「嫌悪の残響」とサッカー少女
第9話 ミンストレル・ショー
時おり、ドラマや映画などでこのシーンは不適切だからと規制されることがある。
規制されるのが悪意のある差別表現ならば理解できるのだが、例えば車を運転しながら携帯電話をかけるシーンや不良高校生が喫煙する場面が「違法行為だから」と自粛させられることもあるそうだ。
しかし、それをいうなら殺人事件が起きるドラマやピカレスクな主人公が金持ちの悪党から窃盗をする創作作品なんてざらにあるわけだが、何を基準に良し悪しが決まっているのか、と僕は常々疑問に思っていた。
「それはやっぱりあれでしょう。実際にクレームが来たかどうかなんじゃあないの」
星原と話すようになって何日かが過ぎたある放課後。
僕は時おりこうして図書室の隣の空き部屋を訪ね、星原の小説の構想に耳を傾けたり雑談に花を咲かせるのが日常になっていた。
「例えば、百人の人間があるドラマを見ていたとして、十人の人間が『このシーンは不謹慎だ』『そんな表現は子供に悪影響が出る』ってクレームをつけたとするわ。でも九十人の人間は不満なんてないから、何も言わない」
「ああ。つまり視聴者のうち肯定的にとらえている人間は何も言わないけど、過剰に反応する人間だけがクレームをつけるから作った側に届くのは否定的な意見だけになる。作った側からすればどのくらいの人間が問題視しているかわからないものな」
「そうそう。もちろん、特定の人物や団体を中傷するような内容はよくないとは思うんだけど。でも明らかに作る側が何の悪意もないのに、勝手に問題のある表現だって決めつけられるケースを見ると万人を納得させるものを作るのは難しいって思うのよね」
僕は星原に相槌を打ちながら、話に耳を傾ける。
「しかし作る側は何の悪意もないのに、非難する人たちはなんでそこを問題視してくるのかね」
「………そういう話で言うと『肌の色』を例にすると分かりやすいかもしれないわ」
「肌の色?」
「ええ。例えば一昔前に『ラッツ&スター』というコーラスグループがいてね。顔を黒く塗って黒人のミュージシャン風の扮装で活動していた。だけどこのパフォーマンスがある時に海外の新聞で取り上げられて問題になったそうよ。『これは人種差別だ』ってね」
そのバンドなら僕も昔の音楽番組で見たことがある。
「でも、あんなので人種差別になるのか?」
「もちろん彼らは単純にその方が目立つし、黒人のミュージシャンへのリスペクトもあってそうしたのだと思うわ。でも海外ではそれが問題視された」
「しかし別に黒人を馬鹿にしているような表現でもないだろ? なんでそんなに問題視されるんだ?」
僕がピンと来ない表情で首をかしげると、彼女は肩をすくめて答えた。
「……ミンストレル・ショーよ」
「ミンストレル・ショー?」
星原は小説家志望だけあって、博覧強記というのかいろいろな雑学に通じている。
「十九世紀のアメリカで生まれた芸能。白人が黒塗りのメイクをして黒人奴隷たちの生活の様子を面白おかしく演じたコントみたいなものだといえばいいかしら。黒人は無知でずるくて滑稽だという偏見から創られたコメディ劇のこと」
「へえ。それ、問題にならなかったのか?」
「当時は人権意識が低かったからね。……でも黒人が市民権を獲得するようになるにつれて人種差別を助長するということで批判の対象になり、やがて消えていったそうよ。そしてその影響で、現在においては顔を黒く塗ってショーを見せるという行為そのものが欧米諸国ではタブーであり絶対にやってはならない事というわけ」
「別に黒人を差別する意図があったわけじゃなくても?」
「黒人や人権派の欧米人の立場からしたら差別する意図があったかどうかなんて関係ないのよ。『自分たちにとっては不愉快な歴史を想起させる内容だからやめるべきだ』という理屈ね。差別に対する忌避感から黒塗りのメイクをしてショーをするその行為自体が嫌悪の対象になってしまったの」
本来の「差別的内容だから」という理由とはもう関係なく「自分たちにとっての嫌悪感を呼び起こすから」という理由で肌に黒塗りをするショー自体がタブーになる。
なんだか坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな話だが……
「でも、誰にだって不愉快な感覚を呼び起こすものはあるだろ? 極端な話、犬にかまれたことがあって犬嫌いな人がいたら、その人に気を遣って犬が登場する映画は作っちゃいけないとでもいうのか? そういうことを言い出したらきりがないと思うけどな」
「あなたの言いたいこともわかるけど。結局、程度の問題という一面はあるわね。不愉快と感じる人が全体の一パーセントか、数十パーセントかでは話が変わるでしょうし。……でも他にもデリケートな側面があるの」
星原は静かな双眸で僕を見つめ返す。
「そもそも『悪意なしにやるのなら何をしてもいいのか』というと、そうでもないでしょう。例えば外国の新聞が、災害の被災者をネタにした日本人の感性からすれば中傷にしか見えないひどい社会風刺をしたら? あなたはさっきと同じように『そんなのは過剰な反応で問題視していたらきりがない』と言える?」
彼女の言葉に僕はおもわず苦笑いして沈黙した。
なるほど。「誰かを傷つける表現は止めるべき」という主張と「悪意がなければ、表現の自由はある」という主張は表裏一体なのだ。
一見どちらも正しいようだが、実際にはどの範囲が傷つく表現で、何をもって悪意がないと考えるのか、たぶん百人いれば百通りの基準があるはずだ。
「ただ裏を返すと、客観的に問題のなさそうな行為でも、やられた側が苦痛だと感じたらそれは罪悪として主張できる。できてしまう。……自分の正しさを疑わずに他人を無意識に傷つける人間は確かに危険だけれど。それを逆手にとって被害者意識を濫
用する人間も同じくらい危険かもしれないわ」と星原は呟いた。
その時の僕には星原の言う意味がよく解らなかった。
いや正確には言葉の意味は解ったつもりでいたが、実感として理解してはいなかった。僕が星原の言葉を本当の意味で実感したのはもう少し先の話だ。だがその話の前に、まず僕とある少女との邂逅について語らなくてはならない。
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