3.アーネスト・メイクピース

 ドロッセルを迎えたのは、よりによってダンカンだった。扉から出てきた彼の姿を見つけ、ドロッセルは思わず硬直した。それに続いて、ノエルも立ち止まる。

 そんな二人を、ダンカンはぎろりと睨み付けた。


「……お前、異界で遭難したと聞いたが」

「えっ、遭難……?」


 驚くドロッセルに対し、ダンカンは目を細める。


「怪我は」

「ありません……どうにか」

「その男は誰だ」


 ダンカンの視線は、ドロッセルの傍に立つノエルへと向けられていた。


「え、えっと……」


 一体、どう説明したものか。言葉に迷うドロッセルに、ダンカンは鼻を鳴らした。


「ふん。どうやらキーンの説明より事はややこしいようだな。――来い、副局長に合わせる」

「は、はい……」


 厳格なだけで、悪い男ではないことを知っている。

 それでも彼が側にいると、どうしても竦んでしまう。ドロッセルは内心冷や汗を掻きながらもノエルを連れ、ダンカンに導かれるまま紋章の扉を抜けた。

 副局長室には、ヒラリーの姿はなかった。

 その代わり、部屋には代わりに眼鏡を掛けた男と――ウェスターの姿があった。


「ドロッセル! 無事だったんだね!」

「ウェスター! お前……!」


 ドロッセルは思わず後ずさった。

 首元のトム=ナインが毛を逆立て、唸り声を上げる。

 心底心配そうな顔でドロッセルに駆け寄り、ウェスターはその手を取った。


「みんな本当に心配していたんだよ! ひどい事故だったね、同情するよ……」

「あれが事故だって言うのか? お前が私の赤騎士を壊したのに!」

「ああ、やっぱり! 本当にひどいことだったからね、仕方がないよ! ――彼女、記憶が混乱してしまってるんです! だから僕が彼女の人形を壊したと思ってるんだ!」


 ウェスターは悲しげな顔でドロッセルを示してみせる。

 ダンカンは特に顔色も変えず、さっさと副局長室から出ていった。しかし眼鏡の男は興味深そうに、その銀縁眼鏡の位置を直す。


「混乱なんかしてない! 本当にお前が私を襲った!」

「落ち着いてよ、ドロッセル! 僕が君を襲うはずがないだろう!」


 優しい口調で言いながら、ウェスターは距離を詰めてくる。

 言葉も振舞いも心配そうな風を装っているが、茶色の瞳はひどく冷やかだった。

 暴れそうなトム=ナインをどうにか押さえつけつつ、ドロッセルはじりじりとと後ずさる。

 その時、ドロッセルとウェスターの間にすっと手が差し込まれた。

 ウェスターが目を見開き、腕の主を見上げた。


「な、なんだ、お前……」

「ノエル……?」


 ノエルは黙って手を動かし、ドロッセルを自分の後ろに庇った。

 庇ってくれたのだろうか。戸惑うドロッセルの耳に、困惑した男の声が聞こえた。


「――ちょっと待ってくれ」


 ウェスターの側に立っていた男が軽く手を上げ、ドロッセルに向き直った。

 全体的に上品な印象の男だった。丁寧に撫でつけた金髪に、銀縁眼鏡の向こうには穏やかそうな緑の瞳。首元には黒い蝶ネクタイを締め、ベストには懐中時計の鎖が光る。

 男の名はアーネスト・メイクピース。ウェスターの師匠だ。


「どうも私には話が食い違っている気がしてならないんだ」


 眼鏡の位置を軽く直しながら、アーネストは言った。


「ウェスターの話だと突然巨大な異形が現われて、君が攫われたという話だったけど……もしかして本当は、ウェスターが君を襲ったのか?」

「先生! 何を言っているんですか!」

「ウェスター、私は君には話を聞いていないよ」


 アーネストに静かに言われ、ウェスターは口を噤んだ。


「それでドロッセル、どうだったのかな?」


 一瞬、答えに迷った。しかし射殺すような目をしたウェスターを見た途端、そんな迷いはすぐに消えてしまった。


「……多分、私の記憶違いだと思います」


 消え入りそうな声に、ウェスターが一瞬だけにっと笑うのが見えた。


