第7話 待ち伏せ、そして告白
それから一日が経過したとある場所。
その部屋の中は薄暗く、隣接する部屋の窓から入る日光が扉と壁の隙間からかすかに漏れている。そのささやかな光が陳列棚や飾られた彫刻や絵画を照らし、わずかに陰影を作り出していた。
すでに授業も終わり放課後である。その日は美術部の活動もないので音をたてるものもない。数十分もの間、ただ静寂が続いていた。
だが空間内に満ちた沈黙を破るように、美術室の扉を開く音が響いた。そして静かに足音が聞こえてくる。それは展示室に近づいてきて、やがて展示室の前で止まる。
その人物は展示室の扉をギッとかすかに音を立てて開いた。外の光が展示室に差し込む。
立っていたのは黒くつややかな髪を切りそろえた一人の少女だ。彼女は手に大きめのセカンドバッグを抱えていたが、床に静かに置くと小さくため息をついた。
「そのバッグに入っているのが、石膏像なのか?」
「えっ」
星原咲夜は驚いた顔で僕を見た。
「月ノ下くん? どうして……」
「見てのとおり展示室の扉の裏に隠れていたんだ。もし石膏像がなくなったことについて責任を感じている誰かさんがいるなら、人目に付かないタイミングでそっと返しに来るんじゃないかと思ってね」
あの後僕は、犯人かあるいはそれに関係する人物が展示室に石膏像を戻しに来るのではないかと予期して放課後や昼休みなどの自由時間に展示室に潜むことにしたのだ。
正直、何日間か張り込み続けることを覚悟していた。実際には翌日にこうして彼女がやってきたわけだが。
「一応確認するよ。星原が石膏像を持って行った犯人なのかな?」
「…………この状況じゃ、そう思うのも無理なさそうね」
星原は僕の反応をうかがうように上目づかいで質問に答えた。
「信じてくれるかどうかわからないけど石膏像を持って行ったのは私じゃなくて、私の知っている人なの。その子は悪気があってやったわけじゃないの。ちょっと事情があって……」
「それで?」
「それで、私が代わりに石膏像を返しにきたの。だからこのことはこれ以上追及しないで、気がついたら石膏像が展示室に戻ってきていたことにしてくれないかしら?」
星原は形のいい眉をしかめて懇願した。大きめの瞳に憂いの色がにじんでいるのがわかった。
「その『星原の知り合い』というのは中野か?」
「! ……どうして、そう思うの?」
「この間星原は僕に話しかけたとき、石膏像のありかについてヒントをくれただろう。残念ながらすでにそこに石膏像はなかったが、こんなものがあった」
僕は展示室の絵の裏にあった石膏像のかけらをポケットから取り出して見せた。
「石膏像を誰かが持って行ったというのは正確じゃない。『壊してしまったから隠した』んだ。だけど石膏像が壊れているという事実を知っているのは、三日前の時点ではたぶん犯人だけだ。それなのに僕と明彦が飯田橋先生に呼び出されたという話を聞いた時、中野はこういったんだ」
そう、僕らが飯田橋先生に呼ばれた日、教室にもどって聞き込みをしたときだ。
「『何かあったの? 何か壊されていたとか?』とね。普通、僕と明彦が呼び出されたのを聞いたら何か先生に悪戯をしたとか、そういう方面を想像しそうなものなのに、物を壊したという発想が出てきた」
「それだけじゃ、根拠として薄弱じゃない?」
「もう一つある。あの時たまたま教室で話していたのが聞こえたんだが、中野は三鷹からプレゼントをもらっていたそうだ。もらったのは僕らが飯田橋先生から呼び出される前日だ。その日は『石膏像がなくなった日』でもあるが、同時に『持ち物検査があった日』でもあるんだ。じゃあ、なぜ中野は三鷹からもらったプレゼントを没収されずに済んだのか?」
星原は少し驚いたような表情で僕を無言で見つめていた。
「あの日、直前に持ち物検査があるという告知はあった。中野は当然彼氏からもらった大事なプレゼントをどこかに隠さないといけない。とはいえ自分のかばんやロッカーの中には当然入れられない。校内のどこかに隠すにしても他人の目につくようなところや通常の授業で使うようなところに置いておいて誰かにもっていかれたら一大事だ。そこであの絵の裏側だ」
僕は壁に飾られたカエルの絵を指さした。
