第10話 ゲームセンターでのトラブル
「……おい、てめえ。何、黙ってこっち見てんだよ」
「ビビッて、声も出ねえんじゃねえの?」
今、僕の目の前には二人の柄の悪そうな少年たちが立ちはだかっていた。一人はニット帽とパーカーを身にまとい、もう一人は派手な柄の入ったシャツを着ている。逃げ出そうにもここはゲームセンターの男子トイレだ。彼らは入り口を塞ぐように並んでいるのでどうにもならない。
事の始まりは、とある学校帰りに明彦にゲームセンターに行かないかと誘われたことだった。もっとも当の本人は十数分ほどで飽きて先に帰ってしまったのだが、僕の方はプレイしてみたい筐体があったので一人で残って小一時間ほど遊んでいたのだ。しかし帰ろうとしたところで見知らぬ少年たち二人に強引にトイレに連れ込まれ、こうなっているわけである。
ニット帽の少年が「いいから、金出せよ」と低い声ですごんでくる。派手なシャツを着た少年はニヤニヤと笑みを浮かべながらその横で立っていた。
金目当てに暴力をふるおうとするような人間をフィクションやニュース以外で観るのは初めてだ。だが、こんな輩の言うことにただ従うのも馬鹿らしい。せめて大声をあげて相手を委縮させてやろうかと、僕が息を吸い込んだその時だった。
「何かと思えば、今時つまらないことやってるんだね」
鈴が鳴るような透きとおった高い声。僕が声を上げるより先に小汚い男子トイレにはおおよそ不似合いな澄んだ声が響いた。
ぎくりとした顔で二人の少年が振り返る。
閉じられていたトイレの入り口のドアが開けられ、廊下に一人の高校生が立っていた。なぜ高校生とわかったかというとその人物は僕のクラスメイトだったからだ。
形のいいきりっとした眉に、細面だが目鼻立ちのはっきりした顔立ち。肩にかかるくらいありそうな長い髪は後頭部のヘアピンで束ねられていて、さわやかな雰囲気をかもしだしている。スカートから伸びた脚はほどよく筋肉がついていて健康美という言葉がよく似合っていた。
そう、スカート。
その人物は僕と同じクラスの女子生徒だった。だがさらに特徴的なのはその制服だ。うちの学校の制服は男女ともブレザーなのだが、彼女は一年の時に転校してきた関係で前の学校のセーラー服を着ていた。確か日野崎という生徒だ。制服の事も含めてクラスの中でも目立つ存在なので忘れようがない。
「大の男が二人がかりで無理やり金を巻き上げる。あんたら、恥ずかしくないの? いつか大人になって子供が出来た時に今のあんたがしていることを胸を張って語れるのかな?」
「ああ?」
「てめえには関係ねえだろ」
「そうもいかないんだよ。そこの彼、一応私の知り合いだから」
ニット帽の少年がチッと舌打ちをするや否や、彼女のみぞおちをめがけて殴り掛かる。が、少女はそれを見切って素早く左手でいなし、そのまま電光石火の勢いで回し蹴りを男のわき腹に叩き込んだ。
ニット帽の少年は、ゲェッと小さく声を漏らして体をくの字に曲げてうずくまる。
派手な柄のシャツを着た男は、自分の連れがものの数秒で倒されたのを見て唖然としていた。大方たかが女、二人がかりならどうにかなると決めてかかっていたのだろう。目の前の女子高生が自分の手におえない相手だと悟って逡巡していたようだが、それでも女相手に逃げ出すのはプライドが許さなかったらしい。
「なめんじゃねえ!」
毒づきながら、少女に飛び掛かっていく。
が、彼女は余裕の表情のままカウンターで腹を正拳で突き、そのまま続くコンビネーションでローキックを決めてみせる。
ほんの数十秒の間のことだ。さっきまで僕にすごんでいた二人の男が苦悶の声を上げながら、トイレの床に倒れ伏していた。
「大丈夫?」
「あ。ああ。ありがとう」
「それじゃあ、こんな場所でていこうか」
彼女は僕に手を差し伸べると腕を引いて、鏡張りの通路を抜けそのままゲームセンターの外まで連れ出した。
「ええと、月ノ下だったっけ?」
彼女は僕の事を気遣うように優しく声をかけた。
「ああ。そういうそっちは日野崎、……ええっと、下の名前は」
僕は記憶を探って目の前のクラスメイトの名前を思い出そうとするが、とっさに出てこない。
「イサミ。日野崎イサミ。勇気の勇に美しいで勇美。でもあんまり女の子らしくないし、日野崎で良いよ」
「わ、悪い。助けてもらってありがとう」
「何の。義を見てせざるはなんとやらってね」
そう言ってセーラー服の少女はニコッと笑って見せる。
「なんか動きが洗練されていたけど。武道でもやっていたのか?」
「ああ。私、空手やっていたことがあるんだ」
「へえ。でも同じクラスなのにこんな風に口を聞くのは初めてだな。……今日はありがとうな。何か礼をしたいんだけど」
「いいって。困っている人を助けるのに理由はいらない。あたしが勝手にやったことだよ」
聖人君子か、はたまた物語のヒーローだろうか。女の子だからヒロインかも知れないけど。今時、珍しい人間だ。
「そ、そうか。でも、本当にありがとう。僕はもう帰るけど。日野崎は?」
日野崎は腕時計をちらりと見てから僕の問いに答える。
「ああ、ちょっとあたしは連れがいるんだよ。それじゃあね」
「うん。それじゃ、またな」
僕は日野崎に挨拶をして駅の方に向かう通りに歩き始めた。ふと、なんとなく去り際にもう一度振り返ると彼女の姿はもう見えなくなっていた。
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