休息

 セレリアに頼まれ、ヒューゴは補給基地からガルージャ王国首都マーアム方面を、ラダールに乗って偵察し戻ってきた。

 着地したラダールから降りるヒューゴに近づき、セレリアは周辺状況を真剣な表情で聞く。


「偵察した範囲には、軍のまとまった動きは見当たりませんでした。補給隊は、進軍の情報を知り、こちらの動きを探っていたんじゃないですかね? お聞きした情報通りなら、そろそろ見えてもおかしくないはずです。でも、見つけた馬車も、商用のものばかりでしたし……」


 ラダールに乗って遠方まで偵察した報告を聞き、セレリアはやっとひと息つけると安堵する。

 上空から確認された情報より精度の高いものは現状存在しない。

 ヒューゴが見えないと言えば、居ないのだ。


「ご苦労様。今回は本当に助かったわ。宿代を私持ちにしておいて良かった。返して貰わなくていいからね?」

「お金は……」

「ううん、結果的にはお金ということになるのかもしれないけれど、私の気持ちよ。危険があったのは確かだしね。民間人で、帝国国民でもないあなたに私ができることはこのくらいだもの」

「判りました。では、ありがたく」


 渋々というわけではないけれど、あまり受け取りたくないとヒューゴが感じているのがセレリアには判る。

 それでも、何かしらでお礼を渡さないのも、セレリアにはできないことだ。


「ううん、宿代程度ではお礼にもなっていないの。あなたがしてくれたことは、隊員なら昇進ものだし、こちらの損害がなかったことを考慮したら勲章ものなのよ。でも……」

「ああ、いいんです。とにかく、ガルージャ王国との戦いを早く終わらせましょう。そしたらルビア王国に攻め入ることもできるんですよね?」

「ええ、帝国南部の戦線がなければ、今度はルビア王国侵攻になるわ。いつまでも受け身でいるなんて帝国軍の方針にはないから……」

「だったらいいんです。で、これからどうするんですか?」


 ヒューゴの質問に、セレリアは答える。

 この補給基地を守備する帝国軍が、一両日中にやってくる。

 終戦後、この補給基地の扱いがどうなるかは判らないが、当面、中長期的視野で維持しなくてはならない。だから、拠点の守備になれた部隊でこの基地を守る。

 短期ならまだしも中長期を睨んだ場合、セレリアの小隊では人員も経験も足りない。必要な体勢のために交代し、新たな任務がなければ基地へ帰投するとのこと。


「……とまあ、こんな予定ね。ヒューゴはラダールと一緒に身体を休めておいてくれる? 偵察が必要なときは頼むと思うからね」


 ヒューゴは、事前にヤーザンから聞いた、多分、この後は本隊の支援に回されるだろうという予測を思い出していた。小隊長のセレリアが、ヤーザンの予測程度への備えがないはずはないとも思っていた。

 確定していない情報だから、今ここでヒューゴには今後はっきりしている予定だけを話しているのだろう。

 ならば、敢えて訊くこともない。心構えを黙って作っておけば良いだけだ。


「判りました。ラダールはしばらく放し、餌を獲らせようと思います。僕は……基地の外で休んでいますので、用ができたら声をかけてください」


 自分は兵士じゃないのだから、基地内の休憩所など利用するつもりはないと、言外にセレリアに伝えた。

 案外、強情ねとセレリアは思っているが、言ったところでヒューゴが態度を変えるわけはないことも理解している。

 無言のまま、お互いの気持ちを察し別れる。


・・・・・

・・・

 

 カノール補給基地の外に出て、ラダールを放したあと、基地の壁に寄りかかって座る。

 まだ明るい空を眺め、張り詰めていた気持ちを弛める。


『我の力を使えば、この程度の基地攻略などもっと楽にできたものを……』


 ヒューゴの頭の中で、士龍が話しかけてきた。


 ――ルビア王国との戦いまでは、士龍の力はできるだけ使いたくないんだ。


 士龍の力を使えば、ゲールオーガなど正面から倒せることも判っている。

 基地の占領もヒューゴ一人でできただろう。


 だが、できるだけ使わないのは、これまでもずっとそうだった。

 見えない紋章インビジブル・クレストの力にできるだけ頼らずに、訓練をこなし、そして魔獣や賊とも戦ってきた。

 もちろん仲間が傷つきそうな時は気にせず使った。

 だが、無紋ノン・クレストだから人の何倍も頑張ってきたヒューゴは、紋章の力に頼りすぎるのは自分のこれまでを馬鹿にするような気がしている


『まぁ、好きにするがいい。だが、おまえの身に危険があるときは、おまえの身体を奪ってでも我は動くからな』


 ――ああ、皇龍との約定だったかな?


『その通りだ。判っているならそれでいい』


 ルビア王国を倒し、無紋ノン・クレストへの扱いが、多少でもマシになる世界を作るまでは、倒れていられない。士龍の力は、危険をかわすためには使うつもりだが、使わなくて済むなら使わないでいるとヒューゴは決めている。


 士龍の声が聞こえなくなり、セレリアに呼ばれるまで少し休んでおこうとヒューゴは目を閉じた。


・・・・・

・・・


 セレリアに起こされてヒューゴは目覚めた。

 もうすっかり日が落ち、周辺には建物もなく基地の外は真っ暗だった。

 風があるせいか、ざわめくような波の音がする。

 虫や小鳥の鳴き声も、波の音に消されて聞こえない。


 幼い頃は、海岸の近くで暮らしていたこともあったかもしれないが覚えていない。ベネト村のそばには海などないから、耳に入ってくるのは波の音ばかりの状況はヒューゴにとって新鮮だった。


