村の散策

 新帝国歴三百五十年、ベネト村。


 祠参りが休みの日でも、いつもと同じ時間……日が昇って間もない時間にヒューゴは起きた。

 ジネットの家事に必要な薪を台所へ運んだり、朝食のあとは、ダビド家の周りや山羊小屋を掃除したり、ヌディア山羊の餌を準備したりと、手伝えることは何でもするつもりでいた。

 祠に向かう時間になるとライカッツが迎えに来るので、それまでの時間に可能なかぎりやれることをやっている。

 真剣で、暇なく働く様子は、まるでヒューゴの価値を少しでも知られたいがためのように、周囲からは見える。


 だが、当のヒューゴにしてみると、どのような作業であろうとできることを率先してやるのは、一人で生活するようになってからずっとやってきたことだ。


 率先してやったからといって褒められたことはない。

 逆に、ヒューゴにでもできる作業をやっていないと叱られてきた。

 だが、不満を持って……少なくとも嫌々作業したことはない。

 そうしないと無紋のヒューゴには居場所がなかった。

 だから、今では習慣になっていて、誰からも指示される前に、可能な作業を探してするのは当然になっている。

 ヒューゴにとっては、生きていくために当たり前のことだった。


「おはよう。せっかくの休みなのだから、もっとゆっくり寝ていていいのよ?」


 台所脇に薪を積んでいるヒューゴに、台所へ入ってきたジネットが挨拶する。

 

「おはようございます。他にお手伝いすることあるでしょうか?」


 かまどの横に薪を置いたヒューゴは立ち上がって一礼し、ジネットに聞き返す。


「ここは大丈夫よ。じゃあ、パリスを起こしてきてくれるかしら? 家周りと山羊小屋の掃除はあの娘の仕事なのよ。ここのところあなたがやってくれてるんでしょ? ありがとうね。……でも、あの娘にやらせなきゃダメ。ヒューゴ君がやっちゃダメよ?」

「でも、ここに置いて貰ってるんですから……」


 誰かの仕事を減らすのは自分の役割で、それが当然だと思っていたヒューゴには、自分にできることなのに他の誰かがやるべきと言われるとは思っていなかった。

 薪を持って汚れた手をこすり、埃を土間へと落としながらジネットの表情をうかがう。


「何を言ってるの? あなたはもうこの村の住人で、毎日、祠参りしてくれてるじゃない。祠参りは大事で大変な仕事よ? ダビドが毎日通うように言った時、私とスタニーは顔を見合わせたの。大人でも毎日なんて続かないものね。だから二~三日で音を上げるんじゃないかと心配したわ」


 ヒューゴへの言葉に嘘はないと、ジネットの真剣な緑の瞳が伝えている。

 

「ライカッツさんは楽々とこなしていますよ?」


 ライカッツが軽々と山を登るので、祠参りがそんなに大変な仕事だとは思っていなかった。

 逆に、ヒューゴの体力が乏しいせいで、毎日時間がかかっているのだと思っている。


「あの子は……ちょっと特別ね。この村に住んでから、毎日鍛えているもの。体力だけなら大人顔負けなんじゃないかしら……。でもライカッツだって休みをとってるのだから、ヒューゴ君も休みにはきちんと休むのよ?」


 休むなと叱られたことはあっても、休めと注意されたことなどヒューゴの記憶にはない。

 自分にとっての当たり前だったことがここでは違う。

 戸惑いと感謝の複雑な感覚。

 ジネットにどう反応していいのか判らなかったが、まず感謝を伝えるべきとヒューゴは判断した。


「……はい、ありがとうございます」

「じゃあ、パリスのこと宜しくね」


 ジネットはかがんで、茶色の髪をゆらりと揺らしながらかまどに薪を入れ始める。

 では、起こしてきますと伝えて、ヒューゴはパリスの部屋へ向かった。


・・・・・

・・・


 ヒューゴ達、無紋の子にとって休むとは寝ることで、起きている間の休むということが正直判らない。

 集団農場でも、タスク達と分担してだが、始終働いていた。

 手を休めずに雑談することはあっても、何も仕事をしないでというのはヒューゴの記憶にない。


 朝食を終え、ダビドやスタニーが外出し、ジネットが裁縫を、パリスが掃除を始めると、ヒューゴは手持ち無沙汰になった。

 ジネットに何か手伝うことはと訊いても、今日は休んでいなさいと言われ、パリスの手伝いは止められている。

 何か用ができたときすぐ反応できるようにと、ジネットの声が届くところで黙って座っていた。


 そんなヒューゴの様子を見かねたのか、ジネットが声をかける。


「村の中でものんびり散歩してきたら? 見て回ったことないでしょ?」


 この家に来てから、ヒューゴはベネト村を歩いたことはなかった。

 祠への道を往復しただけで、どこに何があるのかも正直知らないことに気付いた。

 

