2.叫喚の手術室

 まぶたの裏に淡い光を感じた。

 意識が浮上するにつれ、痛みと疲れとが襲ってくる。左腕の傷だけでなく、体中に負った軽い火傷もひりひりと痛んだ。霊気を使いすぎたせいで、頭が重い。

 ドロッセルは呻き、ゆっくりと目を開く。

 円形の講堂にも似た空間だった。

 近くにはいくつかの椅子と、緑のビロードをかけた机があった。周囲は木の柵と、無人の席によって囲まれている。

 その風景を見た瞬間、ドロッセルは血の気が引くのを感じた。


「なっ、手術室……!」


 ドロッセルは、その中央に置かれた手術台に寝かされている。

 隣にはもう一つ台があり、そこにはノエルが横たわっていた。最後に見た時と変わらずその瞳は見開かれたまま、虚ろに天井を映している。


「ノエル! くそっ……!」


 すぐさま身を起こそうとしたものの、両手両足が革製のベルトによって固定されてしまっている。左腕に嵌めていたマギグラフも外されていた。

 どうにもできずに唸った時、微かな物音が聞こえた。

 柵の向こう側にあった扉が開き、誰かが入ってくる。

 白衣を纏った男と、派手な緑のドレスを着た女の二人。女の方には見覚えがなかったが、男の顔を見た瞬間――ドロッセルは、全てを理解した。


「……最初に気づくべきだった。ウェスターが、ノエルのことを欠陥品と呼んだあの時に」


 呆然と呟くドロッセルをよそに、男は柵の内側へと入ってきた。

 ドレスの女は柵のそばに立ち、愉快そうにドロッセルを見る。黒いウェーブの掛かった髪に、黄色い瞳。胸元を大きく晒した扇情的な姿をしていた。


「あいつ以外で、ノエルのことを今まで『欠陥品』と呼んだのはリチャード三世とグイードだけ……二人とも父の作品だ」


 ノエルの暴走を知っているのは、ドロッセルを除けば恐らく父と他の黙示録シリーズだけ。

 ドロッセル自身も、先ほどグイードから聞いて初めて知った話だ。


「私は、目の前の事に頭がいっぱいだったんだ……」


 死が目の前に迫ってきているせいか、一気に思考が冴えていくのを感じた。

 白衣の男は鼻歌を歌いながら、緑のビロードを掛けた台の上に様々な道具を並べていく。鋸、鋏、メス――一体これらの道具で、何人の心臓を取り出したのか。


「何故こんな事をする……アーネスト・メイクピース!」

「――単純だよ、ドロッセル・ガーネット」


 初めて、白衣の男が言葉を発した。

 男は――アーネスト・メイクピースは銀縁眼鏡を抑え、ドロッセルを見下ろした。


「全てはラングレー様のため――あの御方の志を受け継ぎ、後継者となるためだ」

「お前……ラングレー派だったのか!」


 首をひねって、ドロッセルはアーネストを睨みあげる。


「そうとも」とアーネストはうなずき、ドロッセルの目元に触れた。そしてどうにかその手から逃れようともがくドロッセルに顔を近づけ、瞳を覗き込んでくる。


「君の眼を見るたび、懐かしいと思っていたよ。――才能は雲泥の差なのに、眼だけは同じだ」


 銀縁眼鏡の向こうで、淡い緑色の瞳が細められる。

 ドロッセルは息を詰め、その狂気を孕んだ視線から必死で目をそらした。


「父は……ラングレーはどこにいる?」

「誰も知らない。生死も不明だ。ラングレー様の名を騙って色々とやってみたが……それでも、あの方は姿を現さなかった。だからこの二十年、苦労させられたよ」


 アーネストは銀縁眼鏡を抑えて、深くため息を吐いた。


「おかげで組織はガタガタだ。……だからこそ、誰かが後継者にならなければ」


 アーネストは熱っぽい口調で語って、手術台から離れた。


「ラングレー様の名と志を受け継ぐ誰かが立たねばならない。仲間達も認める後継者が……そのためには力だけじゃない、確かな証が必要なんだ」

「証……?」

「黙示録シリーズさ」


 アーネストは言いながら、ビロードを掛けた台からメスを取った。


「……ガイ・フォークスを発見し、起動できたのは幸運だったよ」


 視界の端に映る刃のぎらつきにドロッセルは身を固くする。アーネストはそれをドロッセルに向けず、ゆっくりとその刃を光に照らした。


「私は彼と契約し、私に代わって異界にあるラングレー様の屋敷を探ってもらった。彼は四番目を納めた棺だけは見つけた。……けれども、ここで問題が生じた」

「……問題だと?」

「四番目が起動しなかったのさ。原因は不明。――だが、私は諦めなかった」


 アーネストがメスを置く。代わってその手は、ビロードの上から鋏を取った。

 そうして彼は一切の躊躇もなく、ドロッセルのブラウスをざくりと切り開いた。

 白い胸に鋏が触れて、その冷たさと怖気にドロッセルは震える。


「私は考えた。無理やりにでも動力を供給すれば、起動するのではないかと。二つの案を思いついた。一つは新鮮な心臓から抽出した霊気を供給すること。これには、かつてうちの患者だった死者達の心臓を使わせてもらった。そして、もう一つは――」