「あんなところ普通は見ないし物を隠すにはうってつけだ。そう。中野が最初、絵の裏側に隠そうとしたのは石膏像じゃなくネックレスのはずだった。だけど隠そうとしたときにアクシデントがあったのか、誤って石膏像を床に落として壊してしまった。それで石膏像も急きょ絵を傾けて裏側に隠した」
ここで僕は肩をすくめる。
「……まあ、もっとも石膏像を隠すこと自体は中野以外でもできたことだ。だからこれは知っていることを結び付けて推測しただけの僕のあてずっぽうともいえる。本当は中野は別の場所にプレゼントを隠したのかもしれないし、他の人間が石膏像を隠した可能性もあるけどね」
星原は僕の言葉にたじろぐように立ち尽くす。
「それで、どうなのかな。僕の想像はどこまで当たっている?」
「…………どこまでというのなら、ほぼ正解よ。大した想像力だわ。これを基に一つ話が書けそうなくらい」
星原は降参した、といいたげに小さく両手を上げてみせた。
「……確かに持ち物検査があると聞いて困っていた中野さんに隠し場所をアドバイスしたのは私。元々一年生の時から私が持ち物検査の時の隠し場所として使っていたんだけどね。騙し絵を周りを騙すのに使うだなんてシャレが効いているでしょう?」
やはりそうか。校内で人目に付かない場所というのは中野のようにクラスで活動的なタイプの人間には意外に思いつかない。
だが僕のように休み時間に教室にいるのも気まずいが運動場で体を動かすのも性に合わないという人種は必然的に倉庫の裏側や図書室、入れない屋上に続く階段の踊り場など人通りの少ない校内のエアポケットのような場所を好み、自然とそういう場所に詳しくなる。
星原もそういうタイプなのかもしれなかった。
それは四日前の朝のことだった。
星原は学校に早く来すぎた時は図書室で時間をつぶすのだが、図書室から出て教室の廊下に行く途中でふと中野と三鷹が話しているのを目撃した。
『今日でつきあって一年目だろ。だから記念にこれを渡したくてさ』
『覚えていてくれたんだ。ウソ、めっちゃ嬉しい』
三鷹は中野にアクセサリーらしいものが入った包みを渡していた。自分の身近なところでこういう場面を見せつけられるのは同じ世代の女子としていろいろ思う所はあったようだが、とりあえずその場は何も見なかったことにして星原は立ち去ったという。
だが担任の亀戸先生が「今日は飯田橋先生が持ち物検査を行うと言っていたから帰りのホームルームは少し長くなるぞ」と告げたのはその直後の朝だった。
当然中野はかなりの焦燥に駆られていたらしい。といって周りの友人に相談するのもはばかられた。三鷹と付き合っていること自体は割とクラス内でも知られていたが、自分が持ち物検査に引っかかるものを持っているということをおおっぴらに話して教師の耳に入ったらまずいと考えたようである。一応教員たちの間では評判のいい優等生で通っているのでできれば秘密裏にやり過ごしたかったのだろう。
星原はそんな中野に休み時間で一人になった隙にそっと声をかけた。
『もしかして三鷹君からのプレゼントが持ち物検査で見つかったらどうしようか悩んでいるの?』
『星原。あんたがどうしてそれを知っているの?』
『朝、廊下で渡しているところを見ていたから。……もしよかったらいい隠し場所をアドバイスしましょうか?』
星原が中野を助けるようなことをしたのが僕には意外だった。
「どうして星原が中野にそんなアドバイスしたんだ?」
「そんなにおかしいかしら? 好きな男の子からもらったプレゼントを没収されたくない気持ちは同じ女の子として同情するに足るし何とかしてあげたいと思ってもおかしくないでしょう?」
「でも。……でもさ。星原と中野ってそんなに親しかったか?」
そう、僕は星原と中野が仲良くしているところなんて見たことがない。親しい女友達以外とはほとんど話していない物静かな星原とクラスの中心で取り巻きを引き連れて外見も派手な中野。その二人につながりがあることが僕には不思議だった。
星原は悩ましい顔をして僕の視線を受け止めていたが、やがて覚悟を決めたような顔をしてぽつりぽつりと話し始めた。
「月ノ下くんは私のせいでトラブルに巻き込まれて、現に迷惑かかっているものね。でも他の人には秘密にしてほしいの」
「ああ、わかった」と僕は頷く。
「私と中野さんって中学の時は別々だけど、小学校のとき同級生だったの」
「……」
