4.変幻自在、千変万化、怜悧狡猾
銃声。
ゆらりとノエルの体が揺れ、よろめくようにして後ずさった。
ノエルがわずかに顔を強張らせ、己の胸元を見る。そこには銃痕が穿たれ、人形の疑似血液ではなく黒い霧状のものが細く棚引いていた。
「――何故、わかったという顔をしているな?」
銃口をノエルに向けたまま、ドロッセルは黄金の瞳を細めた。
「理由は単純だ。言葉の違和感――ノエルは確かに丁寧だ。けれども、完璧じゃないんだ」
ノエルは丁寧な従者ではある。
けれども、決して完璧ではない。感情が希薄であるが故に、細かな機敏には疎い。言葉使いも慇懃ではあるが、素っ気なく感じる受け答えをする事も多い。
「それと、気配かな」
ドロッセルは肩をすくめ、新たな弾丸を装填する。
「なんだか、いつもよりもやかましいんだ」
「――ひひ、」
ノエルが――ノエルの顔をしたバルトアンデルスが、唇を引きつらせて笑った。
ドロッセルは引き金を引く。
しかし異形は一瞬で身をひるがえして弾丸を回避。またたく間にその両手に双剣を生じさせ、ドロッセルめがけて斬りかかってきた。
「ちっ――!」
ドロッセルは舌打ちし、大きく後退する。
刃がそれまでドロッセルがいた場所を薙ぎ払った。
躱しきれなかった斬撃が頬を掠める。鮮血が肌を濡らすのを感じつつ、ドロッセルは左手に嵌めたマギグラフに意識を向ける。
「【
極めて単純な目眩ましの魔術。
それはオートマタを介さずとも発動が容易で、さらに異形の視界を一時的に奪う効果を持つ。
マギグラフのクォーツが強烈な白光を放った。
顔を覆い、大きくふらつくバルトアンデルスからドロッセルは距離をとる。
拳銃をホルスターに納め、銀符をさらにマギグラフのスロットに叩き込んだ。
「【
マギグラフから放たれた巨大な火球はまっしぐらにバルトアンデルスへと飛んだ。
しかし異形は青い瞳で火球を捉え、大きく跳んでそれを回避する。そうしてそのままガス灯の上に着地し、そこにしゃがみこんだ。
「ひひっ……!」
また唇を歪ませ、下卑た声で笑う。ノエルの顔で。
「やりづらいな……!」
ドロッセルは唸り、立て続けに大火球を放った。
バルトアンデルスはガス灯を蹴り、大きく空中に身を躍らせた。
石畳に影が落ちる。
そのまま着地と同時に、異形がドロッセルに向かって疾駆。一息に大火球を放てばドロッセル自身も巻き込まれる距離まで詰める。
銀符を差し替える隙はない。
ドロッセルは金の瞳を見開き、舞うように迫る刃の軌跡を必死で探る。
一撃目――首を狙う斬撃は後退。
二撃目――代わって掬い上げるようにして迫る斬撃も横に回避。三撃目――振り下ろされる刃は銃を抜き撃ち逸らす。
強い。
そして速い。
逃げ切れる気がしない。
夜間視力と動体視力に優れた夜光眼の持ち主でなければ、ドロッセルは間違いなくまたたく間に細切れにされていただろう。
バルトアンデルスの能力はオリジナルよりも劣るという。
つまり本物のノエルはこれ以上に強いのだ。ドロッセルは改めて自分の従者の力を思い知りながら、必死で刃の嵐をかいくぐっていた。
後退した直後、背中が堅いものに触れた。
振り返ったドロッセルの目に映ったのは、ローマ時代に築かれた古い壁。
「しまった――!」
退路を塞がれたドロッセルの視界に、双つの剣が煌いた。
ノエルと同じ顔をした異形が、ありえない表情で迫ってくる。青い瞳が異形の狂気に光る。歪んだ唇が「ひひ」と不気味な笑い声を立てる。
風を切り裂き、白い首筋に刃が迫る。
「――【
瞬間、金属音が響いた。
バルトアンデルスの顔に驚愕の表情が浮かぶ。
異形の剣は、確かにドロッセルの首筋に叩き込まれていた。
しかし、刃は紙一重のところで防がれている――硬化したコートの襟によって。
耳元で、巨大な肉食獣に似た唸り声が響く。
「……よし。いいぞ、ベルベット。初めてにしては悪くない」
刃と布がギリギリと耳障りな音を立てるのを聞きつつ、ドロッセルは引きつった顔で笑う。
バルトアンデルスは目を細め、反対の刃を振り上げた。
「問題はこの一撃も防げるか、だが――」
その時、視界の端で何かが青く光った。
バルトアンデルスが大きく目を見開き、とっさにその方向に向かって刃を払う。しかし青い光――飛来した霊糸が剣と腕とに絡みつき、ぎりぎりと締め上げる。
生じた隙を突き、ドロッセルはバルトアンデルスに向かって全弾打ち込んだ。
この世のものとは思えぬ甲高い悲鳴があがる。
大きくよろめくバルトアンデルスから離れ、ドロッセルはちらっと霊糸の伸びる先を見る。
