5.九日目の彼女
ドロッセルはじりじりと後退しながら、周囲の様子を窺う。
無数の銀符のうち、使った事のある札は――
ドロッセル達からやや離れた場所に、玄関の大扉。恐らくあそこから脱出する事が可能だが、そのためにはアーネスト達に背中を向ける必要がある。
「――エスメラルダ。先にモードレッドを潰しなさい」
エスメラルダが威嚇音を発し、人工触手を繰り出した。
ノエルは声もなく、刃を振るう。
さながら刃の旋風と化し、不規則な軌道を描きながら迫る触手を片端から弾いた。
しかし、エスメラルダがその顎を開く。
奇声とともに放たれる見えない妨害波。ノエルは目を細め、返す刃でそれを砕く。すかさずそこに叩き込まれた触手は蹴り払い、弾き返した。
「――【
ドロッセルははっと目を見開く。いつの間にかアーネストが小さな箱形のマギグラフを取りだし、そこに銀符を滑り込ませていた。
エスメラルダがにぃと笑い、ドレスの襟を下げる。
白い胸元に埋め込まれたオラクルレンズが光を放ち、足下に閃光を走らせた。
途端ノエルの足下で、床が砂へと変じた。柔らかな砂に足を取られ、ノエルが目を見開く。エスメラルダが歓喜の叫びを上げ、がら空きの胴体に触手を繰り出す。
ドロッセルは親指の腹を噛み切り、銀符に血の線を引いた。
「
銀符が光を放ち、空中に銀の波紋を形成する。
マギグラフを介さずに使った障壁は、触手の乱打を三撃ほど耐えた。しかしそれは立て続けに叩き込まれる攻撃により、硝子の破砕音にも似た音を立てて砕け散った。
しかしその時にはノエルは体勢を立て直し、襲い来る人工触手を迎撃をする。
「駄目だ、このままじゃ――!」
ドロッセルは唸る。
ノエルが喉を破壊したせいか、エスメラルダは妨害波を派手に使ってこない。
しかしグイードとの戦いによってノエルもドロッセルも消耗している。さらにマギグラフもなく、魔術を介助するオートマタもいない。
「往生際が悪いな、君達は」
アーネストが肩をすくめ、さらにマギグラフに三枚の銀符を滑り込ませた。
「賢者の石のおかげで、霊気は枯渇していないようだね。しかし、それでも疲労しないわけじゃないだろう。――諦めた方が、楽に死ねると思うがね」
飄々としたアーネストの言葉に答えず、ドロッセルは銀符を見直す。
アーネストが用いた銀符は三枚。同じ札を三枚を消費して威力を強化したのか、あるいは全く別の札を三枚いれて魔術を連結したのか。
思考が錯綜する中、視線の先でアーネストの唇が動く。
「――【
轟音。ホールにあった扉の一つが打ち破られ、何かが飛び込んできた。
時間が止まる。
アーネストも、エスメラルダも、ドロッセルも――ノエルさえも硬直する。
キリキリキリキリ――弦の軋む音ともに、乱入者は跳躍する。
まっすぐに自分へと迫り来るそれを見た途端、アーネストの顔がさっと青ざめた。
「エスメラルダ――ッ!」
ノエルの刃をはね飛ばし、エスメラルダが主の元へと跳ぶ。乱入者との間に割り込んだ彼女はそのまま顎を開き、妨害波を浴びせた。
それはおそらく、最大出力の妨害波。
その余波が届いたのか、ノエルが眉を寄せてこめかみを押さえる。
並みの人形ならば即時停止するほどの威力を持った妨害波。
しかし傀儡は止まらない。
ヴェンデッタはシンバルを乱打するような笑い声を立て、鉤爪を振るう。
妨害波で止まらなかったことに驚愕したのか、エスメラルダが甲高い奇声を上げる。混乱状態に陥ったオートマタの肩口から脇腹を、傀儡は一息に真っ二つにした。
断末魔の叫びとともに、両断された人造霊魂が床に落ちる音が響く。
「エスメラルダ! な、なんだ、なにが――ッ!」
後ずさるアーネストの顔面に、オレンジ色の毛玉が落ちてきた。
怒り狂った猫の叫びが響き渡る。アーネストの顔面に噛みつき、かきむしった。
その勇姿にドロッセルは目を見開く。
「トム=ナイン!」
「くそっ、なんだ、一体――!」
影が駆ける。
荒れ狂う猫を振り払ったアーネストの眼前に、無表情のノエルが迫った。
アーネストの顔が青ざめた。その顎に、ノエルは掌を叩き込む。
銀縁眼鏡が砕け散った。
アーネストは呻き声も立てずのけぞり、背中から床に倒れ込む。
決着は、ついた。
「――あんたさぁ。出かけるならバックヤードのおまわりに声かけろっての」
呆然と全てを見守っていたドロッセルは、その声に息を呑む。
ヴェンデッタの背後――破られた扉の向こうに、キャロルが立っていた。
「おかげでずいぶん探したわ。ヒラリーが気づかなかったら本当に危なかったのよ」
「キャロル……! どうしてここがわかったんだ?」
「それよ、あんたの左手」