「その頃の中野さんって気が弱くて背も小さくて、いつもいじめられている子だったのよ。それで、私はそんな彼女をいつもかばっていた」
「そんな過去があったのか」
「ええ。当時の私は自分で言うのもなんだけど、結構やんちゃなところもあったしね。……でも中学に入学する時に、中野さんが引っ越してそれきりになってしまった。たまたまこの高校に入って再会した時には、正直同姓同名の別人かと思ったわ。背も伸びて綺麗になって自信に満ち溢れていて、私の知っている彼女ではなくなっていた」
星原は自分の内面の後ろ暗い部分を吐き出すかのように重い口調で語った。
「心のどこかで劣等感というか不愉快に感じていなかったかと言えば、否定できないかもね。私は弱い彼女を守っていた自分を誇らしく思っていた。だけどそんな彼女がクラスでも目立つひとかどの存在になって自分の前に現れた。彼女の方も昔の自分を知っている私の事を苦手に感じていたのか、ほとんど話しかけようとはしてこなかった」
「星原……」
「でも、三鷹くんからプレゼントを受け取って嬉しそうにしていた中野さんがその直後に持ち物検査があるって聞いて露骨に困っているのを見て、私は昔と同じように彼女に自分にできることをしてあげたくなったの。綺麗で人気者の中野さんを助けてあげることで自分もましな人間なんだって思いたかったのかもね」
「……星原の方が魅力的だと思うやつもいると思うぞ」
お世辞や社交辞令抜きに僕は本心のつもりでそう言った。星原は少し微笑んでみせる。
「そう? ありがとう」
実際顔だちは愛らしいと思うし、小柄ながら知的な雰囲気は好ましいと思う男子も少なくない。ただ色が白くて睡眠不足気味なのか目の下にクマがあり、前髪で片目が隠れがちなので「夜道に立っていられると怖い」という評価もあるのだがその事は黙っておくことにした。
持ち物検査が終わった次の日、一応中野のトラブルは解決したと星原は考えていたのだが、放課後になって僕と明彦が教室にやってきて状況が変わった。僕と明彦の『展示室の中にあった石膏像がなくなっていた。掃除当番のとき展示室の掃除していたのが自分達だったから飯田橋先生に疑われている』という話を聞いてから中野は露骨に動揺しているように見えた。
中野は三鷹に一緒に帰るよう誘われても断り、その後一人でトイレに行くと言って教室を飛び出したのだそうだ。
星原は何となく気になって彼女の後をすぐに追いかけた。
『待って! 春ちゃん』と星原は思わず昔の呼び名を声に出していた。
『星……原』
『もしかして、昨日展示室で石膏像がなくなったのってあなたが関係しているの?』
中野はこわばった顔をして、目を伏せつつしどろもどろにうそぶいた。
『あの……実はプレゼントを隠すときに石膏像を落として欠けさせちゃったんだ。それでとっさに石膏像を絵の裏側に隠したの。ほら、あの馬の絵ってだまし絵になっているでしょ。だから横に傾けて隠したの。ばれなければ大丈夫と思ったんだけど……あ、あんな大事になるとは思わなくて』
『じゃあ、早く正直に先生に話して謝った方が』
『そ、それはダメ! だってそうしたら。どうして用もない展示室に入って石膏像を壊すようなことをしたのかって突っ込まれる。……それで持ち物検査を誤魔化したことがばれちゃうかもしれないじゃん』
『だけど、このままじゃクラス全体が疑われてもっと状況が悪くなるかもしれないのよ』
『じゃあ、あなたがなんとかしてよ!』
『え?』
『……どうにかできない? 星原の家って古美術商だったでしょう?』
確かに自分の家では石膏像の問屋とやり取りをしていることもある。もしかしたらその伝手を使って取り寄せることはできるかもしれない。
『お願い。プレゼントの件がばれて怜治に迷惑かけるなんて、できないんだよ』
その声の調子はまるで小さいころいじめられていて弱気になっていたときの彼女を星原に思い出させた。星原には泣きべそをかきながら『助けて。咲夜ちゃん』と顔をぐしゃぐしゃにしていた幼い日の中野の姿が重なって見えた。
『……わかったわ。何とかやってみる』
『ありがとう。星原』
快諾した星原に対する中野の返事は自信と落ち着きを取り戻していて、クラスの中心人物であるいつもの調子に戻っていた。ふと星原は『そういえば最後まで私の事を昔のように咲夜ちゃんとは呼んでくれなかったな』と頭の片隅で思ったのだった。
