7.白薔薇の王に追われて

 蝋燭の火が灯っているものの、辺りは薄暗い。

 扉の向こう側に広がっていたのは、異様な雰囲気の漂う広間だった。

 重厚な壁や床のあちこちに、深々と傷が刻み込まれている。

 四隅には、金属の塔にも似た巨大な得体の知れない機械。そして中央にはシャンデリアの残骸にも似た、天体の動きを再現する天動再現機が落ちていた。

 どれもが徹底的に破壊されており、なにか巨大な化物が暴れたような有様となっている。

 滑らかな地面には傷とともに、幾何学的な円陣が描かれている。

 人形師が魔術に用いる術式陣だ。ドロッセルはしゃがみ込み、地面を探った。


「基盤は、人造霊魂を構築する時の陣だな。でもなんだ、これ……」


 おおよその形は、人形師ならば誰もが見慣れている人造霊魂構築の術式陣だった。

 しかし目の前のそれは、ドロッセルが知るものよりも遥かに複雑怪奇な形となっている。

 ドロッセルはかすれた陣をたどり、読み取れる紋様を確認する。


「『引用』、『再構築』、『回帰』……見たことのない指示ばかりだ。――ここでこの術式を組み込む意味はなんだ? この館に住んでいた人は、一体何を作ろうとしたんだ?」


 手がかりを探そうと、ドロッセルは辺りを見回す。

 広間の奥には小さな作業場が設けられていた。簡単な生活を送れるような品々も揃えられており、作業が長引いた時の備えも万全だ。

 比較的荒らされていないその場所に近づき、ドロッセルは引き出しや棚を探った。


「……本や書類が一切ない。人形師なら、メモなんかが残っていそうなものだけど」


 ここが工房ならば、作ったものに関しての記述が残っていそうなものだ。しかし本棚の中身は空っぽで、机の中には羊皮紙の束があるのに肝心の書いた物がない。


「おかしいな、なんで……」


 首をひねりながら、ドロッセルは辺りを見回す。

 その時、轟音が響き渡った。

 オレンジの毛並みをぶわっと膨らませ、トム=ナインが扉に向かって威嚇する。ドロッセルは振り返り、自分が入ってきた場所を呆然と見つめた。

 堅牢に見えた扉のあちこちから、どういうわけか刃が生えている。

 さらに扉は衝撃に震え、向こう側からはわけのわからない叫び声が響いていた。


「なんだ、何が――?」


 混乱しつつもドロッセルはカットラスに手を掛ける。その瞬間、扉がバリバリと音を立てて突き破られ、闖入者達が広間へとなだれ込んだ。

 一見すると、それは中世の騎士に似ていた。

 白銀の甲冑に身を包み、それぞれ剣や槍、斧などで武装している。兜は被っておらず、ドロッセルには彼らの顔がよく見えた。

 正確には、ドロッセルに見えたのは薔薇だった。

 何故ならば騎士達は全員、顎から上が血にまみれた白い薔薇に埋もれていたのだ。


「は……?」


 あまりにも異様な風貌に、ドロッセルの顔がさあっと青ざめた。

 人間の頬骨から上の辺りに、無数の薔薇が植わっている。それは騎士達が動くたびにわさわさと揺れ、花弁から血の雫を垂らした。

 なんだ、あれは。ドロッセルには、混乱する暇も与えられなかった。

 カキ、コキと奇妙な音を立てて、騎士達が奇妙に機械的な動きで自分を見た。


「ひっ……!」

「LaaaaanCaaaaan!」


 ドロッセルが息を飲んだ瞬間、騎士達は金切り声を上げた。

 あの頭の一体どこから声を上げているのかもわからない。彼らはそれぞれの武器を振り上げると、関節の可動域を無視した異様な動きでドロッセルへと飛びかかる。


「SterrrrrrrLaaaaaa!」

「CaaaaaLaaaaaanLaaaaaaaa!」

