統龍紋所持者の思惑

 パトリツィア・アルヴィヌスは、帝都エル・クリストを守護するためにレーベン山脈西側の帝国軍中央基地に待機していた。


 皇帝位が空位のため、紅龍紋所持者パトリツィアは蒼龍紋所持者ダヴィデ・サヴィアヌスと共に、帝国国内で生じている内乱には関与できずにいる。帝国軍という組織も二つに割れていて、ここ中央基地だけでなく各基地でも融和派支持する兵と拡大派支持する兵との間で騒動が生じていた。


 ここ中央基地ではパトリツィアの睨みが利いているため大きな騒動は生じていないが、小さないさかいは毎日のように起きている。


「こんなことなら外から敵が攻めてきてくれたほうがいい……そう考えているんだろう」


 基地内でパトリツィアに与えられている部屋のソファに座り、お茶の入ったカップを手にする日焼けした肌の男がパトリツィアをからかうように言う。


「ダヴィデは軍を指揮していないから、そんな冗談を言えるのだ」


 忌々しいと言いたげな顔色でパトリツィアはダヴィデを睨む。

 楽しんでると判る色をその深い緑の瞳に浮かべてダヴィデはパトリツィアに言う。

 

「まあな。おぬしの苦労はよく判っているが、どうもこれが俺の性分なんだろう、穏やかな毎日より多少は騒がしい方が楽しくてな」

「憎たらしいことを……。それより、士龍が覚醒したのは知っているんだろう?」

「蒼龍が教えてくれたよ。俺は士龍とはまだ会ってないが……パトリツィアはどう考えているんだ」

「どうとは?」


 聞きたいことが曖昧な質問に、パトリツィアは少し眉をしかめて聞き返す。


「士龍は皇太子殿下をギリアム閣下の手から逃がし、一緒にいるんだろう?」

「個人的には皇太子殿下に付きたい。士龍とは敵対できないしな」

「……俺は可能な限り士龍の手伝いをするつもりだ」

「それはギリアム閣下と敵対しても……ということか?」

「そうなるだろうな。どうせあの人には俺達を処罰などできぬよ」

「処罰されないから敵対しても良いというのはどうかと思うのだが……」


 ダヴィデの率直すぎる返答に苦笑するパトリツィア。

 真面目なパトリツィアにダヴィデも苦笑を返す。


「堅い、相変わらずパトリツィアは堅いな。俺達は帝国の民のために皇帝の指示に従うのが役目だ」

「ギリアム閣下に付いたら、帝国民のためにならぬと?」

「うむ。俺のように海を相手にしているとな。世界も国も海と同じように感じることがあるんだ」

「それは?」

「海はな。人だろうと龍だろうと思い通りにはできない。こちらが合わせていくしかないんだ。世界や国だって同じだ」


 主張の核心を話している様子のダヴィドだが、意味をいまいち把握しきれずパトリツィアは苛つきを見せた。


「だからどうだというんだ」

「ギリアム閣下は、世界を思い通りにできると思っている。俺にはそれは間違いだと判るし、気に入らないんだ」

「だが、大陸統一に夢を見る者はギリアム閣下の他にも大勢居る。だからこの有様なわけだが」

「そういう奴は海で数年暮らせば良いのさ。海では、どれほど気を遣ってもどれほど体力があり泳ぎが達者な奴でも命を落すときは落す。絶対なんてない。それを思い知る」


 何でも思い通りになると考える者に辟易しているのがダヴィデの物言いに明らかだった。パトリツィアはダヴィデの主張に納得しつつ確認する。

 

「国も同じだと?」

「ああ、そうさ。大陸統一したとしても、それは大きくて重い荷物を背負うようなものだ。倒れたときの怪我の度合いは深刻になるし死ぬ確率も高くなる。守るべきものが多くなるってことは、それだけ見えなくなるものを増えるってことでもあるしな」

「だが、前皇龍は大陸を統一し、我々の役目を定めたのだぞ?」

「結局分裂した。前皇龍は分裂も予想していたと思うぞ? だから、大陸西側の土地や民のことを思って、ロマーク家に金龍を預けたんだよ。……統一前のこの大陸の状況を調べたか?」

「いや、そこまではしていない」

「今で言えば、多少大きな村程度の領地を持つ領主達が、大陸中で土地の奪い合いをしていた」

「ふむ。以前と今では大陸の状況が違うと言いたいわけか」

「そうさ。昔は必要な対応だったとして、その時は一時的でもうまくいったとしても、今とは様々なものが異なっているのに有効だと考えるのはおかしい。ギリアム閣下にとっての大陸統一は必要かどうかで考えてるんじゃない。大陸統一して名声を得て歴史に名を残したい欲求にもっともらしい理由をつけているだけなのさ」


