかった。霊廟にあるレリーフの前にはヒューゴが、その前に立つアレシアとその両側を統龍紋所持者が守る。セレリアを含む承認の貴族達とギリアム、ルークがその後ろに控えた。


 ヤーザンを使った暗殺の件は、統龍紋所持者達とギリアム等将軍にも知らされていたため、承認の貴族達の動きには注意が払われている。その気配を感じている貴族達の表情は暗い。


「皆さんに聞いて欲しい遺志があります」


 無駄に貴族達に不安を抱かせるつもりのないヒューゴは、穏やかで落ち着いた声で用件を切り出した。

 そしてレリーフに手を当てると、一度聞いた老人の声がヒューゴの頭に聞こえてきた。アレシア等にも聞こえているかと確認すると参加者の表情には驚きがあり、どうやら大丈夫そうだと安心する。


 ヒューゴは窓から射す光で参加者の表情を見守っている。


 アレシアと統龍紋所持者二名は、その瞳にうっすらと涙を浮かべてクリスティアンの遺志を聞いていた。

 その他の貴族達は戸惑っているのが判る。承認の貴族達は冷汗を流し、セレリアとルークのように戸惑いつつも納得している者、ギリアムのように目を見開いて驚きをあらわにしている者、それぞれの反応を見せている。


 それも当然だろう。

 クリスティアンの言葉で「貴族の争いを問題視」していたことが伝えられたのだ。

 貴族の権威の拠り所である初代皇帝の口から、貴族が問題だと言われているのだ。


 クリスティアンの声が聞こえなくなったところで、ヒューゴは口を開いた。


「お判りのように、アレシア陛下が作ろうとする新たな体制は、ウル・シュタイン帝国皇帝クリスティアン・マキシム・フォン・ロードリアの遺志を継ぐものです」

「さきほどのは……本当にクリスティアン陛下のものなのか?」


 承認の貴族達を代表しエルマー・アルペンハイムが額の汗を白い布で拭いながらヒューゴへ訊く。


「信じたくありませんか?」

「そうではないが、しかし、あれではまるで、貴族が諸悪の根源のように……」

「そうは言ってないでしょう。クリスティアン皇帝が帝国を建国した時代では、小集団をまとめる者が必要でした。しかし、より多くの富を、より強い権力をと求めて争う姿勢は問題視していました」


 ヒューゴを落ち着き無く見つつエルマーは問う。


「貴族は……今はもう……必要ないと皇龍は言うのか?」

「皇龍がどう考えているかはともかく、貴族の姿勢が今までのままであるなら、僕個人はそう考えています。ですが、新たな価値観を持つならば必要だろうとも考えています」


 選択を迫られたエルマーは、視線を落して尚も現状への執着を見せる。


「だが、我々の誇りは……」


 誇りという言葉を聞いたとき、ヒューゴの表情は激したように変わった。


「いい加減にして下さい! ガン・シュタイン帝国が誕生してから三百年以上の間、あなた方はクリスティアン皇帝の遺志に沿うような変革をご自分の領地で行いましたか?」


 ヒューゴの問いに一瞬身を退き、そして俯く貴族達を見回した後にヒューゴを弱々しい瞳で見る。


「いや、だが、それは……」

「アレシア陛下は、ロードリア家の御血筋ではありませんから、この霊廟でレリーフに触れてもクリスティアン皇帝の声は聞けなかったでしょう。しかし、帝国の危機に際しての諸貴族の在りように疑問を抱き、そして現在の体制の問題に短い期間でお気づきになられた。……あなた方は今まで何をなさってきたのです?」


 エルマーの言い訳を聞く素振りも見せずに、ヒューゴはきつい視線を向けて無言で俯く貴族達へ問いかけた。


「皇帝を承認する立場だけに安穏とし、皇帝の務めをどれほど助けてきたというのか? 恵まれた領地の利益を領民へ還元してきたでしょうか? はっきり申し上げます。アレシア陛下に反抗的な者達よりも、承認した責任を持ちながらも傍観者のように過ごしてきたあなた達に僕は一番腹が立っているんです」


 帝国の安定や環境の改善へ積極的に動きもせず、その上ヤーザンを利用してセレリアを暗殺しようとした。話している内にますますヒューゴの苛立ちは増していった。


「……」


 貴族達にも思うところがあるのだろう。力なく立つ姿を見てヒューゴは言葉が荒くならないよう深めに息を吸い気持ちを落ち着ける。


「クリスティアン陛下が何を考え、何を願っていたのか。皇龍を宿した今の僕には判る。皇帝は誰でも良かったんです。特定の血筋に拘っていなかった。だから皇帝という地位に統龍紋所持者を預けたんです。……当時大陸西部は東部よりも荒れていて、民を思う気持ちの強いロマーク家しか頼れる者は居なかった。だから金龍はロマーク家に託した」


