軽んじられぬ雑務

 帝都エル・クリストで皇太子シルベストの皇位継承の準備が進められつつある頃、ドニート・ラクスベル率いる旧ギリアム軍が、中央方面基地へ投降してきた。旧ドニート軍も併せると総数十一万を越えていた兵力は二万程度にまで減っている。帝都に残った兵と各地に散らばっている兵を加えても、拡大派の持つ軍事力では融和派に対抗することなどもはや不可能なのは明らかであった。


 中央方面基地の司令を務めるパトリツィア・アルヴィヌスは、この情報を帝都おおよび帝国各地へ伝える。

 拡大派によるこれ以上の抵抗は無意味であると広く知らしめ、新皇帝の下での安定した統治体制を早期確立しようとした。大きな軍事的反抗はないものの、拡大派の不満によるささやかな抵抗がまだ見られていたからである。


 ギリアムの捕縛とドニートの投降により、再起はもはや見込めないと理解した拡大派側の貴族の多くは、新体制時に不利益を被らないようにと融和派側の貴族に根回しを始める。金品や領地の一部を賄賂としたり政略的結婚を進め、新体制確立時に生じる可能性ある報復的処罰から逃れようとしていた。

 この動きは、シルベストに近しい統龍紋所持者の二名はもちろんルーク・ブラシール、セレリア・シュルツにまで及ぶ。


「この状況を見ると、貴族による統治というのも考え直さなければならないのかもしれぬな」


 中央方面基地で、投降してきた旧ギリアム軍をその地位と責任によって、新たな体制にどう組み入れるか考慮していたパトリツィアにダヴィデは苦笑しつつ話す。


「自己保身が目に余るからな。……欲を持つのは悪いことではない。領地の発展を促し、ひいては帝国全体の利益に繋がるからな。しかし……」


 書類からダビデに目を向けて、パトリツィアは苦々しげに言う。


「ああ、これでは領民……帝国民が振り回される。多方面へ賄賂をばらまくために、法で定められた上限を越えるほど領地の税を大幅にあげる貴族が増えてる」

「かといって、皇帝不在の現状では、貴族を取り締まることもできぬ。新体制確立したあとでも、ささやかな処罰しかできないからな。……不当に税を徴収された帝国民が不満を抱えるかもしれん」


 パトリツィアは机から立ち上がり、ダヴィデが座るソファの横で壁にかかる帝国の版図地図を見る。


「こんなことは言いたくないが、今回の内乱がもう少し長引いていたら、終息の有り難みを国民も感じ、新体制時に生じる不合理も受け入れやすいのだが……」

「強いストレスから逃れられるから、より弱いストレスには不満を感じないということか?」


 ダヴィデの現実的な意見に、認めたくはなくともパトリツィアは疑問の形で理解を示した。


「そりゃそうだ。死ぬくらいなら、多少の飢えは我慢もする。そういうものだろう?」

「事実だろうが、その手段は自分の手足を喰って命を長らえることとさほど変わらん」

「ああ、そうだ。民からの信用を失い、民の経済力を損なう。それは結局、帝国の国力を低下させていることだからな。だが、一時的には有効であることは否定できない」


 肩をすくめてパトリツィアはダヴィデに異論はないと示す。


「なぁ? 士龍ヒューゴが出てきた理由が、現状の体制が根っこで限界が来ているということなのだとしたら、皇帝が変わるだけでは……」

「それ以上は言うな。……判っている。だが、統龍紋所持者は皇帝に従う。それ以外の考えを持ち、現状を否定することは我々には許されない」


 考えたくない事実、既に理解している事実。

 パトリツィアはそれらから目を背け、現状許されている立場に従おうとしていた。

 

「それはそうだがな? 先を見越して準備を整えておく必要もあるんじゃないのか?」

「皇龍が生まれたら……か……」

「そうだ。皇龍が生まれたら、現状定められていることわりなど意味がなくなる。その時大きな変化に対応できないと……」

「失ってはいけないモノまで失う」

「ああ、皇帝含めてな」


 遠くを見るような瞳でダヴィデは窓の外に目を向ける。空をゆったりと流れる雲は、これからも今まで通りの穏やかな日々を保証しているかのようであった。

 だが、その雲の行き先に嵐が待っているかもしれない。ダヴィデにはそう思えて、穏やかなうちに嵐に備えておかなければという焦りを感じさせた。


「帝国はどうなってしまうのだろう?」

「判らん。判らんからこそ、準備を怠ってはいけないと思うぜ。何せ、皇龍の誕生とその先に来るかもしれない大きな変化を予感しているのは、皇帝と我々統龍紋所持者だけだ」

「帝国が消える可能性も考慮しろと?」

「それはそうだろう? 前の皇龍が出てきてウル・シュタイン帝国は生まれた。次の皇龍が生まれても帝国が存続すると言い切れる奴はどこにも居ないだろうよ」

「大陸の勢力図と社会体制の再編か……」


 パトリツィアとダヴィデは、二人の背負った責任の大きさを実感していた。


「ま、心の準備だけはしとかねばならんということさ。……話は変わるが、ドニートはどうするんだ?」

「ギリアム閣下が捕縛されていると言っても、処遇が決まるのは新皇帝が誕生してからだ。皇太子の身分では、大将軍を裁けぬ。同様に、我々と同じ地位のドニートも私には裁けん。現状捕縛しているのは、緊急的措置に過ぎない。正式な対応は新皇帝に委ねられている」


 法的には拘束できるがそれ以上の処罰はできない事実をパトリツィアは伝える。


「これは俺の勘でしかないんだがな。ドニートからは何か危険な匂いがする」

「それは?」

「目だ。牢でチラッと見たとき、何かを企んでいるようではないんだが、どこか普通とは違う気配が感じられた」

「だが、それだけではどうすることもできない」

「ああ、だから、注意だけはしとけよ? 俺の勘は意外と当たる」

「意外とか?」

「ああ、意外とだ」


 微笑むダヴィデの明るい緑色の瞳に、同じく微笑むパトリツィアの澄んだ青い瞳が合う。


「では忠告に従って、警備を増やすとしよう」

「ああ、ドニートには二つ牙以上の力はない。拘束具で押さえておけば、あとは防御系魔法使える二つ羽二名ほどで警戒しておけばいいだろうな」

「何なら、ダヴィデがついていてくれてもいいんだぞ?」

「おいおい、それは勘弁して欲しいな。俺は士龍ヒューゴのそばで、あいつが何を考えているのか見ておきたいんだ」

「そうか。私もこれらの書類の処理を終えたら帝都へ向かう」

「じゃ、俺は先に行っているさ」


 ソファから立ち上がり、パトリツィアに手を振ってダヴィデは執務室から出て行く。


「ドニートもそうだが、ギリアム閣下をシルベスト殿下はどうするのだろうか……。いや、これは私が考えることではないな」


 再び執務机に座って、パトリツィアは書類に目を落した。

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