統龍紋所持者達の思い


 太く長い尾を巨大な身体にまとわせて横たわる金龍のすぐ隣で、パトリツィアとヒューゴはメリナ・ニアルコスを待っている。上空ではラダールが、黒い羽を広げ大きくゆっくりと旋回していた。


 パトリツィアが空を飛んでみたいというので、馬ではなくラダールに乗ってルビア王国軍の陣内へ向かってきた。すると、金龍が士龍に話しかけてきたので、パトリツィアとヒューゴはちょっとした丘ほどもある巨大な龍のそばへ降りたのだ。

 紅龍で統龍になれているパトリツィアも、士龍を持つヒューゴも、金龍のそばにいても恐れている様子はない。金龍からは敵意がまったく感じられないからだ。


『もうじきメリナは来る。それまで少し話がある』


 金龍はパトリツィアとヒューゴの頭に話しかけてきた。周囲に人は居ないが、居たとしても何が起きているか判らないだろう。統龍紋所持者と士龍を持つヒューゴだから、金龍の言葉が伝わっている。他の人間には三人が無言で立っているだけにしか見えないに違いない。

 金龍の声は、若い雄の声のようにヒューゴには聞こえた。紅龍の声はもう少し年齢が上の雄の声のようだったなとヒューゴは思い出している。


『話とはなんだ?』

『士龍よ。その者が候補者なのか?』

『その通りだ』

『皇龍の定めに届きそうな者か?』

『その可能性は高いと感じているが、まだ判らんよ』

『そうか……届いて欲しいものだな』


 金龍の声にはどこか憂いがある。ヒューゴは疑問を感じて口にした。


「金龍には何か心配があるのかな?」

『金龍紋所持者のことを心配しているのだろうよ』


 ヒューゴの問いに士龍が答える。ヒューゴと同年代に見える女性……メリナ・ニアルコスが金髪を風になびかせて近づいてきた。パトリツィアとヒューゴもメリナに近づく。


「金龍との会話は聞こえた。ようこそ……とは言えない状況だが、個人的には歓迎するよ」


 握手を求め手を出すメリナ。

 パトリツィアはその手をしっかと握り、ヒューゴを紹介する。


「この者はヒューゴ。士龍を持つ者だ。……こう言えば、私達がここに来た理由は判るだろう?」


 パトリツィアの手を離したメリナは、ヒューゴにその深い緑の瞳を向けた。パトリツィアとメリナがこうして話している姿を見ると、何故か懐かしいような感覚がヒューゴにはある。


「……この者がそうか……王都のそばで士龍の気配を感じたと金龍が言っていたので覚悟していたのだが……そうか……」


 マジマジとヒューゴを見るメリナの声には、何かを期待している空気があった。


「ああ、おぬしと我、お互いに幸いなことだぞ」

「ん? それはどういうことだ」

「統龍のブレスを使わずに済む」


 パトリツィアの言葉を聞き、大きく開いてやや輝きを増した瞳はヒューゴから離れない。


「では? 統龍を戦争に使用することを禁じるということか?」

「無理を言うな。我は皇帝陛下に、おぬしはロマーク家に縛られている。統龍をどう使うかまでは士龍といえど決められぬ。だが、目の前に士龍がいるのに、ブレスを吐くことはできん。そうだろう?」

「……ああ、士龍を害すことはできぬからな……」

「そうだ。そして敵対することもできん」

「ほう、つまり、士龍は統龍の前に立ちはだかると?」

「必ずしもそうではない。だが……ヒューゴは帝国軍と共に行動している」

「金龍は帝国軍に攻撃できん。誤って攻撃して傷つけでもしたら……」

「そうだ。統龍紋所持者の資格を失うだろう。それもまた皇龍の定めゆえにどうにもならぬ。そして紅龍も、皇帝陛下の命によりブレス攻撃だけは……統龍のブレスを防ぐため以外での使用を禁じられている」


