幕間(狙う者達)

 ルビア王国王宮内の一室、宰相ディオシスの執務室は満たされた憎悪で重苦しい。

 感情の赴くままに書類や物に当たり散らさないだけ冷静だろうと、彼の心情とその場の空気を感じられる……ディオシスの紋章に宿るヒュドラは苦笑している。


「士龍が現れただと? これでは……これから無紋ノン・クレストを処刑する意味がないではないか?」


『だが、今さら無紋と弱者の排除を止めるとは言えまい』


「当たり前だ! これからのことだけではない。これまでのこともあるのだ。無紋ノン・クレストを引き渡さない国は我が国の方針に従わぬ国として、北方南方問わず占領してきた。我が国の拡大理由であったのだ。それを急に変更するなどと言えば、我の主張を疑問視する者が必ず出てくる。いや、メリナは既に疑問視していた。そのような者が増えれば、いくら兄でも、我の進言をこれまでのように素直に実行しなくなる」


『方針は変えずとも良いではないか』


「……ああ、そうだな。だが、統龍同士をぶつけて相打ちを狙う方針は変えざるを得ない」


『それがどうしたと言うのだ。統龍は倒せずとも統龍紋所持者さえ排除してしまえば良いではないか』


「……いずれは……な……だが、今はまだダメだ。ルビア王国の領土が豊かなのは金龍がいるからだ。大陸を制覇するまでは必要なのだ。そして帝国の統龍紋所持者二人を倒すには、周到な準備が必要となる上に良い策がまだない」


『ルビア王国と帝国の統龍が前戦に出ないのであれば、ディオシスよ、我らの力を使えるのだぞ? 統龍紋所持者には使えなくとも士龍相手ならば使えるだろう? 今の士龍の持ち主を殺してしまえば、今後の無紋ノン・クレスト殺しにも意味が出てくる』


「そうなのだが……宰相の俺が出るには、決戦とでも言うべき戦いにならないと……他の将軍達から武勲を奪うのかと非難される……」


『では、士龍を倒すための策を練れば良い。すべきことは決まっているのではないか?』


「相手は士龍だぞ? 我の放った偵察が、王族を奪われた場所で戦場を観察していた。その報告によれば、持ち主の武力は人間離れしていたという。罠にはめ、あの武力を活かせない状況に陥れなければ勝機はない。問題はその罠と、どうやって誘き寄せるかだ。そして機会は一度と考えていなければならない」


『なるほどな。その機会を作るのが先決というわけか』


「そうだ。そして、十分に調査し、精査し、必殺の確信を持てないなら動かない方が良い。相手にこちらの手の内を教え学習させてはならないのだ」


『では当分の間は、現状維持というわけか?』


「ズルム連合王国を占領したのだ。そちらの整備に力を注ぐ必要もあるからな。弱者の排除もせねばならんし、無紋ノン・クレストもまだいるかもしれない。それに、士龍がまだ出現していなければ、帝国侵攻を急ぐ必要はあったのだが、既に現れてしまったのだから慌てても仕方ない」


『士龍だけでなく皇龍が出現したら、何をやろうとしても手遅れになるのだが?』


「判っている。のんびりするつもりはない。必殺の策の準備が整ったら、そちらを優先する」


『まぁせいぜい励むことだな』


 書類が積まれた机に腕を組んで空を見つめるディオシスは、憎悪ではなく執念によって執務室を満たす。

 

 龍を利用した体制を終わらせ、ディオシスの思うがままに大陸を支配する。その野望を果たすためだけにこれまで生きてきたのだ。士龍が出現したからといって、諦めるつもりはディオシスにはない。


 背中に刻まれたヒュドラの鎌首が、五本から六本へ増えていることを彼は知らない。彼の執念がどこから生まれ、何によって強く突き動かされているのか、ディオシスは理解していない。

 彼の背で静かに笑うヒュドラは、愛しい分身の心の動きに満足していた。


◇ ◇ ◇


 ガン・シュタイン帝国帝都エル・クリストには、王宮を除くと、他の建物より大きくひときわ荘厳な建物がある。帝国軍総本部が置かれたその建物は、ルビア王国との戦いが終結しひっそりとしていた。


 総本部の一室に、皇帝の異母弟ギリアム・ザッカルム・フォン・ロードリアは反皇太子派の配下達と共に居た。

 

「例の、セレリアと共に動いている傭兵隊の隊長は士龍だというではないか」

「まずいことに、ルビア王国側の統龍とも接触し、此度の戦争を終結に導いたそうです」

「皇帝の座を手に入れても、統龍を我の思うがままに使えぬとは……」


 ギリアムは士龍が出現した意味を知っている。それは皇室の者ならば必ず聞かされてきた、ウル・シュタイン帝国皇帝クリスティアン・マキシム・フォン・ロードリアの伝説で語られていることだからである。皇帝のみにしか伝えられない秘密もあるらしいが、おおよその話ならば皇室の者は全員知っていた。


 クリスティアンは士龍、そして皇龍紋を発現させ、全ての統龍と全ての紋章を操り、大陸中の敵を一掃して覇権を築いたのだと。

 

「だが、皇龍紋を発現させてはいないのだ。我々にもまだ機会はある」

「ですが、統龍を使えずに、どうやって士龍の持ち主を倒せば……」

「倒さずとも懐柔してしまえば良いではないか。出来ぬ時は、近しくなったところで亡き者にすればいい」

「なるほど。ですが、セレリアとパトリツィアはどういたしましょう? あの者達が士龍のそばに居ては、我らの動きを警戒されるのでは……」


 会議机の周囲をギリアムは思案げにコツコツと歩く。

 部下達はその様子を無言のまま追っている。


「うむ、そこが困っているところだ。士龍を持つ者……ヒューゴと言ったか……その者は帝国の人間ではない。報奨もパトリツィアからセレリア経由で渡すことになっている。呼び出して我自ら直接渡し、それを機に接触することもできん」

「セレリアへお命じになっては? 王族救出の手柄は、我が軍の中ではセレリア中尉の献策によるものとなっております。彼女へ報奨を渡すのはギリアム閣下の手で行い、その際、功労者ヒューゴとも会ってみたいと伝えれば断れますまい」

「ヒューゴと個人的な交誼こうぎを結ぶということか?」


 ギリアムは立ち止まり、意見を述べた部下をじっと見つめた。


「左様です。とにかく繋がりを作るところから始めませんと……」

「……確かにな……。焦って冷静さを失っておった」

「士龍が出てくるなど誰も予想していないこと……仕方ありません」

「そうだ。士龍のことは内密にな? 皇帝陛下と皇太子には既に伝わっているだろうが、他の者には知られぬようにせよ。本来ならばおぬし等にも伝えたくはなかったのだ」

「承知しております。大勢に知られるとやりづらいこともありますし」

「では、そなたの案に沿って、事を進めよ」


 その場の配下達は立ち上がり、ギリアムに立礼した後に退室した。


「クリスティアン・マキシム・フォン・ロードリアが没して以来、士龍が現れたことはない。しかし、士龍が現れたとはいえ、皇龍紋を必ず発現しえるものではないとも聞く。ヒューゴなる者が皇龍紋を発現しえる可能性がどの程度のものかは判らんが、いずれにせよ機会を見つけて排除すべきなのだろう」


 誰もいない部屋に一人佇たたずみ、ギリアムはまだ見ぬヒューゴへの殺意を心の奥底に刻み込んだ。





◇ 第五章 完 ◇

◇ 第一部 完 ◇








 

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