レーブの報告
レーブ・イリイチは、自身より八歳年上の皇太子シルベスト・シュテファン・フォン・ロードリアの護衛を楽しんでいた。皇太子の命を狙う刺客が現れるスリルと、王宮内の女性達を口説く彼の趣味を満たす毎日は退屈には縁遠い。
刺客はこれまでに二人、警備の人数が減る深夜に現れた。
昼間のうちに一夜の睦みを約した女官との逢瀬の合間に、レーブは刺客の気配を察しては得意の棒術で倒し縛り上げる。警備を呼んで引き渡した後、再び逢瀬の続きを楽しむ。
レーブにとって理想的な生活を送り、ヒューゴへ報告するときは上機嫌であった。
エル・クリストのはずれを流れる川のほとりで、ヒューゴとレーブは地面に座って話している。宿や他の場所よりも周囲を見渡せるため、建物の中よりも相談しやすいのだ。
「……それで、刺客の素性はどうなんだい?」
逢瀬まで辿り着いた女官のことを、黒い瞳をキラキラとして嬉しそうに話すレーブにヒューゴはややあきれ顔で訊く。
「残念ながら……一人はだんまり、もう一人は自害しましたので」
ハッとして任務本来の報告に戻り、レーブは表情を引き締める。
「その辺は抜かりはないということか……」
「しかし、寝物語のついでに教えてもらった情報があります」
「女官からかい?」
「ええ。
「その女官の言うことは信用できそう?」
「はい。私に惚れたという理由もあるのですが……その女官はもともと
「どういうことかな?」
「
「詳しい身の上は聞かない。で、どういう情報だい?」
周囲を見回して誰も居ないことを確認したあと、レーブはヒューゴの耳元に口を近づけた。
「元老院は数日後……二日か三日後らしいですが、次期皇帝にギリアムを推薦するらしいです」
「本当かい?」
ヒューゴから身体を離したレーブを見つめて訊く。
「裏を取るつもりですので、今日一日下さい」
「判った。だけど、融和派は反対するだろう。状況は変わらないはずだろうに」
「そうとばかりも言えないようです」
「どういうことだい?」
「融和派貴族の領地の混乱は収まっていません。それを理由に、融和派の姿勢では統治能力に難があるということに」
「自作自演のような話しだね」
「それと、もう四十歳になる皇太子にはお子さんがいらっしゃらないので……」
「つまり血筋の継続に難があると?」
「そういうことです」
「なるほどね。……他には何か聞いたかい?」
「もう一つあります。まだ噂の段階のようですが、本当だとしたらかなりの混乱が予想される話しです」
「それは?」
「内乱です」
「内乱?」
つい声が大きくなったヒューゴは、ギクッとして息を大きく吸う。
周囲は大丈夫とレーブは目で合図して再び話し出した。
「統龍紋所持者は皇帝にのみ従うというのはご存じでしょうか?」
「うん、セレリアさんから聞いた」
「では、その皇帝の資格は皇室関係五貴族の承認を得た者ということは?」
「いや、それは知らない。そんな条件があるのかい?」
「はい。そして、ギリアムが元老院の推薦によって皇帝に就いたとして、融和派で占められる五貴族からの承認を得られる可能性はかなり低いです。全五貴族の承認が必要なのですし……」
「そうだね。少なくともセレリアさんは……シュルツ家は承認しないだろうね」
「すると、ギリアムは皇帝としては認められません」
「だけど、次期皇帝は元老院の判断に任せると前皇帝が決めている……」
パトリツィアやセレリアから聞いた知識を思い出しながらヒューゴは答える。
「ギリアムと元老院は、五貴族に個別に当たってギリアムの皇帝就任を認めるよう説得に動いているようですが、まったく動く気配はないようです」
「だろうね。領地の騒動はギリアム側の手によるものと確信しているだろうし」
「はい。そちらもギリアム側の見込みが甘かったようです」
「ん? どういうこと?」
「財政基盤を弱らせて貸しを作るつもりだったようです」
「とすると、セレリアさんへの対応も……」
「ええ、ご想像通りです。出世させず、手柄も小さなモノとして処理し、シュルツ家を継ぐ際の立場を弱め、当主として不適格とする。困るセレリア様へ助け船を出して貸しにするつもりだったようです。もし戦場で亡くなったら、それはそれでいいですしね」
