Ⅲ.命を燃やすように

1.不穏の朝

 夜が、明けた。

 頭の中は掻き乱され、ドロッセルはろくに眠ることができなかった。それでも無理やり朝食を胃の中に詰め込み、なんとか一日の行動を開始した。


「どういうことだ……」


 店の地下にある作業場で、ドロッセルは頭を抱える。

 簡単な修理台の上にはノエルが腰掛け、じっと黙っている。ドロッセルは信じられない思いで、彼の足の具合と昨夜記した資料とを見比べていた。

 損傷の度合いを綴った記録を指でたどり、ドロッセルはページを捲る。


「昨日、私はほとんど応急処置しかできなかった。あり合わせのパーツで代用して、修繕して、なのに――すまない。一旦切開するぞ。経絡麻痺は施す」

「どうぞ」


 ノエルの短い答えを聞き、ドロッセルは彼の右下腿部に人形用のメスを走らせた。

 非常に高度なオートマタは、人体に非常に近い構造を持つ。

 ほとんど人間と変わらぬ質感の人造皮膚、骨にあたる霊機骨格フレーム、強靭な人造筋肉、霊気を循環させる作用を持つ霊媒血液エーテル、人間の神経に近い役割を持つ疑似経絡――。

 ノエルの足は、そのほとんどを取り替えた。

  元々の素材を揃えることは到底できず、質の劣る代替品でどうにか応急処置を施した。

 しかし今、目の前にあるノエルの足にはそんな未熟な処置の痕跡はない。

 滑らかな人造皮膚、歪みのない霊機骨格フレーム――言うなれば新品同様の状態になっている。


「完全に治ってる、どうして……まさか、代用パーツを同化させて回復したのか?」


 同化修復――そんな技術が存在していることは知っている。

 ただそれは極めて高度なもの、採用している人形師はほとんどいない。ましてや、ここまで複雑な修復を実現させた人形師など聞いたことがない。


「信じられない、こんな事が可能なのか? 父は一体、どこまでの技を……!」

「……失礼ですが、お嬢様」

 

 静かな声に、がしがしと髪を掻き乱していたドロッセルは我に返った。

 ノエルと視線がかち合う。

 彼は、ドロッセルの反応を窺うようにかくりと首を傾げた。


「そろそろ、お時間なのでは。バックヤードに、昨晩の報告をするのでしょう」

「あ、ああ……そうだな。そろそろ、出かけないと」


 ドロッセルは首を振り、道具を傍の作業台に置いた。

 そうして父も使っていたであろう人形師の道具類を、しばし見つめる。

 レイモンド・ラングレーと、一緒にいたのは六歳までだった。

 恐らく、六歳まではロンドンよりもっと北の方で過ごしていた。冷たい霧に煙るヒースの荒野の風景は、今でもドロッセルの脳裏に焼き付いている。

 ラングレーは、常に何かに打ち込んでいる人だった。

 分厚い本を読んでいたかと思えば、少し経てば人形の骨格らしきものをいじっている。だからドロッセルの記憶に一番焼き付いている父の姿は、後ろ姿ばかりだった。


『――人間は神の模造品』


 作業の合間、ラングレーはよくそう言っていた。

『けれども、賢者の石さえあれば……高密度・高濃度の霊気の結晶であるあの万能の石さえ作り出すことができれば、きっと人は『本物』になれる。そうすれば――』

 その先は思い出せない。父の言葉の数々が、遠い過去に埋もれてしまった。

 ドロッセルは首を振り、ノエルに弱々しく微笑んだ。


「――行こうか、ノエル」


                   ◇ ◆ ◇


「――災難だったねぇ」


 ドロッセルとノエルは、バックヤードにあるヒラリーの執務室にいた。昨夜の顛末を語り終えたドロッセルに、ヒラリーは熱い紅茶とショートブレッドを勧めた。


「しかしラングレーに心臓泥棒か……これは、きな臭くなってきたな」

「心臓泥棒って、最近起きている事件のこと……だよな?」


 ドロッセルはショートブレッドをなんとか呑み込んでたずねる。

 バターをたっぷり使ったこの焼菓子は好物だったはずなのに、今は砂のような味にしか感じられなかった。


「恐らく、そう見て間違いないだろう」


 ヒラリーはうなずくと立ち上がり、書斎机からいくつかの書類を持ってきた。


「これ、本当はグレースに頼もうと思っていた話なんだけどね。――こいつは九月頃に現れた殺人犯だ。現在までの被害者は四人。遺体の発見場所はいずれもロンドンの裏路地。こっちが現場の資料だけど……ちょっとえげつないよ」


