第6話 教室の騒動

 青空の下を暖かい春風が吹き抜けて僕の顔を撫でる。


 あれから一晩明けて、翌朝の天気はうってかわってさわやかに晴れ渡っていた。僕はいつものように明彦と校門を通り、教室へ足を向けながら例の件について話を振る。


「それで、明彦は何かいい考えが浮かんだ?」

「……もしかしたらなんだが、犯人を特定する方法があるかもしれん」


 廊下を歩く彼は難しそうな顔をしながらもそう呟いた。


「え、本当に?」

「ああ。だが、どういうタイミングで……あん? 何か騒がしくないか?」


 僕らは二年B組の教室の前で足を止めた。確かに扉の向こうから何やら言い争うような怒号が響いている。


「早く名乗り出ろよ!」

「つうかさあ、やっぱり雲仙と月ノ下なんじゃねえの?」

「ふざけんじゃねえよ」

「俺ら、とばっちりじゃねえか!」


 何が起きているのかと僕は様子を窺うように足を踏み入れると、教室の真ん中で何人かの生徒が愚痴と不満をぶちまけていた。


「……何があったんだ?」


 僕がポツリと声を上げると、その場にいた生徒たちが僕らを刺すような目で睨んだ。


 そのうちの一人、三鷹が「おう、来たか」と呟いて僕らに向き直る。


「飯田橋先生が『このまま石膏像を盗んだ犯人が見つからないなら、来月から二年B組の生徒は毎日持ち物検査をする』って言いだしたんだとよ」

「毎日?」

「ああ。とんだ迷惑だ。本当に犯人はお前らじゃないんだろうな」


 三鷹は不機嫌さを隠そうともせずに僕をにらみつけた。しかしそこで別の人物が僕と彼の間に立ちはだかる。


「そんなにがなり立てんなよ。クールにいこうぜ。……この間も言ったとおりだ。俺たちは何もしていない。むしろ迷惑している。だから犯人を捜していたんだ。そんなに怖い顔していると彼女さんに引かれちまうぜ?」


 明彦はからかうように大仰なボディランゲージをしてみせて三鷹をあしらってみせた。


「明彦」

「真守。ここは一つ折角だからこの場にいる全員に訊いてみようぜ」


 もの言いたげな目で僕が彼を見ると「任せておけ」と振り向きながら小さく親指を立てて見せる。どうやらさっき言っていた犯人を特定する方法というのを試すつもりのようだ。


 明彦は教壇に立つと室内の生徒たちを見渡した。何を始めるのかと他のクラスメイト達は彼に注目する。


「なあ。犯人はたぶん三日前の最後の授業、美術が終わった直後に展示室に入ったんだ。誰か覚えている奴はいないか」


 明彦は今この場にいるクラスメイト数十人に向けてそう呼びかける。だが反応は鈍い。「ええ?」「いちいち気にしてないよ、そんなの」と実のない返事が返ってくるばかりだった。


「じゃあ、三日前じゃなくても良い。この数日間で展示室に入った奴はいないか」


 美術部の女子が何人か挙手をする。


「私たち、部活の準備で普段からあそこに備品置いているんだけど」


 僕らと掃除が同じ班になる阿佐ヶ谷達も手を上げていた。


「俺たちは掃除当番なんだから展示室にも何度か入っているぜ。その事はお前らも知っているはずだろ」


 彼らの言葉に明彦はふんふんと頷きながら言葉を続ける。


「オーケー。じゃあお前らはとりあえず犯人候補から外れる。犯人なら自分が展示室内に入ったという都合の悪い事実はなるべく認めないだろうからな。それじゃあ逆にここ一か月で一度も展示室に入っていないという奴はいるか?」


 沈黙が一瞬訪れる。今度は誰も手を上げなかった。いや実際には本当に全く展示室に入ったことがないという者も何人かいるかもしれない。


 だが事実がどうであれ、明彦が発言した『犯人なら自分が展示室内に入ったという都合の悪い事実はなるべく認めない』というのが牽制になっていて『自分は展示室に一度も入っていない』と声を大にして主張しづらい空気が出来ているのだ。


 明彦のやろうとしていることが解りかけてきた。たぶん本命の質問は次だ。


「それじゃあ、美術部員と阿佐ヶ谷達以外の全員に質問だ。展示室内に動物の絵が掛けてあるんだが何の動物か覚えているか?」


「は?」「え?」と明彦の言葉を聞いた生徒たちの中に困惑が広がっていた。


「大事なことなんだ。正しく答えられたら犯人の候補からは外れるからな。じゃあサービスで単純な二択にしてやる。展示室内に飾られているのは『カエル』の絵だ。マルか? バツか?」


 明彦の質問は良い線をついている。展示室のあの絵が騙し絵だと知っている人間がどれくらいいるかは不明だが、少なくともあの絵は『馬』の絵として長い間飾られているのだ。『カエル』の絵になったのはつい『三日前』の話である。


