第11話 昼休みと放課後

 時計の針は昼の十二時半を指していた。机と椅子の合間にまばらにクラスメイト達が集って喧噪を響かせている。


 翌日の学校の教室である。昼休みということもあって外で遊ぶものの他は教室で昼寝をするもの、仲の良い者同士で雑談に興じるものとめいめい次の授業までのストレス解消にいそしんでいる。


 そんな嬌声の中、妙に甲高い女子の声が耳に入ってきた。


「ねえ。ケイ。次の家庭科の授業さあ。うちらの班、どうする?」

「どうするって、何が?」

「日野崎がいるじゃん、うちの班。あのバカ空気読めないって言うか周りに合わせないって言うか、余り一緒にやりたくないんだよね」

「バッシーがそんなに気にするんならさあ。うちらだけでやっちゃって後片付けだけやらせればぁ?」


 一人は面長の輪郭に細い目をしたボブカットの少女、もう一人もやはり女子生徒でそばかすが目立つ丸顔にサイドテールの髪型をしている。うちのクラスメイトの板橋敏美と市川恵子である。女子グループとしてはうちのクラスの中心である中野たちのグループに準ずる体育会系女子グループだ。


 僕は明彦と雑談をしていたのだが、なんとなく彼女らの会話の内容を聞きとがめてしまう。


 僕がそっと自分の席に座った日野崎の様子をうかがうと、彼女はぽつんと一人で教室の自分の席で教科書をめくっていた。休み時間なのに、だ。


 板橋と市川は本人に聞こえるようなトーンでああいう事を言うことに抵抗がないのだろうか。いやむしろ本人に聞かれても構わないと思っているのだろう。もはや陰口にすらなっていない。


 あの後で日野崎とすれ違った時などに二言三言挨拶とかは交わしたものの、その後は特別僕と彼女は話すようなことはなかった。一応女子ではあるし、なんとなく用もないのに話しかけに行くのは周りの目が気になった。


 今まで日野崎の事を特に意識したことはなかったが、改めて観察すると彼女は女子の間では男子グループにおける僕らかそれ以上に浮いているというか孤立しているように見える。他人事ではあるし、僕がどうこういうことではないが何だかやりきれない気持ちだった。


「……なあ、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「何だよ?」


 僕は少し声のトーンを落として明彦に尋ねる。


「日野崎って周りから浮いているというか、孤立しているような感じなんだけど何でなんだろう。制服のせいなのか?」


 明彦は一瞬日野崎の方を見やってから、周りを気にするように声を潜める。


「俺も噂でしか聞いたことがないんだけどな。……きっかけは一年の時に部活の試合をすっぽかしたから、ってことらしい」

「試合をすっぽかした?」


 あの日野崎がそんなことするものだろうか。


「なんでも大事な公式試合だったようだし、レギュラーに抜擢されたのに出場しなかったわけだからな。だから同じ部活内からは厳しい目で見るやつも出てくるのも無理はないだろうさ」

「でも、休みたくて休んだんじゃないんじゃないか?」


 僕にはあの竹を割ったようにまっすぐな日野崎が試合をさぼるような人間には見えない。あいつのことだから何か事情があったのではないか。

 だが、明彦は詰め寄る僕をなだめるように「落ち着けよ」と囁いた。


「そのことは『きっかけ』だといっただろう」

「他に何かあるのか?」

「……その後レギュラーとしての自覚が足りない、ということで補欠に回されたらしいんだけどな。それから数か月後に事件が起きたんだ」

「事件って、何が?」

「盗難事件だ」

「ええっ?」

「日野崎の代わりにレギュラーに入った部員のユニフォームとシューズが無くなっていたんだ」

「その犯人が日野崎だ、とでもいうのか?」


 僕は呆れて「信じられない」と首を振った。

 一方、明彦は頭を掻きながら眉をひそめてみせる。


「俺も真偽のほどはよく分からん。だが部員の一人は『無くなる前に日野崎が一人で部室から出てきたのを見た』と証言したそうだ。結局証拠はなかったから、直接責められることはなかったが、ますます部活に居づらくなったみたいでな。間もなく退部したということなんだと」

