第16話 計略
授業の終わりというのは生徒にとっては解放感にあふれる明るいひと時だ。
大半のクラスメイトは学校帰りに何処で遊ぶか、誰に会いに行くかなどの話で盛り上がる。そしてある者は部活に行き、ある者は友人と遊び、それぞれの自由時間を謳歌する。
しかしその日の放課後、阿佐ヶ谷は苛立たしげなしかめ面を浮かべていた。彼も部活の準備をしなくてはいけないはずなのだが、それどころではない懸念事項でもあるかのような焦燥感を漂わせている。
「阿佐ヶ谷」
僕らは彼に近づいて声をかけた。
「ああ? 何だよ、月ノ下。それに雲仙か。……何の用だ」
普段はろくに会話を交わさない相手が急に近づいてきたので、若干戸惑った様子を見せているといったところだろうか。
「話があるんだ」
「……こっちにはねえよ。今、それどころじゃないんだ」
「それは、もしかして『借りた物を厄介な場所に置いてきて困っている』ってことかな」
彼は目を丸くして僕を凝視した。
「お前、……なんでそれを」
どうやら僕の勘は当たっているようだ。後ろに控えていた明彦が口を開く。
「いろいろお前に確かめたいことがある。……お前だって他の奴に聞かれたくないよな? 場所を変えようぜ」
体育館の裏手は帰宅部の生徒が下校した後はしばらく人が通らない。密談にはうってつけの場所だ。僕らと阿佐ヶ谷は本校舎を出て、体育館の裏手の歩道まで移動した。
阿佐ヶ谷は神経質そうに周りを見回しながら尋ねる。
「こんなところまできて、一体俺に何を確かめるっていうんだよ」
僕がまず口火を切る。
「単刀直入に言うよ。板橋のユニフォームを持って行ったのは阿佐ヶ谷なんだろ?」
「なっ! 何言ってんだよ。お前。俺にそんなことをする動機なんてねえだろうが」
彼は焦りの表情を浮かべながらも否定する。
「動機はないだろうけど、間違って持っていくことはあり得る」
「な、何の話だ」
僕は淡々と昨日から考えていた推論を口にする。
「阿佐ヶ谷はサッカー部の江古田から、成人向け雑誌やDVDを貸し借りしていたんだってね。数か月に渡って貸しあっていたらそれなりの量になる。だけれど、まとめてお互いに品物を返すとしたら、どこで貸す物の受け渡しを行うのがいいだろう? ……物が物だから学校の先生は勿論、女子にだって見られたくはない。そう、例えば先生が滅多に入ってこなくて、かつ男しか入ってこないような部活の男子部屋なんて打ってつけだよな」
阿佐ヶ谷は「うっ」と顔を歪ませる。
「つまり二人はお互いの部活中の人気のない時間帯を狙って、雑誌やDVDを受け渡そうとしていたんだ。まず男子サッカー部室内にあるスポーツバッグに江古田が阿佐ヶ谷から借りていた物を入れて置く。その後、部活時間中に阿佐ヶ谷が男子サッカー部室に入り込み、スポーツバッグを回収して、代わりに自分が借りていた品物を置いておく。こんな風に互いの物を相手に返そうとしていた。違うかな?」
阿佐ヶ谷はこわばった顔で僕を凝視する。特に反論してこないところからすると、ここまでは間違っていないようだ。
「校内で人目につかないように物を取引する方法としては悪くない。……だけど阿佐ヶ谷はミスを犯したんだ」
「ミスだって?」と明彦が僕に問いただした。
「ああ。サッカー部の部室があるグラウンド横の作業教室棟まで来たまでは良かったが、間違えて『女子部室』に入り、『板橋のユニフォームが入ったスポーツバッグ』を持って行ってしまったんだ」
一方で彼は「お、俺はそんなこと……」と脂汗をにじませながら否定した。
「な、何の証拠があるんだよ」
「あの時、田端という女子サッカー部員が、『青いスポーツウエアを着た背の少し高い人間がサッカー部のロゴが入ったスポーツバッグを持って女子サッカー部室から出てきた』と証言している」
