6.愛と慈悲と寛容
パトリシアは氷像に近づき、拳銃を手に取った。
異様な外観の銃だった。まるで鋼板から作られたような平たく分厚い銃身を持っている。
名はマグノリアMK―12。
バックヤード制式のマギグラフだ。
扱いづらさや重さという難点を持つものの、通常のマギグラフよりオートマタ未使用時の負荷が低く、魔術の威力低下が少ないという特徴を持つ。
そのスロットに当たる部分に銀符を装填し、パトリシアは銃口を氷像に向ける。
「【
囁きとともに引き金を引く。
それを合図に、スコープ型の瞳を光らせたルーカスが口を開いた。喉奥に仕込まれたオラクルレンズが閃光を放ち、咆哮とともに衝撃波を放つ。
バルトアンデルスの氷像が砕け散った。
破砕されたそれは、大半が地面に落ちる前に消えていく。辛うじて残った破片を、パトリシアは鞄から取り出した黒い鉄の筒に収めた。
「トリッシュ、それは……?」
トム=ナインに頬ずりしながらドロッセルはたずねた。
「
「……それって保存して大丈夫な代物なのか?」
「バルトアンデルスは死滅したわ。これはもう力のない遺骸。それに安心瓶には無数の封印がかけられてるから、適切な管理をすれば大丈夫」
「この異形は生態がよくわかっていないし、遺骸を残すことが各国で奨励されているのよ」
パトリシアの言葉をキャロルが継ぐ。
その彼女はというと、霊糸を用いてウェスターを街灯から引きずり出そうとしていた。
「ほら、さっさと出る! 体が引きちぎられても知らないわよ」
「や、やめろ! 離せ! 野蛮なマカロニ女が僕に触るんじゃ――!」
「あ?」
「…………出る」
青ざめた顔でウェスターは街灯の陰から出てきた。心なしか、その身を縛る霊糸の拘束が強まったように見える。
すっかり悄然とした彼の姿を見て、パトリシアは目を見開く。
「キーン! 貴方、どうしてここにいるの!」
「ぐ、偶然……巻き込まれました……」
ウェスターは視線を彷徨わせながら答える。
しかし、どうやら彼はこの無理のある言い訳に自信を持ったらしい。すぐに笑みを浮かべ、滑らかな口調でパトリシアに訴えた。
「そう、偶然です! 散歩していた僕は、たまたま異形の影を目撃したんです。ロンドンの安寧のためには放っておくわけにはいかないでしょう? それを退治しようとしたら、そこのにんじ――ドロッセルに邪魔されたんです」
「わぁその話面白い。もっと聞かせて?」
キャロルが冷えた笑みを浮かべる。
一方のドロッセルは口を挟むのも面倒になり、トム=ナインの腹に顔を埋めた。耳元では、ベルベットが不機嫌そうに唸り声を上げている。
ウェスターはムキになった様子で、身振り手振りを合わせて主張した。
「邪魔されたんですよ! いつもそうだ、ドロッセルは僕の足を引っ張るんです! だいたいこいつと、こいつの親父のせいでみんな大迷惑してるでしょう! だから――!」
「ねぇノエル、人間でパンチェッタって作れると思う?」
「…………私は存じ上げません。試す価値は、あるかと」
「や、やめるんだ二人とも。それはいくらなんでもよくない。――というかノエル、気のせいかウェスターに対して当たりが若干厳しくないか」
さすがにこれ以上の脅しは良くない。
ドロッセルが口を挟むとノエルは目を伏せ、キャロルは舌を突き出した。
「あんたが甘っちょろいのよ、ドロッセル」
キャロルは眉を吊り上げ、震えるウェスターを睨んだ。
「こいつがあんたにしてきた事は到底許されていいものじゃない」
「僕が? 許されない? へぇ、面白いや! 善良な僕が、あのラングレーより罪深いってのか! 面白い事を言うな、やっぱりマフィアの国ってのはこの国とは常識が違――!」
「――――ウェスター・キーン」
感情の一切ないキャロルの声に、ウェスターが口を噤んだ。