 両手を広げ、ヤレヤレといった風にダヴィデは首を横に振る。


「だが、新たな皇帝からの命令が無い今、前皇帝の命令を守るしかないではないのか?」

「俺には海岸の治安を守れ。おまえには帝都を外敵から守れ。これだけだろ?」

「ああ、そうだ。だから……」

「つまり、それさえ守っていれば、あとは俺達の自由なのさ」

「そうか……私は帝都が他国の侵略から守っていれば良い。ということは、外敵の脅威がない状況では……」


 ダヴィデの言いたいことが判ってきたパトリツィアは、鋭い視線を空に向け考える。


「そうだ。俺達は俺達の意思で動いて良いんだ。そもそも皇帝位が空位の今、帝国軍という組織自体無いも同然なんだ」

「!? ギリアム閣下を大将軍として任命した皇帝陛下が崩御し……」

「そう。こういった場合の前例も法もない」

「元老院の権威も皇帝あってのもの……」

「ようやく判ったようだな。俺達を縛っているものはほとんどないということに」


 前皇帝の命令には従わなければならないが、新たな皇帝が居ない今、別の命令が下りてくることはない。

 皇帝崩御前とは状況が異なることを改めてパトリツィアが理解した様子にダヴィデはニヤッと笑う。


「ダヴィデの言いたいことは判った。だが、それだけで士龍に付くと決めたわけではないだろう?」

「士龍が現れたということは、世界が現在に疑問を持っている証拠だ」

「そうだ。金龍紋所持者メリナとも話し合い、統龍同士の争いを避けると決めた理由の一つでもある」

「その士龍が覚醒した。つまり皇龍が出現する可能性がかなり高くなったということ」

「だが、まだ皇龍が出現すると決まったわけではないぞ?」

「だからさ。新たながどうなるか見たくはないかい?」

「皇龍の誕生を後押しするつもりか?」


 士龍への協力はやぶさかではないが、皇龍に関することには距離を置くべきと考えていたパトリツィアは、ダヴィデが積極的に関わろうとしていることに驚いた。皇龍という存在は、統龍紋所持者や一部の者にとってというだけでなく世界の有り様を変える。そのような大きな存在に関わる責任は、自身には大きすぎるとパトリツィアは思っていたのだ。


「ああ、そうだ。ウル・シュタイン帝国の前身シュタイン帝国が建国されてから六百数十年。ウル・シュタイン帝国が前皇龍によって建国してから四百数年。ガン・シュタイン帝国が建国してからもうすぐ四百年。大陸の流れは同じ方向に……貴族とその他という構図で動いてきた。だが、今の士龍は貴族ではないだろう? 彼が皇龍になれば社会のあり方はきっと変わる。俺はそれが見たいんだ」

「今の社会のままではダメだと?」

「俺にはそれは判らない。だがな? 変化してみなくては、今が良いのかすら判らないんだ」


 皇龍の誕生そのものを現在の世界を判断する材料にしようとするダヴィデ。

 興味は当然あるが、やはり手に余る存在ではないかと懸念しパトリツィアは問う。


「ダヴィデが期待しているようには変わらないかもしれないぞ?」

「それでもいい。どのみち皇龍が定めることだ。俺にはどうすることもできない。だが、皇龍が誕生しなければ確実に何も変わらないんだ。……さぁ、パトリツィアはどうする? このまま動かずにいるのか?」

「……私は……士龍に……ヒューゴにいろんな世界を見て欲しいと思っている。だが、この内乱が起きてしまった以上、ヒューゴはギリアム閣下への対応に追われるだろう」

「ならば、おまえはおまえの知る全てを教えれば良い。俺もそれは手伝おう」


 確かに、皇龍が誕生した後どうなるかなど今は誰にも判らない。ならば、皇龍に最も近い士龍ヒューゴにいろいろと伝えることは大事なことだろう。ダヴィデの意見に面白みと責任をパトリツィアは感じ始めている。


「一緒に来いと?」

「帝都が外敵から襲われる心配ない間はな」

「紅龍と火竜をここに待機させていれば、もしルビア王国が攻めてきたとしても相当な時間は持ちこたえられる。私が戻ってから撃退すれば良い……か……」

「他にもすべきことがある。皇太子支持派というか融和派を集結させなければならない」

「確かにな。今のままならばギリアム閣下の下でまとまっている軍に蹴散らされるだけだ。だが、融和派は現状維持意識の強い保守派だぞ? 士龍の目指すところとぶつかる可能性が高い集団だ」

「彼らには申し訳ないが、士龍が力を蓄え体制が整うまでの、一時的な戦力になってくれさえすればいいんだ」


 不敵な笑みを浮かべたダヴィデの緑の瞳がパトリツィアに向けられる。


 ――本気なのだな……。


「ダヴィデ。そのようなことは昨日今日考えたことではあるまい。いつから……」

「士龍が現れたとおまえから聞いた三年前からさ」


 笑みを浮かべながらも真剣さを増したダヴィデの表情を見て、パトリツィアも覚悟を決める。


「……具体的にはどうする?」

「考えはある、聞いてくれるか?」

「ああ、ゆっくり話そう。その前に……お茶を淹れなおそう」


 パトリツィアは席から立ち奥の部屋へ歩き去った。


 ――面白い時代に生まれたものだ。俺もおまえもな……。


 パトリツィアの後ろ姿を見送るダヴィデの目は遠くを見つめる。

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