言われて、ドロッセルは自分の左手を見る。そこには先日ヒラリーからもらったちゃちな指輪が、徐々に夜明けに向かいつつある空の光に光っていた。
「その指輪はね、ダウジングの目印に使うんですって。それを嵌めていれば、ダウジングでかなりの精度で居場所を見つけることができる」
「そうだったのか……」
だからあの時、急にダウジングの話をしたのか。
ドロッセルは感嘆の目で指輪を見つめた。
その後頭部を、キャロルが思いっきりはたいた。
「いった! なにをするんだ!」
「なにをするじゃないわよ。やっぱり無茶して……あんたもあんたよ、ノエル!」
アーネストの両手をリボンタイで拘束していたノエルがすっと背筋を伸ばす。
オリーブグリーンの瞳を怒りに燃やし、キャロルは彼に指を向ける。
「主人の言うこと全部丸呑みするのが最善の従者? そんなわけがないでしょ! この子が無茶してる時はまず止めなさい。返事は『Yes』か『Si』以外認めない」
「……すぃ」
無表情で気の抜けた返事をするノエルに、ドロッセルは思わず噴き出しそうになる。その頭をさらに二度、三度とはたき、キャロルは唸った。
「どいつもこいつも……なんか悪い事をする時はまずあたしになんか言いなさいよ。このヨーロッパ一頼りになる美女と評判のキャロル様をどうして頼らないわけ」
「べ、別に悪いことはしていない。それにお前はいちいち金品を請求――」
「――心配でどうにかなりそうだったんだから、このキャロル様が」
ぽつりと零れた言葉に、ドロッセルは目を見開く。
キャロルは不機嫌そうに唇を歪めると、ドロッセルの頭をまた一度はたいた。そうして近づいてきたノエルの胸元を軽く小突き、二人に背中を向ける。
「……じきにバックヤードも追いつくわ。おまわりどもの馬車を待っていられないから、あたしは速く出てきちゃった。場所はわかったけど、あんた達がどの部屋にいるのかわからなくて、あちこちさんざんこじ開けて――そうして猫ちゃんと」
トム=ナインが意気揚々とドロッセルの足下に駆け寄り、尻尾を揺らす。
破顔してその柔らかな体を抱き上げるドロッセルに、キャロルは振り返った。一体どこから取りだしたのか、その手にはドロッセルのマギグラフがある。
「あんたの忘れ物を確保した。――どう? 私ったら神様みたいに優秀でしょう?」
「……ありがとう、キャロル」
「当然よ」とキャロルは鼻で笑い、ドロッセルにマギグラフを投げ渡した。
その時、微かな囁きが聞こえた。
「――聞こえるか、聞こえるか……望まずに玉座に着き、九日間でその冠を失った者……」
禍々しい呪詛の言葉に、ドロッセルは思わず振り返る。両手を拘束されたアーネストが目を見開き、うわごとにも似た言葉を呟き続けていた。
「……なにをする気?」
「ろくでもないことには違いない!」
不安げなキャロルに答え、ドロッセルは地を蹴る。それよりも早くノエルが駆け、ぶつぶつと呟き続けるアーネストに手を伸ばそうとした。
しかしその瞬間、アーネストの肉体から黒い霧のようなものが生じる。
ノエルが目を見開き、ドロッセルを庇って後退する。霧の向こうではアーネストの肉体が徐々に崩れ落ち、黒く変じた床へと呑み込まれていくのが見えた。
「四番目の人形……」
視線を向けると、いつの間にか意識を取り戻したウェスターが壁際で縮こまっていた。キャロルが眉間に皺を寄せ、震える彼を睨む。
「は? 四番目ってなに?」
「黙示録シリーズの四番目だよ! 特殊な人形で、先生でも起動できないからずっと保管してるってきいた――ここの真下にある、遺体安置室に!」
引きつった声で喚くウェスターに、ノエルが目を細めた。
「……あれは賢者の石がなければ動かないはずでは」
「いや……アーネストは賢者の石を知るまでは、人間の心臓で動力源を作ろうとしていた」
ドロッセルは低い声で答えつつ、マギグラフを装着する。
黒い霧の向こうでゆらりと影が揺れた。濃厚な血のにおいがした。じわじわと広がっていく煙幕の向こうで、なにかが蠢いている。
トム=ナインが床に降り立ち、背中の毛を逆立てた。
「多分、アーネストは作りかけの動力源と――自分の命を使って、起動したんだ」
「起動したら、どうなるの……?」
キャロルの問いに、答える者は誰もいなかった。
耳鳴りを感じた。同時に黒い霧の中に無数の赤い波紋が浮かび上がった。
そのうちの一つが歪み――向こう側から、モルグウォーカーが顔を覗かせる。
それは凍り付く人間達を見た途端、奇怪な笑い声を響かせた。それを皮切りに、毒々しい光を放つその中から、のそりのそりと人ならざるもの達が這い出てくる。
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