10.Arrival
幾百もの大砲を同時に撃ち放ったような音が、トンネル中に反響する。青い光が視界を塗り潰し、衝撃で舞う塵煙が全てを覆い隠す。
そんな中で、ラングレーの姿をした異形は超然と立っていた。
もうもうと紫がかった煙が広がり、視界は効かない。
しかし異形は相変わらず退屈そうな表情のまま、じっと煙の先を見つめている。
ジジ、と肉を焼くような音がした。
異形の眉がぴくりと動く。音は、異形の手から響いている。
異形はゆるりと手を持ち上げ、顔の前に晒した。
「これは……」
皮膚が、見る見るうちに焼け爛れていく。
か細い煙を漂わせる自らの両手を見つめ、異形はわずかに目を見張った。その顔もまた、まるで炙られたかのように徐々に焼けていく。
そして、気づく。――周囲に漂う独特の香気。
「狼避けの香――!」
紫の煙幕の向こうで、なにかが煌めいた。
気配を察知したラングレーがはっと顔を上げる。まさにその瞬間、煙が切り裂かれた。
煙幕から飛びだした影に、とっさにラングレーは焦げた片手を振るった。
青い光弾が撃ち出され、寸分違わず影に命中した。
やかましい音が響く。いくつもの霊糸を舞わせながら、ヴェンデッタが吹き飛んだ。
派手なマントがひるがえる。その陰から、もう一つの影。
「――な、」
ラングレーの口から、小さく驚愕の声が零れた。
双剣が煌めく。コートの裾が風を切る。
長い足が地を蹴り、ヴェンデッタの陰から現われたノエルが弾丸の如く疾駆する。鬼火のように光る瞳から青い残光を引き、彼は逆手に構えた双剣を閃かせた。
閃光――そして、終わった。
ラングレーは片手を持ち上げた姿勢のまま、停止していた。
ノエルは、その背後に立っていた。
彼はしばらく双剣を油断なく構えていたものの、やがて静かにその残心を解いた。
「――お見事でございます、お嬢様」
それぞれの剣を鋭く振るい、汚れを落としながらノエルは囁く。
地面に膝をつき、ドロッセルは「ああ」とかすれた声で答えた。霊気の名残りに瞳を淡く光らせたトム=ナインが駆け寄り、心配そうに鳴く。
銀輪障壁は廃城の露を防ぎきった。
光弾を全て打ち消し、障壁は砕けた。その瞬間、ドロッセルは叫んだ。――「行け」と。
それだけでノエルは動いた。
それどころかキャロルと――マリブでさえも行動を起こした。
恐らくどちらもとっさの行動だったのだろう。
マリブは狼避けの香を叩き付け、キャロルはヴェンデッタに霊糸を再接続した。広がる煙幕と跳躍するヴェンデッタを見て、ノエルはその意図をすぐに察したらしい。
そうして、やり遂げた。
ドロッセルは緩く首を振り、よろよろと立ち上がった。
目眩を感じ、一瞬ふらついた。すぐさまキャロルが駆け寄り、体を支える。
「ちょっと! 大丈夫なの?」
「……平気だ。もう大丈夫。一度に大量の霊気を使ったから消耗したんだ。この前、崩れる天井を支えた時に比べれば全然だ」
ドロッセルは微笑み、姿勢を正した。
実際、大量の霊気を消費した。銀輪障壁に回した分と、ノエルの忌能に回した分。それでもあの廃病院の崩壊から皆を守った時に比べれば消耗の度合いは軽い。
つまりその程度でしか、なかった。
「――そんなに、強くなかった」
マギグラフを嵌めた左手をそっとさすりながら、ドロッセルはプラーを見る。
「――おかしいな」
低い声とともに、ラングレーが額を抑えた。その背中に、ノエルが刃を向ける。
ピシ、と硬質な音が響く。
その胸部には、十字状の傷が刻み込まれていた。みるみるうちに赤黒い亀裂が広がっているそこから、複雑に色を変える煙が細く漂っている。
ラングレーは――彼の姿をしたプラーはその傷を見下ろし、そしてドロッセルを見た。
「何故、こうなるんだ。理解できない」
「……お前は心を読み、姿を変える」
ドロッセルは静かに言った。
手首に走った亀裂をちらりと見て、プラーは呆然とした視線を向けてくる。
「つまり、その変身にはバイアスがかかっている。私達が知らないものには変身できないし、変身してもその力は私達に左右される」
毒の蛸に化けたプラーは巨大化した。これは読心した対象であるマリブが蛸に対し抱く恐怖が反映された結果、その力が極端に誇張されたのだろう。
しかし、プラーはあの蛸の最大の武器であるはずの毒を使わなかった。
これは恐らく、マリブがあの蛸の姿は知っていてもその毒性を知らなかったからではないか。
そして、先日アリストルが変身したアーネストもそうだ。
恐らく本物のアーネストの力は、あんなものではなかったはずだ。
しかし本物の彼は、その力を十全に発揮する前に死んだ。だから、アリストルの変身したアーネストはほとんどまともな攻撃をすることができなかった。
――それらの事柄を一つ一つ思い返しつつ、ドロッセルは推測する。
「……お前は昨日のアリストル以上の力を持っている。変身能力はもちろん、目の性能が上がったことで人が心の奥底に秘めていた記憶も読むことができるようになった」