 念押ししながら、ヒラリーは何葉の写真をテーブルに広げた。

 ドロッセルはそれをのぞき込み――すぐに目をそらした。写っている写真はどれも凄惨で、未熟な人形師には到底耐えがたいものだった。


「……どれも、心臓を抜き取られているようですね」


 ノエルが写真をいくつか取り、無機質な瞳でそれらをじっと見つめた。

「その通り」とヒラリーは険しい顔でうなずいた。


「だからそのまま心臓泥棒なのさ。――どの遺体も綺麗に抜き取られているから、犯人が高度な外科的知識を持っていたことは確実」

「……だから、巷で『切り裂きジャックの再来』だと騒がれているんだな」


 先日の新聞売り達の言葉を思い出し、ドロッセルは青い顔で紅茶に口をつけた。


「体格や服装からの判断になるが、被害者の年齢も階級も様々だ。傷以外に共通点なし」


 ぶつぶつと言いながら、ヒラリーはショートブレッドをかじった。

 それを紅茶で一気に飲み下し、唇を尖らせる。


「ただ、いずれの遺体も心臓だけが抜かれている事から異端者――それも人形師の線が濃厚」

「……何故、そうなるのです?」

「魔術を用いる者にとって、心臓と血液というのは重要な意味を持つんだ」


 首をかしげるノエルに、ドロッセルは説明する。

 心臓は霊気を発生させるいわば原動機であり、そこから流れる血液は霊気の媒介でもある。つまり血液や心臓は、魔術においては強力なエネルギーの源となる。


「この仕組みは異形でも人間でも変わらない。だから異形は、霊気を求めて人間を襲う」


 できる限りわかりやすい言葉を選びながらドロッセルは語った。

 ノエルは時折うなずきながら、静かに耳を傾けている。


「オートマタの器体にも、この仕組みは取り込まれているんだ」

「そう。だから霊気を回復させる時にも、稀に主人の血液を使ったりするね。休眠じゃ回復に時間がかかる時とかにやむを得ずって感じだけど」


 やんわりとした口調でヒラリーが補足し、ティーカップに口をつけた。


「……だから今回の事件も、犯人は人形師の可能性が高いって話だった」

「異形の線はないのですか?」


 ノエルの静かな問いかけに、ヒラリーは「いや」と険しい顔で首を振った。


「異形だとすれば遺体が綺麗すぎる。写真の通り、心臓以外の部位は残っているんだよ。さらにどれも顔を潰しているあたり、遺体の身元が割れたら困るって考える人間の仕業と考えた方が自然。それにその、なんというか……」