 パトリツィアの言わんとしていることをメリナははっきりと理解したよう。メリナの瞳の光が、期待よりも強い希望へと変わっている。


「そうなると、統龍は戦いから解放されるかもしれん。そして大地を潤す役にだけ務めることも可能になるかもしれないということか……」

「ああ、豊かな土地は広がり、民の暮らしは今よりも楽になる」

「……パトリツィアが士龍を連れて来た理由は判った。だが、現状のままなら金龍を前戦から外すことはできないが?」

「士龍の出現を国王へ伝えろ。統龍紋所持者を抱えるロマーク現国王には、皇龍の定めが引き継がれているはず。定めを破るようなことがあれば……」

「ああ、金龍紋所持者を抱える資格を失う」

「国王がその道を選ぶと思うか?」


 視線を下に落してメリナは考え、そして顔を上げきっぱりと言葉にする。


「いや、選ばないだろう。特に、現国王アウゲネス・ロマーク陛下なら……手段はともかく大陸の覇権を狙っているのだから尚更だろう」

「そうだ。そしてその野望も、統龍を自由に使えない状態が現実となったことを知れば……」

「そうか! 大陸の覇権そのものを断念するしかない」

「簡単には変わらないだろうが、そうあって欲しいものだ。判っているだろう? 士龍が現れたということの意味を」


 きつい表情のパトリツィアと同じ表情にメリナも変わる。


「皇龍が……世界が現在を否定しようとしている」

「うむ。全てではないにしても、変えなければならないと考えているのは確かだろう」

「……これからどうしたらいい?」

「不安はお互い様だ。これまでと同じようには動けなくなるのだからな」

「いっそのこと……」

「言うな。それ以上はな。我らが背負った責任は、ヒューゴ君のより軽いのだぞ?」

「ああ、ああ、そうだな」


 それまで黙って二人のやりとりを聞いていたが、自分の名が出て、更に責任が重いというのではヒューゴは訊かずにはいられなかった。


「僕が背負った責任ってなんでしょう?」


 口に出しすぎたとハッとし、気持ちを落ち着かせるようにひと息置いてから、パトリツィアはヒューゴの問いに答える。


「今は我らの口からは言えぬ。そなたが皇龍の定めに届いたとき、全てが明らかになる。

 それよりもだ。今、自覚して欲しいことがある。前に話したが、統龍は、統龍紋所持者はそなたに敵対することはできない。この大陸で持つ意味を考えて欲しい。君の願い、君の目指すところ、それがとても大事なことなのだ。

 片時も忘れないでくれ。……統龍紋所持者は君の敵ではない。できることならば、君と共に歩むべきとすら考えるのだ。セレリアだけが味方なのではない。我も、このメリナも君の味方でありたいのだ。立場があり、簡単にそうはできないが、君の進む先がこの大陸の幸せに繋がることを切に祈っているのだよ」


 続いてメリナはヒューゴに微笑みを向けた。


「意味ありげな事を話しておきながら、君にきちんと説明できない我らを許してくれ。パトリツィアが言うように、私達は君の敵ではないし、敵対しようとすら思わない。

 おかしいだろう?

 国同士が戦争しているというのに、時には真正面から戦うというのに。私とパトリツィアは同じ方向を見たいと願っているのだ。……君には、我らを繋ぎまとめる温かな希望になって欲しい」


「すみません。お二人の仰っていることはさっぱり判りません。ですので、お話は覚えておきますが、僕がお返しできる言葉は何もありません。……それで、これからどうするのですか?」


「ああ、そうだな。すまない。これから金龍と屠龍を退かせる。ヒューゴ君が帝国にいるのだから、そうするしかない」

「金龍等が撤退したら、帝国軍も退く。それでこの戦争は終わりだ」

「お二人とも、国王や皇帝の意に逆らうことになるのでは?」


 士龍を持っていても、ヒューゴは傭兵隊の隊長に過ぎない。

 そんなヒューゴを理由に、国家の戦略である戦争継続するか否かを決めるのは大きな問題になるのではと率直に感じていた。

 だが、メリナもパトリツィアもその点にはさほど心配していないように答える。


「士龍が現れたと知っては、この戦いの継続だけは国王陛下も諦めるだろう」

「皇帝陛下は問題ない。総本部は嫌な顔をするだろうが、こちらの知ったことではない。できぬことはできないのだからな。だが、そうか……これで士龍を持つヒューゴ君の存在が公になるのだな……」

「なるほど……よし、ヒューゴ君。私は君に一つ誓いを立てよう。ルビア王国国内での立場と皇龍の定めによる縛りがあるから、ロマーク家の指示には従わねばならない。だが、ことが士龍に関することは別だ。だから、我が国の民に害をなそうとするのでない限り、君の行動は私には一切見えないと約束しよう」


