祠参り

 ライカッツは野性味ある雰囲気を持つ少年だった。

 締まった肉体がしなやかさを感じさせ、茶色の長髪から覗く黒い瞳はギラギラしていて肉食獣を思わせる。

 ライカッツにも身体を鍛えて貰わなければとダビドは言っていたが、そんな必要はないのではとヒューゴは感じている。


 ライカッツと一緒に、ヒューゴが山頂近くの祠まで通うようになって九日が過ぎた。山頂近くと言っても、祠から山頂まで登るのには、ベネト村から祠までと同じくらい時間が必要なほどの距離が残っている。


 彼は無口で、淡々と山を登り、そして下る。

 ヒューゴが腿やふくらはぎ、背筋の筋肉痛を耐えながら苦労して上り下りしているのと違い、岩がゴツゴツしている山道でも軽々と動く。


 ライカッツは、父親が首領をしていた盗賊団で八歳まで育ち、軍によって討伐されて両親を失ったあと放浪していたらしい。

 そしてベネト村の村人が山を下りた際に、倒れていたライカッツを見つけ、以来ベネト村で生活しているとヒューゴはダビドから聞いた。


 ヒューゴと似たような事情を抱えているところもダビドは考えて、一緒に祠参りに付き合わせたのかもしれない。


 言葉数は少なく、表情もあまり変えないから判りづらいけれど、真面目で優しい子よとジネットが言っていた通り、どうしても遅れがちなヒューゴの様子を確認しながら同行する。


「身体を鍛えたいので、僕が辛そうでも気にしないでください」


 初めて一緒に登る際に、ヒューゴはライカッツにそうお願いした。

 だからなのか、ヒューゴが筋肉痛に耐えながら歩く様子を見ても、特に声はかけてこない。

 だけど、登るときも下りるときもヒューゴのすぐそばを歩く。

 どんなにヒューゴのペースが落ちても、距離を離さずに黙ってそばを歩いている。

 

 ――ジネットさんが言った通り、優しい人だ。


 ライカッツだけならもっと早く終わらせられるだろうにと、申し訳ない気持ちがヒューゴにはある。

 でも、魔獣が出たら、いつも通りのヒューゴでも対応できるか判らないのに、今のように筋肉痛で苦しんでいるようじゃ、良い獲物にしかならない。

 ライカッツの力が今は必要と諦め、いずれこの恩は返さなきゃと決め、黙ってひたすら身体を動かした。


 ある日、ライカッツから珍しく話しかけてきた。

 ドラグニ山山頂近く、青く澄んだ水をたたえているブグィエ湖。

 その畔にある龍神の祠でヒューゴの横に膝をつき、祠に目を向けたまま口を開いた。


「これ……訊いて良いのか悩んだんだけど……ヒューゴも……兵隊に仲間を……その……殺されたそうだね……」


 少し訊きづらそうだが、ライカッツの瞳には強い関心がある。

 ライカッツとは一緒に毎日過ごすから、何か考えがあってダビドが話したのだろうし、ヒューゴには聞かれたくない話題というほどのことでもない。

 それに真面目で無口なライカッツに話したところで、誰彼問わずに話すとも思えない。

 

「ええ、そうです」

「……やっぱり……ルビア軍が憎い?」


 ライカッツの両親や仲間はガン・シュタイン帝国の兵に殺されたと聞いた。

 このように聞いてきたということは、ガン・シュタイン帝国兵への憎しみを今も持っているのだろう。


「はい、憎いです」


 祠の掃除を……といっても毎日掃除しているから、周囲の落ち葉を集めて焼き、埃を布で拭き取る程度で終わる。

 背負ったバックから取り出した供物を供えるライカッツの横で、ヒューゴは答えた。

 だが、一度は心から感謝し敬愛したルビア国王のほうがルビア兵よりも憎い。

 どうして急に兵に襲わせたのか、理由は今も判らないけれど、ヒューゴ達の感謝する気持ちが裏切られたという思いが強い。


「……強くなりたいというのは……いつか復讐するためかい?」

「そうです……できるか判りませんけど……」

「そうかぁ……僕と一緒だね……」


 祠の中に置かれた龍の形の鉄でできたご神体に跪いて一礼し、ライカッツとヒューゴは立ち上がって湖に向けて歩き出す。

 祠での作業を終えた後は、湖のほとりで食事して休憩するのが日課だ。


「僕も……強くなりたいんだ……一緒に強くなろうね」


 ライカッツはそう言って、湖面を眺めながらパンと干し肉の細切りをかじり始める。

 

「ライカッツさんは復讐のために強くなろうとしているんですか?」


 ヒューゴの問いに、ライカッツは最初反応しなかった。

 少しの間を置いて、ヒューゴの目をジッと見てから答えを返した。


「復讐したいね。……でもさ? 今は判るんだ。父さん達がやっていたことも悪かったって。だから……憎い気持ちは今もあるんだけど……復讐するのは違うかなと思ってる。でも、ヒューゴ君は僕と事情が違うだろ?」