「な、なんだ! なんだこれ――ッ!」


 恐慌状態に陥りつつもドロッセルの体は俊敏に動いた。

 しなりながら叩き込まれる剣戟を避け、怒濤の如く打ちこまれる槍をかいくぐる。

 ドロッセルは必死で距離をとり、トム=ナインに叫んだ。


「【詠唱chant】! ――全部焼き払え! トム=ナイン!」


 鞠のように騎士達の攻撃を回避し、トム=ナインが宙へと飛ぶ。

 その口から巨大な火球が吐き出され、騎士達の中央で炸裂する。甲高い悲鳴とともに、炎に包まれた何体かの白薔薇の騎士が地面に倒れこんだ。

 のたうち回る騎士の胸が裂け、そこから青白い輝きが漏れる。

 それは間違いなく――人造霊魂の光。

 見慣れたその輝きに、ドロッセルは目を見開く。


「これは人形、なのか……?」


 考え込んでいる暇はなかった。何体もの白薔薇の騎士が次々に広間へと入り込んでくる。ドロッセルは辺りを見回し、舌打ちした。

 周囲は白薔薇の騎士に囲まれていて、さらにどんどん増援がやってくる。あんな得体の知れない人形を一度に何体も相手にする事はできない。


「ここじゃ不利だ……! でも出入り口は塞がれて――」


 その時、ドロッセルの視線がある一点に向けられた。

 作業場の片隅に、ひっそりと扉が一つ。

 奇声とともに白薔薇の騎士が躍りかかってくる。振り下ろされる斧をかいくぐり、槍の雨を抜き払ったカットラスでどうにかさばく。


「トム=ナイン! お前は退路を確保!」


 ニャッと猫が答え、軽やかな足取りで扉の前に移る。

 ドロッセルは扉に向かって後退しつつ、マギグラフのスロットに手を滑らせた。

 真っ黒に焼けた銀符を射出。代わりに、新しい銀符を叩き込む。

 必要なのは速度だ。

 だからドロッセルはトム=ナインを介さず、直接魔術を発動させた。


「【詠唱chant】――!」

 左手に強い痛みが走ったものの、ドロッセルはどうにか耐える。

 オートマタは魔術の威力を上げるだけでなく、負担を軽減する。それを介さずに使ったのだから、反動もまた大きい。

 しかし、それだけの効果はあった。

 小規模な――しかし強烈な閃光と音が、マギグラフのクォーツから炸裂する。

 閃光と音で、一時的に相手を行動不能にする魔術だ。

 白薔薇の騎士達が頭を抱え、もんどりを打って地面に倒れ込んだ。一体あの頭でどうやって物を見聞きしているのかもわからないが、十分に通用したらしい。


「行くぞ、トム=ナイン!」


 ドロッセルはトム=ナインを抱え上げ、混乱する人形の狭間を潜り抜けた。

 扉を蹴り開けると、その先には薄暗い廊下が伸びていた。天井は高く、細部に装飾が施されている。壁には蝋燭の火が灯っているが、行く先はよく見えない。


「くそっ、どこに繋がってるんだ――!」


 悪態をつきながら、ドロッセルはがむしゃらに廊下を駆けた。

 振り返れば頭部の白薔薇を振り乱し、追いかけてくる騎士達の姿が見えた。高々と掲げられた槍や剣が、蝋燭の火にちかちかと瞬いている。


「なんだあれは! 屋敷を護る人形か? 趣味が悪すぎるぞ! ともかくどこかに隠れ――!」


 その時、背後で轟音が響いた。屋敷全体が大きく揺れ、ドロッセルは悲鳴とともにふらつき、なんとか壁に手をついた。

 トム=ナインが床に飛び降り、背後に向かって威嚇する。


「な、なんだ……!」


 嫌な予感を感じた。それでも、ドロッセルは振り返る。

 眼に入ったのは、小山ほどの大きさをした白亜の如き巨躯。

 鍛え上げられた獣の体はところどころに裂け目が走り、そこから赤と白の人工筋肉や錆びた金属の骨が見えた。

 そしてその首には、人間の頭部がついていた。

