2.嵐のクリスマス・イブ

「――異端者、暇無し」


 それは昔から静かに語り継がれてきた言葉だった。

 昔の異端者は、今よりも遥かに仕事の選択の幅が狭かった。戦う力を持った多くの異端者は異形と戦わざるをえず、その他の異端者も己の能力によって職業がほぼ決定された。

 仕事を選べるような自由も、余裕もなかった。

 選択の余地がなくとも、自分にできる事で稼ぐしかなかった。

 そうして『仕事屋』という言葉が生まれた。

『仕事屋』という言葉は本来、異形退治で生計を立てる異端者のみを示す言葉ではない。己の力と技術を用いて稼ぎを得る異端者は、皆一緒くたに『仕事屋』と呼ばれた。

 しかし、一度の仕事で得られる稼ぎもわずかなもの。

 だから異端者はほぼ年中――そうして一日中、働き続けた。

 ごくわずかな人々を除けば、つい最近までクリスマスを祝うこともなかった。


「――はい」


 ごとごとと音を立て、台所のテーブルに大瓶が二つ置かれた。瓶にはいずれも、赤いソースのようなもので満たされている。

 ところはマイヤー人形工房の居住部――つまりドロッセルにとっては自宅だ。

 昼下がりを迎えたその食堂で、ドロッセルはキャロルとともに料理の支度をしていた。

 台所で石炭オーブンをつけているため、その熱によって家中がほんのりと暖かい。トム=ナインものびのびとテーブルの上で寝転がっている。


「これは、なんだ?」


 食材を並べる手を止め、ドロッセルは瓶とキャロルとを見た。


「あたしの特製トマトソース。毎年夏にたくさん作って詰めてるの。冬に美味しいトマトソース食べたいからね。これで野菜の煮込みでも作ろうと思ったの。今から作っとけば明日明後日は食べるものに困らないわ」

