2.水滴を辿るように

 箱型馬車の扉を開けると、しんしんと冷えた空気が肌を刺した。


「……やっぱり、寒いな」


 ほうと息を吐くと、先に降りたノエルが黙って手を差し伸べてきた。

 その手を取り、ドロッセルは石畳に降りた。

 ワインレッドのコートの襟を立て、わずかに身震いする。その足下に軽やかにトム=ナインが降り立ち、地面の冷たさに悲鳴のような声を上げた。


「さすがに冷えるな。帰ったら温かい紅茶を飲もう。キャロルはどうだ?」

「あたしはとっとと帰るわ。残業しない主義なの」


 ノエルに手を借りつつ馬車から降り、キャロルはさっぱりと答えた。

 最後に降りたのはパトリシアだった。ノエルの手を取って石畳に降りた彼女は、そのアイスブルーの瞳でざっと辺りの様子をうかがった。


「……行きましょう。ここからは少しだけ歩くわ」


 パトリシアに促され、三人と一匹は馬車を背にして歩き出した。

 整然と並ぶガス灯の下を、ロンドン塔の方角に向かって歩く。オレンジ色の明かりの中にそれぞれの影が浮かび、石畳の上でどんどんと伸びていった。

 街の喧騒もこの時間になれば少し落ち着きを見せる。馬車の音や人々の声がどこからかかすかに聞こえるものの、ほとんど人通りはない。

 不意に、先導していたパトリシアが足を止めた。


「この先からよ。例の、奇妙なものの目撃が多発するのは」

「ほとんどシティじゃないか……」


 辺りを見回し、ドロッセルは驚く。

 そこはまさにロンドンの中心――シティ・オブ・ロンドンと呼ばれる場所だ。無数の銀行や証券取引所が存在するこの場所は、十九世紀の世界経済の中枢ともいえる。

 四人が今いる場所はその外れに位置する。

 それでも周囲に並ぶ建物は壮麗で、重厚な白亜の佇まいに圧倒される。

 そしてほんの少し視線を上げれば、無数の塔を従えた建造物の影が見えた。

 恐らくあれがロンドン塔だ。

 物々しいその佇まいに、ドロッセルはふと首をひねった。


「ロンドン塔の近くではある。けれども、こうして見ると少し離れているな……」

「そうね。でも、あの城塞の影響はここにも及んでいるわ」


 物憂げな顔で、パトリシアがロンドン塔の方角を見やる。

 ドロッセルは表情を引き締め、改めてマギグラフの具合を調整した。ついで、腰のホルスターに提げたピストルや、準備してきた品々を念入りに確認する。


「スカボロー・フェアは? 持ってきた?」

「ああ、ちゃんと持ってきた」


 問いかけるキャロルにドロッセルはうなずき、腰に手を伸ばす。様々な道具を吊り下げたベルトから、金属瓶を一つ取り外した。


「スカボロー・フェア?」


 傍に立つノエルが無表情のまま首を傾げた。

 ドロッセルは彼に見えるように、金属瓶を小さく揺らしてみせた。


「霊薬の一つだ。軽度の精神汚染を治療することができる」


 材料はパセリ、セージ、ローズマリーにタイム。これらの粉末を薬酒といくつかの蜜で練り、その他いくつかの工程を経て、この丸薬は作られる。

 このレシピは、古くからイングランドの魔術師に伝えられているものらしい。


「イギリスの人形師は皆、魔術を教えられるようになったらすぐにこの薬のレシピを教わる。昔からある薬で、これの調合法を元にした歌もあるんだ」

「似たような薬は各地にあるけどさ。これが一番簡単だし、効くのよね」


 キャロルがうなずき、コートのポケットを押さえた。恐らく、彼女はそこにスカボロー・フェアの瓶を入れているのだろう。