「そうか……ウェスターが君を襲ったのではないのだね。ただこの分だと、どうやらそう誤解させるような問題行動があったようだな」

「えっ――!」


 ため息交じりのアーネストの言葉にドロッセルはたじろぎ、ウェスターが目を剥く。


「ドロッセルに謝罪しなさい、ウェスター。勘違いさせる行動を取ったのは良くない」

「で、でも僕は何も――!」

「ウェスター。死んだお父さんに恥をかかせるつもりかい?」


 たしなめるアーネストに、ウェスターはぐっと詰まった。やがて彼はきつく服を握りしめると、真っ赤な顔でドロッセルを睨み付けた。


「…………誤解されるような行動を取って悪かった、ドロッセル」

「ドロッセル、許してやってくれるね?」

「あ……は、はい……」


 ウェスターの唸り声とアーネストの念押しに流され、思わずドロッセルはうなずいてしまう。

 アーネストはにっこりと笑って、白手袋を嵌めた手を合わせた。


「よし、じゃあこれで仲直りだね」


 そんなわけがないだろう! アーネストに、ドロッセルは叫びたくて仕方がなかった。

 ウェスターがこれで済ませるはずがない。実際、彼は肩を震わせて、アーネストさえいなければ今にも飛びかかりそうな様子でドロッセルを睨み付けていた。

 がっくりと肩を落とすドロッセルをよそに、アーネストは興味深そうにノエルを見ていた。


「ところで、君は誰だい? グレースの新しい弟子かな?」

「ノエルと申します。オートマタです」

「オートマタ? だが、それにしてはどこか人間に近いような――」


 淡泊なノエルの返答にアーネストが首を傾げたところで、副局長室の扉が開いた。


「――やぁ諸君、ご機嫌よう」


 芝居がかった言葉とともに、ヒラリーが颯爽と現われた。

 皆の視線が一斉に、その派手な帽子を被った少年に集中する。しかし彼は皆の視線を気にもせず部屋を横切り、壁に並んだアクアリウムに近づいた。


「遅れてしまってすまないね。さっきまで電話をしていたんだよ。僕、あの機械とはどうにも相性が悪くてさぁ。ほんと声変わりはしておけば良かったとこういう時に――」

「忙しい時にすまないね、副局長」


 アーネストがやんわりとヒラリーの愚痴を遮った。


「私はドロッセルの件と、例の心臓泥棒の件でここに来たんだが……」

「あーうん、話は聞いてるよ。電報を見たからね。――というかメイクピース、久々だな」


 アクアリウムの魚に餌をやりながら、ヒラリーはちらりとアーネストを見た。


「体調は大丈夫なわけ? ちょっと前に倒れたって聞いたけど」

「ああ、問題ないよ。ちょっと貧血気味みたいでね」


 アーネストは笑いながら、肩をすくめてみせる。


「それに病院の方の仕事が忙しくてね。だから今日はウェスターに、私が担当している巡回依頼のいくつかをこの子に回して欲しくてきたんだ」

「なるほど。まぁ、仕事屋と医者の両立は大変だろうからね。――そういえば、今日はエスメラルダは連れていないのか? 君が一番気に入ってるオートマタだろ?」

「ああ。彼女は今、ちょっとした改良を施している最中なんだ。――ところで、副局長」


 アーネストは銀縁眼鏡の位置を直すと、やや真剣な表情をヒラリーに向けた。


「……今日は、例の心臓泥棒の件についても話を聞きに来たんだ。あれは医療関係者の仕業だと聞いたよ。私も捜査に協力した方がいいんじゃないか?」

「んー……まぁ、グレースもいないからねぇ」


 ヒラリーは頭を掻きながら、考え込むようなそぶりを見せた。

 そして彼の視線はドロッセルへ――そして、その側に立つノエルへと移動する。

 ノエルの姿を見た途端、ヒラリーはすっと目を細めた。


「悪いが、その話はまた今度に。巡回依頼の話はエッジワース捜査官と頼む。ドロッセルと人形くんはこっちにおいで。すぐ馬車を用意させる。――ひとまず無事で良かったよ」

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