幕間(アイナとライカッツ)


 ヒューゴが、セレリアの隊と共に出発した夜。

 アイナは、娼館を営んでいない食べ物屋で、給仕として働いている。


「よう! アイナ。給仕に仕事替えかよ。今更、別の仕事に移ってどうしたんだ?」


 お尻に触った酔っ払いの手をはたき、アイナは言い返す。


「うるさいね。私の勝手だろ? 汚い手で触るんじゃないよ」


 酔っ払いに目も向けず、去った客のテーブルから空いた皿をトレーに乗せている。


「なんだよ。これまで金次第で男と寝てきたんだろ? 金なら払う。相手しろよ」


 アイナが他の客に料理やお酒を運び、近づくたびに下卑た笑いを浮かべて声をかけてくる。


「私はもう金で男と寝たりしないよ。私が欲しいなら、惚れさせてみなさいな。まあ、あんたには無理だけどね」

「フンッ、あの若い男に惚れたんじゃねぇのか?」


 ヒューゴのことだとアイナには判った。

 ムカッとし、平手打ちしそうになったが、その気持ちを抑える。


「あれは、長い間離ればなれになってた弟だよ。私のことは何を言ってもいいけど、あの子のことで変なこと言ったら承知しないからね」

「さて、どうだかな……。まぁアイナと同じ黒髪、黒い瞳、褐色の肌だったからな……まんざら嘘とは言わないがよ」


 男のしつこさに、アイナは苛々を隠しきれなくなっている。

 このままだと、他の客に愛想笑いもできなくなると、酔っ払いの前で立ち止まって怒る。


「うるさい男だね。少なくともあんたよりはいい男に育ってたさ。とにかく弟のことで勝手なこと言いふらさないでよ」

「まあ、そう怒るなよ。俺はよ、アイナのこと気に入ってたんだぜ? だからさ」

「何度も同じこと言わせんな。金では男ともう寝ないんだ。仕事の邪魔だ。食べたならさっさと帰りな」


 酔っ払いから離れ、次の料理を運ぼうとする。

 だが、男は去らずに、アイナが近づくと、今度は店中に聞こえる大声を出す。


「ケッ、格好つけたって娼婦だったのは事実だろうによ! 聞こえてたぞ? ヒューゴとか言ったな? あの若い男。娼婦の姉を持ってさぞかし自慢だろうよ!」


 ヒューゴの名を出され、アイナはカッとなる。

 今度は、本気ではたこうとしたとき、アイナとは別の男が酔っ払いの顔を殴った。


 酔っ払いは椅子から倒れ、床からその男を見上げる。

 そして立ち上がって男に殴り返そうとするが、酔いが酷くて、自分の動きを支えられずにふらつく。

 男は、酔っ払いの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


 え? とアイナはびっくりして、手を出した男をマジマジと見る。

 ヒューゴよりは少し年上のようで、茶髪、黒い瞳を持つ……アイナは見たことのない男だった。


「おい! 今、ヒューゴと言ったな? このお姉さんに似ているっていうなら、多分それは俺の仲間だ。それ以上、俺の仲間と、その姉さんのことを口汚く言うなら、明日から仕事できない身体にしてやる。それが嫌なら……金払って黙って消えろ」


 酔っ払いは、男とアイナを見て、聞こえない声でブツブツと悪態をついている。

 そして、テーブルに金を置き、フラフラしながら店から出て行った。


「ありがとうございます」


 アイナは男にペコリと頭を下げた。


「お姉さんの弟って……ベネト村のヒューゴのことでしょ? この辺りで、お姉さんと同じような外見は、ヒューゴくらいだものなぁ」


 ベネト村ではもちろん、ガン・シュタイン帝国でも褐色の肌を持つ者は少ない。

 アイナも滅多に見かけたことはないので、男の感想に違和感はなかった。


 ベネト村という村名は、セレリアやヒューゴの話に出てきたのをアイナは思い出す。


「はい、そうです。あのぉ……あなたは……?」

「俺はライカッツ。ヒューゴとは十年来の付き合いで、ベネト村で一緒に生活していたんです」

「ライカッツさん……あ、セレリアさんから聞いた話の中で出てきた……ヒューゴと一緒に祠参りしていた……。あの、本当にありがとうございました」


 数年間祠参りという仕事に付き合い、ヒューゴに危険がないよう気遣っていたことをアイナは感謝した。


「気にしないでください。俺もヒューゴの兄貴分のようなものなんです。あいつやあいつの身内を悪く言う奴は許せない……それにしても、ヒューゴに家族が居るなんて知らなかったな」

「ええ、ここで会うまでは、お互いに死んだと思っていました」


 ベネト村へ来る前の事情はヒューゴからライカッツは聞いていた。

 家族同然に暮らしていた、無紋ノン・クレストの仲間は殺されたと言っていたのを思い出す。


「!? もしかして……ルビア王国の集団農場で一緒に暮らしていた……家族同然の仲間って……」

「はい、私はその一人です」

「……そうかぁ。仕事が終わったら、少し話せないかな?」

「構いませんよ。ヒューゴの幼い頃のことも聞きたいですし……」


 二人は、アイナの仕事が終えたら、井戸端のベンチで会うことを約束した。


・・・・・

・・・


「……というわけで、リナちゃんへの書き置きを残して、ここの基地に向かったはずのヒューゴを追いかけて来たんです。ですが……そうですか……ヒューゴはもう出発してしまったんですね」

「はい、今朝早くに。あのぉ……ヒューゴを連れ戻しに?」

「ああ、違いますよ。あいつに……ヒューゴに武器を渡そうと思って来たんです。あいつのことだから、今もまだ短刀と短剣しか持っていないはずなんです。武器屋で修行して、あいつは自分でも作れるんですが、自分のことはいつも後回しにするんで……」