その後、星原は同じ石膏像が取り寄せられないか何とか手を回すことを考える一方で、僕と明彦が石膏像を持っていった人物を探していることに思い当たる。
そこで僕に接触して石膏像を持って行った犯人を見つけ出すことにどの程度こだわっているのか、探りを入れようと考えたのだ。
「ああ、それで僕に急に話しかけたわけか。普段はろくに口も聞かないのに驚いたよ」
「ふふ。何か期待させちゃった?」
「いや、全く」
「ああ。そう」
星原は一瞬不機嫌そうに口をとがらせた。
「それで? 同じ石膏像を探してすり替えようとしていたってことなのか?」
「ええ。中野さん、その日の放課後に人目に付かないように石膏像を回収していたの。その実物を持ってきてもらって同じものを私がお父さんに頼んで手に入れてもらったわ。幸い量産されていたもので、うちにも在庫があったんだけど手元に取り寄せるのに何日かかかったの」
「なるほど」
星原はカバンから包み紙に覆われた塊を取り出すと、荷解きしていった。中から現れたのは、確かに展示室にあったのと同じ女性の形をした石膏像だ。
「これを代わりに展示室に置いておいて『気がついたら戻っていた』ということにするつもりだったの」
「星原。こう言ったらなんだが献身的すぎやしないか?」
「……そうかもね。でも私が展示室に隠すことを提案しなければこんな問題は起きなかったという負い目もあったし、その一方で昔みたいに頼られて嬉しく思う気持ちもあったの」
だがそもそも石膏像を壊したのは中野なのである。確かに星原に間接的な原因はあるかもしれないが、僕には星原が中野にいいように利用されているように思えたのだった。
僕は何となく展示室に飾られた例の騙し絵を見上げる。
見る角度によって違うものになってしまう奇妙な絵画。星原と中野の関係もそうなのかもしれない。星原としては昔の友人にかつてと変わらない友情を示した行為。だけど今の中野からしたらクラスの中心である自分にとって都合のいいその他大勢の一人が行った奉仕なのではないだろうか。
あるいは、星原が話してくれたハイヒールのエピソード。かつては貴族のたしなみとして作られた歩きづらい靴が庶民のおしゃれとして普及して意味合いが変わってしまったというあの話。星原がかつての友人に対する優しさとして示した行動は中野にとっては別の意味になってしまったのではないだろうか。
……いや僕がこんなことを考えたところで、結局は二人の問題なのかもしれない。真実は彼女たちの心の中だけにあるのだろう。
それはそれとして、だ。
星原は同じ形の石膏像を用意して誤魔化せるつもりでいるようだが、僕としては引っかかることがあった。
「なあ、星原。あの石膏像、本物の方はいま持っているか」
「……一応、取っておいてはあるけど」
星原はセカンドバッグの中から紙袋を取り出した。
僕はそれを受け取って中の石膏像を確かめる。石膏像は無残にも真っ二つに腰のあたりで割れて、手の部分も欠けている。だが僕が確認したかったのはそこではない。
「ああ、やっぱりか」
「え?」
「大崎先生から聞いたんだけどこの石膏像はうちの卒業生が寄贈したものなんだよ」
「……? 何が言いたいの?」
「見てくれ、ほら」
僕は石膏像の裏側を指差した。そこには「平成……年度卒業生寄贈」と字が彫ってあった。
「……あっ!」
「目立たないところにあるからわかりづらいけどね」
「ええっ? じゃあ、私が用意したこの石膏像では代わりにはならないのかしら」
確かに大崎先生が石膏像が戻ってきたときに、この文字の有無を確認することは大いにありうる。……だが。
「いや、そうでもない」と僕は呟く。
「月ノ下くん?」
星原は眉をしかめてもの問いたげな表情を浮かべる。
「なあ。星原。この割れた本物の石膏像なんだが、修復は出来るか?」
「え? うーん。粉々になったのとは違うから、接着してやすりをかけて目立たなくすることは出来るけれど。……でも、多少は跡が残っちゃうし、全くの元通りには出来ないわ」
「わかった、それで十分だ。できる範囲で直してみてくれ」
僕は星原に頼み込んだ。
「……? まあ、やってみるけれど」
星原は目をぱちくりとさせながら了承した。
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