「大きな村じゃないから、そんなに時間潰せないだろうけれど、自分が住んでいるところですもの、知っておいたほうがいいわ」


 ではそうさせていただきますとジネットに一礼し、ヒューゴは家の外へ向かう。


・・・・・

・・・


 人口二千名程度の村で大きいとは言えない村とのことだが、生活に必要な物品を手に入れるのは困りそうもないとヒューゴは感じていた。

 食材から資材、農耕や狩猟に使う道具や武器など様々な商品を揃えたガッシュ雑貨店があるからだ。


 店主のガッシュは、もともとベネト村の生まれではない。

 ベネト村に出入りを認められ、毎週通っていた商人だったのだが、生活する時間がベネト村での方が長いということで移住してきて今に至る。

 ドラグニ山を下山し、東への道に沿っていくと、バスケットと村人が呼ぶ五軒程度の簡素な家が建った集落がある。

 そこへは様々な地域からの商人や旅人が来て、ベネト村の誰かが取引する。

 当然ガッシュも雇人を置き、村人の注文に備えている。


 ベネト村に来てまだ日が浅いヒューゴだが、ガッシュのことは知っている。

 ダビドの家で何度か見かけていて、挨拶も交わしているからだ。


「よう! あんたの名はヒューゴだったな。村の散策でもしてんのかい?」

 

 薄くなった頭をテカらせ、店の前から親しげに声をかけてきた。

 

「こんにちわ。ガッシュさん。ええ、この村のことほとんど知らないので」

「そうかそうかぁ……、ふむ、手持ち無沙汰って感じだな。それじゃ下山口げざんぐちそばにある広場へ行ってみな」

「そこに何かあるんですか?」


 白髪が混じった顎髭に手をあて、ガッシュはニカッと笑う。

 ダビドと同じくらいの歳のはずだが、頭が薄いのと腹回りの肉付きが良いせいで、ダビドよりもかなり年上に見える。

 だが、目尻に皺をよせて、愛嬌のある笑顔を見せるガッシュにヒューゴは好感を持っていた。


「ここいらの……あんたくらいの子供が集まって鷹狩りで使う鷹の躾けをやってるからさ。眺めているだけでも面白いんじゃないかと思うぜ」

「鷹狩り?」

「ああ、そうだ。ここいらは傾斜が厳しいところ多いだろ? 獣を追いかけるには危ない場所もある。冬なら特にそうだ。そこでだ、鷹を使って獲物を狩るのさ。鷹ならどんな場所でも落ちて危険ってことはそうそうないからな」


 なるほどとヒューゴは思った。

 祠参りで通る道でも、傾斜の厳しい箇所がある。

 そんな道の両脇に草原が広がっていることもある。

 だが、傾斜が厳しいから、そこにもし獣が駆けていても追いかけるのはキツいし危ない。


「まあ、まだ顔を合わせていない子も居るだろうし、丁度いい機会だ。知り合いになってきな」


 特に目的もなくブラついていたのだ。

 ヒューゴはガッシュの助言に従うことにした。

 どのみち、当分の間はこの村で暮らしていくのだ。

 一人でも多くの村人と顔見知りになっておいたほうが良いのかもしれない。

 

「はい、そうします」


 そう返事して、下山口の方へ歩こうとしたときガッシュに呼び止められた。

 

「ちょっと待ちな」

「はい?」

「おめえさんが腰にぶら下げてるのは、護身用の短剣だ。それじゃ鷹に餌用の肉を切るとき不便だ。こいつを持ってきな」


 ホレッと、ガッシュは鞘に入った短刀を投げ渡す。


「代金はいらないから安心しろ。その代り……うちの店をドシドシ利用してくれ! 他の店に行くんじゃないぞ……と言っても、この村の雑貨屋はここだけだがな! ガッハッハッハ……」

「本当にいいんですか?」

「ああ、かまわんよ。この村の住人は皆お得意様だからな」


 ありがとうございますと深々と頭を下げ、顔を上げたときには、ガッシュは来客の方へ顔を向け、ヒューゴに構っていられない状態だった。

 受け取った短刀は、しっかりとした堅い皮の鞘に収められている。

 革が巻かれた柄を握って、鞘から取り出して眺めると、光が反射して刃の鋭さと滑らかさを感じた。


 ヒューゴは、こういった武器や道具で、自分だけの所有物を持つのは生まれて初めてで、今、手にしている短刀がとにかく素晴らしいものに見える。


 ――僕の、僕だけの武器!


 包丁よりもやや大きいだけの短刀で、貰ったばかりだというのに、ヒューゴにとって何にも代えがたいものに思えていた。

 うっとりと眺めているうちに、ハッとして、ヒューゴには不相応な武器だと誰かに取り上げられたりしないかと、周囲をキョロキョロと見回す。

 だが、短刀を鞘にしまい、胸に抱きかかえているヒューゴの様子を気にかけているような人の姿はない。


 ――ここは……今まで住んでいた世界とは別なんだ。


 腰布に鞘ごと短刀をはさみ、落としたりしないか心配で、片手で押さえながら下山口へと向かった。


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