「そんな。……無茶苦茶だ」


 そもそも証拠がないなら、犯人扱いされる必要なんてないはずなのに理不尽すぎる。


「それで、クラスでも冷たい目で見られているのか?」


 明彦は「ああ」と頷き返す。


「女子サッカー部員と付き合っている男子もうちのクラスに何人かいるし、そいつらとの人間関係もあってあまり仲良くしたがる奴がいないってことみたいだな。……加えて言うと、さっき言ったそのユニフォームを取られたっていう代わりにレギュラーになった部員があの板橋なんだよ」

「……ああ、そうか。板橋と市川って女子サッカー部だったか」


 僕は今さらながらクラスメイトの予備知識を思い出した。

 運動部に所属していないから、体育会系の人間関係と隔絶していて余計にそういう話に疎いのであった。……ああ、部活と言えば。


「ところで、真守。今日の帰りどっか寄っていくか?」

「いや、ちょっと今日は用事があるんだ」

「ふうん? そうか」


 そうだった。僕も今日は『部活』がある日だった。





 放課後になり僕は図書室の隣の空き部屋に向かう。

 念のため、声をかけてからドアノブに手をかけると鍵は開いていた。


「……遅かったわね」


 タイルカーペットが敷かれた床を、少し古めの蛍光灯が照らしている。

 部屋の隅には、授業で使う教材だの古くなった実験器具だのをしまう棚。中央には低めのテーブルと元々応接に使われていたらしい少し古いソファーが二つ、L字の形に置いてあった。


 その内の二人掛け用と思われる方を、少女が一人で占領している。

 星原咲夜である。

 ソファーの上に寝そべっているため、スカートが腿のあたりまでめくれていた。その下からは、黒ストッキングをはいた両脚がすらりと伸びていて脚線美を惜しげなく見せつけている。星原は僕が来ると起き上がって、ソファーに座りなおした。


「掃除当番があったからね」

「それで、確かこの間は話が途中だったと思うのだけれど。私の小説はどうだったのかしら」


 星原に自分の考えた小説について意見を聞かせてほしい、と頼まれていた僕は、たびたびここに来て彼女と話をして適当に帰っている。この間も小説の構想を聞かされたところだった。


 僕も空いている一人用のソファーに腰かけた。





 先日聞いた星原の小説の構想はこんな粗筋だった。


 ある男がクマのぬいぐるみに入るアルバイトをすることになる。しかしその内容は「病気で亡くなった動物園のクマの代わりに本物のクマとして檻に入る」というものだった。


 男は高額の報酬のために何とか我慢するが、数日後、他の動物園から来た本物のクマが同じ檻に入れられることとなる。本物のクマが自分が人間だと気づいたらどうしようかと怯える男だったが、意外にも人懐こい性格のクマと打ち解けて言葉も通じないままに友情が芽生えるようになる。


 ある時、観客の中にふざけて石を投げてくる子供がいて、友達となったクマをいじめるようになる。最初は我慢していたが石を投げられても健気に愛嬌をふりまき続ける友達のクマの姿を見て、とうとう男は「やめろ!」と声を出してしまう。


 その結果、中身が人間とばれてしまったために男はバイトを中断させられることとなる。しかし実はこのバイトは相手を外見だけで判断せず、また言葉も交わさずに親しい関係を築けるかという心理実験だったと雇用主から明かされる。さらにもう一頭のクマの中身も自分と同じアルバイトで、可愛らしい女性だった。二人はバイトをきっかけに気持ちを通じあうようになり恋人になるという話だった。




