第12話 再びゲームセンター
夕方にさしかかり、飲食店や大手量販店の看板の光が道路を照らし始める。翌日の放課後、僕は明彦と一緒にいつものように最寄り駅の繁華街を寄り道しながら歩いていた。
「なあ、真守。今日、もう一回例のゲームセンターに行ってみようと思うんだけどつきあわないか」
「まーた、あそこに行くのか? まあいいけど」
正直言うと気乗りしない。一度嫌な思いをした場所というのもある。
「なあ、真守。最近お前ちょっと様子がおかしいぜ」
「そうかな?」
「時々考え事でもしているみたいにボーッとしてんじゃん。この間のゲームセンターで俺と別れた後で何かあったのか?」
そういえばここしばらく、日野崎のことを気にかけて考え込んでいたことがあった。見られていたのか。
「大したことじゃあないよ。ただちょっと……」
僕がこの前日野崎に助けられたことを明彦に話そうかと口を開いた時だった。
「あの。やめてください」
か細い少女の声が耳に届く。
「いいじゃん。ちょっと俺と遊ぼうぜ」
「家族と待ち合わせしているんです」
「じゃあさ。連絡先だけでもさあ」
長い髪をツインテールにした少女がゲームセンターの前にたたずんでいた。身にまとっているのは市立中学校の制服だ。背丈は僕より少し小さいくらいで、幼さを残したつぶらな瞳に細面ではっきりした顔立ちである。まあ、美人の部類に入ると言って良い容姿だろう。
だがその表情はいま困惑でしかめられている。少し前から通りすがりの少年が彼女に絡んできているらしい。制服から見て僕と同じ天道館高校の一年生のようだ。
彼女は誰か助けてくれる人はいないかと、周囲をちらちらと伺っていた。僕が思わず凝視すると、彼女の方も僕の目線に気づいてこっちを向く。意図せずして目が合ってしまった。
少女の少し困ったような大きめの澄んだ目が僕をじっと見ている。
普段なら僕は決して他人に対して積極的にかかわったりはしない。しかしこの間、日野崎は大の男二人に絡まれている僕を何の躊躇もなく助けてくれたではないか。女の子なのに人数の多い男相手に立ち向かったではないか。
勿論僕には日野崎のような強さはないが、相手はあの時のようなチンピラ二人ではなく、学年が一つ下のうちの生徒の一人である。彼女に感化されたわけでもないが、ここで何もしなければこの先僕は僕自身のことを好きになれなくなってしまう気がした。
「どうした。真守。……ん? あの子がどうかしたのか」
「明彦。ごめん。ちょっと待っていてくれ」
明彦が何か言いかけるのをよそに僕は一歩前に踏み出した。
「ごめん。お待たせ。いやあ迎えに来てくれるなんて思わなかったよ」
僕はさもそうするのが当然のように初対面の少女に話しかけた。
「悪いね、その子は僕の妹なんだ。一緒に遊びたいゲームがあるから案内してやることになっていてね」
少女になれなれしく話しかけていた一年生の少年は「何だこいつ」という目で僕を見た。しかし続いて明彦が「へえ。これがお前の妹さんか。可愛いじゃん」と僕に合わせて相槌を打ってくれた。
同じ学校の上級生二人とあっては流石に旗色が悪いと思ったのか「あ、そう。邪魔しましたか」と舌打ちをしながら背を向けて少年は去っていった。
「大丈夫?」
「はい。ありがとうございました」
ゲームセンターの裏手にある駐車場まで、一緒に歩いたところで僕は彼女に声をかけた。
少し緊張した面持ちで少女もペコリと頭を下げる。それにしてもこの子の顔、どこかで見覚えがあるような気がするな。
「ハッハッ。礼には及ばないさ。君みたいな可愛い女子に親切にするのは男の義務だから」
明彦は見目麗しい少女と知り合うきっかけができてはしゃいでいるのか、さらに続けて声をかける。
「ところで君、名前は? 俺は明彦。雲仙明彦っていうんだけど。そっちのは月ノ下」
「はあ。私はともえ。日野崎巴です」
日野崎? その苗字とこの子を見た時に覚えた既視感が僕の脳内の記憶中枢を刺激する。
そうか。この子の顔の造作は僕の知っているある人物と似ているのだ。
「巴ちゃんか。素敵な名前だね。市立中学校の制服だよね。何年生?」
「私は市立中学の三年です……けど」
