4.人形師は霊魂を象る

 ――夕方、マイヤー人形工房。

 その地下に存在する工房で、ドロッセルは演算機関と格闘していた。


「依頼の時間までに完成させて、調整を終わらせないと。ええと……」


 師匠であるグレースと共用している工房は、オートマタの作成に必要な設備が一通り揃っている上に、十分な広さを持っている。

 その空間の片隅は、演算機関が占領されていた。

 周囲を囲むように存在するその機械の見た目は、パイプオルガンに似ている。

 大きさは床から天井に達するほど。これでも小型の方らしい。

 表面には得体の知れない配管が這い回り、隙間からは大量の歯車が見える。

 そして三段にも渡る鍵盤を有していた。キーにはアルファベットや数字だけでなく、ルーン文字、ヘブライ文字、さらにはドロッセルもいまだ履修していない文字が記されている。


「えっと、この数値がこうで……基板を三の倍数に揃えて……」


 がうんがうんと響く蒸気機関の音を聞きつつ、ドロッセルは丸い金属製のキーを打つ。そして鍵盤脇のダイヤルを操作すると、急に演算機関が大きく震えた。


「うわっ、なんだ……?」


 爆発するのかとドロッセルは身構える。

 しかし演算機関はブーンと小さく唸り、そうして静かになっていた。ドロッセルは緊張を解き、頭上にずらりと並ぶメーター類を見上げた。


「ああ、水! 水が切れてる! ――ノエル、給水頼む!」

「承知いたしました」


 工房の入り口近くに控えていたノエルがうなずき、演算機関の貯水槽へと向かう。


「そこにいくつかタンクが並べてあるから! 全部入れてしまってくれ! ――ええと、どこまで入力したっけ」


 ドロッセルはがりがりと頭を掻きつつ、演算機関が印刷していた紙を破りとった。

 複雑怪奇な文字列がびっしりと記入されたそれを手に、設計書を記したノートを開いた。

 がしゃんとハンドルを動かす音が聞こえた。

 どうやらノエルが給水を終え、演算機関を起動したらしい。再び蒸気機関が唸りを上げ、巨大な鉄の装置がゆっくりと稼働を始めた。


「最終列まで入力は終わっている。よし、これで大丈夫だ」

「……人造霊魂の製造には、これほど大規模な設備が必要なのですか?」

「ん? ああ、一応演算機関なしでも、製造自体は出来るんだ」


 ドロッセルは答えつつ、大きな箱型のマギグラフを演算機関に接続した。

 これを接続することで、演算機関に銀符の読み込みが可能になる。最近の人形師用演算機関には、この機械が最初から組み込まれているらしい。


「だが、高度な霊魂を作ろうと思えば、恐ろしいほどの手間がかかる」


 箱を開くと、いくつかのダイヤルとともに銀符を複数セットできるホルダーがある。中央には、鈍い金色の円盤が嵌めこまれていた。

 流れるような手つきで、ドロッセルはそこに必要な銀符を差し込んだ。


「霊気の計算、四元素の塩梅、温度や湿度の調整、星の動きの再現……高度な人造霊魂ほど、膨大な計算や作業が必要になる。だから、こうして機械を使ってその手間を簡略化するんだ」


