第15話 嫌悪の残響

「頼む、星原。力を貸してくれないか」

 

 翌日の放課後。


 僕は図書室の隣の空き部屋のドアをノックして開口一番星原に頼み込んだ。本当なら直接関係のない星原を巻き込みたくはない。しかし相手は女子の板橋と市川なのだ。短絡的な対応を取れば女子に対して男子の僕が悪さをしたということで僕自身ただでは済まないかもしれない。そこで僕にとって唯一腹を割って話せそうな女子である星原のアドバイスが欲しかったのである。


 星原はいつものように二人掛けのソファーの上で寝そべって小説のアイデアノートを眺めている。しかし膝をついて頭を下げている僕をさすがに無視することは出来なかったらしく横目で一瞥して広げていたノートをパサリと閉じた。


「……頭を上げてちょうだい。私はね、月ノ下くん。自分の弱さを知っている男の子は好きだけれど弱気な男の子は嫌いなの」


 僕の場合両方当てはまっているのだが、とりあえず星原の言葉に従って顔を向ける。


「とにかく立ち上がって前を向いて、何をどうしたいのか私にちゃんと説明して。そうしたら協力することもやぶさかではないわ」

「え。ああ……」


 僕は星原の隣のソファーに腰かけると、改めて詳しい経緯を説明した。(自分の情けない部分をさらすようで抵抗もあったが)僕がゲームセンターで不良二人に絡まれていたところを日野崎に助けられたこと。その日野崎が女子サッカー部の板橋と市川に敵視されていること。女子サッカー部のユニフォームを盗んだ犯人として扱われたばかりか、純粋な親切心すらも踏みにじられたこと。


「今回は日野崎が自分を殺して頭を下げて収まった。でもこの先どうかはわからない。あいつらは依然として日野崎を目の仇にしているしこの先も嫌がらせをするかもしれない。だからこれ以上日野崎に手出しをできないようにしたいんだ」

「なるほどね」

「それと日野崎が板橋のユニフォームを盗んだことにされている件だけど、あれも犯人は日野崎じゃないと僕は考えている」

「……根拠はあるの」

「ある。日野崎が女子サッカー部室から出ていくのを目撃した田端という部員の話だと『遠目だったけど他の部員と違う青いスポーツウエアを着ていた』ということだった。でもこれって、よく考えたらおかしいだろ? 部活を終えて着替えて出てくるんだから、普通ならスポーツウエアじゃなく制服で出てくるはずだ」

「確かにね。……でも明確な証拠にはならないわね」

「……そうなんだよ。仮にそのことを指摘しても、着替える前に盗んだユニフォームを外に持ち出したんだとか難癖をつけることだってできる。だから、日野崎が無実の罪を着せられたんだとはっきり証明しないといけないんだ」

「なるほどね。いいでしょう。容易なことではなさそうだけど私に出来るアドバイスをさせてもらうわ」

「星原……」


 星原はソファーから起き上がってこほんと咳払いをした。


「勘違いしないで。言っておくけどこれはあなたを助けるんじゃないの。対等な取引よ」

「取引?」

「ええ。私のアドバイスが役に立って事態を解決出来たらその時はケーキをおごってちょうだい。いいわね? あくまで対等な取引なんだからね」

「あ、ああ」


 星原は頭を下げて頼んだ僕に対して、負い目を感じさせまいとわざとこういう言い回しをしているのだろう。それに星原だって巴ちゃんと親しそうにしていたし日野崎を助けたいという気持ちはあるのかもしれない。


「まずそもそもの話として。……月ノ下くん。あなたは日野崎さんがユニフォームを盗んでいないことを証明しようとしているようだけれど、それだけでは事態を解決したことにはならないわ」

「え?」

「仮にあなたが日野崎さんの無実を証明したとしても、板橋さんたちはそれで自分たちの非を認めて、彼女への敵意を無くしたりはしないと思う」

「何でだよ?」


 星原はおもむろに僕に尋ねた。


「月ノ下くん。日野崎さんが着ている前の学校の制服がどこのものか知っている?」

「確か前に星原が巴ちゃんに尋ねていたな。海山堂高校だっけ」

「そう。その学校はうちの女子サッカー部のライバル校。さらに去年板橋さんたち女子サッカー部が大会で対戦して負けたところなの」

「……何だって?」

「もっとも日野崎さんは転校前はサッカー部ではなかったらしいから、うちと海山堂高校のサッカー部が対立関係にあったことは知らないかもね」


 星原の言葉が事実だとすると、女子サッカー部である板橋たちにとっての日野崎の存在は実に微妙だ。昔からライバル意識を燃やしてきた相手校。そこから転校してきた前の学校制服を着ている新入部員の日野崎。その日野崎がよりにもよって、そのライバル校との大事な試合の日に出場を拒否した。