 その隣で、パトリシアが制服のベルトから四角い箱型の物を取り外した。

 黒革に金属フレーム、表面の硝子板――オートマタ収蔵用のケースだ。

 ドロッセルの持つものとは異なり、パトリシアの持つそれには背面にバックヤードの紋章のレリーフがついていた。硝子板の表面を撫で、パトリシアは口を開く。


「【召喚summon】パトリシア・ハーヴェイの目録から、一番を選択」


 呪術的な指示を受け、内部の歯車群が回転する。

 十二宮を模った模様が回り、生命の樹を意味する回路に淡い光が走る。


「――おいで、ルーカス」


 囁きとともに、ケースが開放された。

 青白い光と共に現われたのは、黒い犬の人形だった。

 それは同じ動物型のトム=ナインと異なり、より機械的な外観をしている。黒い合成皮革がそのしなやかな痩躯を覆い、スコープ型の瞳が青い燐光を放っていた。

 オートマタ――ルーカスは緩く首を振り、鞭のような尾をしならせた。

 すかさずトム=ナインが走り出で、背中の毛を逆立てて威嚇する。しかしルーカスはそんな猫を前足でひょいとどかし、パトリシアの前に立った。


「ルーカス、頼んだわよ」


 優しくパトリシアが声を掛けると、ルーカスは凜々しく吠えた。

 一方のトム=ナインは相手にもされなかった事がよほど堪えたらしい。耳をぺたりと寝かせて、しょんぼりとした様子で帰ってきた。


「ハウンドMK―4シリーズ……バックヤード制式のオートマタだな」


 落ち込んだ猫を抱え上げつつ、ドロッセルはルーカスを見る。


「えぇ、最近採用されたのだけれどなかなかの名作よ。私もいくらか手を加えたけど、基本的な機能が整っているの。それに主人に忠実で勇敢」

 パトリシアはうなずき、待機するルーカスの背中をそっと撫でた。

「さぁ、ルーカス。――霊探を」


 ルーカスは吠え、歩き出した。地面や空中に鼻先を向け、においを嗅ぐようなそぶりを見せる。周辺に残った霊気の痕跡を探っているのだ。

 その様子を見つつ、ドロッセルはなおも落ち込んでいるトム=ナインを石畳に降ろした。

「トム、お前はどうだ? 何か感じるか?」


 トム=ナインにも簡単な霊探は搭載されている。

 その機能は、恐らく新型の上にパトリシアによって改良されているルーカスには劣るだろう。

 しかし、この猫はイギリス最高の人形師ラングレーに手を加えられている。

 ドロッセルの呼びかけに、トム=ナインは耳をぴんと立てた。

 そしてひげをぴくぴくと動かしながら、ルーカスに続いて歩き出す。一行は機械仕掛けの犬と猫とに続いて行くこととなった。


「認めたくないけど人形ってのは便利ねぇ……」


 沈黙の中、キャロルがぽつりと言った。

 どうやら、ずっと黙っているのが退屈で仕方がないらしい。髪をくるくるといじくりながら、彼女はドロッセルに話しかけてきた。


「前から気になってたんだけどさ。あんた達、魔術をどんな感じで使ってんの?」

「どんな感じ……と言われてもなぁ」


 あまりにも直球な質問にドロッセルは面食らう。

 キャロルは髪をいじっていた指をすうっと宙に滑らせた。

 その指先が、蛍火にも似た光を放つ。

 光の軌跡はそのまま細い霊糸となり、キャロルの指先から闇へと紡ぎ出された。


「あたしはこうして霊気で糸を紡いで、物を動かす事しかできない。でも、あんた達人形師は同じ霊気でもっといろんな事ができる。――どんな感覚で霊気を使ってるのかなって」