「そ、それが何だよ?」
「田端さんはみんな赤いスポーツウエアを着ている部員の中で日野崎だけがただ一人、青いスポーツウエアを着ているからそれを日野崎だと思い込んだ。……でもおかしいよな。『部活が終わって部室から出てくる人間がスポーツウエアを着ている』なんて。つまり田端さんが見たのは同じ青色の陸上部のスポーツウエアを着て、女子サッカー部室に間違えて入り込んだ人物、つまり阿佐ヶ谷だったんだ」
阿佐ヶ谷は「う。ぐぐ」と否定したくてもできない様子で唸っていた。しかしここで明彦が驚いた表情で異を唱える。
「待ってくれ、真守。いくら何でも男子と女子の部室を間違えるなんてこと、あるのか? ……いや。そりゃあ、よその部活だったら男子と女子の部室が隣接している時にどちらかわからなくても当たり前だが、事前に部室で物の受け渡しをするなら、普通どっちの部屋が男子部室か聞いておくだろ?」
「あるいは聞いていたんだろうな。しかしいざ実際に行ったときに目の前で『男子』が、もとい『男子に見間違えそうな人物』が女子部室に入って行ったらどうだ? こっちが男子部室なんだと勘違いしても不思議じゃないんじゃないか?」
「それって、まさか?」
「ああ。日野崎だ」
起こった事はこうだ。
阿佐ヶ谷は江古田とお互いのコレクションを交換するために、部活中に男子サッカー部室を訪れることになっていた。しかしサッカー部の部室を初めて訪れた阿佐ヶ谷は遠くから夕暮れ時に「青いスポーツウエアを着て女子部室に入る日野崎」の姿を、「男子サッカー部員」だと誤認した。同時に「女子部室」を「男子部室」だと思い込んだのだ。
そして、遠目に日野崎が出て行ったのを確認した後で女子サッカー部室に入っていった阿佐ヶ谷は自分が借りていた品物を女子サッカー部室のどこかに隠した。それから代わりに江古田が置いた自分の貸したものが入ったサッカー部のスポーツバッグを持って部屋を出たのだ。いや、実際にはそれは江古田ではなく板橋のスポーツバッグであり、中身も板橋のユニフォームだったのだが。
しかしその時にその姿を遠くから田端さんに見られてしまっていた。田端さんは阿佐ヶ谷とは逆に「夕暮れの女子部室から出てきた青いスポーツウエアを着た男子」の姿を遠目に見て「部室から出てきた青いウェアを着た背の高い女子」イコール日野崎と判断したというわけだ。
阿佐ヶ谷と田端さんはそれぞれに「青い服を着た人物」を夕暮れ時に遠目で見て、双方とも性別を勘違いしていたのだ。
後になって阿佐ヶ谷は自分の持ってきたスポーツバッグの中身を見て間違いに気がついたのだろうが、その時には既に女子サッカー部室で盗難があったことはちょっとした騒ぎにまで発展していた。
そう、部外者である阿佐ヶ谷自身の耳にも届くくらいにだ。
「それで、日野崎に罪を着せて自分は名乗り出ようともしなかったのか」
明彦は眉を吊り上げて阿佐ヶ谷を睨みつけた。
「俺は別に日野崎に罪を着せようと思ったわけじゃねえよ。ただ、女子サッカー部の奴らが勝手に日野崎を犯人扱いしただけだ! 俺は悪くねえって」
「何が悪くない、だ。お前のせいで日野崎は部活から追い出されたばかりか、周りからは白い目で見られているんだぞ?」
「待ってくれ、明彦」
僕は阿佐ヶ谷につかみかかろうとする明彦を声で制した。
「不本意だけど、阿佐ヶ谷のいう事にも一理ある」
明彦はこんな奴の肩を持つのかと言いたげに不機嫌そうに振り返るが、僕は言葉を続ける。
「だってそうだろう。普通なら無くなった前後に自分と似たような色の服を着た人間が出入りしたというだけで犯人扱いされるなんてありえない」