「皇帝位が空位なら、統龍紋所持者は誰の命令にも従わない。その状態で内乱を起こして、ウル・シュタイン帝国の流れを踏襲してきたガン・シュタイン帝国を終わらせ、これまでの皇帝資格を変える。そこでギリアムが新たな帝国を作る?」
「おおよそその流れを想定しているようです」
「まだ噂だろ?」
「ですが危険で現実味ある噂です」
ヒューゴはレーブの真剣な視線を受け止め口を閉じる。
「ヒューゴ様。ご計画中の逃走ですが……できる限り早めに、そして……御覚悟なされた方が宜しいかと思います」
「覚悟って?」
「ギリアム等との対決です」
「おいおい、僕は百名程度の傭兵隊の隊長だよ?」
「しかし、皇太子を擁することが可能になります。融和派を糾合できるようになるのです。ガルージャ王国国王サマド・アル=アリーフ様もヒューゴ様をお助けすることでしょう。それに……」
「それに?」
「ギリアムは皇太子とヒューゴ様と……セレリア様達五貴族を生かしておくつもりはありますまい」
「ねぇ? 判らないことがある」
「統龍紋所持者ですね?」
「そうだ。領土拡大を目論むなら統龍は必要になる。ルビア王国と対決するには絶対と言っても良い」
「皇太子から聞いたのですが、ガンシュタイン帝国が滅んだ場合、これはフォン・ロードリア一族の直系の血筋が滅んだ場合ということらしいですが、統龍紋所持者は帝都エル・クリストを治める者に従うことになっているのです。ただ、この話には確証はないようです」
レーブの話しを聞いてヒューゴは腕を組み首を傾げる。
「うーん、よく判らないな。いや、レーブの言っていることは判っている。僕が判らないのは、エル・クリストにはそうまでして守るべき何かがあるのかなってことなんだ」
「王宮の地下に霊廟があるということです」
「その霊廟には何か秘密が?」
「皇族なら誰でも入れる部屋なのだそうです。皇太子は毎月のように訪れているらしいのですが、特に何かがあるようには思えないと」
「その霊廟は何を祀っているのかな?」
「クリスティアン・マキシム・フォン・ロードリア……ウル・シュタイン帝国唯一の皇帝その人です」
「なるほど。詳しい理由は判らないけれど、要は、皇太子がいなくなりさえすれば、エル・クリストをギリアムが治めれば統龍紋所持者を従えられるということかな?」
「……多分ですが……」
「だいたい判ったよ。ギリアムは皇太子の命を奪おうとしていて、その確証のない話に賭けているということだね?」
「そうです」
「そういうことなら、レーブが皇太子のそばから長く離れていては困る」
「昼間は大丈夫でしょう。皇太子は近衛兵が守っています。近衛兵の中に一人、私と渡り合える男がおりまして、彼が居れば問題は無いです」
「レーブと対等だなんて凄いね」
「私より二歳年上のルイムント・クリフソスという男なのですが、皇太子とは幼馴染と言ってよい仲のようです」
「信用できるんだね?」
「ええ、身辺調査もしました。下級貴族出身の孤児で家族はなく侍従役として育てられたようです。皇太子も実の弟のように可愛がっていたらしく、二人の信頼は相当厚いですね」
「判った。僕は脱出計画の準備を済ませておく。レーブは皇太子の安全を頼む」
ヒューゴは立ち上がり、レーブに手を差し出す。その手を掴み、レーブも立ち上がる。
「お任せ下さい」
「あ、それと……僕等がエル・クリストを離れるときだけど……」
「何かありますか?」
「懇意になった女官はどうするつもりだい?」
「もちろん一緒に連れて行くつもりです」
ヒューゴの疑問にレーブはあっけらかんとした笑顔で当然のように返してきた。
「まぁ……残していくわけにもいかないか……」
「宜しくお願いいたします」
レーブはニヤリと笑ったあと、ヒューゴより先に歩き出した。
――大事な情報提供者だ。仕方ないよね。
本拠地に戻ったとき、イルハムが気難しい顔をするだろうなと想像し、ヤレヤレと首を振ってヒューゴもまた歩き出した。
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