 大陸の東西双方へのクリスティアンの希望は結局叶わない。帝国はロードリア家の血筋に拘り、ロマーク家の跡継ぎは民を重視せず、無紋や弱者にきつく当たるようになった。それをヒューゴは正さなければいけないと考える。


「僕は、皇帝による統治だろうと、他の統治だろうとどうでもいいんです。この大陸に住む人達全てが、平和に生活していけるように努力してくれるなら、どんな統治でもいい。皇龍はこの大陸に住む人達の、平和への祈りが生み出した存在です。その皇龍を宿した以上、みんなが平和に過ごせるように努める責任が僕にはある。……で、どうします? アレシア陛下に協力する気持ちはあるんですか? それとも……」


 続く言葉を遮るようにアレシアは毅然とヒューゴの横へ歩き振り向く。ヒューゴは口を閉ざし、恭しく一礼してアレシアの背後へ移る。


「承認の貴族のみなさん。クリスティアン陛下の遺志を聞いた今、私達には責任があるのはお判りでしょう。たまたまですが、私の目指す体制はクリスティアン陛下の遺志に叶うもののように思います。様々な思いがあるのは判ります。ですが、帝国の将来のために力を貸してはいただけないだろうか? でなければ、ヒューゴの中に居る皇龍がその力を使って否応無しに変革を進めるでしょう。それでは、私達人間は大いなる存在の力なしでは前に進めない存在と証明することになるのではないでしょうか?」


 じっと見つめる貴族達の視線を受け止め、落ち着いた声で話して返事をアレシアは待った。セレリアは自重して他の貴族の言葉が出るのを期待している。

 少しの間、霊廟には沈黙の時間が訪れた。

 そしてエルマーが他の貴族達と視線を合わせ、ゆっくりと口を開く。


「クリスティアン陛下の遺志を知った以上、我々も考えを改めなければならない。アレシア陛下の御心に従いましょう」


 キッとした視線を正面にして語るエルマーに、アレシアはホッとした表情を見せる。そして、堅い表情に戻ってヒューゴを見て頷く。ヒューゴはアレシアの横まで前に出てこれからのことについて説明を始めた。


「今後、皇帝はロードリア家の御血筋に拘ることをやめます。皇帝位の継承は……」


 次代の皇帝は、皇帝と承認の貴族等が選ぶ。但し、皇帝と承認の貴族には新たな紋章クレストを背負って貰う。ドラグニ山にある龍神の祠で、公の紋章クレストが刻まれることになる。その紋章クレストは背中ではなく手の甲に刻まれ他の紋章クレストと共存する。

 この紋章クレストを刻まれた者が私利私欲で不正な公務を行った場合、治癒不可能な激痛に襲われることになる。


「この紋章クレストは皇帝選定と各領地間の調整の二点で反応します」

「……我らを信用しないと?」

「申し訳ありませんが、僕は国というものを信用していません。もっと具体的に言えば、権力者を信用していないのです。この紋章クレストを持つ人は重い責任を持つことになります。心理的負担も大きいでしょう。しかし同時に、帝国民からの尊敬と信用も手に入れることでしょう。それは誇りではないですか?」


 ヒューゴの問いかけに、事前に聞いていたアレシアとセレリアは動揺を見せない。だが承認の貴族達は、床を睨んでジッと考えている。ここまでエルマーに任せ黙っていた、承認の貴族の一人ルドガー・ブラウアーが顔を上げて口を開いた。


「エルマー殿、受け入れようではありませんか。既存の体制維持に焦ってセレリア殿へ刺客を送った我々が信用されるはずはない。クリスティアン陛下の御心に沿わないまま三百年過ごしてきたのも事実。我々はこれからの姿勢で信用を勝ち取れば良いだけのこと」


 ルドガーの言葉を聞いたエルマーは頷き、他の貴族に視線を向けた。セレリアを含む他の貴族達もゆっくりと頷く。その様子を見たアレシアは穏やかに、しかし覚悟ある瞳で微笑んだ。


「では、旧体制に拘って反旗を翻そうとしている者達へ、これから選択を迫ります。受け入れるなら良し。そうでないならば私の名前の下に貴族の称号と領地を没収し他領地へ併合します。承認の貴族の皆様には、その旨を広く伝えていただきたい。ギリアム将軍、ルーク将軍、お二方は決められた手はずで動いてください」


 アレシアとヒューゴを除いた皆が平伏し、アレシアの命に従うことを示す。


「パトリツィア閣下は各領地へ火竜の派遣、ダヴィデ閣下は大陸周辺の治安に努めてください。帝都は士龍と氷竜で守護します。あとはセレリアさんと僕らで対処しますので」


 皇帝の支配から解き放たれた統龍紋所持者二名はヒューゴの指示に頷く。


「では、新たな帝国を築きましょう!」


 アレシアの号令にヒューゴを含めた全員が「仰せのままに!」と発した。

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