 メリナの言葉を聞き、パトリツィアはニヤリと笑う。


「見えない……か。私は裏で手を貸す程度のことはするぞ」

「フッ、皇帝を廃されては困るからであろう?」

「それはちょっと違うな。廃するというのならそれでも良い。ただし、廃位後の生活を静かに送れるようにしてさし上げたいのだ」

「パトリツィアは皇帝位に縛られているからそう考えるのだろう。私は……ロマーク家だからな」

「事情が異なるからな……。まぁ我も偉そうなことを言ったが、ヒューゴ君を疎ましく思う……帝国内の勢力から守る程度で、積極的に手伝うことはできないのだがな……」


 メリナとパトリツィアが、現在の状況で許される範囲で支援しようとしていることはヒューゴにも判る。だが、それがどういうことなのかは判らない。

 それに……。


「メリナさん。僕の考えていることは、無紋ノン・クレストだからと理不尽な目に遭わせようというロマーク家を倒すことです。それなのに協力してくれるというか……手助けしてくれるというのですか? パトリツィア閣下も……」


 惑いながらも率直な気持ちを伝えたヒューゴに、メリナとパトリツィアは微笑む。


「ヒューゴ君。私個人としては、無紋ノン・クレストも王国の大切な一員だと考えている。前国王ヨアヒム陛下もそう考えておられた。現国王アウゲネス陛下も……本来は部下を大切にし、民の生活を第一に考える御方なのだ。

 だが、弟である宰相ディオシスを信じ、大陸の覇権を握ることこそルビア王国国民のためになると考えてしまわれている。だから、……これはルビア王国の統龍紋所持者としてでなくメリナ・ニアルコス個人の願いでしかないのだが、宰相ディオシスを倒して……いや、アウゲネス陛下の目を覚ますことができればと考えている。

 その為に、きっとヒューゴ君と士龍の力が必要になると思っているのだよ」


 メリナが話し終えると、パトリツィアが続いてヒューゴに説明を始めた。


「メリナとさほど変わらないが、帝国は版図を広げる必要などないと考えている。

 グレートヌディア山脈でこの大陸は東西に分けられている。東を帝国が、西をルビア王国が安定して治めていられれば良いはずなのだ。

 他国を狙わなくても良いように、どちらの国にも統龍が居て、領土を豊かにできる……そのはずなのだ。前皇龍は大陸統一後の分裂も視野に入れていたと我は思う。だから、西のルビアに統龍を一頭任せたのだ。

 しかし、潜在的な敵としてお互いを見て、想像で作り上げた驚異と戦わなければならないと戦争を求める者が居る。また、無紋ノン・クレストのような社会的差別の対象を作り、その者を民の不満の捌け口にして現体制を維持しようとする者が居る。


 ああ、なるほど……現状、歪な体制で固定化しつつある……だから士龍が現れた……そうか……そうか……ならば……。うむ、士龍が現れた理由が見えてきた。

 ああ、すまない。自分で話していて、疑問が一つ解けて整理するのに夢中になってしまった。

 ヒューゴ君。

 君の目的……無紋ノン・クレストであろうと紋章持ちと同じように暮らせる社会を目指してくれ。我はその目的のためならば尽力しよう」


 パトリツィアと目を合わせメリナはコクリと頷く。

 ヒューゴにはまだよく理解できないが、メリナもパトリツィアも、自分の目指しているモノを肯定したのは判った。そして力を貸して貰える機会があるのも判った。

 

 ――今はこれでいいのだろうな。判らないことが増えたけれど、訊いても教えて貰えそうにない。とにかく、僕は僕の目的のためにできることをするだけだ。



 ……この日、ルビア王国が誇る金龍が前戦から撤退し、帝国軍もその動きに合わせるように帝国領へと移動を始めた。双方で呼吸を合わせたように戦場から去った理由は、一部の者にしか知らされていない。


 大国同士の戦いが去ったことに、兵士も国民も喜んでいる。

 だが、ルビア王国では金龍紋所持者メリナ・ニアルコスが東部方面での指揮権を失い、ガン・シュタイン帝国では、紅龍紋所持者パトリツィア・アルヴィヌスの所属が西部方面から南部方面へと移動した。

 表向きは、両国示し合わせたように同じ理由での人事であった。


 ”統龍による攻撃の危険性が消えたため”


 だが、何故危険がなくなったのかの理由は明かされてはいない。


 イーグル・フラッグスという傭兵隊の隊長、ベネト村のヒューゴ。

 この者を排除しなければ……と企む者が、両国で蠢き出す。


 新帝国歴三百六十年は、ヒューゴの名が、ある者には野望を邪魔する者として、ある者には悪鬼のような者として、ある者には世界を変える可能性ある者として刻まれた年となる。

 新帝国歴三百六十一年が、ヒューゴにとって激動の一年になる予感をしている者は居ない。


 後世の歴史家が大陸の情勢を大きく変えた年として新帝国歴三百六十年は語られる。その年はもうじき終わろうとしている。

 肌に当たる風で冬の到来が近づきつつあるのを、ヌディア回廊を戻るヒューゴ達は感じていた。

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