新たな生活へ


 ――だけど……ルビア王国兵はどうして僕たちを襲ってきたんだろう?


 夕食後、しばらく雑談し、ダビド達がそれぞれの部屋へ戻った。

 ヒューゴは敷かれた毛布に寝転がり、天井にぶら下がり、かすかに揺れる干し肉を眺めながら考えていた。


 ――無紋を忌み殺すつもりなら、集団農場など用意せず、発見次第捕まえて始末することもできたはずだ。

 集められた無紋以外の人達も同じだ。

 住居を用意したり、農地開墾の方法を教える役人を派遣したりする必要もなかった。

 当面必要な食料や衣服も支給された。

 ルビア国王が替わったわけでもないのに……。


 あの日、あの惨劇が起きた理由が、ヒューゴにはどうしても判らなかった。

 だが自分達のような、社会からつまはじきにされてきた者へも手を差し伸べてくれる国王という印象はもう消えている。

 感謝と敬愛の対象だったルビア国王は、ヒューゴの中にはもう居ない。

 理由は判らないけれど、自分達を殺しに来た……理不尽で恐ろしく憎むべき国王だった。


 ヒューゴは、国王だろうと他人は信用するものではないと経験した。

 だから瀕死の自分を助けてくれたダビド達もまだ信用できずにいる。


 理由は判らなくても、いつ手のひらを返して、昨日までの優しい笑顔が殺戮者の残忍な笑顔に変わるか判らない。

 自分を守れるのは自分だけだとヒューゴは考えている。

 

 ――誰にも油断せず、何者からも自分を守れるよう強くならなきゃ……。


 とにかく命を失わずには済んだ。

 そして……一人で生きていくための手段を今は持っていない。

 襲われる危険が高いルビア王国には戻れない。

 だけど、ガン・シュタイン帝国のことは何も判らない。

 この村のことだって判らない。


 ――ここの人達が信用できるかなんか今は判るはずがない。いや、どこの誰が信用できるかなんか判らないんだ。とにかく、一人で生きられるようにならなきゃいけない。……そのために……この村で……力を蓄えなければ……。


 この村の人達を利用して……と考えた時、ヒューゴの胸にズキッとする罪悪感を感じた。


 ――でも、そうするしかないじゃないか……誰かを信用して殺されるくらいなら……。


 身体を横向きにし、目を閉じる。

 そして、亡くなったはずのタスク達に向けてつぶやいた。


 「……いつか……仇は討つよ……僕を見守っていてくれ……」


 村で世話になりながら強くなろうと決意したその時、枕元あたりで声がした。


 『フッ、生き残ったか……運があったようだな……』


 ビクッと身体を強ばらせ、身体を起こし辺りを見回す。

 その脳に響くような低い声には聞き覚えがあった。


 ――どこかで聞いた声……どこだ、どこで聞いた……。


 つい最近聞いた声だという確信はあった。


 ――集団農場に連れて行かれた後だ……。


 そして、瀕死で馬にしがみついていたときに聞いた声だとヒューゴは思い出す。


 『今は判らぬだろうが、おまえには力があるのだ。それも世界を変えられる力がな。……覚えておけ。我とそしてあの御方がおまえにはついているのだ……忘れるな……。まず我の力を使いこなせるようになるのだ……』


 「誰だ?」


 ヒューゴは他の部屋には聞こえないよう声の大きさに注意しながら、声をかけてきた何者かに訊く。

 いや、頭に響いてきたのは確かだが、声だったかすら判らない。

 しかし、静まった部屋には返答はなく、何者かの影も見えず、囲炉裏の残り火しか見えない。

 格子がはまった窓から、満月の月明りが射す部屋にはヒューゴの他に誰も居ないのを確かめた。


 ――今の声は誰だったんだ……?

  僕に力がある?

