Ⅱ.君は霧に何を見る

1.人形師と傀儡師

 傀儡師は非常にプライドが高い。

 霊糸によりあらゆる物体を動かすことができる彼らは、異端者の中でも異質な存在だ。人形師をガラクタ使いと嘲笑い、人狼をけだものと罵倒し、魔女に唾を吐く。

 傀儡師は、己を異端の王と称す。

 その高すぎるプライドは傀儡師最大の短所であり、長所でもあった。

 傀儡師は決して、己を安売りしない。

 特に仕事屋の傀儡師は恐ろしく高い報酬を要求する。かつては傀儡師を一人雇う金で、人形師を十人雇えるとまで言われたらしい。

 しかし、傀儡師はその報酬以上の働きをすることを旨としている。

 彼らは生きる為に仕事を受けるのではない。

 誇りに見合うだけの実力を持つことを自他に示すため、傀儡師は仕事を受ける。

 ――そんな話を、ドロッセルはキャロルを見ていて思い出した。


「依頼の内容、確かに承りました」


 時は夕方、ところはマイヤー人形工房。

 バックヤードから迎えにきたパトリシアに、キャロルは契約の証の礼をしていた。優雅に両手を広げるその礼は、傀儡師が契約の際にするものらしい。

 すでにキャロルは外出の用意を調え、首元に毛皮の飾りのついたコートを身に纏っている。

 キャロルは慇懃に礼を保ったまま、言葉を続けた。


「誇り高き傀儡師キャロライン・ヴィットーリア・フォルトゥナート。我が才と技と糸にかけ、この使命を完遂いたしましょう。――例え国家の犬が相手でも」


 最後の嫌みに、思わずドロッセルは支度の手を止めた。

 傍ではノエルが黙々と、トム=ナインを相手に猫じゃらしを単調に振り続けている。床に寝そべったトム=ナインは適当に前足を繰り出し、それに応えていた。


「受けてくれるのね」


 玄関に立つパトリシアはキャロルの礼に、警察式の敬礼でもって返した。

 キャロルは姿勢を正し、小さく鼻を鳴らす。


「受けるわ。おまわりは嫌いだけど、金は好きだもの。それに今日は一日店にこもりきりだったし。たまには外の空気吸わないとね。――さてと」


 キャロルは一旦その場を離れると、レジカウンターの上から封筒をとった。傀儡師がよく使う蜘蛛の巣状の模様が記されたそれには、赤い封蝋で封がされている。

 キャロルはその封筒を、パトリシアに突き出した。


「ほら。中にサインした契約書が入ってる。それと念書」

「念書? なんだそれは」


 封筒を開けるパトリシアを横目に、ドロッセルは眉をひそめた。


「バックヤードから私への念書よ。契約書に記載した報酬を必ず支払うって約束してもらうの。あんたの名前でいいからサインして」

「用心深いのね、傀儡師というのは」


 パトリシアは肩をすくめると、ポケットからペンをとりだした。


「国家ってものはタチの悪い嘘つきだからね。……で? もちろん迎えの馬車はあるのよね?」

「おい、キャロル。いくらなんでも言葉がすぎるぞ」


 あまりの言いように、さすがのドロッセルもたしなめる。すると、まるで悪戯を咎められた子供のように軽く舌を突き出し、キャロルはそっぽを向いた。

 その不遜な態度に、ドロッセルは再度注意しようと口を開きかける。

 しかし、念書にペンを走らせながらパトリシアが首を振った。


「構わないわ、ドロッセル。気にしないで」

「でも……」


 ドロッセルは戸惑う。

 パトリシアは顔を上げ、一瞬だけ唇に微笑を浮かべた。


「警察に対してこの程度の嫌味はよくあるわ。むしろ他に比べて可愛いものよ。――ほら、サインしたわ。これで十分でしょう?」


 パトリシアは念書をキャロルに渡した。オリーブ色の瞳を細め、キャロルは舐めるように念書に記されたパトリシアのサインを確認する。


「……いいわ。これで契約は成された。ちゃんと満額払ってもらうわよ」

「勿論。――馬車は外に待たせてあるわ。行きましょう」

「あ、ああ……」


 パトリシアは踵を返した。店を出る彼女の後ろに、不機嫌そうなキャロルが続く。

 ドロッセルは呆然とパトリシアの姿を見送る。

 バックヤードに対する異端者達の感情は知っている。

 初め異端者達は、バックヤードを新たな異端審問官として憎悪を向けた。

 しかし今ではその憎悪は幾分か和らぎ、異端者達の間にはバックヤードに対する信頼も芽生えつつある。

 異端免許発行にバックヤードが関わっていることもその表れだ。

 それでも、未だ強い警戒を抱くものも少なくない。

 そもそもこの国では、警察――国家の息のかかった治安維持組織に対する警戒心が強いのだ。

