6.傀儡師
その後、三人はいったん大通りに出た。
男の荷物と思わしき革の鞄はノエルが持ち、気を失っている男本人はグイードが軽々と肩の上に担いで運んでいる。どうやら、グイードはかなり力持ちのようだった。
辻馬車の御者は大いに渋った。
「悪いが、酔っ払いなんて勘弁だ。それに異端者と関わるのはもっと御免だね」
「つれないこと言うなよ。いいものやるからさ」
グイードが金貨を一枚見せた途端、それまでの態度を一変させた。
意気揚々と走る馬車の後ろ姿を見て、グイードは「これでよし」と満足げにうなずいた。
「安心しろ、知り合いの病院まで運ぶよう頼んだから。――よし、だいぶ当初の予定から脱線したが、そろそろ本題に入ろうや」
「本題? 今日の目的は異形退治だったな? 他にも何か、やることが――?」
ヒラリーは、異形退治の他に何か重大な事項を言っていただろうか。ドロッセルはどうにか頭を絞り、昼間の会話を思い出そうとする。
「ま、安心しろ。おれと行けば万事大丈夫だ。とりあえずこっちにおいで――」
意味ありげに笑って、グイードがドロッセルの肩に手を置いた。
その時、どこからか奇妙な音が鳴り出した。
キリキリキリ――それは微かな、しかし確かな力の膨張を感じさせる音。まるで空気を締め上げていくようなその異様な音にグイードは眉をひそめ、辺りを見回した。
「なんだ――?」
その瞬間ノエルが目を見開き、上空を見上げた。
一体何を見たのか。彼はドロッセルの腰を引き寄せ、大きく背後に跳んだ。
「う、うわっ、どうしたノエル――!」
驚愕するドロッセルの視線の先で、何かが煌めいた。
夜霧に無数の糸が揺らめき、張り詰める。その直後、頭上を巨大な影がよぎった。
鋼鉄の鉤爪が光の軌跡を描き、まっすぐグイードを狙う。
「のわっ、なんだ!」
グイードは驚きつつ、とっさにそれを長い足で蹴り払った。
それは呆気なく吹き飛ばされた。
しかし即座に空中で体勢を立て直し、アクロバティックな動きで着地する。
全長おおよそ六フィート弱。極彩色の衣装に身を包んだ怪人だった。煌びやかなマントから覗く腕は異様に長く、金属に覆われていて、指先は鋭い鉤爪で形成されていた。
その顔は、狐を模した鉄仮面に隠されている。
「ヴェンデッタ……なんでこんな所に――」
呆然と呟くドロッセルに応えるように怪人――ヴェンデッタは大きく身を反らし、シンバルを打ち鳴らすような異様な笑い声を上げた。
「あんら……これはまた、悪趣味な人形だこと」
グイードが帽子を被り直し、不敵に笑う。
ノエルはドロッセルを庇うように立ち、両手をゆるやかに広げた。その掌から血が零れ落ち、瞬く間に二振りの剣を形成した。
「待て! 止まれノエル!」
ヴェンデッタに向かって動こうとするノエルの袖を、ドロッセルはとっさに掴む。
珍しく戸惑ったような顔でノエルは振り返った。
「お嬢様?」
「ヴェンデッタは異形じゃない!