「それじゃあ、家はそんなに遠くないね。この後、俺と二人でゆっくりお茶でもどうかな?」
しつこく言い寄る男を追っ払ったところなのに、お前がナンパしてどうするんだ。僕が調子よく口説き文句を並べる明彦に一言言おうとしたその時、横から別の鋭い声がかかった。
「そのへんにしなよ。うちの妹に声かけるんだったら、まずあたしに話を通してもらおうか?」
さっきから僕の頭をかすめていた疑問の答えがまさに明彦の後ろに立っていたのだ。
「……え。おまえ、は」
セーラー服を着こなし、髪を後ろで結い上げたボーイッシュな少女。日野崎勇美だ。その容姿は相変わらず眉目秀麗ではあるが、その表情は憤怒を隠すことなく露わにしている。彼女は背後から明彦の腕をグイとひねりあげていた。
「いだだだ! 何だよ急に!」
「こっちの台詞だよ。うちの妹が怯えているじゃない。男が二人がかりでか弱い中学生に何をしてって、あれ? 月ノ下?」
「やあ。日野崎。明彦を放してやってくれないかな」
「まさか、二人してうちの妹にちょっかい出そうとしていたわけ。命のスペアはもっているんだろうね?」
「いやいや、誤解だ」
どうやら妹に不埒な男二人が手を出そうとしていたようにみえたようだ。もっとも明彦の行動に限って言えば誤解とも言い切れないが。それにしても妹の事となるとこうも豹変するのか。
日野崎は明彦をドンと突き放すように解放してくれたが、別に許したわけではないらしい。勢いの強さに明彦は思わずたたらを踏んだ。
「巴。ちょっとそっぽ向いといて。お姉ちゃんこの人たちとお話をつけてくるから」
彼女は凄絶な笑みを浮かべながら拳をポキポキと鳴らしていた。仕方がない。明彦がサンドバックになっている間に僕だけでも逃げよう。
僕が頭の中で逃走の算段を立てていたその時、助け舟が意外なところから現れた。
「その二人はあなたの妹さんが絡まれていたから助けてあげたところよ」
僕は声がした方に顔を向ける。小柄ながらのびやかな肢体を学校の制服に包んだ理知的な雰囲気の少女が立っていた。
「星原。……どうしてここに?」
「ちょっとほしい本があったから本屋さんに寄ろうと思って、いつも違う帰り道をしたら、月ノ下くんと雲仙くんが歩いていたからちょっと様子を見ていただけよ」
「あんたは、ええと……うちのクラスの?」
日野崎は僕のことといい、どうもクラスメイトの顔と名前が一致していないらしい。まあ、二年になってクラス替えしてまだ一か月くらいだものな。
「星原。星原咲夜よ」
「ああ。そうだった。ごめん……えっと、じゃあこの二人はうちの妹に親切にしてくれていただけってことなの?」
「そうだよ! もう、お姉ちゃんったら早とちりなんだから」と巴ちゃんがニコニコとこちらを振り返って言う。
「できれば、もっと早くお姉さんの誤解を解いてほしかったけどな」と明彦はひきつった笑顔で声を漏らした。
「そりゃ!」
スポーツウエアを着こんだ日野崎が声を上げながら僕の足元のボールを蹴りだし、あっという間に三点目のシュートを入れてしまう。
あの後、日野崎は素直に僕と明彦に誤解していたことを謝罪すると近くの市民体育館に案内して「良かったら、仲直りの親睦会ってことで二対二でミニサッカーでもやらないか」と誘ってきたのだ。
そんなわけで僕と明彦、巴ちゃんと日野崎の男対女チームで試合をしたのだが、巴ちゃんと日野崎の運動神経は同世代の男子と比較しても優れたレベルで僕と明彦は点数をリードされる一方というありさまだった。
ちなみに星原はサッカーができる格好ではないということで、審判兼点数係をやっている。
「そろそろ試合終了よ」と星原が声をかけた。
「ん、そっか」と日野崎が頷く。
「どう? たまにはこうやって体を動かすのもいいでしょ?」
「うん。本当にたまに、が良いけどね」
日野崎の問いに僕は力なく答えて座り込む。 なお、明彦も力尽きてあおむけに倒れていた。
「二人とも付き合ってくれてありがとね。普段は巴と二人でやっているから楽しかったよ。お礼に飲み物でもおごるからさ」
「……そうか。じゃあ、紅茶を頼むよ」
「……おれはジュースで」
明彦はよろよろと起き上がったあと僕の隣に座り込み、顔を見合わせた。