 いや実際には日野崎は試合に出るのを拒否したのではなく、運悪く妹が病気になってしまったため看病をするというやむを得ない事情があったからだし、日野崎が前の制服を着続けているのは亡くなった母親への思い入れがあるからだ。

 だけどそんなことは板橋たちにはわからない。仇敵である海山堂高校に属していた人間が自分の元母校との対戦を嫌がって、嘘をついてわざと試合に出なかったようにとらえたとしてもおかしくはない。


「つまり板橋たちは日野崎が自分たちを負かしたライバル校からきた転校生で、しかもレギュラーなのにそのライバル校との試合に出場しなかった。その結果、試合に負けてしまった。だから嫌っているのか」

「少し間違っているわ」

「というと?」

「嫌いになったきっかけや原因は月ノ下くんが言ったとおりよ。でも今や彼女たちはそんなことはどうでも良くなっているの。嫌いになっていた期間が長すぎてもはや彼女らの中では理由なんてなくなってしまって『嫌いだから嫌っている』という状態なの」


 星原の言っていることが僕にはよく理解できない。嫌っている理由がなくなっている?


 困惑している僕の顔を見て星原はさらに言葉を重ねる。


「例えば、誰かが日野崎さんが妹さんのために仕方なく休んだことをきちんと証明してくれたら、彼女らも誤解に気付いて認識を改めたかもしれない。でも彼女らはそれを知らないまま日野崎さんに対して『ライバル校から転校してきてレギュラーになりながら、元母校と戦いたくないから肝心の試合をさぼったひどいやつだ。だから嫌がらせや非難をしても構わないんだ』という認識を長い間持ち続けて思考が固まっているの」

「……」

「あげく日野崎さんを嫌うこと自体が彼女らの社会性、人格形成の一部になってしまっている。だから今さら『本当に家庭の事情で休んだのであって日野崎さんの責任はなかったこと』とか『日野崎さんが亡き母親への想いから前の学校の制服を愛用していること』を今更聞かされても彼女たちはそんな事実は認めないだろうし認めたくないの」

「なんで」

「これまでの自分が誤りだったことを認めることになるからよ。間違った前提で日野崎さんを憎んで嫌がらせをしていたことになってしまうからよ。だからどうあっても彼女らにとって日野崎さんはこの先も悪役でなくてはならないの」

「だからユニフォームが無くなった時も日野崎に罪を押し付けて、自分に対する親切さえも嫌がらせだと決めつけたっていうのか。……理解できない」


 僕は右手を額にあててため息をついた。そんな歪んだ思考ってあるものか?


「こういうのを私は『嫌悪の残響』と呼んでいる。つまりライバル校に対する対抗意識がたまたま同じ制服を着た日野崎さんに結びついて、それが試合にわざと出なかったという誤解をきっかけに日野崎さん自身への悪意として定着してしまったの」

「嫌悪の残響……」

「この間、映画やTV番組を作る側は何の悪意もなくとも、たまたま視聴する者の一部に不快感を想起させる何かがあって、クレームをつけるという話をしたでしょう」

「ああ。やる側に何の差別意識がなくても、ただ肌を黒く塗っただけで人種差別になるという問題の話か」


 板橋たちにとっての日野崎もそうなのだろうか。もうすでに日野崎が本当に元海山堂高校の生徒という立ち位置から試合に出なかったかどうかはもう関係なくなってしまっていて、日野崎の存在自体が嫌悪の対象となっている?


「そう。表現するサイドに全く悪気がなくとも、表現を受け取った側の文化や経験に不愉快だと感じる背景が内包されているために加害者として映ってしまうということね」


 つまり、悪意のないごく普通の表現や言動を被害者側の感性が勝手に悪だと認定するというわけか。


 彼女は悲しげに呟きつつ言葉を続ける。


「日野崎さんにしても彼女自身は全く悪いことをしたわけでもなんでもない。ただ、思い入れがあったから前の学校の制服を着てきただけ。だけど、海山堂高校に大会で敗北した経験のある板橋さんたちにとっては日野崎さんを嫌い続ける原因になる。そして日野崎さんを嫌悪すること自体が板橋さんたちの共通認識になって彼女たちのコミュニティの連帯感を強めることにもなっているのよ」

「だから、実は日野崎が善良な人間だったとしてもそれは認められないし、周りの人間も日野崎の事を嫌いであってほしいということか」

「そういうこと。つまり『ある対象』を嫌っている人がそれとは直接関係ないけど『それを想起させるような別の対象』まで嫌いになり、あげくその嫌悪感から生まれたタブーを他人にまで押し付けるようになる、ということなの」