 言いながら、ドロッセルはいったん演算機関を離れた。

 作業机の紙箱からチョークを取りだし、銀の円筒形の容器に差し込む。

 それを手に向かうのは広場の先――あらゆる配線や金属管が集中する場所だ。そこには金属製の輪が据えられており、内側は石の床が剥き出しになっている。

 陣を書き込むための環だ。ドロッセルは環をまたぎ、地面にしゃがみ込んだ。


「……でも、こうして実際に陣を描くのは人の手じゃないといけない」


 円を描き、幾何学的な模様を記す。

 それは見た目のような単純な動作ではない。指先から銀の容器を伝って、チョークの線にわずかな霊気を流し込んでいる。

 必要な箇所に必要な分量・元素の霊気を――この加減は、演算機関にはできない。

 完成に近づくにつれ、陣はほのかに青白く輝いていった。


「――よし。陣は完成、演算機関も連結済み、銀符もセットした。今回は霊気を結晶させる形式ではなく、水晶に霊魂を導入する形式を取るから――」


 ドロッセルは魔法陣の上に手を伸ばした。天井に吊り下がった機械を引き下ろそうとしたのだが、わずかなところで届かない。


「しまった。ノエル、踏み台を――」


 ノエルはドロッセルの元に近づくと、難なく機械を掴んだ。


「……降ろせば良いのですか?」

「あ、うん……でも少し重いから、大変かもしれないけど――」


 ノエルは眉一つ動かさず、軽々と機械を引き下ろした。


「これで、問題ございませんか?」

「あ、うん……ありがとう」


 そういえばノエルも相当の怪力を持っていた。

 ドロッセルは少しどぎまぎしながら、機械に向き直る。

 無数の金属やらケーブルやらで形成されたそれは、機械仕掛けのシャンデリアを思わせる外観をしている。先端部分に据えられた金属製の爪に、ドロッセルは小さな円盤形の水晶をセットした。


「水晶も用意できた。――さて」


 ドロッセルは表情を引き締め、演算機関の元に戻った。

 そこには、ノエルが静かに控えている。

 その前を通り過ぎ、ドロッセルは先ほど接続した箱型マギグラフの前に立った。


「……これから目録三番――仮称【ベルベット】の人造霊魂製造を開始する」

「はい」


 ノエルが淡泊にうなずいた。

 まさか返事が返ってくるとは思わなかった。

 今のは、人形師にとってはお決まりの台詞だ。

 若干調子を乱されたような気がしたが、構わずドロッセルは手を伸ばす。

 箱型マギグラフの円盤に左掌を乗せ、目を閉じた。

 鳴り響く機械の音、蒸気の噴出音、歯車が噛み合う音――その中で、静かに深呼吸をする。


「【詠唱chant】――是より主を僭称する。御使い尽く目を閉ざせ」


 そっと囁き、掌からマギグラフの円盤へと冷気を流し込む。

 今までは、左手に痛みを感じながらの製造だった。そのせいで、ドロッセルは今まで複雑な人造霊魂を作り出すことができずにいた。

 しかし、今はわずかなうずきを感じるだけ。

 これなら、今までで一番の出来の人形を作れるかもしれない。


「――土は肉に。水は血に。火は情動。風は息吹」


 ドロッセルは少し自信を持って、声を張り上げた。

 朗々と唱えられる呪文は霊魂を作り出すためのもの。本来はもっと長い呪文だが、簡略化の影響でいくらか縮められて使われる事が多い。


「日に熱を得て、月に感を得る。気の巡りは星巡り」


 呪文が進むにつれ、石の床に記された魔法陣の輝きが徐々に強くなっていった。


「歓喜するもの、慟哭するもの、罪深き、清らけき――主、此の下僕しもべを人と称せり」


 じりじりと焼けるような音が響く。

 箱型マギグラフに差し込まれた無数の銀符が、ぼうっと火の色に光っていた。微かな熱を感じながら、ドロッセルは呪文を続ける。


「我は全知を騙る。我は全能を偽る。我は世界を知り、我は生命をかたどる」


 いまや魔法陣はまばゆく輝き、青白い電光を周囲に走らせていた。

 霊気の計算と調整を高速で行う演算機関が悲鳴のような音を立てている。白熱した銀符が火花を散らす中、ドロッセルは最後の言葉を口にした。


「是より、塵界にて主の大業を模倣せんとする――我が元に存在せよ」


 円盤が霊気の火花を散らした。

 マギグラフから演算機関の配線を伝って、霊気が広間中央の環へと流し込まれる。そこに記された魔法陣からどっと光が溢れ出し、柱を作り出した。

 光の柱は、頭上に吊り下げられた水晶盤へと一気に伸び上がる。


「……さて、どうなるか」


 ドロッセルは小さく呟いた。

 隣に立つノエルは無言で、目の前の光景を見守っている。

 視界が青く塗り潰される寸前――透明な石の中に、炎が宿るのが見えた。

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