 確かに、ヒューゴ達は紋章を持たないから社会に受け入れて貰えなかった。

 そして、タスク達は襲われ殺された。


 紋章を持たないことはそんなに悪いことなのかとしばしば考える。

 ……今は判らない。

 誰かに迷惑をかけることではないはずなのに、迷惑がられて嫌われてまともな仕事も持てない。

 仕事どころか、お金を持っていても、ヒューゴが無紋だと知る商人から食材を売って貰えないこともあった。


 ヒューゴには判らない理由があって嫌われるのかもしれない。

 それを知れば納得する理由があり、そのせいで疎まれているのかもしれない

 ……だったらその理由を教えて欲しいと思っている。

 嫌われても仕方ないのだと、疎まれても当然なのだと、そう諦めさせて欲しいと何度も思ったし、今も思っている。


 湖面に小石を投げ、水面の波に反射する光が揺れるのをヒューゴは見ていた。

 澄んだ空気の少し肌寒い風が二人の髪を揺らす。


「紋章を持たずに生まれたのは、悪いことなんでしょうか?」

「……僕やベネト村の村人なら、無紋が悪いなんて思わない。でも、この山を下りたら、無紋は悪いと思う人が多いのは事実だよね。でも、何故悪いのか説明できる人がいるのかな? ……僕にはうまく説明できないけれど……何が良いとか悪いとかを誰が決めているんだろうって思うことがあるよ。僕には無紋もその一つだなぁ」


「……僕にもわかりません」

「でもさ? 僕と違って……はっきり悪いこととわかる……盗みを働いていた僕とは違って……君は悪いことをしていたわけじゃない。だから、この村では……この山では……ううん、違う、本当はどこででも胸を張って生きていいんだよ……。僕はそう思う」

「…………ありがとうございます…………」


 言葉を選びながら、静かに……まるで湖を波立たせることのないように気を遣っているようにライカッツは話す。

 どこででも胸を張って生きていいと言われたのは初めてで、ヒューゴは胸がいっぱいになる。

 泣きそうになるのを我慢してライカッツの顔を見る。 


「……強くなろう。僕は……僕がしでかしたことへの償いと、この村の人達のため、それと……自分の中にある憎しみに負けないために強くなりたい。君は……君なりの理由でさ?」

「どうしてそんなことを……僕に話してくれるんです?」

「どうしてかなぁ……。僕と君は酷い状態で……村の外から来て、村の人に助けて貰って……今生きていられる。だからというわけじゃないんだけど、ほんの少しだけだけど、君の気持ちが判る……そんな気がして……だからかな。……強くなろうな……」


 はいと答えて、ライカッツから湖にヒューゴは視線を移した。

 何のために強くなるのか……復讐のためだけじゃなく……その他にも理由が必要なのか、ヒューゴには判らない。

 仲間の敵討ちを諦めるつもりはないけれど、暗い気持ちのままでいちゃいけないような気がしていた。

 ライカッツの話を聞いて、ヒューゴは素直にそう感じた。


「筋肉痛はどうだい? まだ酷いかな?」

「まだ辛いですけど、登山に慣れて、もっと早く村へ戻れるようになりたいです」

「そうだね。時間ができたら……体術や剣術も教えて貰えるよ。あとヌディア山羊の扱いもね」


 ハハハ……そしたら今度は打撲で毎日辛くなるねと笑い、背後に両手をついて背を伸ばす仕草をライカッツはした。

 ヒューゴとたくさん話すライカッツに驚いていた。

 そしてこんな風に快活に笑うこともあるのかと、ヒューゴは意外な気がしている。


「え? そうなんですか?」

「ああ、僕が来てからでも、賊がベネト村を襲ってきたことがある。村長の話では、昔、ガン・シュタイン帝国や他の国が攻めてきたこともあるらしい。でも、みんなで力を合わせて退けたんだって。だから村の者は、男女関係無く、戦うためのすべを身につけるんだ」

「……国の攻撃にも耐えた……凄いですね」

「だから、みんな助け合っている。いざというときのために、いつも備えている。僕らも手伝えるように、力になるよう頑張らなきゃね」


 村のために……までは、いくら助けて貰ったと言っても、ベネト村に来て日が浅いヒューゴにはまだ考えられない。

 だが、命を救って貰った恩を感じていないと言えば嘘になる。

 だから、ダビド一家のためにというなら素直に受け入れられた。

 

 ――復讐のために、ダビド一家のために、この先、一人でも生きていけるように強くなろう。


「さあ、そろそろ戻ろう」


 ライカッツが立ち上がるのを見て、ヒューゴも立ち上がる。

 明日は十日に一日の祠に来なくて良い日。

 身体を休めて、明後日からの祠参ほこらまいりに備える。


――もっと早く、もっと楽に、せめてライカッツさんと同じくらい軽々と祠参りできるようにならなきゃな。


 下山に向けて歩き出すライカッツの背中を見ながら、ヒューゴは気持ちを引き締めた。

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