キャロルはオリーブグリーンの瞳を細め、青ざめた彼の顔をじっと見つめた。
「その名をみだりに口にするのは、あまり賢い振舞いではないわ」
キャロルの口調はいつになく穏やかで優しい。
しかしノエルとは別の意味で感情の欠片も感じられないその声に、横で聞いているドロッセルの背筋にも冷たいものが走った。
不意に、キャロルが手を伸ばす。
ウェスターは身を震わせ、半歩下がった。キャロルはそんな彼の首元――すっかり乱れてしまったネクタイに手を伸ばし、それをまっすぐに整えた。
「場所と相手によっては――あんたは明日、ロンドン港に浮かんでいたかもしれない」
「ひぎっ……!」
ぐっとネクタイを引っ張られ、ウェスターは短い悲鳴を上げる。
「――そこまでにしておきなさい、傀儡師」
凜とした声とともに、キャロルの手首をパトリシアが掴んだ。
キャロルはちら、と彼女を見る。
「あら、ちょっと教育してあげただけよ」
「これ以上は見過ごせないわ。――貴女が名誉ある人間であるなら、振舞いを考えなさい」
「……失礼ね。あたしはそんなんじゃないわよ」
キャロルはべっと舌を突き出すと、ウェスターから離れた。
ウェスターは崩れ落ちるようにして石畳にへたり込んだ。荒く息を吐くウェスターに近づき、パトリシアはわずかに身を屈めた。
「貴方はエッジワースの元に保護され、半年間の魔術の使用禁止を言い渡されたはず」
「……はい」
「なのに、このノッドノルにいる。――功を焦ったわね?」
静かだが鋭いパトリシアの問いかけに、ウェスターはがっくりとうなだれた。
その様子を見て、ようやくドロッセルは合点した。
「巷を騒がせている異形を退治することで、自分の評価を回復しようとしたのか」
「お前にはわかんないよ! あの事件のせいで、異端者社会におけるキーン家の紋章に泥が塗られた! 我が家の名誉はがた落ちだ! この僕がッ、出来損ないで犯罪者の娘のお前みたいな目で皆に見られるようになったんだぞ!」
「何言ってんの? おたくの紋章にトドメさしたのはあんたでしょ」
わめき立てるウェスターに、キャロルは淡々とした口調で返す。
ノエルがちら、とドロッセルをうかがった。
「……紋章とは?」
「魔術師にとっての様式――いわば魔術の血統のようなものだ。例えばある人形師に弟子入りすることを『紋章に入る』、奥義を継承されることを『紋章を継ぐ』と言ったりする」
「……なるほど。そういうことですか」
ドロッセルの説明を聞き、ノエルは納得したようにうなずく。
一方のウェスターはいまだ喚き続けていた。
「父さんは奥義を伝える前に死んだ! 病気のせいだ! 兄さんは投資に失敗して借金を作った! 兄さんのせいだ! 全部全部全部ッ! 全部僕のせいじゃな――!」
ぱん、と渇いた音が耳朶を打つ。
ウェスターは大きく目を見開き、赤く染まった頬を押さえた。その頬を打ったパトリシアは氷河のように青い瞳で、まっすぐにウェスターを見つめていた。
「……追って沙汰を伝えるわ」
「……う、」
「確かに全て貴方のせいというわけではないわ。貴方は恐喝されていた。……でも、貴方は加害者でもあった。償わなきゃいけないこともある。そうでしょう?」
「うぅ、う……」
「……免許の剥奪も覚悟しておきなさい」
「う、うう、うぅ……!」
ウェスターは小さく泣き声を上げ、がっくりと地面に手を突いた。パトリシアはそのまま背を向けて、安心瓶にバルトアンデルスの破片を集める作業に戻る。
キャロルはもう話は終わりといわんばかりに、ノエルと会話に移っていた。
「疲れたわねぇ」「そうですか」「熱いコーヒーを飲みたいわ」「そうですか」「だから返答に幅を持たせて」「はい、キャロル様」「もっと頑張りなさいな」「委細承知」
会話と言うより、キャロルが一方的にノエルに言葉を浴びせているような状況だった。
