ダビド家の人達(その一)

 便意を覚えてヒューゴは目を覚ました。

 だいぶ楽になった身体を起こし、便所の場所を誰かに教えて貰おうと周囲を見渡す。

 

「おはよう。よく眠れたかい?」


 昨日は見なかった青年が、短刀で木を削る手を止めて布団の脇から声をかけてきた。


「おはようございます。あの……便所はどこでしょうか?」


 ダビドに似た精悍な顔立ちの青年は、手に持っていた……矢か何かの道具に使用するために削った細長い木と短刀を床に置く。

 

「ああ、案内するよ。一人で立てるかい?」

「はい。大丈夫だと思います」


 手をついてヒューゴは腰を上げ、足に力を入れて立ち上がる。

 少しふらついたとき、ちょうど立ち上がった青年がヒューゴの腰に手をあてて支えた。


「あ、すみません」

「傷はどうだい? まだだいぶ痛むかい?」


 片手で傷跡を触ると、まだ少し痛みは感じたが顔をしかめるほどではない。

 

「いえ、触ると痛みますけど、そんなに痛くはないです」

「そっか。母さんが数刻おきに魔法かけていた効果が出てきたみたいだな」

「ほんと……お世話になってしまって……あ、僕はヒューゴといいます」

「あ、そうだね。君の名前は父さんから聞いていたから、私も紹介したつもりになっていたよ。私はスタニー。パリスの兄で、この家の長男だ。宜しくね」


 髪だけでなく瞳を含む彼の外見は父親のダビド似だが、母のジネットの柔らかさもスタニーの声や表情からは感じる。

 ダビドほどではないけれど、高い身長とがっしりした身体をスタニーは持っていた。

 多分、ヒューゴより十歳ほどは年上で、大人の雰囲気も持っている。


「こちらこそ宜しくお願いします」

「そうだ。便所だったね。ついてきて」


 先を歩くスタニーの後を追ってヒューゴは部屋を出た。


・・・・・

・・・


 部屋に一人で戻ると、案内を終えて先に戻ったスタニーとジネットが、床に敷かれた厚手の毛布のそばで待っていた。

 

「横になって、傷をちょっと診せてくれる?」


 戻ってきたヒューゴにジネットが優しい声で言う。

 言われるままに横になり、腹部が見えるようヒューゴは上着をまくし上げた。


「痛い箇所があったら教えてね?」


 ジネットは傷跡に手を軽く置き、端からゆっくりと押す。

 弱めの力加減で押されているので、ほとんど痛みは感じない。


 徐々にずらしていくと、少し痛みを感じる場所があった。


「そこ……少し痛いです」


 ヒューゴが伝えると、ジネットはここねと答える。

 治癒魔法を使いだしたらしく、ジネットの手からそれまでより温かいものをヒューゴは感じた。

 ある程度の力で押されないとさほど痛くはなかったから、こうして手を当てられているだけだと、その温かさに気持ち良いだけ。

 

「でも、本当に助かって良かった……小屋で診たときは、虫の息だったんですもの……」


 魔法を続けながらジネットは言う。


「小屋?」

「ええ、そうよ。あなた、猟師が休む小屋の中で倒れていたんだから……覚えてないのね?」


 ヒューゴの最後の記憶は、目に入った山に向けて馬を走らせたところだった。

 小屋に入った記憶どころか、小屋自体ヒューゴは覚えていない。

 どこで馬から降りたかも覚えていないのだ。


「はい、まったく覚えていません……」

「そこで夫と娘があなたを見つけたの。詳しいことはあとで娘からでも聞いてね。……さ、これでいいわ。起きてももう大丈夫だと思うけれど、今日は寝ていなさいな」


 ヒューゴから手を離し、上着をおろして毛布をかける。


「あなたのそばについているよう息子に言ってあるから、何かあったら言ってね?」

「何から何までありがとうございます」


 ヒューゴの脇から立ち上がり、スタニーの横に歩いてジネットは見下ろしている。


「気にしなくてもいいのよ。この山では助け合わないと生きていけない。あなたは山で見つかった……なら、助けるのは私達の義務なのよ。さあ、目を閉じて身体を休めなさい。昼食ができたら起こしてあげるから」


 ずっと休んでいたからか、目を閉じても頭は冴え、なかなか眠りに入れなかった。

 けれど、布団脇に座るスタニーの木を削る音と、少し離れたところで食材を切る音を聴いていたら、徐々に眠気がやってきた。

 少し眠くなった頭で、これからどうしよう……とヒューゴは現実に思いを寄せた。

 

 ――ここがどこかも判らないのに考えても仕方ない。でも、ここの人達には恩を返さないと……。


 眠気が強くなったところで、ヒューゴは考えることを止めた。


・・・・・

・・・


「ヒューゴ、起きて。ご飯ができたよ」


 頬をペチッペチッと叩く感触と、パリスの声にヒューゴは目を覚ました。

 目を開けて、ありがとうと伝えるとニパッと笑顔で表情を崩して、手を差し出してきた。


「つかまって! 起きるの手伝うから」


 ありがたいけれど、さすがにまだ幼い少女パリスの手を借りて起きるのはヒューゴは恥ずかしかった。


「大丈夫だよ。一人で起きられるから……」


 肘を立たせて体重を乗せ、ヒューゴは身体を起こす。

 それを見ていたパリスは不満そうに頬を膨らませた。


「私じゃ頼りないと思ったんでしょ! もう何でもできるのに……」

「あ、ごめんね。でも……」


 少女パリスのプライドを傷つけてしまったとヒューゴは心配した。


「これ、パリス、困らせるんじゃない」


 スタニーがパリスの後ろで注意する。


「でもぉ~お手伝いしたかったんだもぉぉん」

「私もヒューゴ君もパリスの気持ちは判っているよ。でもね? それが良いことでも押しつけるのはいけないよ? ヒューゴ君の気持ちもちゃんと考えないとね」

「はぁぁぁい」


 パリスはまだ不満そうだが、スタニーの注意に返事を返し、こっちよとヒューゴを食事の場へ誘う。

 納得していない気持ちを表情に残すパリスに苦笑し、ヒューゴは立ち上がる。


「ここに座りなさい」


 ダビドに促された場所へ座り、ジネットから差し出された器を受け取った。

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