4.騎士、二人

「エスメラルダッ!」


 アーネストの鋭い声が響いた。同時に、ドロッセルとノエルの世界が動き出す。

 エスメラルダが蛇の威嚇音にも似た声を上げる。

 その人工触手が行動を起こすよりも早く、ノエルが動いた。素早くその手が振われ、放たれた閃光がエスメラルダの喉元を貫く。

 悲鳴とともにエスメラルダが崩れ落ちた。その喉元には、短剣が深々と突き刺さっている。

 アーネストが眉を寄せ、白衣のポケットに手を差し込む。

 それに気づき、ドロッセルはとっさに手近にあった椅子を投げつけた。ノエルに気を取られていたアーネストは思いがけない攻撃に後ずさり、バランスを崩す。


「ああっ、くそ――!」


 アーネストの悪態を、椅子が落ちる音が掻き消した。

 敵に生じた一瞬の隙を、ノエルは逃さなかった。ドロッセルを抱え上げ、床に尻餅をつくアーネストのそばをすり抜けて駆ける。

 風切り音が幾重にも響く。ドロッセルはハッと顔を上げた。

 八つ当たりのようにエスメラルダが繰り出した人工触手がしなり、絡み合いながら、複雑な軌道を描いて自分たちに迫ってくる。


「お前は良い! 走れ!」


 一瞬迎撃の態勢を取ろうとしたノエルに鋭く命じ、ドロッセルは左手を握る。

 マギグラフはない。銀符もない。魔術を出力するオートマタもいない。


荒城啾々こうじょうしゅうしゅうとして石壁せきへき冷ややかにッ!」


 けれども、この状態でも魔術は使えないことはない。

 呪文と触媒を用いる――古式ゆかしい魔法使いの方式ならば。血の滴る左手を、迫り来る触手めがけてドロッセルは勢いよく突き出した。


「騎士は月輪げつりんに盾を掲げよ――銀輪障壁レギオンサークル!」


 呪文を詠唱しきった瞬間、左手が鋭く痛んだ。

 血の雫が青白い光の粒子へと変じた。それが銀の波紋にも似た障壁を形成する。

 マギグラフもオートマタも使っていないその守護はもろく、触手が触れた瞬間に音を立てて砕け散った。しかし、その攻撃を逸らすのには十分だった。

 弾かれた触手が見当違いの方向に逸れ、突き刺さる。

 その狭間をかいくぐるようにして、ノエルは弾丸の如く手術室から飛び出した。

 細い階段を駆け上がると、オイルランプに照らされた廊下が目の前に広がる。一面蜘蛛の巣だらけだ。左右には病室が並んでいるがどれも荒らされ、人の気配はない。

 壁はひび割れ、一歩踏み出す毎に天井からは埃とともに虫の死骸が降り注ぐ。

 そんな空間の所々を忌能で崩し、追手への妨害工作を施しながらノエルは駆ける。


「つっ……さすがに、反動がきついな。トム=ナインを探さないと」


 痛む左手をだらりと垂らし、ドロッセルは深く息を吐く。

 グイードとの戦いからほとんど時間が経っておらず、傷はほとんど癒えていない。

 それでもまだ霊気の消耗をそこまで感じていないのは、アーネストの言うとおり、自分の胸の中に賢者の石があるせいだろうか。


「……わからないな」


 左手をさすりながら、ドロッセルはゆるゆると首を振る。

 わからないというよりも、信じられないといった方が良いかも知れない。

 賢者の石、父の献身、心臓泥棒のアーネスト――なにもかもが夢のような気がした。嵐のように襲ってきた真実は、どれもこれも現実味がない。

 それでも、信じられるものは。


「……お嬢様」


 静かな声にドロッセルは顔を上げた。

 ノエルは前を向いたまま、ちらりとドロッセルに視線をよこす。


「左手の傷をこちらに」

「こちらにって――こう、か?」


 ドロッセルは首をひねりながら、左手の傷をノエルに見えるようにする。

 ノエルは器用にも片手でドロッセルを抱えたまま、反対の手でその傷に触れた。

 それは初めて出会った時に行ったのと同じ行為。あの時と同じように痛みはなく、ノエルの指が動くに従って傷は消えていった。

 やがて、十秒もしないうちに傷は消えた。

 痛みのない左手を軽く握りしめ、ドロッセルはノエルを見上げた。


「ありがとう。……そういえば、お前に治してもらってからだった。私が、前よりも魔術を安定して使えるようになったのは」

「ある程度なら癒やすことはできるようです。完全には治せませんが」


 ノエルの無表情にわずかに影がよぎるのを見て、ドロッセルは一瞬言葉に迷った。


