Ⅲ.ノッドノル・アンダーグラウンド

1.ピュグマリオーンの末裔の書

 翌日。遅めの朝食を終え、ドロッセルは考え込んでいた。

 テーブルには一冊のノートと、無数の資料が広げられている。


「なんか難しい顔してるけど、どうしたの?」


 向かいの席では、キャロルがポマンダーをリボンで飾り付けていた。オレンジの果皮にクローブを刺し、乾燥させたこれはクリスマスに飾る魔除けだ。


「ん、ああ……ちょっと、昨日の反省をしていた」


 肩をすくめつつ、ドロッセルはノートの頁をぺらぺらと捲る。

 その紙面には、びっしりと文字が書き込まれていた。これまでの自分の戦いや魔術に関する反省点や気づいたこと、考えた工夫の数々が文章と図によって記されている。

 キャロルがノートを覗き込み、うえっと舌を出した。


「読み辛ッ! なにこれ! こんなに反省する事ってあるわけ?」

「ああ。というか、私には反省しない日がない。毎日何かしらで自分を省みている。……そしていつも最終的に、自分の存在について反省し始めてしまうんだ」

「あーやだ、暗い暗い。それじゃ駄目よ。無駄に反省するくらいならピッツァを食べなさい」

「食べたらどうなるんだ……」

「幸せになれる」


 さっぱりとキャロルはいって、綺麗にリボン飾りをつけたポマンダーをテーブルに置いた。

 ドロッセルはため息をつき、ノートを見下ろす。


「ただ、今回はちょっと違うんだ……もう少し、前向きなことを考えていた」

「前向きな事って何? 美味しいピッツァの作り方?」

「ピッツァから離れろ。――その、ノエルに化けたバルトアンデルスと戦った時に思ったんだ」


 目を閉じれば今でも脳裏に鮮やかに蘇る。

 繰り返し肉薄する刃、怒濤の連撃――それに対し、自分はろくに対処ができなかった。

 ただ、ベルベットのおかげで防ぐことができた。


「ベルベットにもう少し、機能を追加できないかと思ってな」

「そういえば、あのコートネコちゃんはどうしたの?」

「今はノエルがアイロンを掛けてやっている。――あのオートマタ、アイロンを掛けてやると喜ぶんだ。あと日向と、薔薇水と、毛糸玉が好き」


 ネコなのかコートなのかよくわからない習性だ。

 そもそも、何故ベルベットが大型のネコ科のようになってしまったのかはまったく不明だ。素材にしたドロッセルのコートに、トム=ナインの毛でも付着していたのか。


「……ベルベットは構造が少し特殊だから、改良が難しいんだ。色々考えてはいるけれど、なかなかよいアイディアが湧かなくて」

「店長が戻ってきた時にアドバイスを聞いたら?」

「うーん……それも良いけれど……」


 親指の爪を噛みながら、ドロッセルはページをめくる。

 グレースが戻ってくるのは年明けだ。

 しかし、ドロッセルは可能な限り早くベルベットの改良を完了させたかった。有利に戦うための手段の獲得は、早いほうがいい。


「誰か別の人形師に話を聞くべきかな。それか、有名な人形師の本を――」


 そこで、ドロッセルは口を噤んだ。

 ポマンダーを転がして遊んでいたキャロルが、怪訝そうな視線を向けてくる。


「何? 急に黙っちゃって」

「……いや。ちょっと、ある事を思いついてしまって」


 有名な人形師の本。

 豊富なオートマタの知識と、斬新なアイディアが無数に記された――本。

 それに、心当たりがあった。


「……すまない。ちょっと席を外す」


 キャロルの返事を聞かないまま、ドロッセルは広間を後にした。

 そうして向かうのは二階――自分やノエルの部屋を通り過ぎた先にある、廊下の突き当たり。そこには、見事な熊の彫り物を施した飴色の扉があった。

 ドロッセルはやや躊躇いつつも、ポケットから取り出した鍵を扉の鍵穴に差し込む。

 そうして開いた扉の先に広がっていたのは、師であるグレースの部屋だ。

 この部屋は、地下工房と並んで広い。

 そして、この建物の中でもっとも異様な部屋だ。

 コート掛けの代わりに使われている骸骨模型の隣に立ち、ドロッセルは部屋を見回した。

 ベッド、鏡台、箪笥、棚――どれも品のある女性らしい造りをしている。

 しかし壁には無数の刀剣や銃が飾られ、物々しい様相だ。また別の壁には、無数のメモや指名手配書がナイフやらダーツやらでピン留めされている。

 ベッド脇の床には、かつてグレースが手斧一本で仕留めたという白虎の毛皮が敷かれていた。

 その側を通り過ぎ、ドロッセルは部屋を横切る。

 行く先にあるのは、立派な本棚だ。

 棚に収まりきらない分の書物は、無造作に周囲の床や台の上に積まれている。

 目当ての書物がどこにあるかはわかっていた。

 ドロッセルは大きな辞書をいくつか抜き取り、その裏側に手を伸ばした。

 そうして抜いたドロッセルの手には、一冊の本があった。

 タイトルは『ピュグマリオーンの末裔の書』――作者の名はレイモンド・ラングレー。赤い表紙には、美しい女の胸像が描かれている。

 それはドロッセルの父が犯罪者となる前に出版した書物の一つ。

 ラングレーが出版した書物は少ない。

 しかしそのどれもが、人形師の世界に大きな変革を与えた。

 マギグラフの基本的な構造、オートマタによる魔術発動補助の仕組み、オラクルレンズの屈折率、効果的な演算機関の運用法――どれも、現在の人形師を支える術だ。


『レイモンド・ラングレーは大罪人だ。数多の騒擾事件に関与し、世を混乱に陥れた。一体何人を闇に葬ったか、その数さえもわからない』


『しかし、彼は機巧咒式マギテクスにおいては間違いなく天才だった』


『認めたくはないが、ラングレーがいなければ現代の人形師はありえなかったかもしれない』


 魔術では比較的新しい系統だった機巧咒式マギテクス

 これを実用レベルにまで発展させたのはほとんどラングレーの功績だという話もある。

 そんな男が記した書物が、ここにある。

 ドロッセルはじっと、本の表紙を見つめた。美しい女の像が無表情に見つめ返してくる。

 これはラングレーの書いた本の中でも基礎的な書物らしい。

 この中に、自分の求む答えがあるかもしれない。

 あるかもしれない、が――。


「……やめよう」


 ドロッセルは首を振り、本を本棚にそっと戻した。

 機巧咒式マギテクスは、ラングレーがその発展に大きく関わった系統の魔術だ。そしてそれは、今の人形師を支える技術でもある。

 だから人形師である限り、父の影響から逃れることはできない。そんなことはわかっていた。

 なのに――本の背表紙をそっと撫で、ドロッセルはうつむく。


「……わかっているのにな」


 父に殴られたことはない。食事を出されなかったこともない。

 それでもいつも冷たく、淡々とドロッセルの心をなじるあの男は、恐怖の対象だった。

 父を憎んでいたと思う。嫌っていたと思う。

 今までは。今は――。そっとドロッセルが胸を押さえた時、ノックの音が響いた。


「――お嬢様」


 静かなテノールの声とともに、ノエルが入ってくる。

 ドロッセルがゆるゆると顔を上げると、彼はいつもどおりの無表情で言った。


「キャンピアン様から電報が」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る