11.心、読めずとも

「――お嬢様」


 物思いにふけるドロッセルに、静かな声が掛けられた。

 視線を向けると、双剣を片付けたノエルがなにか物言いたげな様子で立っている。

 ドロッセルの元に歩み寄り、静かに膝をついた。


「お、おい、どうしたんだ?」

「……今回の戦い、私は十分に機能を発揮することができませんでした」


 まごつくドロッセルをよそに、ノエルは語る。

 顔は伏せられている上に、目深に被った制帽のひさしが影を作っている。ただでさえ乏しい表情が、余計に読み取りづらくなっていた。


「敵を殺しきれず……そして、水の中に落ちた時には動けなくなってしまった」


 あんな事は初めてでした、と。

 テノールの声が、物を言う機械の如く淡々と言葉を紡ぐ。

 いつも以上に感情の感じ取れない口調だった。しかし、意図的に感情を抑え込んで話しているようにもドロッセルには聞こえた。


「従者として許されないことです。申し訳ございません、お嬢様」

「そんなことはない。敵が敵だ、仕方のないことだよ」


 ドロッセルは慌てて首を横に振った。

 ノエルは小さく息を吐き、ドロッセルを見上げた。

 いつも通りの無表情。けれども、夕闇のように青い瞳は微かな感情に揺れていた。


「私は貴女の従者。……なのに私は、貴女に無理をさせてしまった」


 揺れる瞳が、一瞬だけドロッセルの左腕を見つめる。

 そしてノエルは目を閉じ、再び顔を伏せた。ドロッセルからは、表情が見えなくなった。


「――如何なる罰も受けましょう」


 跪いた従者が囁く。

 ドロッセルは左腕に触れ、じっとノエルの姿を見つめた。

 確かに、左腕にはずきずきと痛みが走っている。

 一度に多量の霊気を使用したことによる経絡への負荷。そして、ベルベットの力を借りて精霊花火を投げたことで、筋肉を少し痛めたせいだ。

 確かに、一人でずいぶんな無茶をしたと思う。

 けれども――ドロッセルはしゃがんで、ノエルと目線を合わせた。


「罰はない」


 ノエルの肩が、わずかに揺れた。


「バルトアンデルスは人の心を読む異形だ。だから、いつものように戦えなくて当然だ」

「…………ですが、」

「……お前は、自分でもわからなかった恐怖を見出されたんだ」


 難破船の記憶。深い水底への恐れ。

 それは恐らく、生前のノエルも――モードレッドも自覚していなかった恐怖かもしれない。

 じっと黙り込むノエルの肩に、ドロッセルはそっと手を置く。


「心を乱されてもおかしくない。どんな人間にだって恐ろしいものはある。だから――お前を罰することなんて、私にはできないよ」

「……ですが、私は貴女の従者。従者が、心を乱されることは許されては――」

「ううん……難しいな」


 感情が希薄なわりに、主従関係については少し頑固だ。恐らくそれは、生前は騎士だったことに影響しているのかもしれない。

 ドロッセルは頭を掻き、どうすればノエルが納得してくれるかを考えた。


「……なら、こうしよう。お前はプラーを倒した。だからお前の罪は帳消し」

「帳消し」ノエルが淡々と繰り返す。


「そうだ。主人が帳消しにしたから、この件についてこれ以上の言及はなし。これでどうだ?」


 ノエルがゆっくりと顔を上げた。

 無表情だった。その無機質な青い瞳には、自分の姿が一体どう映っているのか。

 それを知る術を、ドロッセルは持たない。


「……理解できません。貴女の思考は時々、私にはとても難しくて」

「そ、そうか……」

「もっと無慈悲に振る舞われてもよろしいかと」

「いや、私はそんな風にはなりたくないんだ……すまないな……」


 ドロッセルは肩を落とす。

 ノエルと話すたび、意思を伝える事の難しさを思い知る。

 バルトアンデルスの瞳があれば、ここまで苦しむことはなかったのだろうか。さんざん苦戦したあの異形を若干羨ましく思っていると、ノエルが小さく吐息した。


「――ですが、悪くはないと思います」

「え……?」


 思いがけない言葉に、ドロッセルは呆けた声を出す。