「自分が何者か、思い出すことができたんだな」

「全ての記憶を取り戻せたわけではありません。……ただ、嫌なことだけはよく覚えている」

「そうか。じゃあ――」

「――止まれ! ドロッセル・ガーネット!」


 埃まみれのホールに飛び込んだその瞬間、少年の金切り声が響いた。

 同時にノエルが大きく背後に跳んだ。直後、それまでノエルが進もうとしていた場所に風の砲弾が叩き込まれ、ばりばりと音を立てて床を砕く。


「ウェスター……!」

「こ、ここは……ここは絶対に通さないぞ!」


 ウェスターは両手を大きく広げる。ホールの大窓から差し込む月光のせいか、その顔はいつもより青ざめて見えた。背後には、ランスロットがじっと佇んでいた。


「やれ! 二人をぶっつぶせ!」

「御意」


 甲高い声で命じる主人に答え、ランスロットはゆらりと二本のハルバートを構えた。蒸気を噴き出し、装甲板を軋ませて、鎧騎士が突進する。

 ノエルはドロッセルを下がらせ、双剣で以て迎え撃った。

 剣とハルバートが火花を散らしてぶつかり合う。武器の間合いと体躯に勝るランスロットの猛攻をノエルは軽やかな足取りで躱し、潜り抜ける。

 苛立ちと焦燥が限界に達しているのか、ウェスターが髪を掻き毟った。


「ああくそっ、くそ! 出来損ないと欠陥品のくせに!」


 ウェスターは金切り声を上げ、自分のマギグラフへと手を伸ばした。

 魔術を使うつもりだ。ドロッセルは目を見開き、駆ける。ノエルとランスロットの乱闘をどうにかすり抜け、ウェスターの元へ。


「させるか!」


 渾身の体当たりを叩き込む。ウェスターは悲鳴とともに地面に倒れ込んだ。その手からマギグラフと銀符が吹き飛び、彼方へと転がる。

 さらにドロッセルはウェスターの両腕を掴もうとしたが、腹を思い切り蹴られた。


「っぐ……!」

「よくも――よくもやったな!」


 たまらず背中から倒れ込むドロッセルに、怒り狂ったウェスターが殴りかかる。

 主人の危機に、ノエルの気が一瞬逸れた。そのごくわずかな隙を逃さず、ランスロットのハルバートが唸りを上げて振るわれる。

 甲高い音を立ててその右手の剣が弾け飛び、天井に突き刺さった。


「お前が死ななきゃ僕が殺されるんだぞ! それだけは駄目だ!」


 がむしゃらに振われる拳は軽い。師匠が鍛錬の時に叩き込んでくる一撃に比べれば、それは子供の駄々としか言いようがないほどに弱々しい。

 それでもすぐに反撃できなかったのは、ウェスターの剣幕に気圧されたからだった。


「父さんは死んだ、兄さんは逃げた! キーン家にはもう僕しかいない!」


 殴りつけるウェスターのほうが痛そうな顔をしていた。


「異端者の社会だってさ! 体面が大事なんだよ! 体面がなけりゃ皆に馬鹿にされる! だ、だから今先生の後ろ盾を失ったら、キーン家は――!」


 主人の嵐のような感情に呼応するように、ランスロットの攻撃も激しくなる。

 ノエルの手から、さらに片方の剣が弾き飛ばされた。


「だから僕にはどうしようもないんだ! た、たとえ先生が、心臓泥棒でも、それでも――!」

「やめろ、ウェスター! バックヤードに全てを話せば、きっと――!」

「うるさいッ!」


 思いっきり頬を張り飛ばされる。唇が切れたのか、鉄臭い味が口の中に広がった。


「もう黙ってくれ! ――何してる! なんでも良いから早く終わらせろッ!」


 拳を振り上げたままウェスターが振り返り、ヒステリックに叫ぶ。


「承知した――悪く思うな、ドロッセル・ガーネットの人形」


 ランスロットは特に苛立つ様子もなくうなずく。

 甲冑胸部の装甲が左右にスライド。その奥から、砲口にも似たオラクルレンズがせり出すようにして姿を現す。そこに霊気が集中し、青白い光が零れ出した。


「霊気砲か……!」


 人造霊魂からの霊気を砲撃として撃ち出す極めて単純な技だ。その単純な術式の構造から銀符を必要とせず、よくオートマタの装備として組み込まれる。

 威力は低いが至近距離から喰らえば――ドロッセルは息を飲み、必死で起き上がろうとする。

 それを勝ち誇った顔で押さえ込み、ウェスターは叫んだ。


「やれ! 壊せ! こいつに僕が上だって事を思い知らせてやれ、ランスロット!」

