第十章 雌伏、そして混乱

温情ある裁定

 大敗を喫したルビア王国では、ディオシスの責任を問う空気が強くなっていた。

 ディオシスが宰相に就いて以来、セリヌディア大陸西部の平定という名目による北部と南部の制圧、そして帝国侵攻と戦いが続いた。


 戦争で勝利しているうちは、勝利国の自尊心が満たされ国内に高揚感が満ち、戦費負担への不満や近親者の死傷による悲しみは覆い隠されている。しかし、帝国侵攻の連敗、何よりも出征した兵士の過半数が失われたとなると、抑えられ隠されていた不満が一気に噴き出す。

 まして、勝利を手にしてきた宰相ディオシスの提案による出征での大敗である。国内では厭戦気分が高まり、ディオシスの好戦的姿勢に批判の目が強くなった。


 ディオシスは可愛い弟であり、その能力を高く評価しているルビア王国国王アウゲネス・ロマークであっても、今回の大敗には眉をひそめた。想像を超える損害の大きさに、その責任を問わないわけにはいかない。


 ディオシスは王都へ戻り、文武双方の高級将官が並ぶ中アウゲネスに敗戦の報告をする。


「……このたびは私の失策により甚大な損害を出し、国王陛下の名誉を傷つけたこと責任を痛感しております」


 膝を折り、頭を垂れて、詳細な敗戦報告と真摯に謝罪するディオシスの姿は、アウゲネスの目には潔く、責任ある立場の者に相応しいものに映った。


「こたびの敗戦による我が国が被った傷は深く大きく見過ごすわけにはいかぬ。それがいかに我が弟であっても、宰相という職責に見合う責任を負わねばならない。こたびの損害を考慮するなら、その罪は宰相の地位を剥奪し、財産没収のうえ幽閉すべきものであろう」


 アウゲネスは立ち並び、ディオシスに厳しい視線を向ける将官等を見回す。

 一呼吸を置いて、言葉を続けた。


「だが、こうも思う。これまで数多くの功績をあげ、我が国の立場を大きく向上させ、国力を高めてきたものまた宰相ディオシスだ。また、ディオシスの替わりを務めうる異才が見当たらないのも事実。そこで宰相位は剥奪し財産の半分は没収する。だが、次の宰相の補佐を担わせようと思う。諸官も納得し、我の目指す大業……大陸統一に向けて努力を期待したい」


 並ぶ将官等全員の表情は優れない。確かに国庫は潤い、領土は広がったが、ディオシスの方針は過度に強権的で、政策は国民にとって厳しい。だから国民の間には不安と不満が蔓延している。


 その能力が高いことには誰も異論は無い。だが、王弟である事実を言外に匂わせて命令するため、国民だけでなく将官等の間でもディオシスの下で働くことを良く思わない者が多い。今回の大敗は、ルビア王国の将官としては大きな痛手であるが、ディオシスを廃す良い機会と内心喜ぶ者も少なくない。


 国王アウゲネスは、王太子時代、部下の面倒見の良い優しい将であった。その性格ゆえに、失態失策を許されてきた将官も多く、ディオシスへの対処はまさにアウゲネスらしいと理解はしている。しかし、王弟ディオシスを裁けるのはアウゲネスのみ。ディオシスの進言を無視できる将官は居ない。それは次の宰相が誰であっても同じだろう。政治中枢に居るならば、ディオシスが宰相の地位から退いても状況は変わらない。


 国王アウゲネスの寛大さゆえに、各将官は国王を慕いその威と命に従う。だがその寛大さゆえに、ディオシスを政治の舞台から降ろせないことに苦しむ。

 立ち並ぶ将官等の胸中は複雑であり、場の空気の複雑さにアウゲネスも苦しんでいる。


 微妙に冷めた空気が満ちている中、伏しているディオシスのみが俯いた姿勢の裏でほくそ笑んでいた。

 

 ――これは兄上の我への愛情の深さを見誤っていた。さすがに今回だけは厳しく処罰するしかないと思っていたのだがな……ならば……。


「陛下の温情には厚く御礼申し上げます。しかし、こたびの責任は職責に見合う形で果たさないわけには参りません。信賞必罰を守らねば国の威信を失います。ですので、私は王宮から離れ、魔獣番の任のみに就かせていただければと伏して願います。魔獣番だけは私以外にその務めを果たせる者はおりませぬゆえ」


 魔獣を戦力として養うと同時に、国内の魔獣被害を減らすためにと、ディオシスの指示で設けられた魔獣番。魔獣紋を持つディオシスが宰相と兼任してきた。

 国内各地で生じる魔獣被害がディオシスに拠って鎮圧され、国民の間でも評価の高い政策であり組織であった。内実は明らかではないが、将官等も魔獣被害の減少とそれによる利益は認めるところであった。


「どうであろう? ディオシスはこう申しておる。我としては、彼の者の知恵を活用できなくなるのは惜しい。だが、その言が妥当であるのは認めないわけにはいかぬ」


 政治の舞台から去り、一武官としてならばと将官等の表情が緩んでいるのをアウゲネスは確認する。


「どうやら皆も納得したようだな。では、ディオシスはその言に従い、宰相の地位は剥奪し、魔獣番の任に就くこととする」


 ディオシスは顔を上げ、満足げなアウゲネスに神妙な表情を向けた。


「ハッ、陛下の温情ある御裁定に感謝いたします。今後も任に真摯に当たり、国王陛下とルビア王国のためにこの身を捧げ尽くすことを誓います」



・・・・・

・・・


 宰相の執務室から私物を片付け、王宮から出る準備をディオシスはしている。机と棚から私物だけを分けておけば、あとは他の者がやってくれる。

 しばらくは一人になりたいと告げて、室内で作業していた。その表情には宰相から降ろされたとは思えぬ、明るい微笑みがある。


『都合が良かった……ということか?』


 ディオシスに話しかけるヒュドラの声もどこか楽しそう。


「ああ、どうせこれから数年は帝国への侵攻などできぬ。兵力を回復させねばならぬからな。その役は私がする必要はない。私がせねばならぬのは……」


『飛竜と士龍への対策か……』


「その通りだ。空を自由に利用する彼等にまともにぶつかっても勝機はない。だが、今回の戦いで一つだけ対応策が見えた。そのために必要なのは、ヒュドラ、おまえの完全な覚醒と……」


『皆まで言わずとも良い。我にも判っておるさ』


「フフフ、それに帝国も例の遊びがうまくいけば、国力を増すことなどできぬさ。……それも数年程度だがな」


『あちらが国力を回復できぬ間に……というわけか』


「そうだ。メリナも金龍で我が国の大地を富ませる任に集中でき喜ぶだろう。アレの目を私から逸らせられるのだ。国内的にも、宰相から離れるのは都合がいい」


『準備が整ったら……』


「ああ、兄上にも退場していただく」


『おまえが自由に動きたいときに、タイミング良く宰相から外してくれるとはな』


「うむ、この上なく感謝しているさ」


『仇で返されるとも……』


「言うな!」


 ヒュドラから続く言葉を奪い、最後の私物を床に置いた。ベルを鳴らして従事役を呼び、私物をまとめ魔獣番の任地へ送るよう指示して宰相執務室からディオシスは出る。


 ――兄上、感謝しております。お命を大切にしてくださいませ……あと数年ですが……。

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