  くそぉ……また判らないことが増えた……。


 ひとたび起こした身体を再び横にし、何が起きたのか判らないまま、これからの生活を考えていた。


 ――今は明日からのことだ。……身体を鍛えて……剣か何か武器も使えるようにならなきゃ……。


 無紋のヒューゴは魔法を使えない。

 だが、紋章を持っている人でも、その多くは使というだけで、効果的に使えるわけではない。

 魔法を戦闘で使えるほどの紋章持ちなど、二つ紋以上の紋章所持者で、そう多くはない。

 紋章持ちのほとんどは、獣紋なら牙一つ、鳥紋なら羽一つ。

 二つ以上の紋章を持つ者などほとんど居ないし、それほどの紋章持ちならば国がほっとかない。

 金銭や土地など、あれこれと飴を与えて軍に入れようとする。


 だから、ヒューゴのような無紋は魔法がまったく使えないとしても、戦いでは他のことで補えばいい。


 ――強くなるんだ……無紋だからって……いつまでも馬鹿にされてたまるか……。


「……明日から……鍛……え……る……んだ……」


・・・・・

・・・


 翌日、朝食後に、当面ベネト村で生活するとダビドにヒューゴは伝えた。


「これから宜しくお願いします」

「ああ、こちらこそ宜しくな。助かるよ。それで、ヒューゴ君には、どんな仕事をしたいか希望があるかい?」


 ヒューゴが経験してきた仕事といえば、墓場の掃除、農作業、川での漁くらいだ。

 まだ十歳のヒューゴは、狩猟に連れて行って貰ったこともない。

 だが、身体を鍛えるためには、獣を追って野山を駆けたり、斧で木々を切り倒したりするほうが良いように思えた。


「……強くなれるような仕事がいいです」

「強くなれるような仕事?」

「……はい……強くなりたいんです……」


 返事を聞いたダビドは、腕を組みジッとヒューゴを見つめた。

 そして首を傾げて考えている様子を見せ、少しの間を置いたあとに答えた。


「ヒューゴ君。君は十歳だったね」

「……はい……」

「……山頂近くに湖があるんだが……そこに私達が祀っている龍神のほこらがある。歩くと相当の時間がかかる距離だ。ほこらにお参りして戻ってくるとなると、私でも、朝食後すぐに出ても陽が傾いた頃までかかる。今までは、五日置きにスタニーに行かせていたんだ。君には毎日やってもらうことになるだろう。大変だが、やってもらえるかな?」

「祠で何をすれば良いのですか?」

「酒や穀物などのお供え物を祠に納め、掃除して戻ってくるんだ。作業は難しくないのだけれど、祠までの道は険しいし、魔獣が出ることもある。だから、君一人というわけにはいかない。年長の誰かと一緒にということになるんだが、身体は鍛えられる」


 ダビドの話を横で聞いていたジネットが不安そうに訊く。


「あなた、ヒューゴ君を誰と一緒に?」

「ライカッツと一緒にと考えている。あいつならば、あの辺で出る魔獣程度は倒せる。ライカッツは農作業向きではないし、いずれはヌディア山羊の飼育か、バスケットで警備を任せようと思っている。そのためには、あいつにも身体を鍛えておいて貰わなければならない……」


 そうね、ライカッツとなら大丈夫ねとジネットは安心そうに言う。


「ヌディア山羊って何ですか?」


 山羊は見たことはあるけれど、ヌディア山羊という山羊をヒューゴは知らなかった。 


「ああ、この辺に住む山羊で、ちょっとした崖など大人二人乗せて軽々と登るのだ。馬ほどは早く走らないが、それでも、崖が多いドラグニ山では戦いでも狩りでも重宝している」


 そうですかとヒューゴは納得する。


「どうだ? やってみるか? まあ、他の仕事もあるが、ヒューゴ君が身体を鍛えたいというなら、今はそれくらいだな」


 山道の上り下りを毎日続けていれば、足腰は鍛えられる。

 最初は無理でも、慣れてきたら徐々に速度をあげれば、もっと鍛えられる……ような気がする。

 ヒューゴはそう考えた。


「やらせてください」


 真剣な瞳のヒューゴの返事を聞いたダビドは満足そうな笑みを浮かべる。


「あとでライカッツを連れてきて紹介する。それまではジネットを手伝って欲しい。釣ってある干し肉の陰干しがそろそろ終わるんでな」


 食器を片付けるために立ち上がったジネットが、宜しくねとヒューゴに明るく声をかける。

 判りましたと答えて、目の前の食器を持ってジネットの後にヒューゴは続いた。

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