「……すまない、キャロル」
「しっかりしなさいよ、ドロッセル」
キャロルは肩をすくめる。
左手から伸びる無数の霊糸が、異形の腕を拘束していた。
「そのコートが、前から作ってた新しいオートマタ?」
「そうだ。まだ少し調整が必要だが……これが、私の新しいオートマタ」
ドロッセルはキャロルの近くに立ち、そっと自分が着ているコートの袖を撫でた。
ぐるぐると甘えるような声とともに、コートの裾がざわざわと揺れる。
「目録三番――ベルベット。疑似経絡を縫い込んだコートを器体とするオートマタだ。オラクルレンズは搭載せず、人形師の補助を念頭に置いている」
「ふぅん……ま、すごいんじゃない? あたしは傀儡専門だしよくわからないけど」
ぎしぎしと嫌な音が響いた。
見れば、バルトアンデルスは無理やり霊糸の拘束を解こうともがいていた。その腕に糸が食い込み、人形の霊媒血液には似ても似つかぬ黒い体液を零していた。
「さて……ちゃっちゃと片付けましょ」
キャロルの右手が、指揮者のように優雅に揺らめく。
「傀儡ヴェンデッタ――此処に在れ」
キャロルの背後で一瞬、半透明のヴェールのようなものが揺れた。
それがひるがえった直後、そこにはすでにキャロルの傀儡――ヴェンデッタの姿があった。狐面の道化師は両腕を交差し、じっと待機している。
「ひひ……!」
バルトアンデルスが不気味な声を上げ、拘束された手を激しく振るった。
キャロルは表情も変えず、あっさりとその腕に絡みつく霊糸を解いた。そして自分めがけて迫り来る異形を前に、両手の指をぴんと伸ばす。
「霊糸接続――傀儡起動」
幾百もの霊糸がその指から紡がれ、背後で待機するヴェンデッタに絡みついた。
狐面の眼窩に青白い炎が点る。
「――ヴェンデッタ、
金属音と共に、火花が散った。バルトアンデルスがキャロルに向かって繰り出した斬撃は、ヴェンデッタの鉤爪によって阻まれた。
ぎりぎりと刃の噛み合う嫌な音が響く。
バルトアンデルスは目を細め、唇を歪めた。
その顔面に向かって、ヴェンデッタは哄笑とともに青白い火を吐く。
耳障りな悲鳴が響く。顔から黒い煙を上げて、バルトアンデルスがふらつくように後退した。
その輪郭が揺らぎ、溶けるように形を失っていく。
「気をつけなさい。心を読んで形態を変えるつもりよ」
キャロルが構える。
霊糸が揺らめく。
その動きに合わせ、ヴェンデッタは鉤爪をゆらりと異形に向けた。
「ちょうどいい。あの姿はどうにもやりづらかったからな……!」
マギグラフに銀符を叩き込み、ドロッセルは唇を吊り上げる。
バルトアンデルスはノエルの姿を失い、代わって真の姿を現した。様々な色に変化する霧の中に、無数の眼球がまるで水に浮かぶ気泡の如く揺れている。
ぎょろぎょろと動き回る眼球が、ドロッセルとキャロルとを見つめる。
「変身にはタイムラグがある! その隙を突いて攻撃して!」
「変身されたらどうするんだ!」
ドロッセルは怒鳴りながら、バルトアンデルスに向かって大火球を放つ。
火球が霧を照らす。じゅうっと肉を焼くような音とともに嫌なにおいがあたりに漂う。引きつったような悲鳴が響き、ざわざわと霧が揺れた。
「ともかく攻撃なさい! あんたが殴りづらい姿になったらあたしが代わりに殴る!」
「わかりやすい……! 【
どうやらバルトアンデルスは熱を嫌うらしい。
ドロッセルが再び放った大火球を、バルトアンデルスはシュッと霧を収束させて躱した。
続けてヴェンデッタが鉤爪を振りかざし突進。
霊気を漲らせた鉤爪は、どう見ても霧にしか見えないその姿を一息に切り裂いた。再び甲高い悲鳴がどこからか響き、眼球が混乱したようにより激しく動く。
しかし、霧が複雑な光を放ち始めた。
「変身する! 一体何になるんだ……!」
人が攻撃しづらい姿になるというバルトアンデルス。
一体、何になるのか。
恐れるもの、愛するもの――様々なものがドロッセルの脳裏によぎる。
ベルベットが耳元で唸る。
いかにも勇ましい様子だが、彼はまだ調整不足。果たして機能を発揮できるのか。
明滅する霧が渦を巻き、一つの影を形成する。
そして現われたその姿。
優美に結い上げた亜麻色の髪。オリーブ色の瞳。地中海の美を湛えたその容貌。
黒いウールのコートに身を包んだ絶妙なプロポーション。
「……ん?」
見覚えのありすぎる姿にドロッセルは一瞬、面食らった。
一方のキャロルは両手で口元を押さえ、よろけるようにして下がった。
「なんてこと……!」
「――ひひっ」
