皇帝殺害

 跪くドニートへ、王座に座るシルベストは声をかけた。


「ドニート・ラクスベル。拡大派側の兵をまとめて投降したことは評価する。おかげで無駄な掃討戦を行わずに済んだ」


 中央方面基地へ残存兵およそ二万を連れて投降した。仮に、これら二万が小規模の部隊に分かれ、奇襲しては逃亡を繰り返す戦術を行ったとしたら、その被害は無視できないレベルとなり対処が優先され、皇帝即位も遅れ、帝国の安定は先送りとなった。

 それが回避された点を、シルベストは言っている。


「こたびの内乱でのそなたの行いには、誇りあるべき帝国軍人として見過ごせぬ行為があった。だが、ユルゲン夫妻は救助され、ブロベルグ占拠も解除された。混乱期に起きた事件を過度に問題視して処断すべきではないとも考えている。拠って、ギリアム北方方面基地司令の下で小隊長格からの出直しを命ずる」


 シルベストの凜とした声が王座の間に響き、跪くドニートも謹んで聴いている様子。

 顔をシルベストへ向け言葉を発しそうな時、ドニートに異変が生じた。


「へ、へへへ……陛下、へいかかかか……」


 焦点が合わないような瞳。司令を務めていたとは思えないほどどもる。

 ガタガタと身体が震えるのを抑えるように両腕で自身の身体を抱きしめている。


「どうしたというのだ、ドニート? 誰か! ドニートに治療を」


 両横に立つ兵が、ドニートの腕を持ち立ち上がらせようとする。

 

「ぐぅっ、ガガ、ガガガッ……」


 まるで押さえつけられた猛獣の、溜めていた力を解放する前のようにドニートの声が低く太く濁る。兵に身体を支えられているのだが、その場から動こうとはしない。

 そして背が光っているのが薄い上着を通して見える。

 だが、その光はドニートが持つ紋章クレスト、獣紋のオレンジ色ではなかった。


 鈍く禍々しい赤黒い光!


「魔獣化兵……」


 ルークとの婚姻をシルベストへ報告するために列席していたセレリアがつぶやく。魔獣化兵の報告でその恐ろしさを知るルークは、その声を聞いてセレリアの横で叫ぶ。


「取り押さえろ! ドニートはディオシスに術をかけられている!」


 その声を合図に、近衛兵はシルベストの前に立ち、他の警備兵がドニート目がけて駆け寄った。


「ガァアアアア!」


 獣の声としか思われぬ叫びをあげ、ドニートは両横の兵を軽々と投げ飛ばす。そして自由になったかと思うや否や、シルベスト目がけて素早く跳ねた。振り上げた近衛兵の剣が跳躍するドニートの脚部に当たり、血が噴き出す。しかし、ドニートは傷ついたことも意に介さずに、片腕をシルベスト目がけて力強く突き出した。


 人のモノとは思われぬ力を持つその手はシルベストの首を突き抜けた。ピクピクと痙攣するシルベストの身体が、血まみれのドニートの腕にぶら下がっている。

 あまりに突然の惨事に、周囲の兵は腰から剣を抜いているものの言葉を失っている。


「陛下ァアア!」


 絶命しているシルベストへ近衛兵ルイムント・クリフソスが叫び、ドニート目がけて両腕で斬りかかる。だが剣はドニートの腕の骨に食い込んだのか、ルイムントが引き抜こうとしても動かない。ドニートの足が腹部を蹴り、ルイムントは床に転がされた。


「ククク……皇太子の目前までこの者ならおもむけるかと期待していたが、本当に、本当に……クハハハハハ……」


 ルイムントには目もくれずに高笑いして腕を上下に振り、ドニートはシルベストの身体を床にドサッと投げ捨てる。そして……。


「これで帝国の騒動はまだ続く。だが、早く落ち着いてくれよ? 我らの敵が弱くては面白くないからな。……そして聞け、士龍! お前だ。お前こそが真の敵。次に会うときを楽しみにしていろ」


 そう言い放つと赤黒い光は消え、ドニートの身体は急に力失ったようにバタンと前のめりに倒れた。腕に刺さっていたルイムントの剣が、ドニートの墓標のように床に立っている。


「陛下のお身体をその者から離せ!」


 ルイムントは床に立つ剣を引き抜き、ドニートの首に振り下ろす。

 鈍い音と共に身体から離れた頭部がゴロンと転がった。


「陛下!陛下……陛下ァアア!」


 首から大量の血を床に流し、身動き一つしないシルベストの身体をルイムントは涙を流しながら抱きかかえた。


・・・・・

・・・


 即位の翌日に皇帝を失い、後継をどうすべきか王宮は混乱した。

 元老院、承認の五貴族、そして統龍紋所持者二名は、暫定的に、皇妃アレシア・シャルロッテを皇帝代理とすることを決める。シルベストの意思を果たすには、皇妃が最適であろうと考えたのだ。