「あの教室では大人しい日野崎がここまでやるとはなあ」
明彦は飲み物を買いに廊下の方へ出て行く日野崎を目で追いながらぼやくように呟いた。
「お疲れ様」と星原が近くまで来て、僕らを見下ろして微笑んでいる。
「今日は本当にいろいろありがとうございます」
巴ちゃんがいつの間にか僕らの隣に座っていた。
「いつもここでサッカーをしているの?」
「はい。二人だけのミニゲームですけど。学校帰りとか休みの日に。あの、ところで。みなさんはお姉ちゃんと同じクラスなんですよね?」
さっきまでの明るい表情とはうってかわって深刻そうな顔つきになっている。
「うん、まあそうだね」
「お姉ちゃん、学校でどんな感じですか?」
僕はどう答えるべきか、考えあぐねていた。不良に絡まれていた僕を颯爽と助けてくれた日野崎。サッカーも上手くて運動神経が秀でている日野崎。その彼女が学校の教室では周りから疎外されるような立場におかれていることを何と言ったものか。
「別に。普通だ。何か気になることでもあるのか?」
黙っている僕をよそに明彦が当たり障りのないような答えを返す。
「いえ、あの。実は去年のことなんですが。私、体調を崩して高熱で寝込んでしまったことがあったんです」
「……」
「私たち、小さいころにお母さんが事故で亡くなっていまして、父と三人で暮らしているんです。でもその日は父も仕事に行かなくてはいけなくて、お姉ちゃんが私のことを看病してくれたんです」
「日野崎さん、妹思いなのね」と横で聞いていた星原が相槌を打つ。
「はい。ただ私、その時から気がかりなことがあって」
「気がかりなこと?」
「私が熱を出した日はお姉ちゃんは部活があるはずだったんですが、私の看病をするために休むことになってしまったんです」
……部活を休んだ。巴ちゃんの言葉が僕の脳裏に引っかかる。何だっけ?
「それからしばらくして、お姉ちゃんは部活を辞めてしまって。私が『どうしてサッカー好きなのに辞めたの』って訊いたら、『これからは家の手伝いをすることにした』って言っていたんですけど。私、なんだかお姉ちゃんが無理しているように思えて。お姉ちゃんが部活を辞めた理由ってご存知ないですか」
そうだ、思い出した。この間明彦から聞いたばかりだ。日野崎はサッカー部の公式大会をすっぽかしたために、周りから白い目で見られることになったのだ。つまり。
「じゃあ日野崎が大会の試合をすっぽかしたのは、巴ちゃんの看病をするためだったのか」
「バカ! いうな!」
罵声と同時に明彦が僕の頭を手でスパンとはたいた。
「えっ?」
思わず驚いて振り返ると、明彦はしかめ面で巴ちゃんの方を手で指し示して見せる。巴ちゃんは目を涙で潤ませていた。
「やっぱり、そうだったんだ。私があの時病気になったから。……私に付いていたせいでお姉ちゃんは試合に出られなくなって。それで部活にも居づらくなったってことなんですね?」
「あ。……いや」
自分の迂闊さが悔やまれる。明らかに失言だった。僕の言葉と明彦のリアクションを見て、巴ちゃんは自分の危惧が正しかったと確信したらしい。膝の上で手を握りしめながら、しゃくりあげるように声を漏らした。
「それなのに、私のせいで部活にいられなくなったのに。……お姉ちゃん、私には『何でもない』って。……『気にするな』って」
正しくはそのあと補欠になったために、レギュラーになった板橋のユニフォームを盗む動機があると目されたことが原因だが、これ以上余計な心配をかけることは言うべきではないだろう。
その時、黙り込んでいた星原が唐突に「ねえ」と口を開いた。
「確認しておきたいのだけれど、日野崎さんは無断で部活を休んだの?」
「え。いいえ。あの時のことは印象深かったので覚えていますが、確かお姉ちゃんは顧問の先生に当日の朝、電話で休むことを連絡していたと思います」
「なんだ。じゃあ無断で試合をさぼったわけじゃないじゃないか」と僕は若干憤慨気味につぶやいた。
「家族が病気になって自分しか面倒を見られない状況だったんだろ? そういう事情なら部活を休むのも仕方ないと思うんだが。なんですっぽかしたなんて話になったんだか」
と、ここで明彦が口をはさむ。
