6.夜明け

くそっカッツォ……なんで異形が――!」


 キャロルが大きく舌打ちして、両手を振るう。その糸の導きに従ってヴェンデッタが駆け、間近にいた異形達をざくざくと切り裂いた。

 しかし、さらに無数の赤い波紋が閃くのを見て、ドロッセルは唇を噛む。


「異形の召喚……! これが四番目の能力か!」

「どうでもいいけどとっとと片付けるわよ! こんなの街中に出たら――ッ!」


 キャロルが唸り、さらにヴェンデッタを操る。

 しかし徐々に異形達は現実世界の法則に順応し、反撃を始めつつあった。

 襲いかかるモルグウォーカーをノエルが迎え撃ち、ばっさりと空中で両断した。ドロッセルはトム=ナインを介していくつか魔術を繰り出し、一度に数体を葬る。

 だが、異形は増えるばかり。

 縦横無尽にモルグウォーカーが飛び回り、ヒュドラが粘液を散らし這いずる。さらに得体の知れない巨大な影――鱗だらけのもの、角のあるもの、翼のあるもの――。


「駄目だ、これじゃどうしようもない! 倒しても倒しても沸いてくる……!」

「……お嬢様。何か妙です」


 唸るドロッセルと背中合わせに立ち、ノエルが静かに言った。

 新たな銀符をマギグラフに叩き込みながら、ドロッセルは背後に視線を向ける。


「妙、だと?」

「……先ほどから異形は無数に現われていますが、当の人形本体は」


 ノエルの言葉に、ドロッセルは黒い霧の向こうを見る。

 赤い波紋が閃き、霧が発生する源。

 その中に、確かに人形らしき影は見当たらない。

 ただ、か細い手が揺れているのが一瞬だけ見えた。

 黒い霧の狭間で、白い少女の手が空を掻くように蠢いている。その様に寒気を感じ――そして、ドロッセルは目を見開いた。


「まだ完全に起動できていない! 動力が不十分なんだ! 今ならまだ――キャロル!」

「何! 今めちゃくちゃ忙しいんだけど!」


 高速回転するヴェンデッタで一気に数体を八つ裂きにしながらキャロルが怒鳴る。


「一瞬だけ異形を止めてくれ! 頼めるか!」


 怒鳴り返すドロッセルに、キャロルは傀儡を手繰りながら一瞬鋭い視線を向けた。


「……何をする気? 全部は無理よ」

「構わない! 大本を私とノエルで叩く! だから――!」

「そういうこと――なら、やってやろうじゃない!」


 凶暴な笑い声が弾けた直後、キリキリと音を立てて無数の青白い弦が空を奔る。それはまるで蜘蛛の巣の如く異形を絡め取り、空中に縫い止めた。

 ヴェンデッタが高速回転しながら、絡め取った異形を片端から切り裂いていく。


「……長くは保たないわ」


 両手を広げた状態で、キャロルがすっと目を細める。

 その指先から血が滲むのを見て、ドロッセルはしっかりとうなずいた。


「任せろ! ――ノエル、行くぞ!」

「――御意」


 霧の源に向かって、ノエルが地を蹴る。

 捕縛から免れた異形が叫んだ。三体のモルグウォーカーが跳躍し、三方からノエルへと鉤爪を繰り出す。しかし、そこにトム=ナインの放った火球が叩き込まれた。

 黒く焼けた銀符を排出し、ドロッセルはさらに新たな銀符をスロットに挿入する。

「私が、支える――!」


 戦い方を考えろ――あの赤髪の男の言葉が耳に蘇った。

 ノエルの方が身体能力に優れ、さらに強力な忌能を持つ。ならば彼を前に向かわせ、自分は支援に徹した方が良い――連日の戦いで、ようやくその結論に到った。

 霧の中に赤い波紋が閃いた。這い出ようとする異形の影に、トム=ナインが唸る。


「【詠唱chant】――氷花アイシィ・フラウ!」


 空気中の水分が凍り付き、花弁にも似た形の氷弾を形成する。それが立て続けに波紋めがけて叩き込まれる中、ノエルが霧中に足を踏み入れた。

 しかし――その眼前に、巨大な赤い波紋が閃いた。

 突如現われた波紋にドロッセルは息を呑み、ノエルは目を見開く。

 ずるりと音を立てて、黒い龍の首が波紋から現われる。それは人間の歯に似た牙を剥きだし、間近に迫るノエルに向かってあぎとを開いた。

 その暗い喉の奥で、紫の光がせり上がる。

 ノエルは、止まれない。ドロッセルが魔術を撃てば、ノエルを巻き込んでしまう。

 キャロルの両手は塞がり、ウェスターに到ってはうずくまっている。

 誰も――なにもできない。

 龍の顎が閃光を放つ瞬間、ドロッセルはその名前を絶叫する。


「ノエル――!」

「――はっはぁ」


 一瞬、気の抜けた笑い声が聞こえた気がした。

 直後、龍の側頭部に爆炎が叩き込まれた。龍の首は大きくのけぞり、悲鳴とともに天井を仰ぐ。その顎から紫の光線が放たれ、廃病院の屋根をぶちぬいた。


 ドロッセルは一瞬、辺りを見回す。

 キャロル、ウェスター――あの赤髪の男は、いない。

 その間に龍の首のそばをすり抜け、ノエルは霧の源へ。

 ドロッセルはマギグラフを嵌めた手を、ノエルの背中へと伸ばす。

 そうして回路パスに、ありったけの霊気を叩き込んだ。

 夜明けの日差しに双剣が煌めいた。その光の軌跡を描きながら、霧の中で揺れる少女の手に向かってノエルは剣を振り下ろした。

 そして――轟音を立てて、廃病院の屋根が崩れ落ちた。


 ドロッセルは、肩で息をしている。


「あれ、天井は……」


 頭を抱え、地面に膝をついていたキャロルがゆっくりと顔を上げる。

 その足下には、ウェスターが白目を剥いて気絶している。


「……だいぶ、無茶をした」


 ドロッセルは荒く息を吐いた。

 トム=ナインがその肩に乗り、緑の瞳を光らせている。その視線の先には巨大な銀色の波紋が広がり、落下してきた瓦礫をかろうじて押し止めていた。


「あ、あんた! まさかノエルとトム=ナインに同時に霊気を送ったわけ!」

「こうしないと、全員死んでただろ……」


 引きつった声で笑うドロッセルの肩に、そっと手が置かれた。

 ノエルが傍に立ち、障壁を展開し続けているドロッセルを見下ろしていた。


「……外に出ましょう、お嬢様。お運びいたします」


 青い瞳は、相変わらず感情が読みづらい。

 ドロッセルはそれをじっと見上げて、ゆっくりとうなずいた。


「……そう、だな。正直……まともに動けそうに、ない」


 魔術を行使したままのドロッセルを抱きあげ、ノエルが歩く。その後ろに、気絶したウェスターをヴェンデッタに載せたキャロルが続いた。

 全員が玄関から出た途端、銀輪障壁は消え、轟音とともに廃病院は崩れ落ちた。

 その後バックヤードの馬車が現場に到着し、ドロッセル達は彼らに保護された。

 パトリシアに労われ、渋面のダンカンにチョコレートを与えられ、キャロルが警察に迷惑料を要求し――途中から、ドロッセルはほとんど意識を失っていた。


 ただ一つ、ノエルが傍にいたことだけは覚えている。

 ノエルはただ静かに――ドロッセルが眠りに落ちてもずっと、傍にいた。

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