「どういうことだ?」
僕は星原から聞いた背景を簡潔に説明する。
「なんでも日野崎の着ているセーラー服はうちの女子サッカー部のライバル校のものらしい。それに加えてあいつが妹の巴ちゃんの看病のために試合を休んだことが板橋たちに重ねて悪い印象を与えたんだ。『あいつは部の一員として貢献するつもりはないんだ』『だから犯人扱いされても仕方のないやつなんだ』とね」
「つまり日野崎を非難しても構わない、悪者扱いしても構わない。そういう下地が盗難事件の前からすでに出来上がっていた、ってことなのか?」
そういうわけだ、と僕は頷き返す。
仮にユニフォームと靴がなくなる事件が起きなかったとしても、いずれ何らかの形で日野崎に対して嫌がらせが行われていた可能性は高いのではないだろうか。
もちろん盗難事件が実際の引き金になったのは、間違いないが。
明彦は僕の話に納得がいかないようで、苛立たし気に右手で頭を掻きむしる。
「……そうだとしても、だ。盗難事件の犯人が日野崎じゃないってことだけは板橋たちにきっちり説明するべきだろう」
「でもな、明彦。あいつらは日野崎が親切に忘れ物を届けようとした行為でさえ、泥棒と非難するくらい悪いイメージが固まっているんだ。ここで、僕らが日野崎の無実を証明して『そうか、犯人は日野崎じゃなかったんだね』『私たち今まで何の罪もない日野崎に嫌がらせをして悪かったよ。これからは仲よくしよう』なんてなると思うか?」
「素直には認めない、か」
「ああ」
星原の見解によれば、板橋たちにとって、ここで日野崎が善良な人間であることを認めたら自分たちが悪いことになってしまう。だから絶対に認めたくないはずなのだ。
「じゃあ、どうする? せっかく真犯人がわかったっていうのによ」
「……だから、外部の立場である僕らが間違いを指摘するより、あいつら自身に自ら気づかせるように仕向ければいいと思うんだ。自分たちがどれだけ強引な理屈で日野崎を犯人扱いしているのか、を」
「そんな方法があるのか?」
「ある。ただし協力者が必要だ」
僕はここでさっきから黙り込んでいた阿佐ヶ谷に目を向ける。
「阿佐ヶ谷」
「え。……何だよ。まさか俺に協力しろっていうのか?」
阿佐ヶ谷は眉をしかめて口をへの字にゆがめている。顔全体で拒否反応を示している有様だ。
無理もない。彼にとって日野崎の無実を証明するということは、何の得にもならない。自分が女子サッカー部室に入り込んでユニフォームと靴を持って行ってしまったことをさらけ出すことになるばかりか、学校に成人男性向けの品物を持ってきたことを女子を含めたクラスメイト達に知られるということでもあるのだ。
「安心しろ。阿佐ヶ谷に名乗り出てもらうわけじゃない。それどころか阿佐ヶ谷が置いてきた雑誌とDVDを取り返してやる」
「え? 本当か?」
「ああ。だから僕の言うとおりにしてくれないか」
彼は半信半疑といった様子で僕を見ていたが他に当てもなかったのであろう。
「……わかった」と僕の提案に同意したのだった。
「ちなみに女子サッカー部室のどこに置いてきたんだ?」
「板橋のロッカーの上に置いてきた」
そんなところにおいて数か月の間、よく誰も気づかなかったものだ。まあ、いつも決まったところしか見なければ、そんなものかもしれない。
そこで僕と阿佐ヶ谷のやり取りを黙って聞いていた明彦が口を挟む。
「ところで、真守。……どんな方法なんだ?」
僕は肩をすくめて答える。
「なに、日野崎の代わりに僕らが板橋たちの敵になるってことさ」
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