バルトアンデルスは――キャロルの姿になったバルトアンデルスは、唇を歪めて笑った。
キャロルは呆然と、自分の顔で笑う異形を見つめた。
「大変よ、世界で一番美しい異形が生まれてしまったわ!」
「ふざけるな! どっちだ! 一番恐ろしいのが自分か、一番愛しているのが自分か!」
「両方ッ! あたし最高ッ!」
けたたましい声で笑いながら、キャロルは両手を払った。
まったく同時に、バルトアンデルスも同じ所作をする。赤の霊糸が闇に揺れた。薄く漂う霧の中から偽物のヴェンデッタが現われ、キャロルのそれとぶつかり合った。
石畳に、二人の傀儡師の影が舞い踊る。
二対の鉤爪が火花を散らし、青白い火が放たれ、派手なマントがくるりくるりと翻る。一見するとまったく同じ傀儡。まったく同じ使い手。
しかし、その違いはすぐに現われた。
「ぬるいぬるいぬるいッ! ショーの前座にもなりゃしないッ!」
キャロルの高笑いとともに、ヴェンデッタが異形の傀儡を弾き飛ばした。
ヴェンデッタのマントがふわりと舞う。直後めきめきと異様な音を立てて、折りたたまれていたもう一対の機械腕がマントの下から現われた。
その手には、それぞれカービン銃が。
「
さながら引き金を引くように、キャロルの指がくっと折り曲げられた。
立て続けに二丁のカービン銃が火を噴く。
弾雨は情け容赦なく、体勢を立て直そうとしていた異形の傀儡に無数の穴が穿たれた。
足の関節が撃ち抜かれ、傀儡は惨めな道化のように地面に倒れ込む。
バルトアンデルスが鋭い歯を剥き出し、唸った。
そのの手が大きく振り回され、赤い霊糸を無数に放つ。
異形の傀儡が跳ね起きた。それは耳障りな音を立て、あちこちの関節を破損しながら、無茶苦茶な挙動でヴェンデッタへと襲いかかった。
「形を真似ても所詮は異形! あたしの美と才覚を何一つ再現できてないじゃない!」
「ええい、本当に人生が楽しそうな奴だな! とりあえずいったんヴェンデッタをさげろ!」
キャロルの傲慢に呆れと感心を覚えつつ、ドロッセルは叫ぶ。
異形の傀儡をいとも簡単に吹き飛ばし、キャロルはにっとドロッセルに向かって笑った。その霊糸に従ってヴェンデッタは大きく跳ね、回転しながら後方へ。
「【
地面に左手を突く。
途端その場に赤い光の線が刻まれ、そこから炎の波が生じた。それは跳躍していた傀儡を一瞬で霧散させ、またたく間にバルトアンデルスを呑み込んだ。
凄絶な悲鳴が耳をつんざいた。
炎の中で消えていく異形を見ながら、ドロッセルは左手を軽く握りしめた。
「……まだ、痛くない。補助機能に問題はないようだな、ベルベット」
どこか満足げな唸り声と共に、コートの襟が揺れる。
ベルベットはオラクルレンズを搭載していない。
代わりに、通常の数倍の量の疑似経絡を器体となるコートの布地に通してある。さらに各所のボタンにも、術士の負担を和らげるための加工が施した。
これらの細工でドロッセルの左腕への負荷を軽減するのが、ベルベットの用途の一つだ。
とはいえ、負荷を完全に無くすことはできない。
無理をすれば、きっとまた傷が痛み出すだろう。ドロッセルはじっと左手を見つめた。
「あのさ……」
傍に立ったキャロルがおずおずといった様子で声を掛けてきた。
どこか微妙そうな顔で、燃えるバルトアンデルスとドロッセルとを交互に見つめている。
「異形とはいえ、仮にもあたしの顔にちょっと容赦がないような」
「バカを言うな。油断がならない異形だぞ」
「そりゃそうだけどね。こいつはまともにやり合おうとする方が間違いなのよ――っと」
炎が揺らぎ、消える。
そこには、すでに変身を終えたバルトアンデルスが立っていた。
二人の人間――いや、一人の人間と一体の人形の姿。人間は品の良い髪型に銀縁眼鏡をした紳士、人形は緑のドレスに身を包んだ妖艶な女。
「アーネスト・メイクピースとエスメラルダ……!」
ドロッセルの背筋に冷や汗が滲む。
アーネストの姿のバルトアンデルスは、優雅に微笑んだ。
恐らく読み取られたのは、自分の恐れだ。自分は未だ、あの男に恐怖している。
ブラウスを切り裂かれ、胸まで抉られそうになった記憶を思い出す。
迫り来る人造触手の影――それが空を切る音が耳に蘇る。
「……大丈夫?」
キャロルがちら、と視線を向けてきた。
「平気だ……私は戦える!」
震える声で答え、ドロッセルはマギグラフを嵌めた左手を握る。
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