 ノエルは自らの肩に手を伸ばし、そこに置かれたままのドロッセルの手を取った。

 それをそっと持ち上げて、ノエルは恭しく礼を示した。


「私は貴女の従者。貴女の望むままに」


 静かに目を伏せるノエルの姿を、ドロッセルはじっと見つめた。

 本当は、彼とは対等でありたいと思っている。

 けれども、それは恐らく相当に難しいことだということを理解していた。人形と人形師のという現在の関係からしても――そして、ノエルの性質からしても。

 自分が、主人という立場にふさわしいという自信はない。

 それでも――ドロッセルは小さくうなずき、微笑む。


「……うん。罰はなし。それが私の望みだ」

「承知いたしました。お嬢様。……貴女の慈悲に感謝いたします」

「――そうよ、罰とかふざけんじゃないわよ」

「あいたっ!」


 けだるげな声とともに、ドロッセルの後頭部がばしっと叩かれる。それから間を置かずして、ノエルの顔面にトム=ナインが飛びついた。

 頭をさすりながら見上げると、キャロルが呆れ顔で見下ろしている。


「お前、いきなりなにを……!」

「必要なのは罰なんかよりお金って話。ねぇ、ノエル?」


 ノエルの返事はない。無言で、顔に貼り付く猫を引きはがそうとしている。

 なにやら苦戦している様子だったのでとりあえずドロッセルも手を貸す。が、トム=ナインはニャアニャアと鳴いて何故か抵抗する。そんなにノエルの顔が気に入ったか。


「お前、うちの店で一番の高給取りだろ! これ以上要求するつもりか!」

「あたしはもっと価値のある女なんで」

「お前なぁ……! ――トム、お前もいい加減にしろ……!」

「――みんな、そろそろ現界に戻るわよ」


 ドロッセルがどうにかトム=ナインを剥がしたところで、パトリシアが声を掛けてきた。

 名残惜しげに鳴く猫を抱え、立ち上がったドロッセルは振り返る。


「そうだな。さすがに今日は疲れてしまったよ」

「ほんとほんと。――さ、現界への道はあたしが開くからね」


 キャロルがぐりぐりと肩を回す。

 が、それにパトリシアがわずかに柳眉を上げた。


「待ちなさい、私が開くはずだったでしょう」

「なんの話かしらぁ?」

「――道? 道か? 道の話をしたんだな?」


 いかにも得意げな声に、またしても言い争いに陥ろうとしていた女達は口を閉じた。

 全員の視線を全身に受けて、マリブが格好良くマントをひるがえす。


「現界への道だったらこのマリブに任せておけ!」

「はぁ? 何言ってんのこのタコ野郎」


 キャロルが唇を歪めた。


「タコはやめろ、タコは。さぁて、ここに取り出したりますは――!」


 マリブは自信たっぷりな様子でマントを跳ね上げた。

 腰のベルトには小さなバッグやホルダーが無数に吊り下げられている。その中の一つから、マリブは銀色に輝く棒状の何かを取りだした。

 それは大きな鍵だった。奇妙な渦巻き模様に縁取られている。


「正体不明の鍵!」

「正体不明ってなによ」

「いや、オレに聞かれても困る」


 鍵を弄びながら、マリブは肩をすくめた。


「これに関しては由来がさっぱりわからんのだ。なんか似たような鍵を持ってる家系がアメリカにあるらしいんだが、それも定かじゃないし」

「はて、ハーカーさんだったかターナーさんだったか」と呟きながら、マリブは鍵を握った。


 そうして、さながら鍵穴に鍵を差し込むかの如く。

 ごく自然な動作でなにもない空間に鍵を付きだした。

 ガチャリと錠が落ちる音がした。同時に、マリブの正面で無数の青い光が細く線を描く。

 まるで空間が切り取られるようにして景色が揺らぎ――。


「ほら、この通り。開いたぞ、開けてやったぞ!」


 マリブが上機嫌で、目の前に開いた現界への帰路を示した。


「……これは、すごいな」


 ドロッセルは感嘆して、得意げに胸を張るマリブと彼が開いた道とを見る。

 一方のキャロルは胡散臭そうな顔をしていた。


「え……怖い。そんな正体不明なもので開いた道って大丈夫なの」