「――――ランスロット?」


 地の底から響くようなそれが誰の声だったのか、ドロッセルには一瞬だけわからなかった。


 金属を押し潰すような鈍い音が響く。

 ノエルの左手が、ランスロットのオラクルレンズをぶち抜いていた。それは恐らく人造霊魂が納まっているであろう箇所を貫き、背面装甲を突き破っている。

 光る瞳を細め、ノエルは無言で左手を引き抜く。『傷』の忌能によるものか、その手は刺々しく禍々しい籠手のようなものを纏っていた。

 支えを失ったランスロットが、地面にがくりと膝をついた。

 胸の大穴から人造血液が滝のように零れた。そこには砕けたオラクルレンズと――恐らく人造霊魂の破片と思わしき、青く輝く欠片が混ざっていた。


「は……?」


 ウェスターは呆然と、崩れ落ちる自分のオートマタを見つめていた。

 破壊されたランスロットと、見下ろすノエル。

 両者を見て、ドロッセルは思い出す。

 ランスロット――その名の由来はアーサー王の円卓最強の騎士。

 モードレッドとその兄に不倫の場を突き止められた彼は、十二人の騎士を殺し、王宮を飛びだした。それが王国崩壊のきっかけの一つとなったという。

 その男の名を冠した人形に、かつてモードレッドだった者は何を思ったのか。

 ノエルが振り返った。青い瞳が残光を引く。

 左手を覆っていた籠手の形が崩れ落ち、掌中で剣の形を成した。

 こちらに向かって歩み寄ってくるノエルの顔に、いつも通り表情はない。

 ただ、その青い瞳は鬼火のような光を湛えている。ぼうっと不吉に光るそれを見た瞬間、ドロッセルは背筋に寒気が走るのを感じた。


「あ、ああ……」


 底冷えするようなまなざしに射貫かれ、ウェスターは凍り付いたように動かない。

 ノエルがゆらり、と左手の剣を持ち上げる。

 その瞬間、ドロッセルはとっさにノエルとの回路に霊気の信号を叩き込んだ。


「【命令command】止まれ、ノエル! そこまでしなくていい!」

 それは、初めての回路を通じた命令だった。

 強制力を持った命令により、ノエルの体がぴたりと急停止する。その刃は、なんとかウェスターの首に触れる寸前で止まった。

 それを確認しつつ、ドロッセルはウェスターの左側の肋骨を打った。


「あっ、ぐぁあっ――!」


 打たれた箇所を抑え、ウェスターが激痛に体を折り曲げる。その隙を突き、ドロッセルは勢いよく体を起こした。ウェスターが背中から倒れ込み、上下が反転する。


「くそっ、この――!」


 ウェスターはなおも抵抗しようと、ドロッセルの髪を掴もうとする。

 その鳩尾に、ドロッセルの拳が打ち込まれた。

 くぐもった悲鳴。ウェスターの体が一瞬緊張し――やがてだらりと力が抜けた。

 ドロッセルは荒く肩を上下させながら、しばらくそのままウェスターを睨んでいた。やがて大きく息を吐き、すっかり崩れてしまった赤髪をほどく。


「……思っていたよりもずっと弱かった」

「……お嬢様」


 静かな声に振り返れば、ノエルがじっと見つめてくる。

 ややバツが悪そうに見える彼にドロッセルは微笑み、首を傾げてみせた。


「……そこまでしなくとも良い。私は、お前が命まで奪うことは望んでいないよ」

「そう、ですか」


 いつものように淡泊な言葉。

 しかし、彼の表情は相変わらずどこか物憂げに見えた。

 少しでもその心から影を払いたくて、ドロッセルは口を開きかけた。


「――やれやれ、ウェスターにはあとで褒美をやらなければね」


 冷やかな声が背後から響く。同時に、霊気の奇妙な動きを感じた。

 ノエルが目を細め、振り返りざまに片手を鋭く振るう。【傷】の忌能によって妨害波は砕かれ、破壊された霊気が透明なかけらとなって辺りに飛び散った。

 気絶したウェスターのホルダーから銀符を引き抜き、ドロッセルは構える。


「アーネスト……!」

「苦労したよ、さんざん荒らしてくれたからね。おまけにその速度。恐らく脚力を強化されているんだろう。黙示録シリーズ最速ではないかな」


 衣服を整えながら、アーネストは肩をすくめた。その傍では喉を切り裂かれたエスメラルダが唸り、複数の人工触手をのたくらせている。

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