 常人の警察官が銃で武装することさえ論争になるこの時代。

 異端者の警察であるバックヤードに対する視線は、より厳しいものがあるだろう。

 黒い制服に包まれたパトリシアの背中は細い。

 彼女は一体どれほどの敵意や不信の目を、その背に受けてきたのだろう。


「……お嬢様」


 ノエルの囁きに、ドロッセルは我に返った。


「あ、ああ。すまないな。ちょっとぼうっとしていた。私達も――」

「キャロル様は、警察となにかあったのですか?」


 小さな鞄の金具を留め、ドロッセルは顔を上げる。

 ノエルの目は、キャロル達の出ていった玄関を見つめていた。その瞳は、相変わらず青い硝子球のように感情の色というものがない。


「……私から見て、ですが。あまり警察に良い感情を抱いていないように思います」


 しかし訥々と紡がれる言葉から、ドロッセルは淡い困惑の念を読み取った。

 ドロッセルは緩く首を振り、左手に装着したマギグラフの具合を確認する。スロットが問題なく開閉するかを試しつつ、ドロッセルは肩をすくめた。


「キャロルのあれは、別に警察に限った話じゃない」


 言葉の意味がわからなかったのか、ノエルがわずかに首を傾げた。

 ドロッセルは顔を上げ、玄関を見つめた。


「彼女は元々、あまり人を信用しないんだ。人嫌いというわけではないようだが、初対面の相手には特に警戒心が強い。――彼女がこの店で働き出したのは三年前からだ。それ以前になにかあったのかもしれないが、私にはわからない」


 三年前――キャロルは、グレースに連れられて店に現われた。

 ドロッセルは当時十三歳。

 ようやくグレースの簡単な手伝いが出来るようになった頃だった。

 十六歳のキャロルは今と変わらず美しく、魅力的だった。


『ドロッセル。彼女はキャロライン・ヴィットーリア・フォルトゥナート。イタリア生まれの傀儡師だ。今日から店で働く』

はじめましてピアチェーレ


 澄ました顔で挨拶をされ、当時のドロッセルは縮み上がったものだ。

 まず、その美貌に気圧された。そうして、異国の人間である事に緊張した。

 なにより犯罪者の娘であるという自分の境遇のせいで、会話をすることさえ恐ろしかった。

 しかし、キャロルは当時から情け容赦がなかった。


『あんた、あのレイモンド・ラングレーの娘ってほんと?』


 流暢な英語でいきなり切り込まれた。


『こっちでも有名だったわ。マエストロ・ラングレー、救世主ラングレー。――ハッ、バカみたい。あんたも大変ね。親が狂ってると子供が苦労するんだもの』


 キャロルはそうまくしたて、目を白黒させるドロッセルを鼻で笑ったのだっだ。

 ――そんな初めて会ったときのことを思い出し、ドロッセルは苦笑した。


「はるばるイタリアからイギリスに渡ってきたんだ。多分その過程で、たくさんの苦労をしたんだと思う。金にがめついのもその影響かな……」

「ちょっと! 二人ともなにしてんの!」


 キャロルが玄関から顔を出し、不機嫌そうな顔で急き立ててくる。その向こうに、パトリシアの銀髪が見えた。どうやら二人を待たせてしまったらしい。


「すまない! ――行こう、ノエル。トリッシュはともかく、キャロルは怒らせると面倒だ」

「……承知いたしました、お嬢様」


 ノエルは恭しくドロッセルに一礼する。

 トム=ナインが立ち上がり、鳴き声を上げた。

 鞄を背負い、ワインレッドのコートを羽織って、ドロッセルは店を出た。

 外に出た瞬間、冷たい風が吹き付けてきた。


「ひっ……!」


 ドロッセルは思わず身を縮ませる。

 途端、耳元でぐるぐると唸り声が聞こえた。

 ドロッセルはそっと手を伸ばし、コートの襟をそっと撫でつけた。


「――っと。すまないな、いきなり寒いところに連れ出して」

「……なにか不具合でも?」


 淡泊にたずねるノエルに向かって、ドロッセルは笑顔で首を振った。


「いや、寒さにびっくりしただけみたいだ」


 ドロッセルは手を伸ばし、ワインレッドのコートの皺を撫でるようにして伸ばした。各所の金属部品が、氷のように冷たくなっている。

 耳元で響く唸り声はごろごろと喉を鳴らす音に変わり、やがて静かになった。


「……よし、もう大丈夫だ。さぁ、行こうか」

「はい、お嬢様」


 ノエルは無表情にうなずき、ドロッセルの後に続いた。

 夜風に、ドロッセルのコートがひるがえる。

 その裾を、トム=ナインがじっと見上げていた。

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