ドロッセルはノエルの手を押さえつつ、必死で言葉を続けようとする。
しかしその時、低い女の声が響いた。
「――あんた達ねぇ、勝手に場所を移動するんじゃないわよ」
霧の向こうから、一人の女が現われた。洒落た形に結い上げた亜麻色の髪、苛立ちに吊り上がったオリーブグリーンの瞳、見事なプロポーションの体躯。
それは紛れもない、マイヤー人形工房の看板娘。
「おかげでずいぶん探したわよ。……しかもなんだか攫われかかってるし」
「キャロル……どうしてこんなところに」
ノエルを押さえたまま、ドロッセルは戸惑いを込めてたずねた。
キャロルは腕を組み、つんと顎を上げる。
「決まってんでしょ。仕事よ、仕事。お巡りどもに頼まれて、あんた達の監督を頼まれたの」
「なっ、それじゃ――!」
キャロルの怒鳴り声に、ドロッセルは驚愕の表情でグイードを見る。
「はっはぁ! バレちまったかぁ! 仕方がないなぁ!」
グイードは高らかに笑い、大きく後方に跳んだ。直後、ヴェンデッタの鉤爪がそれまでグイードが立っていた場所の地面を深くえぐった。
「あらら、おっかないなぁ。こんな人形師もいたんだな」
「はあ? ガラクタ使いの人形師なんかと一緒にしないで! 私は
キャロルは緩やかに両手を広げた。
その動きに合わせるようにして、ヴェンデッタが青白い呼気を吐きながら一礼する。
「私は霊気の糸を紡ぐ傀儡師。十指にて万象を動かし傀儡を操るもの。――魔術師モドキの人形師なんかとは異端の格が違うのよ!」
キャロルが唸るのと同時に、ヴェンデッタが異様な笑い声を上げた。
よくよく見ると、その各所からは淡く光る糸が大量に伸びている。その全てが、無数の指輪を嵌めたキャロルの指先と繋がっていた。
「我が美技、我が豪毅、我が
白い指先で糸がたわみ、張り詰める。
その複雑かつ繊細な操作に従って、意志を持たない傀儡の体は動き出す。
ヴェンデッタはわずかに身を沈め、跳んだ。強力なバネを仕込んだその機械脚により、その体はたった一度の跳躍でグイードの眼前へ。
「うおっと――!」
グイードは目を見開き、すんでの所で鉤爪の一撃を回避する。
しかしキャロルは容赦しなかった。右の拳が硬く握られ、思い切り引き寄せられる。
ヴェンデッタのマントが翻り、その影から星型の刃が無数に飛びだした。
星形刃は高速回転しながら、唸りを上げてグイードへと飛ぶ。
グイードは長い足で鋭く蹴りを放った。
霧に火花が散る。グイードの一撃により、星形刃がいくつか弾き飛ばされた。
「――逆回転」
弾かれた星形刃が空中で静止した。
それはキャロルの指に従って、再びグイードめがけて回転しながら襲いかかった。
「なっ――そんなのありか!」
悲鳴を上げつつもグイードは高く跳躍。一瞬遅れて、それまで彼が立っていた場所に星形刃が甲高い音を立てて突き刺さった。
グイードはそのまま背後にあった街灯の上に降り立ち、その場にしゃがみ込んだ。
「……そういや聞いた事があるな。念動力の一種とかで、霊気を糸状にすることができる異端者。そいつらはそれで人造霊魂を積んでない人形を操るとか」
「ハッ、思い出すのにずいぶん時間が掛かったわね。とんだウスノロナメクジね」
キャロルが嘲笑し、両腕を組んだ。
ヴェンデッタがシンバルを乱打するような声で笑い、脅すように鉤爪を光らせた。
「――で、目的は何? なんでそこのちんちくりんに手を出したわけ?」
「おっと、そいつは内緒だ。おじさんは秘密だらけなのさ――しかし長居するのも危なそうだ」
グイードがゆっくりと手を挙げ、ぱちんと指を鳴らした。
指先から火花が飛び散る。瞬間、霧がざわめく。直後、周辺の気温がわずかに上がった。
微かな耳鳴りを感じ、ドロッセルは顔を歪めた。
「これは――異形を呼んだのか!」
「クソッタレが、絶対に逃がすものか――!」
キャロルの怒声と共に、無数の霊糸がキリキリと音を立てて張り詰める。
その糸に導かれるまま、ヴェンデッタが地を蹴った。強力なバネを仕込んだ機械脚によってその体は高々と宙を舞い、街灯に座るグイードへと迫る。
「
バネ足による超跳躍から繰り出される踵落とし。傀儡本体の馬力と重力を上乗せしたキャロルの大技に対し、グイードはにやりと笑って指を鳴らした。
瞬間、ヴェンデッタの側面に火球が命中した。
傀儡は吹き飛ばされたものの体勢を立て直し、宙返りを打ちながら着地する。
