命拾い(その二)

 人の話し声に気付いて、ヒューゴは目を覚ます。

 どこに居るのかは判らないが、馬上ではなく、ヒューゴは仰向けになっていた。

 身体を起こそうと両手を床につくと、毛布がかけられ、下にも敷かれていることに気付く。


「ダメよ! まだ休んでいなくちゃいけないわ」

 

 声のする方へ顔を向けると、三十代くらいの女性の心配そうな表情が目に入る。

 きつく叱られたけれど、ヒューゴの身体を心配しているからだと感じた。


「ここは? あなたは?」


 鈍痛が残る腹部に気付き目をやると、白い布が巻かれているのが見えた。


 ――治療してくれたのか……。


 言われるままに身体を再び横にして、ヒューゴは女性に訊く。


「あなたも聞きたいことはあるだろうし、こちらも聞きたいことはあるけれど、今はまだ休んでいなさい。あなたは死ぬ寸前まで傷ついていたのだから……」


 近づいてきてヒューゴにそう言うと、横になるよう促し、身体からずれた毛布をかけ直した。


 ――そうか……僕は生き残ったのか……。


 天井のはりには干し肉がぶら下がっていた。

 肉から少し離して洗濯物もかけられているのが見える。

 生活感を感じて、ここは民家だとヒューゴは確信した。


 それに、周囲に居る人達から害意は感じられない。


 民家だと判ると、少しは安心したのかヒューゴは眠くなる。

 あれからどれくらい時間が経ったのか、ここはどこなのか、気になることはたくさんあったけれど、今は眠ろうと思っていた。

 もし殺されるような危険があるとしても、襲ってきた睡魔にヒューゴは抗えなかった。


・・・・・

・・・


 ――ああ……良い匂いがする。これは肉や野菜を煮込んでいる匂いだ。


 目を閉じたまま、ヒューゴは近くに料理があると感じていた。

 胃袋を直撃する香りは、タスク達と一緒に作った料理の匂いと変わらない。

 もう二度と、タスク達と食事することはないのは判っている。

 嬉しくなるはずの匂いなのに、そのことを思うと悲しい気持ちになっていた。


 だけど、空腹はヒューゴの気持ちなど考えてくれない。

 グゥウウと鳴る胃袋を怒っても仕方ないとは思うけれど、少しはあるじの気持ちを気にして欲しいとヒューゴは考えた。


 いつからまともな食事していないのだろうと思わず腹に手をあてると、少し痛みが走る。


「イタッ」


 つい声をあげると、眠る前に目にした女性の声がする。


「起きたのね。傷口は塞がってるけれど、まだきちんと治っていないのよ? 食事もそちらで食べられるよう持っていくから安静にしていなさい」

「待っていてねぇ」


 女性の返事に続いて、聞き覚えの無い少女の声が聞こえた。

 声のする方を見ると、もうじき肩まで届く金髪を持つ明るい表情の少女が、木の器に汁物をいれる女性の前で、お盆を持って笑っていた。

 