「――グイードの言葉で、父が関わっている可能性が浮上した」


 どこか言い辛そうな様子のヒラリーに代わって、ドロッセルはその言葉を継ぐ。

 ヒラリーは困った顔でうなずいた。


「本当に奴が関わっているのなら、ちょっと洒落にならない。まだ不確かな情報だし、バックヤード以外にはこの情報は伏せてるけど――」

「……しかしもし本当なら、父の仲間達が、また活動を始めるかもしれない」


 すっかり冷めてしまった紅茶を見下ろして、ドロッセルは呟く。


「まぁ、主立った幹部は二十年前にとっ捕まえたけど。まだ僕達が把握し切れてない仲間がいるかもしれないからね」


 ヒラリーは唇を尖らせ、ティーカップの縁をなぞった。

 遡ること二十年前。イーストエンドにあるパブに『ラングレーが出入りしている』という密告を受けたバックヤードの警官隊が突入したという。

 多くのラッパ吹きの異端者や思想に同調する常人達が逮捕され、投獄された。

 しかし、当のラングレーはどんな手を使ったのか逃げのびた。

 そして追っ手から逃れるべく、彼はヨーロッパに渡ったのだという。首領と幹部達を失ったラングレー派はその後、徐々に活動を沈静化させていった。


「……もし父が戻ってきたら、また昔みたいにラッパ吹き達が街で暴れ出すかもしれない」


 ドロッセルはきつく唇を噛み、ぎゅっと膝を握りしめた。


「止めないと。父が、これ以上多くの人を傷つける前に」

「落ち着いて、ドロッセル。軽はずみな行動に出ちゃいけない」


 やんわりと静止するヒラリーに、ドロッセルは頑として首を横に振る。


「でも、このままだと大変な事になる。父が戻ってきているのなら、もっと多くの人が――」

「……そう結論づけるには、時期尚早かと」

「ノエル……?」


 彼の制止は予想していなかった。ノエルはまっすぐに主人を見つめて、「判断材料が足りません」といつもよりもややきっぱりとした口調で言い切った。


「現時点でお父上の関与を示すものは、あのグイード・ウィッカーマンの言葉だけ。――彼の言葉が信用に値すると、思えますか?」


 静かに問いかけるノエルに対し、ドロッセルは言葉に詰まった。

 ノエルの言うとおりだ。現時点で『ラングレーが関わっている』という根拠はグイードの言葉しかない。

 そして、あの胡散臭い男の言動は信用にたるものとは言えない。

 しかし、嘘とも言い切れず――わけがわからなくなったドロッセルは頭を抱える。


「……確かなことは十年前。父は、このロンドンで私を捨てた」


 赤髪をぐしゃりと掻き、ドロッセルはどうにか言葉を絞り出す。

 その言葉に、ノエルがすっと目を細めた。一方のヒラリーはいっそう苦々しい表情をして、ぬるくなった紅茶に口を付ける。


「けれども十年後の今、今度はグイードに命じて私を攫わせようとした。彼の話が正しければの話だけど――わけがわからないよ。目的は一体何だ?」

「……それは僕にもわからない。わからないが――用心はするに越したことがない」


 ヒラリーは立ち上がると近くの棚に向かい、引き出しを開けた。


「僕はさ、魔法使いだ。その意味はわかるね?」

「ああ。確かマギグラフも人形もなく、強力な術を自由自在に使えるとか」

「そうとも。昔は――異界と人間界の境界がもっと曖昧だった時代は、それこそお伽噺のようにすごい魔法使いがうじゃうじゃいたんだけどねぇ。今となっちゃ存在自体が稀だ」


 ドロッセルの言葉に、振り返ったヒラリーが苦笑した。


「それが今じゃ巷は人形師だらけ、機械で詠唱する機巧咒式マギテクスが世界の主流と来た。昔はもっといろんな系統の魔術があったんだけど――例えばこれ、何に使うかわかるかい?」


 引き出しの中身を漁り、ヒラリーはその中から取り出したものをドロッセルに見せた。金の鎖に、水晶の三角錐がついた道具だった。


「ダウジングの振り子……だよな?」


 いまいち会話の流れについていけないまま、ドロッセルは揺れる水晶を見つめた。

 隣でノエルもこくりとうなずいた。


「……物を探すのに使う道具だとうかがっております」

「ご名答。今じゃダウジングにも専用のマギグラフ使うそうだねぇ。僕みたいなおじいちゃんにはもうわけがわからんよ――それはそれとして、君にはこれをあげよう」


 ヒラリーはドロッセルの元へと近づき、手の中のものを見せた。

 小さな指輪だった。

 金色の細いリングに、赤い薔薇を模した硝子製のストーンがついている。


「これは、なんの道具なんだ?」

「お守りのようなものさ。どの指でも良いから、しばらくの間それをつけておくように――できれば、魔術の利き腕が良いね」


「わかった」とうなずき、ドロッセルは左手の人差し指にそれを嵌めた。

 おもちゃのようにちゃちな作りだが、ヒラリーは父と並ぶほどの力を持った本物の魔法使いだ。この指輪も、恐らく何か大きな力を持った護符なのだろう。


「あと、どうにかして君に一人護衛をつけよう。君のところの商売に差し支えないよう、家の外で見張らせる。――でも、ノエルくんがいればひとまずは大丈夫かな」


 言って、ヒラリーはノエルの肩を軽く叩く。


「君はどうやら極めて優秀な従者のようだ。――ドロッセルは危なっかしい。だから、これからも守ってやっておくれ」

「はい。今後とも契約に従い、お嬢様をお守りする所存です」


 もう一度肩をぽんと叩くヒラリーに、ノエルは抑揚のない声で答えた。

 ドロッセルはそんなノエルの横顔を、少し複雑な思いで見つめた。

 彼は、強い。きっと主であるドロッセルよりも遥かに。

 けれども昨晩――ビッグベンの頂上から迷い無く彼が飛び降りたあの瞬間から、奇妙な不安感がドロッセルの胸にわだかまっていた。

 あれほどまでの強さを誇るノエルに、どうして不安を感じているのか。

 それを掴めないまま、ドロッセルはノエルとともにバックヤードを後にした。

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