 あの絵を『カエル』の絵だと答えるのはこの三日間で展示室の騙し絵の向きが変わったと知っている人間、つまり僕らと星原を除けば「犯人だけ」なのだ。


 そこで明彦は「正しく答えられたら犯人から外れる」などと方便を言って、犯人をひっかけてあぶりだそうとしているのだろう。


 しかし、この方法には穴がある。


 明彦が「マルだと思う奴」と尋ねたが、生徒たちは顔を見合わせて様子をうかがったあげく誰も手を上げなかった。 


「じゃあバツだと思うやつは?」


 今度はうちのクラスの文化系男子が何人か手を挙げた。


「俺らはたまたま一年の時に文化祭で美術部手伝ったことがあったけど、その時の記憶じゃ馬の絵が飾ってあったと思うぜ」


 彼らの一人が答える。多分数か月前に入ったことがあるきりで、絵があることは知っているもののあの絵が騙し絵だと気が付いていないのだろう。彼らは犯人から除外していいかもしれない。暫定的には。


 明彦は力なく最後の質問をする。


「覚えていない奴は?」


 その場の人間の大半が手を挙げた。


 明彦はがっくりと肩を落とした。手を挙げた中には覚えていないふりをしている星原も入っていたが、実際覚えていない人間も多いだろう。


 そう。確かに「カエルの絵」のことを知っていれば犯人の可能性は高いかもしれないが、その場合「何も知らない」と答えるのが犯人にとっての最善策なのである。


 だが明彦のこの質問、実は全くの無駄ではなかった。


 一つは僕がもしかしたら犯人なのではと目していた『ある人物』が明彦の質問を耳にしたとき、あからさまに顔色を変えて微かに震える手を抑え込んだのだ。僕が表情をうかがおうとするとそれに気づいたのかは不明だが目を伏せてしまった。決定的な証拠ではないが状況証拠にはなりそうだ。


 もう一つは星原だった。星原は周りの様子を見て『覚えていない』に手を上げてすぐ下ろしたのだが、ふと周囲の人間の反応を観察している僕に気が付いたらしい。そして僕に意味ありげな目配せをすると、携帯電話を取り出して素早く打鍵を始めた。


 周りの生徒たちは、明彦に注目していて彼女のやっていることには気づいていない。数秒後に僕の携帯電話にメールの着信が来る。言うまでもなく彼女からである。


 僕はさりげなく液晶画面に表示された内容を確かめた。


『あと二日待って』『石膏像は戻るから』


 携帯電話の液晶画面にはそう表示されていた。そして僕が内容を読み取ったとみるや彼女は自分の携帯を何食わぬ顔でポケットに戻す。


 もう少しすれば石膏像は戻ってくる、だから時間を稼いでほしいということだろうか。彼女の立場が未だ判然としないが、この状況は本意ではないということなのだろう。


「絵の内容が石膏像がなくなったのと何の関係があるのか知らないけど、ほとんどの奴はそんなの覚えていないし結局意味ねえじゃんか?」


 三鷹が詰め寄って明彦を半ば咎めるような口調で言いつのった。明彦はぐっとこらえるような顔で下を向いた。


 嘘をつくのは得意ではないが躊躇している余裕はないらしい。 


 僕は覚悟を決めて一芝居を打つことにした。


「待ってくれ!」


 僕は声を上げて教壇に駆け上がると、明彦と三鷹たちの前を遮るように立ちふさがった。


「じ、実は犯人は展示室に置手紙を残して行ったんだ」

「置手紙?」

「ああ。それにはこう書いてあった。『興味本位で借りてしまいました。一週間待ってくれれば石膏像を返します』とね」


 三鷹が怪訝そうな表情で僕の顔を見る。


「何で、それを最初から言わねえんだよ」

「犯人が返すつもりになっているのに騒ぎ立てて、気が変わったらまずいと思ったんだ」


 阿佐ヶ谷たちも僕に疑問を投げかける。


「俺たちも石膏像がなくなった後で何度か展示室の中を見たけどそんなもの見当たらなかったぜ?」

「昨日の昼休みに僕と明彦で展示室を調べた時に見つかったんだ。たぶん僕と明彦が飯田橋先生に呼び出されたりいろいろ調べて回ったりしたから、犯人も騒ぎになるのを気にして昨日あたりの誰もいないときにそっと置いておいたんだと思う」


 口から出まかせなので、どこかに綻びがありはしないかとひやひやする。


「それで? その置手紙は今どこにあるんだ?」

「僕が家に持ち帰った。でもどこにでもある紙にパソコンで印刷されたもので特に手がかりになりそうなものじゃないよ」


 明彦が僕を驚いた目で見ていたが、大丈夫だと頷いてみせる。


 僕は静かに周囲の反応を伺った。僕の言葉に「どうしようか」とでも言いたげな困惑した空気が広がっていく。


 そして数秒後、三鷹がやれやれと肩をすくめて「どこの誰が置いたともわからない置手紙を信じるのはどうかと思うが、そこまで言うならもう少し待ってみるか」と総括した。


 みな考えるのに疲れていたのだろう。それを受けて他のクラスメイトも「それもそうだな」「他に方策もないし」と頷き合って、その場はどうにか収まったのだった。

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