「遠征軍の食事にも慣れたかしら?」

 

 トレーを片手に、もう片方で持つ松明をヒューゴの前の地面にセレリアは刺す。

 干し肉と野菜のスープが入った器、そしてパンを、差し出されたトレーからヒューゴは受け取る。


「小隊長のセレリアさんに運んで貰って申し訳ないです」

「何よそれ、からかっているの? 隊の中では階級間の付き合い方も考える必要あるけど、私とあなたは友人でしょ?」


 ヒューゴの横に座りセレリアは笑う。

 少し苦笑し、器に刺さっている匙でスープをヒューゴは頬張る。パンに直接かぶりついて食いちぎり、そしてまたスープを口に含む。

 静かにその様子を見ていたセレリアが口を開いた。


「食べながら聞いて」

「は、はい」

「ヤーザンから聞いたわ。私の事情と、本隊支援の話知っていたのね。あ、返事しなくていいから……ゆっくり食べてね」

「……」


 セレリアの言葉に甘えて、ヒューゴはコクリと頷く。


「それでね? 一つ提案があるの。……私個人に雇われない? ああ、ごめん。正確じゃないわ。言い直すわね。あなたの立場は、私の私兵ということにしてくれないかな? ってことなの。理由も話すから、返事は食べ終わってからでいいわ」

「……」

「捕虜となったこの基地の隊長タヒル・シャリポフが言ってたの。あなたは、この国の建国の英雄と同じように、この国の人々から畏れられるって。この国の始祖は、鷲に乗って戦った戦士だったそうよ」

「ブホッ……ゴホッゴホッ……」


 ――ラダールに乗って戦っただけで英雄みたいに思われるだなんて……。

 

 無紋ノン・クレストと蔑まれた時代を思えば、つい皮肉っぽくヒューゴには聞こえた。


「あら、驚かせてごめんなさいね。タヒル自身も、この戦争が終わったなら、あなたの下で働きたくなるほど、あなたの戦いっぷりは、この国の英雄を思わせたみたい」

「……」


 ラダールの俊敏性、賢い判断力のおかげで、士龍の力を使わずにあそこまで戦えたとヒューゴは思っているから、褒められるべきはヒューゴではなくラダールなのに……と、それに、作戦開始前にセレリアが魔法防御の魔法をかけてくれたから、敵の攻撃を気にすることなく動けたことも、ヒューゴの戦果に繋がっているのにとも思っている。言いたいことはいくつもあるけれど、今は、黙ってセレリアの話を聞くことにした。


「本隊の支援に私の部隊が呼ばれたら、その作戦は、あなたが居ないと、とても苦しいものになるだろうと思っているの。事情はヤーザンから聞いて知ってるわね? だから、お手伝いをお願いする。でもね? 私の隊と共に戦うあなたを、敵がどう思うかよりも、味方がどう思うかのほうを心配する必要があるの」

「……」


 食べ終わり空になった器に匙を乗せ、脇の地面に置いた。

 そして、ヒューゴは申し訳なさそうに話すセレリアの青い瞳を見つめる。


「つまりね? 仕事としての契約関係もないのに、若い男性が私のために戦っている様子から、下卑たことを考え噂する人が出てくるの。例えば、あなたは私の愛人で、だから私を助けている……とかね」

「くだらないですね」

「そうなんだけど、悪いレッテルを貼ることで安心したり、相手を貶めて自分の利益に繋げようとする人は意外と多いのよ」


 それはそうだろうとヒューゴは納得する。

 話を聞いていて、とりあえず、セレリアの手伝い以外の仕事には、自分の意思で参加するか決められると判った。ならば、大きな問題はないと判断する。


「いいですよ。セレリアさんと契約した傭兵ということで構いません」

「でもね? いいこともあるの。きちんと契約しているとなれば、他の隊員とまったく一緒というわけにはいかないけれど……それでも宿舎を用意したり、作戦会議に参加できるし……私の都合ばかりね」

「いえ、気にしなくて良いですよ。セレリアさんが困っているのに、僕にできることがあっても何もしなければ、パリスから怒鳴られてしまいます」


 怒って膨れたパリスの顔を思い出し、つい顔が崩れる。

 そしてそのままセレリアに笑顔でヒューゴは応えた。

 

「ねえ? ラダールなんだけど、どうしてあんなにヒューゴに懐いているの?」

「急にどうしたんですか?」


 十年前、セレリアがベネト村へ訪れた時に、ラダールはもうヒューゴと一緒にいた。その当時から今まで、ラダールのことをセレリアが気にした様子はなかった。


「今日、タヒル・シャリポフが言っていたわ。この国の始祖の他には、鷲に乗って戦った者は居ないって。それって、鷲を手なずけるのはとても難しいということでしょう?」


 基地攻略作戦の際、ラダールの動きは、ヒューゴの意思を理解し、ヒューゴの命令なら命を失うことも恐れないようにセレリアには映った。獣紋所持者の幻獣使いのように紋章の力で従わせるなら理解できる。

 だが、ヒューゴは無紋ノン・クレストのはず。

 なのにどうやって? と率直な疑問をタヒルとの会話後にセレリアは思った。


「んー、ラダールが僕を見つけてくれたんです。僕から特別なことは何もなくて……」

「へぇ、どういう形で出会ったの?」

「それは……」


 ヒューゴは十年ぶりにラダールと出会ったあの日を思い出し、セレリアに話し始めた。

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