 とん、と鋏の切っ先が薄い胸の中央に触れた。

 刃の冷たさに震えながら、ドロッセルはわけもわからずにアーネストを見上げた。


「――君の胸の中にある賢者の石だ」


 まったく思いがけない言葉に、震えが止まる。

 切っ先をドロッセルの胸の中央に置いたまま、アーネストはくすりと笑った。


「我々も想像できなかったよ。まさか誰もが出来損ないだと思っていた娘の中に、あの万能の石が隠されているなんてね」

「待て、なんの話をしている?」


 まったく話が飲み込めず、ドロッセルは目を白黒させる。


「ラングレー様が、賢者の石を作り出そうとしていたことは知っているだろう? ――あの御方は成功したのさ。そして、それを君の体内に隠した」


「馬鹿な、そんな事あるはずない! 何を根拠に――」

「ラングレー様の手記だ」


 混乱するドロッセルの言葉を遮り、アーネストは空中に手を伸ばす。

 すると一冊の手帳が宙を跳び、彼の手に納まった。思わず手帳の飛んできた方を見ると、緑のドレスの女がドロッセルに向かって妖艶に笑う。


「……君達がリチャード三世を片付けてくれたおかげで、我々も屋敷の奥深くまで足を踏み入れることができるようになってね。これを見付けることができた」


 言いながら、女から投げ渡された手帳をアーネストはそっと開いた。


「ここにはラングレー様の研究の全てが書き込まれている……これによればね、ガーネット嬢。君は十年前、レプリカの暴走事故によって瀕死の重傷を負った」

「は……?」


 まったく記憶にない――最初はそう思った。

 しかしアーネストがその言葉を口にした瞬間、心臓が一際大きく脈打つのを感じた。左手の経絡に負った傷が、ずきずきと痛む。


「ラングレー様は必死に君を救おうとしたが傷は重く、どうしようもなかった」

「……嘘だ。あの人が、私なんかに必死になるわけがないだろう」


 左腕の痛みを堪え、ドロッセルは薄く笑う。

 しかしグイードはゆっくりと首を振り、ドロッセルに開いた手帳を突きつけた。

 そこには確かに端正な父の文字で、その苦闘の記録が淡々と綴られている。


「全身の経絡への重大な損傷――即死じゃなかったのが奇跡だ。万策尽きたラングレー様は、そこでようやく賢者の石を使うことを決意した」


 手帳をぱちんと閉じて、アーネストは語る。

 賢者の石は本来、全ての黙示録シリーズを安定して動かすための動力源として作られた。その試作品は、二十年前にはすでに完成していたらしい。

 そしてラングレーは石を用いた。人形を稼働するためではなく、娘を救うために。


「その試みは成功し、君の傷は癒えた。……左腕の傷を残してね」

「で、でたらめだ……そんな、そんなことがありえるはずが――」

「だが、これは事実だ。燃費の悪いレプリカを従え、いくつもの魔術を用いつつも君がほとんど疲労の色を見せなかったのは、賢者の石から霊気を――」

「あの人がそんな事をするはずがないッ!」


 手足の拘束を揺らし、ドロッセルは怒鳴る。

 傷の痛みなど、もうほとんど感じなかった。わけのわからない感情の激流が胸の底から噴きだし、そのまま口からあふれ出ているような気がした。


「だって、あの人は私を置いていった……! あの人が私を救おうとしたなんて嘘に決まってる! ありえない、そんなの絶対信じない――!」

「まぁ、君がどう感じようと君の勝手だ。どのみち、君は今日ここで死ぬ」


 アーネストは手帳をビロードの台の上に置く。そして、その手はメスを掴んだ。


「――今日まで賢者の石を守ってくれてありがとう」」


 冷え冷えと光るメスを手に、アーネストはにっこりと笑った。

 さあっと血の気の引く音が聞こえた気がした。荒れ狂っていた感情が一気に冷えていく。代わりに死への恐怖が再び鼓動を早める。


「い、いや……ノエル、ノエル……!」


 どれだけ呼んでも隣に横たわるノエルから反応はない。必死で彼の方に身をよじったせいか、左腕がきりきりと痛んだ。

 沈黙するノエルを一瞥して、アーネストは軽く肩をすくめた。


「無駄さ、彼は強制的に休眠状態にした。今の君に再起動は不可能だ」

 休眠しているオートマタを再起動するには、回路パスを通じて命令する必要がある。しかし、今ドロッセルの手にはマギグラフはない。

 打つ手がない――絶望するドロッセルに、医者は無慈悲に近づきつつあった。


「本来ならば麻酔を使うべきなんだろうけどね。悪いが無駄遣いしたくないんだ」

「死にたくない……! やだ、やめて……!」

「それに……そこのエスメラルダは、どうも若い娘の断末魔が好きなようでね」


 涙に滲んだ視界の端に、緑のドレスを纏った女――エスメラルダの姿が映った。女は柵から身を乗り出し、うっとりとした表情で指先を舐めていた。


「ノ、ノエル……やだ、た、たすけて、ノエル……!」


 狂ったように名前を呼ぶ。

 塞がり掛かっていた左腕の裂傷が開き、血が流れるのがわかった。

 その鉄錆のにおいを感じたのか、エスメラルダがほうとため息を吐く。

 首筋に冷たい刃を感じて、ドロッセルは凍り付く。

 少しでも身じろぎをすれば、刃は一瞬でドロッセルの命を奪うだろう。


「――それじゃ、安らかに」


 アーネストが目を細める。その手が、わずかにメスに力を込める。

 かすれた声で「ノエル」と囁く。これが最期の言葉になるのかと思った。

 薄皮が裂けたのがわかった。

 そのまま刃は肌に潜り込み、細い血管をあっさりと切り開く。

 そうなるはずだった。

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