 僕はやれやれとため息交じりに頷いた。


「それが星原がさっき言った『嫌悪の残響』か」


 要するに害悪と感じたものを憎むあまり、他のものにまで過剰反応して敵視してしまうということだ。


 男女差別を憎むあまり、女性が悪く扱われる映画作品を批判する、とか。


 人種差別に対する拒否感から『肌の色の違いを連想させる』というだけで、差別意識のない表現にまで難色を示す、とか。


 こういう話はきっと世の中のあちこちで起こっているのだろう。


「じゃあ日野崎はそういう基準を押しつけ合う中で、板橋たちにとってのタブーを犯して迫害の対象になってしまった犠牲者なんだな」

「そうなるわね」

「じゃあ、どうやって救ってやればいいんだ? どうやって板橋たちの日野崎に対する敵意を消せばいい?」

「主に二つあるわね。一つは板橋さんたちは彼女らの狭いコミュニティの中で日野崎さんを敵視する共通認識を持っている。だったらそのコミュニティを壊せばいい。もう一つは彼女らの中の日野崎さんの認識そのものを変えさせること。まあ、あれよ。海外旅行したら世界観が変わったとか言うでしょう。要は一度固まった日野崎さんに対する評価を上書きするのよ。今までの日野崎さんの印象がどうでも良くなるくらいに強烈な方法で」


 星原の言うことは理にかなっているが、容易にできることではなさそうだ。


 しかも、それとは別に日野崎がユニフォームを盗んでいないとはっきり示さないといけないのである。日野崎の無実を証明したうえで、認識を変えて見せる? そんなことをどうやって実行すればいいのだろう?

 

 盗難事件の真相はまず置いておくとして、そもそもの前提としてどうやって板橋たちの敵意を消せばいいのだ。


 例えば巴ちゃんに日野崎は病気になった自分を看病するために試合に出られなかったことをきちんと証言してもらうというのはどうか。元母校だから出場を拒否したという誤解が解けるんじゃあないか? 


 いや待て。巴ちゃんは日野崎の妹、身内の証言だ。そんなことを説明させたところで、かえって都合のいい嘘を言わせていると邪推されるかもしれない。そもそも星原の言うことが正しいなら今更何を言っても日野崎に対する誤解を認めるつもりはないはずだ。


 では、他に何かないか? 僕はあれこれと思考を巡らすが名案は浮かばない。


「月ノ下くん。何だか思考が行きづまっているようだけど、大丈夫?」


 十数分ほど部屋の中をうろうろ歩き回り、うなり声を出しそうなほどに考え込んでいる僕を見かねて星原が心配そうに声をかけてきた。


「……そうだな。ちょっと気分転換でもするか。ああ。この間星原が書いた小説があったな。あれちょっと読ませてくれないか」

「ああ。あの月ノ下くんが展開が読みやすいって駄目出しした奴……」


 ちょっと気にしているらしい。 


「いや発想は面白いと思ったよ。うん。読みやすいのも言い換えればそれだけ受け入れやすい展開ってことだし」

「そう? それじゃあ、まあ……」と星原はそっとノートを手渡した。


 僕は疲労した頭をからっぽにして小説の内容に目を通す。一度読んだ内容なので流し読みでもすんなり頭の中に入ってくる。


 熊のぬいぐるみを着て動物園のアルバイトをすることになった男。しかしある日から本物の熊と一緒に過ごすことになり、最初は恐怖したが、襲われないように自分も本物の熊のふりをするうちに絆が生まれる。


 しかし実はその本物だと思っていた熊も自分と同じ着ぐるみでしかも、中に入っていたのは綺麗な女性だった。中身をお互いに知らないまま、気持ちを通わせたことで二人は本当に仲良くなる。


「なあ、星原。この話ってお互いに相手が本物の熊だと思い込んでいたんだよな」

「そうだけど」

「つまり、双方とも本当は人間なのに、『人間だとわかったら食べられる!』と思ってばれない様に必死に本物の熊のふりをお互いにしていたから、ますます相手が人間だと疑う余地が持てなくて誤解を加速させたわけだ」

「ええ。設定としてはユーモラスで良いと思ったのだけれど」


 互いに相手の偽りの姿をみて勘違いしていた、か。待てよ?


 田端さんは確か部室から最後に出てきた人物が青いスポーツウエアを着ていたことからユニフォームを盗んだのが日野崎だと判断したのだ。


「なあ、星原。ちょっと尋ねるけどさ」

「何?」

「青いスポーツウエアを着用している部活って見かけたことあるか? 男子サッカー部の他で」

「確か、うちの学校だと陸上部がそうだったと思うわ」

「陸上部、か」


 確か、阿佐ヶ谷が陸上部だったはずだ。


「どうしたの? 急に考え込んで」

「……いや、星原のおかげで問題が半分解決した」


 少なくとも日野崎の無実は証明できそうだ。


「へえ? それは良かったけれど、もう半分は?」

「今のところ当てはない。……だけどここまで来たら多少無理をしてでも、結果をつかみ取ってくる」

「そう。……私も陰ながら成功を祈るわ」


 ソファーに腰かけた彼女は静かに微笑んだのだった。

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