 ギリアムが一時的に皇帝代理を務めることも意見には出た。しかし、ギリアム本人が堅く拒否したため、皇妃を代理にということでまとまる。

 夫を亡くし気持ちに余裕のないアレシア本人は保留を願い出た。だが、皇位が空位の状態をもはやこれ以上続けることはできない、シルベストの無念を晴らすにはまず帝国の安定が必要と説得される。


 次に、シルベストの遺志を守り、ギリアムの長女ジュリアをアレシアの養女とする手続きを終わらせる。皇室の血を持つのであれば遠縁でも構わないからと、ジュリアの夫となる次期皇帝候補を探すことを決めた。


 アレシアを補佐する体制は、元老院と統龍紋所持者二名によって、やはり暫定的ではあるが、一応の体制が決められた。



 皇帝殺害により騒然とした王宮の庭で、ヒューゴはセレリアと会っていた。


「セレリアさん、これからどうなるんですか?」


 即位式には参列したが政務の場には不在だったヒューゴは、これらの状況をセレリアから聞いた。

 

「判らない。でも最悪のケースでは、帝国は荒れるでしょうね」

「荒れる?」

「ええ、シルベスト陛下の下でまとまろうと皆は動いていた。シルベスト陛下ならばと拡大派の貴族達も融和派主導の体制を受け入れていた」

「アレシア皇妃では……求心力が違う。表向きは大人しくしている貴族の中には、利に繋がるよう再び騒乱を起こそうとする者も出るかもしれない」


 血統で正統性を保ってきた皇帝という地位が、ヒューゴには歪な存在に思えた。

 旗頭など大義名分さえあれば誰でもいいではないか、アレシア皇妃と共に体制を維持していこうという者達は、シルベスト皇帝が生きていたとしても同じ顔ぶれになるのだからと。

 

「それはそうと、あなたも早く帝都を離れた方がいい。ドニートの口を借りて、ディオシスはあなたが真の敵だと言った」

「それが何か?」

「つまり、今回の皇帝殺害の原因にはあなたも関わっていると見る者が出る。それは確実で、きっと少なくない数になる」

「僕が皇帝殺害に?」


 そんなことはありえないとヒューゴは首を横に振る。


「ええ、殺害の動機にあなたが関わっているとね。つまりあなたが居なければ、皇帝が殺害されることはなかった……と考える者が出てくる」

「馬鹿らしい」

「そうね。でもそういうモノよ。誰かを責めるための理屈なんて、どうとでも作れる」

「じゃあ、セレリアさん達とも接触しないほうがいい?」

「それは構わない。いえ、これまでよりも密に話し合い、意見をすり合わせる必要が出たと見るべき」

「でも、ご迷惑になるんじゃ……」

「あなたの考え、あなたの動き、それらを知らずに動く事の方が私達には危険ね」


 アーテルハヤブサで連絡をとればいいかとヒューゴは口を閉じる。


 ディオシスとルビア王国の状況と、ガルージャ王国の魔獣騒ぎを調べる必要もあるから、イーグル・フラッグスの帝国での動きは自ずと大人しいものになるだろう。


「僕は、というかイーグル・フラッグスはルビア王国とガルージャ王国について調査したいと思っています。帝国国内では、魔獣と賊の退治程度の活動しかできないでしょう。余程のことがない限り、僕自身はベネト村か本拠地にいようと思います。ご用があれば、アーテルハヤブサで宜しくお願いします」


 ルビア王国から情報を集め、ディオシス打倒の戦略を練る。ガルージャ王国の状況次第では、イーグル・フラッグスの派遣も考えなければならない。だから、ヒューゴは自身で動くのは止め、パリスやイルハムに動いて貰うつもりであった。

 ルビア王国攻略の方法や、武器や防具についても研究したいと考えている。


「式の時期は少しずれるけれど、ルークと結婚するのは変わらない。帝都の状況などは、パトリツィア閣下から報告がいくでしょう。ダヴィデ閣下はどうするおつもりなのかは判らないけど」

「判りました。事情が許すのであれば、式には是非参加させていただきます」


 セレリアと笑顔で握手し、ヒューゴは王宮から立ち去る。


「望んでいないのでしょうけれど、これからの騒動にあなたは必ず関わってしまう。時には中心へ連れてこられてしまう。その時、少しでも力になれるようで居たいわね」


 花壇を横切るヒューゴの背中を見つめ、セレリアは不透明な未来に自分が何ができるのか考えていた。





◇ 第十章 完 ◇


◇ 第二部 完 ◇

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