火蜥蜴が一匹、火球が放たれた方向からするすると現れた。その灰褐色の鱗は、燻る木炭のようにところどころに炎の色を帯びている。
さらに火蜥蜴が二体、松明を持った小鬼、ぼうっと輝く火の玉が闇の中から――。
「おれはどうも、体質のせいか火の異形を集めやすくてね」
周辺の空気が徐々に上昇していく中、グイードは帽子を脱いだ。
炎の霊気を宿した異形達は水たまりを煮立たせ、石畳の水気を蒸発させながら、ぞくぞくとドロッセル達の周囲に集まりつつあった。
「とりあえず、おれはのんびり帰るよ。――追えるものなら、追ってみな」
誘うような言葉とともに、帽子がひらりと揺れる。
芝居がかった所作で一礼すると、グイードはさっと踵を返した。
何か早口のイタリア語をわめき立てながら、キャロルがヴェンデッタに追わせようとする。しかし再び火蜥蜴の火球が炸裂し、傀儡を吹き飛ばした。
「ああクソッタレ《ストロンツォ》が! 有象無象がぞろぞろと!」
「このままだと逃げられる……!」
グイードの消えた方角を睨み、ドロッセルが唸る。
ノエルが双剣がひるがし、火球を吐き出す前に火蜥蜴を仕留めていく。キャロルの傀儡もまたその鉤爪で異形を切り裂き、また機械脚で踏み潰す。
ドロッセルもどうにかトム=ナインと協力して、二、三体の異形を倒した。
霧が渦を巻くたび、火の異形は次から次へとドロッセル達の元に詰めかける。彼らが派手に火を噴き出せば、それだけで辺り一帯は大火事だ。
しかし、このままではグイードに逃げられてしまう――。
「ちょっとドロッセル!」
「な、なんだ!」
キャロルの怒鳴り声によって、ドロッセルの思考は打ち切られる。
ヴェンデッタを巧みに操りつつ、キャロルはグイードが去った方向を顎でしゃくった。
「あんた、ノエルとあのクソ野郎を追っかけなさい! 今ならまだ追いつくから!」
「わ、私が……? 私なんかじゃなくて、お前が追いかけた方がいいんじゃないか? それにお前も、こんな大量の敵は……ここは皆で協力して、周囲の敵を倒してから――」
「あああもう! うざったいったらありゃしない!」
凄まじい怒鳴り声に、思わずドロッセルは一歩後ずさった。
怒りを地面に叩き込むようにキャロルが右手を勢いよく振り下ろす。
光る霊糸が無数に棚引き、ピンと張り詰めた。
瞬間――その場の全ての異形が凍り付いたように静止した。
キャロルの指から伸びる霊糸が彼らの尽くを絡め取り、あるいは縫い止めていた。
「良いこと? あたしは天才――いや、神よ」
異形の悲鳴と唸り声とが響く中、キャロルはほうと白い息を吐いた。
「そんな神様みたいなあたしが、あんたならできると思って言ってるのよ」
尊大な――そして確かな信頼の滲むその言葉に、ドロッセルは金の瞳を見開く。
右手を地面に下ろしたまま、キャロルは左手をくるりと返す。するとそれまで停止していたヴェンデッタが片足立ちになり、その場で高速回転を始めた。
唸りを上げて、その鉤爪が光の軌跡を描く。
「――だからさっさと行きなさい、ドロッセル!」
「……あ、ああ!」
思わず、ドロッセルはうなずいていた。
キャロルの勢いに押されるまま、ドロッセルはグイードの消えた方向へと駆け出す。直後、背後で大量の異形がヴェンデッタによって切り裂かれる凄まじい音が聞こえた。
「ノエル……!」
異形達の叫びが響く中で、ドロッセルは従者を探す。
しかし、その必要はなかった。視界の端で影が揺れ、双剣を消したノエルがドロッセルと追いつく。彼は呼ばずとも、ドロッセルに従って動いていたようだった。
「屋根に上がるぞ! あの身のこなしだ、奴は多分、屋根伝いに移動を――」
「御意――失礼します」
「わっ、うわわ……!」
ノエルの手が、ドロッセルの肩を強く引き寄せた。
片手に剣、そして反対の手には主人を抱え、ノエルはそのまま音も立てずに駆ける。建物の近くまで走りついた瞬間、その足が強く地面を蹴った。
街灯の明かりが遠のいた。耳元で風が唸り、頬が冷たくなる。
ノエルはやすやすと地上を離れ、建物の屋根へと跳んだ。慣れない浮遊感に、思わずドロッセルはノエルの肩に強くしがみつく。
しかし、その金色に煌めく夜光眼はしっかりと標的を捉えていた。
「いた……!」
やや離れた建物の屋根を、赤髪の男が駆けているのが見えた。黒いマントを翼のようにはためかせ、軽業師のような身のこなしで建物と建物の間を跳ぶ。