「ずいぶん手間がかかっているんだな。缶詰を買ったほうが便利だろうに」

「市販品よりあたしが作ったやつのほうが美味しいに決まってるでしょ。あと缶詰ってなんか金属臭いからあんまり好きじゃないの」

「それじゃ、冬にトマトを買って自作したらどうだ?」


「ありえない」とばかりに首を振るキャロルに、ドロッセルは指摘する。


「最近は蒸気機関の発達とかで、温室で年中いろんなものを作れるんだろう?」


 異端者――特に人形師の技術によって、蒸気機関はめざましい発展を遂げた。

 最近では、馬車の勢力が圧倒的に強いイギリスでも小さな自動車が見られるようになっている上に、生活の様々な箇所で蒸気が用いられている。温室もその一つだ。


「バカね。それじゃ駄目よ」


 しかしキャロルは首を振り、ドロッセルの指摘をばっさりと切り捨てた。


「確かに今時、市場にいけばなんでもあるわ。農業の発展はすごいわね。でも、やっぱり美味しいものは一番美味しい時に食べた方が良いわ」

「なるほど……料理は作るけど、あまりそういうのを意識したことはなかったな」

「んじゃ次から意識して。――さて、色々揃ったわね。赤スグリに、芽キャベツに、パースニップ。そしてもうすぐガチョウも来る」


『ガチョウが来る』という言葉にトム=ナインがぴんと耳を立て、起き上がった。

 急にそわそわしだした猫の耳を、ドロッセルは軽く弾いてやった。


「……ガチョウはすぐ調理する。前にお前が隠れて肉を囓ったこと、忘れていないからな」


 トム=ナインは不満げにぐるぐると鳴いた。

 その様に呆れたようにため息をつきつつ、キャロルがテーブルを見回した。


「――例年に比べるとだいぶギリギリって感じだけど。まぁどうにかなりそうね」


 実際、クリスマスの支度は滞りなく進んだ。

 いくつかの準備を簡略化したこともあり、作業は速やかに完了していった。

 クリスマスツリーの飾りもずいぶん簡単なものになり、ヒイラギも非常に大ざっぱに飾られた。そして各人のプレゼント等も雑な包装でツリーの下に転がすような状態だった。


「ツリーの下にプレゼントを置く……? なんだか少し子供っぽくないか」

「置き場所が他にないんだから仕方ないでしょ。童心に返りましょ」

「ううむ……。というかキャロル……お前、包装紙が破れているぞ」

「あらやだ、大変。それ店長のために選んだものなのに」

「『貞淑な女性のための二十五の心得』……よりによって先生にこの本を選んだのか」


 ノエルも市場から戻ってきた。

 白い見事なガチョウを一羽――そして何故か、見事な牛のかたまり肉を持って。出迎えたドロッセルは困惑の表情で肩に鳥を担ぎ、牛肉を脇に抱えた従者の姿を見た。


「……その牛肉は一体どうしたんだ?」

「精肉店の奥様がどうしても私に差し上げたい、とのことで」

「なんですって? あのマリーが? ロンドンで一番無愛想な女が?」


 キャロルが台所から顔を出す。すでに野菜の煮込みづくりに取りかかっているのか、台所からは素晴しい香りが漂いつつあった。


「私にも理解できません。……ただ、『ずっとここで買い物をして欲しい』と」


 ノエルは肩をすくめ、ガチョウと牛肉とをテーブルに置いた。

 肉の気配をかぎつけたのか、すぐさまトム=ナインが火の玉のように駆け寄ってくる。テーブルに飛び上がろうとした猫を、ドロッセルはなんとか押さえ込む。


「永遠に贔屓にして欲しいと……私の手を取り、そう何度も仰っておりました」


 抗議の声が響く中、ノエルは唇に指を当てて考え込む。


「……顔面紅潮、体温上昇、熱せん妄。そして若干の呼吸の乱れが見受けられたため、これらの症状から恐らくなにかしらの熱病に患っているものだと――」

「いや、そこまで重大なものではないと思う」


 ぎゃんぎゃん鳴くトム=ナインを抱えて、ドロッセルは生暖かい眼で首を振った。

 ひとまず肉の処理が優先された。

 牛肉の塊は捌かれ、キャロルが野菜の煮込みの中に突っ込んだ。


「だ、大丈夫なのか。野菜煮込みの予定だったんだろう」

「いーのよ、全然問題なし。あたしったら料理においても神だから」


 そしてガチョウは機械猫による度重なる妨害を退けて羽をむしられ、丸裸の状態で香草を詰められ、あとはローストするのみという状態で隠された。

 その間に、トム=ナインはどうやら新しいおもちゃを見つけたらしい。

 ふわふわと舞うガチョウの羽毛をひたすら追いかけ、捕まえては飛ばしてと遊んでいる。

 ノエルが菓子、キャロルが主菜、ドロッセルが副菜と分担した。


「あたしったらやっぱり神じゃない? ねぇノエル、ちょっとあたしのこと賞賛して」

「素晴しいかと」

「陳腐ねぇー、もっとあるでしょ。もっとあたしにふさわしい言葉で褒めなさいよ」

「ノエル、拒否しろ」

「はい、お嬢様。拒否いたします」

「ちょっと! じゃあドロッセル、代わりにあんたがあたしのこの野菜煮込みを――」

「あー、最高だ! 今、牡蠣のスープから目を離せないんだ!」


 夕方には、ちょっとした客人が店を訪れた。

 ベルの音に、たまたま手が空いたドロッセルが玄関へと向かう。

 扉を開けた先に立っていたのは、昨日と同じくくたびれたマントに身を包んだマリブだった。


「よう、オレだ。そうとも、マリブだ」


 マリブは疲れ切った笑みを浮かべ、軽く手を上げてみせた。


「やぁ、マリブ。――どうしたんだ? なんだかすごい姿になっているぞ」

「ああ、これなぁ……」


 マリブは手を降ろし、自分の姿を見下ろす。

 額やら頬やらにべたべたと絆創膏が貼られている上に、あちこちに奇妙な模様が書き込まれた包帯を巻いている。ちょっとしたミイラのような有様だ。

「オレは魔女に面倒見てもらってるんだが……昨日、病院抜け出して異界に行ったことがバレてな。しこたま怒られた挙句に心配されてこの惨状だ」

「それは仕方がないな……」


 というか、やはり病院を抜け出していたのか。苦笑するドロッセルの前で、マリブは「それと」となにやらごそごそ鞄を漁り出した。


「昨日、あんた達にずいぶん世話になっちまったからな。なんかお礼をしようと思って」

「そんな……気持ちだけでも十分嬉しいよ」

「いや、ちゃんとお礼はしないといかん。受け取ったらなんであれ返す!」


 マリブはさっぱりとした口調で言い切り、深くうなずく。


「それによ、嬢ちゃん達はオレのことを馬鹿にしなかっただろ?」

「え……?」

「よく言われるんだよ。オレが仕事屋を目指してるって言ったらよ、たいていの異端者はまずは『常人のくせに』っていうんだな」


 鞄の中を探る手を止め、マリブは小さくため息をついた。

 口元には笑みが浮かんでいるが、それは先ほどとは別の疲労感が滲み出ている。

 ――それは人に侮られ、嘲笑われたものの顔だ。

 マリブの表情の意味がわかってしまって、ドロッセルは思わずシャツの胸元を握る。

 何か言葉をかけた方が良いのだろうか。

 しかし、自分に一体何が言えるだろう。

 ドロッセルは悩みつつも、それでもなにか言おうと口を開きかけた。


「マリブ、その――」

「――でも、嬢ちゃんは言わなかった!」


 喜色満面。

 そんな顔で、マリブは心底嬉しそうに自分の肩を軽く叩いてきた。

 感情の落差についていけず、ドロッセルは何も言えないまま目をぱちぱちさせる。


「え、えっと……」

「馬鹿にするどころか、オレのこと庇ってくれたしな! だからオレ、もっとしっかりやらなきゃいかんなぁって。嬢ちゃんにあそこまで言わせちまったんだ」


 ドロッセルの肩から手を降ろし、マリブは身に纏うマントをぐっと握りしめた。

 その笑顔は、いつの間にか不敵なものへと変わっている。


「もっと強くなってやるよ。誰にも心配掛けないくらいにな」


 マントを格好良くひるがえし、マリブは高らかに言い切った。


「そんで、このマリブ・マクダネル様がロンドン一クールな仕事屋になってやるのさ。そうとも、この通り。オレは決意を新たにしたわけだ」

「――ああ」


 常人が仕事屋を目指す。――マリブの語るそれは、本当に困難な道だろう。

 けれどもドロッセルは、笑顔でうなずく。


「すごく応援してる。これからも頑張ってくれ」

「くくく、応援に感謝するぜ。――と、そうだ。忘れるとこだった」


 マリブはパチンと指を鳴らして、鞄の中に手を突っ込む。そうしてごそごそと漁った後、大量のガラクタの中から引っ張り出したのは――。


「これを持っていけって言われたんだけどよー。オレには価値がわからん」

「これ、は……」

「人形師にウケること間違いなしっていわれてよ。なんなんだろうな、栄光の手って」

「さすがに屍蝋はちょっと」


 代わりに狼避けの香と精霊花火をいくらか受け取った。

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