変化の兆し

 

 帝都そばの沿岸部に出現した魔獣はほぼ掃討したとはいえ、まだ安全は確認されていない。アレシアは、魔獣の掃討を続けている帝国兵の姿を仮設の司令部として設置されたテント前で見守り続けていた。


 昨日、パトリツィアとダヴィデが紅龍と共にヌディア回廊へ向かうのを見送った後、アレシアはセレリアと今後の帝国について相談した。


【帝国はその体制を一新しなくてはならない。皇帝と中央政府は調整役としての機能を残し、特定の貴族に財や権力が集中するのを防ぐ体制に変える】


 亡き夫、前皇帝シルベスト・シュテファン・フォン・ロードリアの遺志とは多少異なる形となるが、アレシアが見てきた帝国の問題を解決するには仕方がない。

 セレリアが自領で挑戦している新たな領地経営も徐々に形となってきている。ならば、それをモデルとして各貴族にも行って貰う。その上で、生じた問題の解決を皇帝と新たな政府が行う。

 核となるのは、龍族の役割だ。だが、この点については、シルベストとヒューゴとの間で交わされた約束を守っていれば良い。

 国家間だけでなく、領地間の紛争に龍族は介入する。

 領地内の問題は帝国軍が対応する。

 一人の貴族が抱えられる戦力など、ウル・シュタイン帝国建国前と異なり、帝国軍の規模から考えればたかが知れている。

 複数の貴族が団結し反旗を翻そうとしても、それは龍族によって防がれる。

 それは皇帝であろうとも変わらない。

 皇帝は今後帝都の領主でしかない。


 だが、それでいいとアレシアは考えている。

 今回のルビア王国による侵攻は、帝国の在り方に大きな問題があるとアレシアに教えた。ガン・シュタイン帝国を、皇帝という地位を、胸を張って後世に引き継いでいくためには、既存の形を変えなければならないと決意させた。 


 これはきっと正統な血筋を持つ皇帝にはできないことだ。

 皇帝代理としてアレシアが就いている意味は、変革のためだ。


 アレシアはそう納得していた。


「領民の移動を自由にしなくてはいけませんね」


 領地経営のまずい領主のもとから去る自由を守らねばならないというセレリアの意見にも同意した。

 無茶な税を課す領主のもとから領民が去れば、その分、領地経営は苦しくなる。武力でその自由を侵そうという動きには帝国軍で対応する。


 帝国軍自体の綱紀粛正も行わなければならないだろう。

 人はどこまでも欲に縛られる。皇帝ですらその頸木から解き放たれてはいない。

 軍事力という力を持つ者が、自身のための欲で動いては公正な体制は築けない。

 一つの手段を講じて一旦収まっても、いずれまた別の手段が必要となるだろう。

 だが、皇帝はその矜持において、自身を戒め、公正であることを心がける存在でなければならない。

 辛い立場であるが、だからこそ矜持を持てるのだと、今のアレシアには判る。


 軍事でも、庶民の生活でも、戦いの現実から目を背けてはならない。

 今は、戦闘の現実を受け止めるのだ。

 魔獣との戦いで傷つく者、命を落す者、救助する者、危険な位置から退く者、一人一人の姿を目に焼き付ける。

 そしてそれらの者達が誇れる国にしなくてはいけない。

 

 アレシアは、魔獣掃討戦のただ中にある帝国軍に号令した。


「帝国民を守れ! 家族や友人を守るために戦え! 私は、皆の健闘を一つも見逃さぬようここで見ているぞ! そして胸を張れ! 皆一人一人が、私の剣であり、帝国民の剣なのだ!」


 立ち上がり、帝国軍に檄を飛ばすアレシアを見て、セレリアは思う。


 ――この御方は強くなられた。亡きシルベスト様の分までという想いのおかげだろう。あとは、この戦いが無事終わることを祈るだけだ。……ヒューゴ、無事に戻ってこいよ。



・・・・・

・・・


「パトリツィア、急いでいるとは思うが、急いでくれよ」


 火竜とは比べものにならない速度で駆ける紅龍の上で、蒼龍が受け取った士龍からの状況報告を聞き焦るダヴィデはパトリツィアに声をかける。


「判っている。士龍がヒュドラ相手に苦戦している。ヒューゴも負傷したようだ。それに……」


 パトリツィアもまた士龍からの情報を受け取っている。紅龍には目一杯急がせているのをダヴィデも判っていてなお言わずにいられない気持ちも理解していた。


「ああ、皇龍がヒューゴを試している」

「……ヒューゴは前皇龍と同じ道を選ぶだろうな」


 パトリツィアには確信がある。セレリアやベネト村の住民、イーグル・フラッグスの仲間達と接するヒューゴは優しい。龍族の力を使えば楽になる機会でも、人としてという姿勢を極力守ろうとするところからも、皇龍の力で人間をどうにかしようと考えるはずは無いと。


「彼の為人ひととなりを思えば、にはならぬだろう。私でも選べぬ」

「ベネト村の存在があったからな。だが、人間に絶望されでもしていたら……」

「ああ、それが怖かった。貴族や帝国の在り方には絶望しているかもしれんが」

「気に入らない貴族は全員粛正すると言い出すこともないだろう」


 ダヴィデは、パトリツィアから聞いた貴族達の様子を想像して苦笑する。


「彼にはその必要がない。敵対するようなら潰せる圧倒的な力がある彼に、自分の身と財産が大事な貴族が刃向かうとは思えん。……彼よりアレシア様の方が過激になりそうだ」

「あれが女性の怖さだな。キレるととことんやろうとしてしまう。でも、今回はアレシア様で良かったと思っているよ」

「シルベスト様では帝国の体制変革はできなかったと?」

「ああ、正直なところ、俺が皇帝でもできないだろう。男ってのは、非常時に無理にでも冷静になろうとして、必要なことでも自重してしまうところがある。例外はいるだろうがな」


 前方を見据え、長い金髪をたなびかせるパトリツィアはつぶやくように言う。


「流れ……なのかな……」

「何がだ?」

「ヒューゴが出現したこの時期にアレシア様が皇帝代理に就いているのがさ」

「運命なんてものは俺は信じない。だが、それっぽく見えるのは否定できん」


 二人が黙ったその時、統龍紋所持者だからこそ感じ得た衝撃があった。


「あ!」

「ほう、これもパトリツィアのいう流れなのかもな。このタイミングで銀龍紋所持者が産まれるとは」

「どうだ? これでも運命を信じないか?」

「信じないね。皇龍がきっかけを与えたのかもしれんし」

「そうか、そうかもしれぬな」

「まぁ、俺達がどう受け止めようと、銀龍が動き出すのは吉兆に違いない」


 銀龍は氷を扱う統龍で、眷属の氷龍共々氷のブレスを吐く。それは変温系の魔獣相手には効果的でヒュドラのような蛇型にとっては天敵に近い。命を奪えなくても動きを制限できればそれだけで戦況を変えうる。パトリツィアとダヴィデは、ヒューゴが皇龍の定めをどうクリアするかに関係なく、対ヒュドラ戦で有利になりそうだと考えている。


 パトリツィアは紅龍に「頼むぞ、急げよ」と一言つぶやき前方に広がる草原を見据えた。

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