「だがな。うちの女子サッカー部員たちが同じように考えたかどうかはわからないぜ。個人の事情よりも部活の方を優先しろって考えたかもしれないし、休んだ理由を聞いていてもさぼりか何かかと思って信じないやつもいたかもしれない」
「でも日野崎の普段の態度を見る限り、部活をさぼるようなやつかどうかは判りそうなものだけどなあ」
「いいや。誰か一人が面白半分で『サボりなんじゃないか』と口にすると、そういう言葉を本気で信じ込む単純馬鹿が乗っかってくることがある。そんで気づいたら根拠のないうわさが事実として受け止められる。あり得ないことじゃあないだろ」
彼は過去に経験でもあるのか、仏頂面で呟いていた。
「あの、もう一ついい?」と星原が小さく手を挙げる。
「何でしょう?」
「日野崎さんって一年生の時に転校してきたのよね。今着ているのも前の学校の制服だと思うんだけど、あれってどこの制服なのかしら?」
「ああ。前に住んでいた隣の市の高校の制服で、海山堂高校のものだったと思います」
「……そう。まあ一応学校の許可を得て前の制服を着ているんでしょうけど、何で日野崎さんってうちの制服にしないで前の制服を着ているの? 経済的な事情?」
「元々亡くなった母が通っていた高校で、あのセーラー服を着た母の写真なんかも家のアルバムに残っていたんです。うちの姉は母と同じ制服を着てみたいと思っていたみたいで。思い入れがあるんです。私もお姉ちゃんのあの制服姿好きですし」
「ああ。確かに日野崎にはよく似合っているよ」と僕は頷いた。
巴ちゃんは僕の言葉に自分のことのように嬉しそうに照れ笑いをしてから星原に振り返る。
「それがどうかしたんですか?」
星原は何か言いたげな顔をしていたが「いいえ。別に」と首を振った。巴ちゃんは一瞬怪訝そうな顔をしたが、あまり気にすることではないと思ったのか話を続けた。
「それで、皆さんにお願いがあるんです」
「お願い?」
「あれからお姉ちゃんは部活をやめて何ともないように振る舞っていますけど。実際は落ち込んでいないはずないと思うんです。あまり学校の話とかしなくなりましたし。……だから私、最近お姉ちゃんと一緒に放課後とか休みの日とかにサッカーをするためにここに来ているんです。お姉ちゃんのこと元気づけたくて」
巴ちゃんは伏し目がちに言葉を漏らした。
「皆さんにお姉ちゃんと仲良くしてあげて、とは言いません。でもせめてお姉ちゃんがもし学校で理不尽な目にあって困っていることがあったら助けてあげてもらえませんか」
僕らはそれぞれに顔を見合わせる。
「まあ、できる限りでなら」
「……私には大したことは出来ないけれど。授業関係で困っているようなことがあればフォローはするわ」
「巴ちゃんの頼みとあらば! といっても今の所あいつが特段困っていることはないと思うが、できる限りのことはするよ」
「……ありがとうございます」と巴ちゃんは嬉しそうに笑って頭を下げた。
「巴ちゃん、お姉さんのこと大好きなのね」
「はい。小さいころから私にとってはヒーローみたいなものですから」
「いいなあ。私にも巴ちゃんみたいな妹が欲しかったわ」
「そんな。照れちゃいます」
星原と巴ちゃんは何やら意気投合しているようだ。
「まあ、巴ちゃん可愛らしいものなあ。星原のいう事もわかるよ」と僕も相槌を打つ。
「もう。褒めても何も出ません」
そう言いながらも照れくさそうに顔を赤くしてにやにやしているあたり、満更でもなさそうだ。そんなことを考えていると、僕の首に冷たいものが押し当てられた。
「うひゃう!」
思わず変な声が出た。振り向くと日野崎が戻ってきて缶ドリンクを両手に持って立っている。
「あはは。びっくりさせちゃった? ほら紅茶にジュース。星原にも買ってきたよ」
「いいの? ありがとう」
日野崎は快活に笑って「いいよ。今日はみんな、あたしと巴によくしてくれたしね。嬉しかったんだ」と答えた。
日野崎のこういう笑顔を見ると、やはり彼女の心根は善良そのものなのだろうと思える。その後もしばらく雑談した後で、僕らは市民体育館を後にして駅の所で別れた。
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