「なんだなんだ、繊細だな。オレはもう何回もこの鍵を使って移動するが、今のところ変な事はなにも起きてないぜ。たまに妙な視線とか感じるけど」

「視線って何」

「オレにもよくわからん! ま、そんなに気になるんならオレが先に行くぜ」


 クルクルと鍵を回転させ、マリブはそれを元のホルダーに手際よく納めた。そうして意気揚々とマントをひるがえし、道へと一歩踏み出す。


「さ、見てろよ! しかと見ろ! このマリブ・マクダネルが華麗に現界へと帰還――」


 マリブが自分のマントの裾を踏んだ。


「ふぎゃっ!」


 短い悲鳴とともに、マリブは道の向こうへとつんのめる。その無様な姿は青い光に包まれ、たちまち見えなくなってしまった。

 しん、と辺りが静まりかえった。トム=ナインすら沈黙していた。

 ドロッセルは小さく咳払いをした。


「……すごく痛そうな転び方だったな」

「えぇ。彼、微妙に迂闊なのよね。――じゃあ、次は私が行くわ」


 パトリシアがため息をつきながらも、前に進む。地面に腰を下ろしていたルーカスが立ち上がり、その後ろに続いた。


「貴方達も道が閉じる前に来て。特にそこのわがままな傀儡師」

「うるっさいわね、おまわり。さっさと行きな」


 道に半ば足を踏み入れた状態で言うパトリシアに、キャロルがしっしと手を払う。

 そうしてパトリシアとルーカスの姿が光りの向こうに消えた後、彼女は道へと近づいた。

 胡散臭そうに青い光に手を伸ばし、首を傾げる。


「……ほんと意味がわからない。なにこの開き方」


 文句を言いながら、キャロルは迷うそぶりもなく道に進んだ。


「どうやって入り口を『ほどいて』いるんだか。おっかないったらありゃ――」


 そして、キャロルの声は聞こえなくなった。

 どうやら言い切る前に現界に移ったらしい。

 ドロッセルは軽く襟元を開き、トム=ナインを自分の胸元に納めた。

 ベルベットが耳元でゴゴゴと低い声で鳴き、トム=ナインもまた居心地良さそうにコートに頭をこすりつける。同じ猫系オートマタ同士、どうやら仲は良さそうだ。

 そして、ドロッセルは隣に立つノエルを見上げた。


「私達も、行こうか」

「はい」とノエルはこくりとうなずき、先日と同じように先導しようとする。


 それを、ドロッセルはコートの布地を掴んで留めた。

 振り返ったノエルが首を傾げる。


「……いかがなさいましたか?」

「その……多分、大丈夫だとは思うが昨日の事もある」


 異界はいまだ謎だらけだ。現界との移動では、なにが起きてもおかしくはない。

 ここは比較的表層のノッドノルとはいえ、油断がならない。

 昨夜、バルトアンデルスのアリストルによって分断された記憶はいまだ鮮明だ。

 あの時のように恐ろしい目に遭うのは御免だった。


「だからまたバラバラになってしまわないように、できるだけ近くにいよう。私はこうしてお前のコートを掴んでいるから――」

「承知いたしました」


 ドロッセルが言い切る前にノエルは真顔でうなずいた。

 数分後。現界側――ロンドン塔の近く。


「おかえり」

 青い光の中から現われたドロッセルとノエルに、キャロルは淡々と声を掛けた。離れた場所ではマリブが額をさすり、パトリシアがなにやら手帳に記入している。


「ただいま戻りました」


 ノエルは小さく一礼して答える。

 キャロルはノエルの姿を一瞥して、わずかに唇の端を下げた。


「いいじゃない。クールよ」

「『できる限り近くにいるべき』というお嬢様の助言を受け、この体勢がより効率的であると判断いたしました。これならば問題ございません」


 表情もなくノエルは淡々と答える。

 一方のドロッセルは――ノエルに横抱きにされたドロッセルは、両手で顔を覆っていた。


「…………問題ある」


 胸元のトム=ナインが、すっかりくつろいだ様子であくびした。

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