 ライカッツは背負っていた長剣を抜き、アイナに見せる。

 軽々とライカッツは扱っているけれど、アイナには重そうな剣。

 受け取って確かめられそうもないし、剣の善し悪しなどアイナには判らない。

 ただ、店の灯で刃が輝くのを見て、鋭そうな剣だという感想はもった。


「ヒューゴは剣も使えるのですが、昔、貰った短剣を今も大事に使っているんですよ。もちろん短剣が悪いってことじゃないんですが、得物が長い方が有利なこともあるんで、こいつを渡そうと……ね」


 自身でも少し眺め、その後、ライカッツは剣を背中の鞘に収める。


「で、どうでしたか? 久しぶりにヒューゴにあった感想は」

「昔から優しい子で、それは変わっていませんでしたね。あと、とても逞しくなっていました」

「ヒューゴは、無紋ノン・クレストでも一人で生きていけるように、そしてあなた達を殺したルビア王国に復讐するために、とにかく自分を鍛えていました。最初は、とても苦しそうでしたが、それでも音を上げることはありませんでしたね」

「……そうですか」


 アイナや、タスク、そしてウィルについてきて、幼いながらも雑事を必死にこなしていたヒューゴが、苦しい鍛錬を頑張っていたかと思うと、嬉しい気持ちと切ない気持ちがアイナに押し寄せてきた。

 その沈んだ雰囲気を感じたライカッツはヒューゴの気持ちを代弁するかのように話す。


「まぁ……あなたが生きていて、あなたに会えて、ヒューゴは少し気持ちが軽くなったんじゃないですかね」

「そうでしょうか?」

「ええ、多分ですが、俺はそう思いますよ」

「さきほど聞いてらしたからお判りでしょうけれど、私は娼婦でしたから、ヒューゴは何も言いませんけれど、何か思うことはあるんじゃないかと……」

「何をして生きようとどうでもいい……とは思っていないでしょうが、生きるために仕方ないとか、選択肢が他になかったとか、そういうのはよく判っていると思います。だから、ヒューゴ自身にとっては気にならないんじゃないですかね」


 姉同然の自分が、金のために身体を売っていたと知っても気にならないという感覚は、アイナにも判る気がするのだが、事が自分のことだから違うかもしれないとも思っていた。


「どうしてそう思われるんです?」

「俺は、盗賊団の首領の息子だったんですよ。親父もお袋も、兵士に殺されました。まぁ、悪いことしてたんで仕方ないんですけど、それでも俺は復讐するつもりでした。でも、子供は生きていくだけでも大変で、復讐どころじゃなくて……ベネト村の人に拾われてやっと生きてこられたんです」

「……」

「ヒューゴにも事情を話したんですけど、あいつはそのことを黙って受け入れるだけで、特に何も言わないんです」

「……」

「あ、こいつはこの世界を生きることがどんなに大変か知っている……とすぐ判りましたよ。そして、ヒューゴは社会の汚い部分を、嫌と言うほど知っていると判りました。俺の気持ちをきっと判ってくれるんだろうなぁとも、しばらく後で思いましたよ」

「……」

「ですから、あなたがどういう生き方をしてきたとしても、ヒューゴにとって大切なあなたであれば、生きていてくれた、それだけでいいと思うのだろうと、俺には確信があるんですよ」


 ライカッツの話を聞いて、そうであればいい、いや、そのヒューゴの気持ちに甘えてはいけない……と、複雑な感情をアイナは持つ。

 その時、聞き覚えのある聞こえた。


「さっきは恥をかかせてくれたなぁ……アイナとそこの兄さん」

 

 先ほどの酔っ払いが二人の仲間を連れて、ライカッツとアイナの前に立つ。


「懲りない奴だな……いいよ、相手してやろう」


 ライカッツは、スクッと立ち、男達の前へ進む。


「クソッ、格好つけやがって!」


 三名の男達はライカッツに勢いよくつっこんできた。

 しかし、男達は兵士なのだろうが、その拳も蹴りもライカッツに触れることもできない。

 動きを見切っているかのように、どこから攻められても、ライカッツにかすりもしない。


「そんな動きじゃ、うちの村なら十五歳くらいの男の子にも当たらないぜ」


 ライカッツは、余裕を持った動きで、一人の腹部に拳を入れ、次の男の顔に蹴りを入れる。

 二人がうずくまったところで、先ほどの酔っ払いの前にスウッと滑るような動きで近づき、腰を低くしたかと思うと踏み込んで、鳩尾みぞおちのあたりに肘を突き込んだ。


「これで帰りな。言っておくけどな、この先、このアイナさんに手を出したら、俺よりも怖いのがあんた達を狙い続けるだろうよ。俺のように素手で相手して貰えると思うな? あ、ドラグニ・イーグルの餌にされるかもしれないな。……あんたらの顔は俺が覚えた。逃げられると思うなよ」


 一応、脅しは入れたものの、ヒューゴが戻るまで、できるだけここに残ったほうがいいかもしれないとライカッツは考え、村へ事情を連絡すると決めた。

 アイナさんに何かあったら申し訳ないからな……とつぶやく。

 

「さぁ、俺達も帰りましょう。宿まで送りますよ」


 ニッコリと笑みを見せ、ライカッツはベンチに座るアイナに手を貸す。

 その手を借りてベンチから腰を上げ、微笑みを返すアイナ。

 ライカッツの堅く分厚い手は温かかった。


 二人は、静けさを取り戻しつつある通りを、それぞれの宿へと向かう。





◇ 第一章 完 ◇

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