 紡いだ霊糸であやとりを始めつつ、キャロルは言った。

 ドロッセルは頭を絞り、グレースから教えられた話を思い出す。


「……私は先生に『頭の中に工場があると思え』とよく教えられた」

「工場?」

「ああ。魔術はいわば霊気で組み上げられたパズル――あるいは機械だ。魔術師というのは、頭の中にそれを組み立てる工場を持った異端者なんだ」


 ドロッセルはグレースの言葉を反芻しながら語った。

 師によると、工場の規模や性能は術師の経験や才覚によって左右されるという。


「例えば現在の魔術師達は、機械の組立ができてもそれを客に届けることができない。そして、組み立てたものも細部のネジの締まりが甘かったりする」

「それを補助するのが人形――ということね」

「そうだ。人形によって機械を調整し、梱包し、客に届けるわけだ」

「ふぅん……この場合の消費者ってのは?」

「魔術を使う対象だ。開かない鍵、あるいは武器を持った敵だな。人形師はそういうものをどうにかするために、頭の中にある工場で霊気の機械を組み上げているんだ」


 言いながら、ふとノエルの忌能を思い出した。

 ノエルの忌能――【傷】の忌能は、対象に霊気の傷を刻み込む能力だ。

 その能力は、魔術にも及ぶ。

 ノエルは恐らく、霊気で組み上げられた機械ともいえる魔術をなんらかの方法で知覚している。そしてその弱点を見抜いた上で傷を刻み、破壊しているのだろう。

 一体彼の目には、魔術はどう映っているのか。

 急に好奇心が湧き出し、ドロッセルはノエルを見上げた。

 しかし口を開くよりも早く、キャロルが彼に話しかけた。


「ねぇ、ノエル。あんたもトムとかルーカスみたいなオートマタでしょ?」

「……私はレプリカです。厳密には違う存在かと」

「中身が人造の魂か死者の魂かって違いでしょ。まぁそこはどうでもいいのよ」


 淡々と答えるノエルに、キャロルはあっさりと肩をすくめた。

 彼女の『どうでもいい』の基準が時々ドロッセルにはよくわからない。ノエルの正体が反逆の騎士モードレッドだと聞いた時も、彼女はこの一言で済ませた。

 器が大きいのか、ただ面倒くさがりなのか。


「あんたってあの人形達みたいに、霊気の痕跡を探ったりとかできないの?」


 ドロッセルが考え込んでいるうちに、当のキャロルは別の質問をノエルに投げかけていた。

 ノエルはわずかに首を傾げ、無言であたりを見回した。

 どうやら、トム=ナイン達のように霊気の痕跡を探れるか確かめているようだ。

 しばらくしてノエルは首を振り、キャロルに頭を下げた。


「……私には探知できないようです。申し訳ございません」

「別に謝らなくても良いわよ。人には向き不向きってのはあるものなんだから。――ただ、あんたって霊気の傷をつけて、魔術を壊したりできるんでしょう?」

「はい」


 機械的にうなずくノエルを、髪をいじりながらキャロルは見上げた。


「つまり魔術っていう霊気のからくりは見えてるのよね。……どんな風に見えているの?」

「ああ……それは私も気になっていた」


 ちょうど先ほどたずねようと思っていたドロッセルはうなずく。

 ノエルは唇に触れながら、しばらく考え込んだ。


「――透き通った……様々な色彩の、模様の群れ」

「模様の群れ……」


 訥々としたノエルの言葉を受け、ドロッセルは想像してみる。銀符に書き込んでいる紋様や、あるいは儀式に用いる魔法陣のようなものだろうか。

 ノエルは手を伸ばし、夜風を辿るようにして指先を滑らせた。


「それらが、押し寄せてくる……波のように、渦のように」


 白手袋を嵌めた手が揺らめき、指先が踊る。

 ドロッセルは一瞬、まるで舞い踊るようなその動きに見とれた。

 それは、彼が捉えているという模様の動きを表わしたものなのか。闇に向けられたノエルの目に映る世界は、ドロッセルには想像もつかない。

 ノエルはしばらくそうして手を揺らめかせていたが、やがてゆっくりと降ろした。


「――それが、私が見ているものです」

「なんか詩的ねぇ」


 キャロルはため息をつき、そして片眉を上げた。


「……そこまで見えてるんなら、やっぱり痕跡をたどれそうなものだけど」

「――魔術を知覚するのと、痕跡を探るのとではまたやり方が違うんじゃないかしら」


 先を歩いていたパトリシアが速度を緩め、三人に並ぶ。


「私のルーカスには、霊気を探知するために専用の機械が搭載してあるの」


 パトリシアは先導するルーカスを手で示し、肩をすくめて見せた。


「霊気の痕跡というのは、魔術などの残滓よ。それを辿るというのは、地面に落ちた水滴を探すようなもの。人形なら、霊探を積んでいなければ至難の業よ」

「そしてノエルは死者を元にしたレプリカだ」


 ドロッセルは腕を組み、以前ヒラリーから聞いた言葉を思い出す。


「ヒラリーが言っていたが……レプリカは恐らく、改造が効かない存在だ。可能な限り人体に寄せなければ、暴走の危険があるからな」


 人と機械。人形と異形――レプリカは、それらの狭間にある存在だ。

 その存在は危うく、少しでも揺らぎがあれば、たちまち暴走を引き起こす可能性がある。

 故にレプリカの器体は、人体に限りなく近づけなければならない。

 ――そんなヒラリーの考察を思い出しつつ、ドロッセルはノエルの姿を見上げる。


「レプリカには、人間の体に最初から備わっていないものは組み込めない。……だから、ノエルの器体には霊探は搭載されていないんだ」

「ふぅん……じゃ、霊気の探知は出来ないってことね」


 キャロルは腕を組み、なにやら考え込んでいる様子でノエルを見上げた。

 ノエルはノエルで、静かにキャロルを見下ろす。


「でも、できそうな気がするんだけどねぇ……少なくともあたしはできると思う」

「そうですか」

「というか、あたし的に見てあんたはもっといろんな事ができそう」

「そうですか」

「まずはもっと回答のバリエーションを増やしたら?」

「そ――はい、キャロル様」


 その時、ルーカスが一声吠えた。

 鞭のような尾をしならせ、犬は駆け出す。続いてトム=ナインもその後を追った。


「ルーカスとトムが何か見つけたわ!」


 パトリシアが鋭い声を上げる。

 一気に緊張が高まった。

 ドロッセルとパトリシアは武器を手に、それぞれのオートマタを追った。キャロルとノエルもそれに続く。

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