ドロッセルは視線を移した。
「僕……僕は……」
涙を零すウェスターの姿を、ドロッセルはじっと見つめる。
ウェスターに好感情など持ってない。けれどもどうしてか、爽快感はなかった。
「……あまり厳しくしないでやって欲しい」
だから破片を集めるパトリシアに、そっと耳打った。
パトリシアは驚いたように目を見開き、まじまじとドロッセルを見下ろした。
「貴女……ウェスターにはさんざんいじめられていたでしょう? それにメイクピースの事件でも、貴女は危うくウェスターに――」
「……許せないと思っているよ。願わくばこれ以上関わりたくない」
ドロッセルはワインレッドのコートの襟を立て、ちらりとウェスターを見る。
「でもメイクピースの事件では、彼は恐喝されていた。それに家の事情で追い詰められていたところもあるようだし……」
「ドロッセル……」
「正直、よくわからない。許せないし、憎い。でも、同情しているところもある」
ドロッセルは首を振り、視線を落とす。
ウェスターをいまだに許せないと思っている。彼が自分に行った嫌がらせ、ひどい罵倒の言葉、全て鮮明に覚えている。その時の悲しさも悔しさも、全て。
けれども、ウェスターも追い詰められていた。
「わからない……異端免許を剥奪して、無期限魔術禁止にすれば、もうウェスターと顔を合わせる機会もなくなると思う……だけど、なんだか悪い感情が残りそうで」
自分も、ウェスターと同じになるのではないか。
ウェスターを追い詰めた側に回ってしまうのではないか。
そしてそんな思いを、これからずっと抱えこむ事になってしまうのではないか。
――そんな奇妙な恐れが、しこりのように胸に残っている。
ぐちゃぐちゃの感情を吐き出すように、ドロッセルは深くため息をつく。
「ウェスターのためじゃない……全部、私のためでしかないと思う。けれど――」
パトリシアはじっと黙っている。
ノエルと同じように静かに自分の言葉を聞いてくれる彼女の佇まいが、混乱した頭を鎮めてくれるように思えた。
ドロッセルはもう一度、ふっと息を吐く。そしてうなずいた。
「――クリスマスは愛と寛容の季節だ。少し容赦してあげても良いと思う」
「……いいの?」
「わからない。でも、こういう嫌な感情をずっと持ち続けていたくない。どこかで区切りをつけなきゃいけない。――だから、いいよ。無期限魔術禁止はやめてあげてほしい」
パトリシアはしばらく黙っていた。
薄らいだ霧の向こうから、異界の月光が降り注ぐ。水面から差し込むような青い光に照らされて、その銀の髪がきらきらと煌めいた。
「……わかったわ」
パトリシアはうなずき、安心瓶を鞄に片付けた。
そしてじっと見つめるドロッセルに、一瞬だけ唇の端を上げてみせた。
「キーンのこと、エッジワースには私から取りなしてあげる。――優しいのね、ドロッセル」
「違うよ。全部、自分のためでしかない」
「いいえ。優しいわ」
パトリシアは首を振り、月を見上げた。
異界の月には顔がある。
不気味な無表情で見下ろしてくるそれに、意思があるかどうかはわかってない。
「私は、人に優しくするのが苦手だから」
その月をじっと見つめるパトリシアの横顔は、どこか穏やかに見えた。
ノエルの無表情は感情の希薄さ故のもの。パトリシアのそれは、ただ感情の発露を苦手とするが故のものだとドロッセルは思う。
ドロッセルは同じように月を見上げて、そっと微笑んだ。
「トリッシュは優しいよ、すごく」
「…………いいえ。私は冷たい人間よ」
押し殺した声に、ドロッセルは目を見開く。
パトリシアはドロッセルの肩にそっと手を置き、その場を離れた。
彼女の表情をうかがう事は、できなかった。
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