ひらりひらりと屋根を移動するグイードの動きに、ドロッセルは息を飲む。
「速い……! 追いつけるか、ノエル!」
「貴女が望むなら」
静かな応答を掻き消すように、ノエルの足が強く地面を蹴る。
爆音にも似た音を立て、屋上に亀裂が刻まれた。
直後、その体は弾丸の如く加速した。霧を裂いてコートの裾がひるがえる。風が高く吼え、耳が凍り付くように冷たくなった。
急激な加速に、ドロッセルはいっそう強くノエルにしがみつく。
ぐんっとグイードの赤髪が目の前に迫った。
「おお、かっこいい。お姫様のために走る騎士様って感じだ」
振り返ったグイードがヒュウッと高く口笛を吹く。その顔には、追いつかれたことへの焦燥感などは微塵もない。むしろ、どこか嬉しげにさえ見えた。
「鬼ごっこはお終いだ! 絶対に逃がさない!」
「はっはぁ、おっかないねぇ。あんまり油断してると――そら!」
振り返りざまに、グイードが片手を鋭く振るった。
その軌跡に、ごうっと音を立てて炎が燃え上がる。直後そこから爆音を立てて、ドロッセル達めがけて巨大な火の玉が無数に飛びだした。
視界が赤い光でいっぱいになる。
「まずい、このままじゃ……!」
「――お任せを」
ノエルが目を細め、迎撃しようとする。彼の忌能ならば無効化できるだろう。
しかし、迫り来る火球はとても片手で捌ききれる量には思えない。
「待て……私がやる!」
ドロッセルはぐっと、マギグラフを嵌めた手を前方に突きだした。
「【
トム=ナインの瞳が閃光を放つ。
直後、ドロッセルとノエルの前に光の波紋が無数に広がった。輝く銀の波紋は火球を受け止め、爆音と共にそれを相殺しきった。
「おぉ、やるねぇ。そうこなくっちゃ」
グイードが振り返り、何故か満足げに笑った。
ドロッセルは左手を何度か握り開きした。かすかな痺れは感じるが、痛みはない。
「まだいける……」
左手をきつく握りしめ、ドロッセルは小さくうなずいた。
「ノエル、攻撃は可能な限り私が防ぐ! お前は奴の追跡に専念しろ!」
「承知いたしました」
ノエルは機械的にうなずき、より強く地面を蹴った。
グイードとの距離が一気に狭まる。
「はっはぁ、良いねぇ。――じゃ、とっておきの場所を教えてあげよう」
低い笑い声とともに、グイードの手が再び赤く輝く。
火球に備え、ドロッセルはマギグラフを嵌めた手を構えた。しかし、その予想は外れた。
たいまつの如く輝く手で、グイードは空中に大きな円を素早く描いた。
光の軌跡が燃え上がり、夜霧に炎の輪が現われる。
グイードはその中を潜り抜け、姿を消した。後に続くドロッセル達は方向転換も叶わず、同じようにその火の輪を駆け抜けた。
途端、視界が一気に霧に包まれる。
ドロッセルは一瞬身構え――そして、はっとして辺りを見回した。
「この空気……! まさか、ノッドノルに入ったのか?」
霧の向こうに揺らめく明かりは、ロンドンの街灯と同じものだ。
けれども、先ほどまでとは明らかに空気が違う。
誰かから見られているような不安感。産毛を逆撫でられているような不快感――この独特の居心地の悪さは、間違いなく異界のものだ。
顔を上げれば、霧に霞む夜空に青ざめた月の形が滲んで見えた。
「自分だけじゃなく私達まで異界に転送するなんて! でも一体どうやってるんだ……! さっきからマギグラフを使ってる様子もないのに――!」
ドロッセルは目をこらし、霧の向こうで逃走を続けるグイードの姿を睨む。
火球を放つ時も、そして異界に移動する時も。グイードはオートマタやマギグラフなどの魔導機械を使っている様子は一切なかった。
「あいつ、一体何者なんだ……」
「……とりあえず捕まえてみればわかるのでは」
静かなノエルの言葉に、ドロッセルは思わず彼の顔を見上げた。
いつも通りの無表情だ。青い瞳は相変わらず静かに凪ぎ、ひたと前方を見据えている。涼しげなその顔をまじまじと見つめ、ドロッセルはぽつりと呟いた。
「……結構荒っぽいな、ノエル」
「そうですか」
ノエルが淡泊に答えたその瞬間、赤い閃光が走った。
再び炎の輪が現われ、グイードの影はその向こうに姿を消す。
後を追うドロッセル達もそのまま輪を潜り抜けた。
瞬間、目の前の霧が急激に晴れた。
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