「話に破たんはないし、わかりやすいと思うよ。ただ話が淡々と進んでいるからもう少しドラマ性があった方が良いかもしれないけど」

「そう。……アイデアが弱かったかしら」


 星原が目を伏せつつ考え込むように呟く。もしかして彼女を傷つけてしまったかもしれない。感想を言うにしても、もう少し言葉を選ぶべきだっただろうか。そんな後悔が胸をかすめる。


 なんとかその場の空気を取り繕おうと僕は続けて口を開いた。


「いや良くまとまってはいるよ。ただ、僕の好みはファンタジー戦記とか非日常的なバトルものが多いから、こういうのを読み慣れていないだけだ。星原の作品をいいと感じる人も普通にいると思う。気にするようなことじゃあない」

「そう?」


 僕の言葉に耳を傾けながらも彼女は悩まし気に眉をしかめていた。どうも星原は自分の好きなことであるはずの趣味にこだわりすぎて、楽しみ方すら見失いかけているのではないだろうか。


「この前聞いた差別表現の話じゃないが、何を肯定的に感じるかなんて受け取る側の感性で変わるんだからさ。僕みたいに派手な冒険ものが好きな人間がいたとしても星原が必ずしも同じ方向性に合わせる必要はないんじゃないかってことだよ。万人受けすることを考えるより星原の中で自分が面白いと思えるものをまずぶつけてみればいいと思うよ」


 星原は僕の話を目を細めて聞いていたが、ふと僕の目を見て言った。


「ねえ。もしかして私のこと、励ましてくれているの?」

「そう聞こえなかったか?」


 星原は僕の質問には応えずに、ただ、ふっと小さく笑ってから「ありがとう」と呟いた。


「なあ、ところでさ。星原」

「ん、何?」

「うちのクラスメイトに日野崎っているだろ?」

「ああ、あの一年の時に転校してきて前の学校のセーラー服を着ている彼女ね。あの子がどうかした?」

「あいつが少し前に、同じ女子サッカー部員のユニフォームと靴を盗む嫌がらせをしたっていう噂聞いたことあるか?」

「……一応、話には聞いたことがあるわ」

「どんな状況だったか、詳しく聞かせてくれないかな」


 この手の話は同じ女子同士の方が伝わりやすいので、星原も詳しいことを聞いているのではないかと期待しての質問だった。


「私も伝聞なんだけれど。何でも、同じ女子サッカー部員の証言だと無くなる直前に一人で部室から出てきたのが日野崎さんだったそうよ」


 明彦もそんなことを言っていたな。


「それだけじゃ、取ったのが日野崎かどうかはわからないじゃないか」

「それが、そうとも言えないの」

「どうして」


 星原は難しそうな表情で僕に答える。


「男子女子ともにサッカー部はお揃いでロゴ入りのスポーツバッグを作っているの。まあ、日野崎さんはその時『入部したばかりだったから作っていなかった』けど。……そしてその時、部室から出てきた日野崎さんは『サッカー部共通のスポーツバッグを持っていた』という証言があるの」


 僕は思わず黙り込む。


 ユニフォームが無くなる直前に部室から出てきて、自分のものではないスポーツバッグを持っていた日野崎。それだけの状況証拠がそろっているとなると彼女がやったと思われるのも無理はないかもしれない。


 しかし、僕は先日の一件で日野崎の人間性を知っている。あいつは人の見ていないところでこそこそ嫌がらせをするような行為とはもっとも程遠いところにいる人間のはずだ。


「ねえ」

「え?」


 ふと気が付くと星原が僕の顔を覗き込んでいた。


「もしかして、この間みたいに何か自分から面倒ごとに首を突っ込むつもり?」

「いや、まだそこまで考えているわけじゃない」


 ただ、どうにも日野崎の人格からはかけ離れた行為で彼女が責められているのが心の中で引っかかっているだけだ。


「ふうん。『まだ』ね」


 彼女は意味ありげにくすりと笑う。


「ま、あまり無茶はしないようにね」


 僕は彼女の言葉に対して誤魔化すように咳払いをした。

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