命拾い(その一)


「ヒューゴォォォ! おまえだけでも逃げろ! 逃げるんだぁあ!」


 追いかけてきた兵の剣を背に受け、血を吹き倒れながらタスクが必死に叫んでいる。

 血を浴びた金髪が黒く変わり、タスクが別人に変わっていくようにヒューゴは感じた。


 ――タスク……ウィル……アイナ……みんな……。何故……どうして……僕たちが殺されなきゃならないんだ……誰か……誰か……助けて……お願いだから……みんなを助けて……。


 農場の出口に走り、チラッと後ろを振り返ると、まだ倒れずにいるタスクの背に剣を何度も振り下ろす兵の姿。

 掴まったら自分もあのようになるのかとゾッとする恐怖を感じながらも、ヒューゴは逃げていた。


 ――あの兵装はルビア王国兵だ。

 僕ら、身寄りのない無紋をこの場所に集め、食べていけるようにと生活の場を与えてくれたのはルビア国王のはず……なのに何故?


 力尽きたタスクの身体が前のめりに倒れるのが見える。

 他の仲間の姿も声も聞こえないけれど、タスクと同じ目に遭っていると思え、ヒューゴは怖くて叫びそうだった。

 兵士達に火がつけられ燃える小屋の間をヒューゴは泣きながら走った。


 息が苦しいのは、駆ける足を止めないせいなのか、広がる煙のせいなのか……そんなことはどうでもいい、苦しくても生きている……と、咳き込みながら足を止めずに、村の出口目指してヒューゴは走った。


 ――とにかくこの場から逃げなきゃ殺される。

 ……嫌だ……嫌だ……まだ死にたくない。


「出口に一人逃げた! 逃がすな!!」


 兵の怒鳴る声がヒューゴの耳に入る。

 

 ……ハァ、ハァ……ゼェゼェ……


 少しでも早く村の外へ出て、川に飛び込むか、それとも馬の一頭を盗んでそれで逃げる。

 ヒューゴの頭にはそれしかなかった。

 泳ぎは得意だし、最近乗馬も覚えた。

 とにかく村の外まで逃げられれば……とヒューゴは、殺されるかもしれない恐怖と殺された仲間への悲しみで止まらない涙を流しながら走った。


 息を切らして村の出口まで辿り着いたとき、大声をあげ剣を振り、川の方から駆けてくる兵の姿が、ヒューゴの目にはいる。

 

 ――川はダメだ。馬だ。馬に乗らなきゃ……。


 足を止めずに方向を変え、村の外にある馬留うまどめを目指す。

 馬留うまどめはもう目の前だったが、ヒューゴにはとても遠く感じていた。

 前に進む足の動きが、いつもと違ってとても遅く感じている。


 やっと辿り着き……鞍が乗ってる一頭の馬の手綱を、馬留うまどめの止め木から外し、あぶみに足をかけて乗る。

 

「頼む! 急いで、お願いだ。急いで駆けて!」


 ヒューゴが右手で馬の腰を叩き駆けさせようとしたとき、追いついてきた兵が槍を投げた。


 ザッという音と衝撃、そして腹部に走る強い痛み。

 槍はヒューゴの腹部を深く切った。


「グゥッ……お願い……駆けて……」


 ヒューゴが痛みで馬の背に身を沈めたとき、一声いなないて馬が勢いよく駆けだす。

 どこへ向かうのかも判らないその馬は、必死に痛みに耐えている少年を乗せて夕闇の中を東へひたすら駆けていった。


・・・・・

・・・


『ほう……やっと資格ある者が来たと思ったら、今にも死にそうではないか……』

『どうなさいますか? 皇龍様』


 馬に乗っているのか、それとも地面に横たわっているのか、それすらもヒューゴには判らなかった。

 血を流しすぎたせいか、意識が朦朧もうろうとしている。

 腹部の痛みのおかげで何とか意識はあるけれど、力が入らなくて、身体を起こすことも目を開けることもできないでいる。


 ――誰か居るのか……追手? いや、一人が皇龍と呼んでいた……何かは判らないけれど、多分追手じゃない。追手なら呑気に話していないで僕を殺しにくるはずだ……。


 近くか、それとも離れた場所からか判らないけれど、男性の落ち着いた声がヒューゴには二つ聞こえた。

 会話の内容から、追手ではないのは判ったが、だからと言って、ヒューゴを助けてくれる相手かは判らない。

 ここから離れなければと考えているけれど、目を開けるのも辛く、身体には力が入らない。


 ――追手に捕まらなくても、もうじき死んじゃうな……。


『生き残れるかどうか、それも含めてこの者の運命だ。資格ある者がここを訪れたとき我を従えさせるのは、我が我自身で決めた定めだ……だから、この者と契りを交わそう。もし死ぬようであれば、また数百年かいつになるかは知らぬがここで待つ』

『判りました。私も皇龍様の意思に従いましょう』

『この者がもし生き延びたなら……』

『はい、判っております。覚醒の日まで付き従い守りましょう』

『では、この者の運を試そう。とはいえ、このままでは死は確実……ドラグニ山までは運んでやれ……あとは頼むぞ……士龍……』


 二人の会話が終わると、一瞬宙に身体が浮いた感覚があった。

 その状態がおさまると、ヒューゴの耳には激しい雷の音が聞こえた。

 とても近いところに落雷したように感じたけれど衝撃は感じない。

 だが、背中が猛烈に熱かった。

 燃えているのかと感じるほど熱く、腹部の痛みと合わせて、何とか目を開くことができた。

 周りよりひときわ高い山が前方にあり、山道が奥へ続いている。


 ――山だ……あそこに逃げ込めば……追手はまけるかもしれない……。


 崩れそうになる身体を必死に支え、手綱をさばいて、鬱蒼とした森から見える山を目指しヒューゴは馬を走らせた。

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