ドロッセルはちら、とノエルの様子をうかがう。
ノエルは静かに刃を構えたまま、感情の読めないまなざしでプラーを見つめている。
「けれども、その力が対象によって左右されることに変わりはない。そして魔術を使えば霊気も消耗する。……つまり父の姿になったのが間違いだったんだよ、プラー」
ドロッセルの言葉に、プラーは「理解できない」と言わんばかりに首を横に振った。
その表情は、もはや父とはかけ離れたものになっていた。
「お前は、この男を恐れていただろう」
「……ああ」
明らかな混乱の表情で話す異形の姿を、ドロッセルはじっと見つめた。
「……怖いよ。怖い」
自分に確認するように、言う。
確かに、恐ろしいと思う。
自分に手を挙げることはなかった。食事を与えないということもなかった。それでもあの灰色の髪の男は、ドロッセルの心に未だ癒えない傷を深く刻み込んだ。
「……怖いんだ」
父の言葉には容赦がない。
父の行動には情けがない。
記憶にある限り一度も、彼は自分に対し父親のような振る舞いをしたことがなかった。
「…………怖いはずなんだ」
けれどもアーネストとの戦いで、父が自分の命を救おうとしたということを知った。
――そうして、あのクリスマスのことを思い出してしまった。
ぎゅっと、ドロッセルは自分の肘を握りしめた。
言葉にできない感情が胸の内を、ぐずぐずと煮立たせていく。
「――わからない」
父の声は、途中から群衆の声に変じた。
顔を上げると、ついにプラーの全身に亀裂が及んでいた。
まるで父を写した鏡が、砕け散ろうとしているかのようだ。そしてその亀裂のあちこちから、黒い煙が噴き出しつつあった。
きしきしと硝子が触れあうような音を立て、プラーは額を押さえる。
「にんげん わからないな わからない」
「わからない」と群衆の声がざわざわと繰り返す。
ラングレーの顔面が砕け、形を失っていく。黒い霧が溢れ出し、無数の眼球が零れた。それは地面に触れる前にその輪郭を失い、消えていく。
「わからない りかい できない きもちわるい こわいだろう なのに なぜ」
何万もの声が混乱と嫌悪の入り混じった言葉を発する。
雨に晒された砂の城の如く上半身が崩れ、多量の霧と無数の眼球とを舞い散らした。
「なぜ なぜ なぜ こわいだろう」
薄らいでいく霧の中に、ぎざぎざの歯を持った口が浮かび上がる。
口は震えながら、無数の甲高い声を漏らした。
「みずのなか どくのたこ ちちおや こわいだろう なぜ なぜ」
「……怖くても、戦わなきゃいけない」
泣き出しそうな戸惑いの声に、ドロッセルは静かに答えた。
「だから戦う。……それだけだ」
口はなおも何かを反論しようとしたが間に合わず、空気に溶けるように消えていった。
その後もいくつもの口が現れ、「なぜ」「どうして」を繰り返す。
もう、十分だろう。ドロッセルはそっと、マギグラフを嵌めた左手を伸ばした。
しかしプラーの無数の眼球がぎょろりと動き、何者かの姿を映した。
「――おまえ もっと こわいもの ある」
様々な声が入り混じった囁きは、それまでに聞いたことのない響きを持っていた。
その声に、ドロッセルは思わず動きを止める。
「ああ そのすがた であれば しょうりを むらさきの めの ま――」
言い切る前に、プラーは崩壊した。
爆発するように霧が四方に広がり、眼球と破片とが地面に崩れ落ちた。それらは一瞬で揺らぎ、風にさらわれる砂のように消えていく。
トム=ナインが警戒を解いた。ぐっと背中を伸ばし、満足げに鳴く。
ドロッセルは目を瞬かせ、じっとそれまでプラーの存在していた場所を見つめた。
「……終わったのか?」
「そうね。終わったのよ。――あー、もう! やっと終わった!」
キャロルが首を振りながら、吹き飛ばされたヴェンデッタのもとに歩いていく。遠目に見た限りでは少々破損しているものの、あれなら十分直せるだろう。
「ちょっと、おまわり! 今回の報酬は安すぎるわ! 倍額じゃないとわりに合わない!」
「確かに……いくらなんでも今日はハードすぎたわね」
キャロルの文句に、パトリシアが肩をすくめる。その足下にルーカスが尻尾を振りながら近づき、撫でて欲しそうに頭をこすりつけた。
一方のマリブは恐る恐るといった様子で、ドロッセルに近づいた。
「……もういない、よな?」
「ああ。プラーは死んだ。間違いなく」
「だよな? もうタコとか出てこないんだよな? クモも、ムカデも――うー……」
言っていてそれらを想像したのか、マリブは青い顔をして自分の肩をさすった。
ドロッセルは再度、それまでプラーが立っていた場所を見る。
プラーは最後、何を見たのだろう。
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