 ――いいな……温かそうな家族だな


 部屋に漂う空気が柔らかく、ここには危険はないとヒューゴは感じた。

 もちろん安心はできないけれど、それでも今すぐ何か危ないことは起きそうにないと感じていた。


「目を覚ましてくれて良かったぁああ。あのまま死んじゃったらどうしようと心配だったわ」


 器を乗せたお盆を両手で運ぶ、綺麗な少女が近づいてきてニッコリと笑って言う。


「あなた、四日も目を覚まさないんですもの……でも良かったぁあ」


 ヒューゴが横たわる布団の横に座り、お盆から器を枕元に置いた。


「まだ熱いから、少し冷まして食べてね?」


 聞きたいことがたくさんあるけれど、今はとにかく何か食べたい。

 身体がそう訴えているのがヒューゴは判った。


「……ありがとう」


 温かい笑みを浮かべている少女に感謝を告げる。

 まだ重い身体を起こそうとしていると、少女はヒューゴの背を支えようと腕を伸ばしてきた。


「パリス。それは私がやろう」


 男性の野太い声と、ミシッミシッと床がきしむ音が頭上から聞こえた。

 ヒューゴの背に力強い手が当てられ、身体を起こす。


「……すみません……」

「気にしなくて良い。娘が必死に助けたんだ。親として手伝うのは当然さ。さ、温かいうちに食べなさい。今は栄養をつけて身体を治すのが大事だ」


 少女は器をヒューゴに手渡し、男性の横に座る。

 その男性は、少女と同じ金髪を短く刈り、青い瞳に力強さをヒューゴに感じさせた。

 険しい顔だが微笑んでいる。

 笑みのせいか、がっしりとした大きな身体だが怖さは感じない。


「ありがとうございます。……いただきます」

 

 周囲の人達は誰なのか、ここはどこなのか、ヒューゴはどういう状況なのか、いろいろ知りたい事はあるけれど、今は口に何か入れたいという気持ちが勝った。

 

 受け取った器に添えられた木の匙を持ち、満たされた汁に差し入れる。

 胃袋を刺激する匂いのする汁をすくい、匙を口に運ぶ。


 ――美味しい……。


 汁の中をゆるりと泳ぐ肉や野菜の塊を、匙に乗るだけ乗せて頬張る。


 ――ああ、温かい……。

 

 口へ運ぶ匙の動きをヒューゴは止められない。

 

「慌てなくてもいい。まだあるから……傷が痛くならない程度に食べなさい」


 男性の言葉に頷いて「ありがとうございます」とヒューゴはもう一度伝えた。


 一杯目が空になると、少女が器を受け取り、再びヒューゴへ運んでくる。

 二杯目に手を出したヒューゴは、食べながら、もう二度と会えないだろう友人達を思い出し、涙を流していた。

 みんなと食事をすることはもうないのだと思うと辛かった。


 ――タスク……ウィル……アイナ……みんな居なくなってしまった……。


 ヒューゴがはっきりと見たのは、タスクが襲われているところだけだった。

 あの時みんなは宿舎に居て、ヒューゴは近くの井戸まで水を汲みに出ていた。

 だから、あの様子だと他のみんなも殺されているに違いない。誰か一人でも逃げ延びていてくれればいいけれど……。無理だろうとヒューゴは確信していた。

 

 ――僕だけ生き残ってしまった。

 

 寂しいとか、怖いとか、悲しいとか……。

 いろんな気持ちがわき上がって、匙を口に運びながらヒューゴは泣いていた。

 助けてくれた人達の前で、涙を拭くことも忘れ、お腹を満たすことに必死な自分が情け無い気もしていた。

 

 ヒューゴの様子を見ている人達は誰も口を開かず見守っている。

 まだ幼い少女でさえ、何も言わない。

 

 だからヒューゴはただひたすら食べた。

 生き残ったのだから……これから生きていくのだから……、そしてみんなの仇をいつか……。


 泣きながら食べる姿を笑われてもいい。

 誰になんと言われてもいい。

 とにかく食べて、回復して、そして……。


「一度、休みなさい。起きたらまた食べるといい」


 二杯目が空になり、三杯目を貰おうかと少女に器を渡そうとしたとき、ヒューゴの手は男性に止められた。


「はい。……あ……助けて頂いたお礼もまだで……」


 意地悪で止めているわけじゃなく、身体を心配してくれてのことだと、ヒューゴは男性の表情から判った。


「気にすることはない。君に何があったかは明日にでも聞こう。私はダビド、隣に座っているのは娘のパリス、囲炉裏の所に居るのは妻のジネットだ。他の家族も明日紹介しよう。君の名前は?」

「……ヒューゴ……です」

「では、ヒューゴ君。まず休みなさい。また治療もしなければならないしな」

「そうよ。お父さんの言う通りよ。たくさん寝てね」

「ありがとうございます」


 ダビドとパリスにそれぞれ頭を下げ、ヒューゴは身体を横にする。

 お腹が満たされたことも手伝って、睡魔が再び訪れてきた。


 ありがとうございます……とつぶやき、瞳を閉じた途端、満腹になり、身体も温かくなったヒューゴの意識は眠りに包まれた。

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