 獣のように歪んだ凄まじい形相をしているが、間違いなく壮年の男の顔だった。顔の左側は表皮が裂け、悪魔の髑髏を思わせる恐ろしげな骨格が露出していた。

 虚ろな左の眼窩からは血にまみれた白薔薇が次々に花開き、朽ち落ちていく。

 これも――人形なのか。

 あまりに異様なその姿に、ドロッセルは思わず後ずさった。

 靴音が小さく響く。その音に、獅子の反対側の右目がぎょろりと動いた。


「う、わ……」


 ひび割れた眼球に睨まれ、ドロッセルは息を飲んだ。

 獅子の顔が引きつった。その黒ずんだ唇がわななき、かすかな音を漏らす。


「――朕を殺せ」

「えっ……」


 哀願にも似たその言葉に、ドロッセルは一瞬虚を突かれた。

 しかしその一瞬で、人面獅子が豹変した。唸り声とともにドロッセルを見つめていた右目が白目を剥き、男の顔が禍々しく歪む。

 金属骨格が剥き出しになった前足が、軋みを立てながら高々と持ち上げられた。

 ドロッセルははっと我に返り、大きく背後に跳んだ。直後、凄まじい勢いで獣の前足がそれまでドロッセルがいた場所に叩き付けられた。


「なっ……!」

「リッチモンド……リッチモンド伯ハ何処ニイル……!」


 人面獅子は床板をばりばりと引き裂きながら唸る。

 その咆哮に、追いついた白薔薇の騎士達が武器を振り回してわけのわからない叫び声を上げる。どうやら、人面獅子の言葉に賛同しているようだった。


「暴走してる……!」


 高度な自我を持つ人形は、様々な要因から暴走を引き起こすことがある。

 暴走すれば人造霊魂の制御が完全に壊れ、人形は異形に近い存在になってしまう。あの獅子の異様な風貌は、器体に霊気が過剰供給された結果だろう。


「何をしている、人形師! 朕を止めろッ! 朕をッ――馬ヲ引ケ! 馬ヲ引ケ!」


 ならばこの言動の脈絡のなさもうなずける。残されたわずかな理性と狂気が、あのオートマタの中でせめぎ合っているのだろう。

 ドロッセルはじりじりと後退しながら、マギグラフに銀符を叩き込んだ。


「止めろっていうなら――トム=ナイン!」


 トム=ナインが威勢良く応えた。その背中に、ドロッセルはマギグラフを向ける。

 その時、人面獅子が地面に両足を叩き付け、大きくのけぞった。その唇が裂けるほどに開かれ、獣の喉から咆哮が迸る。


「王冠ハ朕ニ在リ――!」


 咆哮がびりびりと空気を震わせる。

 同時に、人面獅子を中心として凄まじい霊気の波が辺りに広がった。


「ッ――なに……!」


 迫り来る音と霊気に、ドロッセルはとっさに防御の姿勢をとる。

 しかし、特に衝撃や痛みは感じない。

 直後、白薔薇の騎士達が一斉に甲高い叫び声を上げる。頭部に咲いていた白薔薇がさらに膨れあがり、頭蓋からこぼれ落ちんばかりになる。

 白い花弁を派手に散らしながら、騎士達がドロッセル達に襲いかかった。


「Laannncaaaaaaaaa!」

「SterrrrrrrrrLancasterrrrr!]

「騎士が……! トム! 壁を――!」


 マギグラフに石壁の銀符を入れ、トム=ナインに回路パスを通じて霊気を送る。

 しかし、左手に奇妙な感覚が伝わってきた。

 生ぬるいぬかるみの中に腕を突っ込んだような――薄気味悪い感触。思わずドロッセルは左手を押さえ、トム=ナインを見つめた。


「トム……どうした……?」


 トム=ナインがカタカタと震え出す。やがてトム=ナインは引きつったような声を上げながら地面に倒れ込み、自分の尻尾を激しく噛み始めた。


「まさか、さっきの声のせいで――ッ!」


 ドロッセルは驚愕し、調子のおかしくなってしまったトム=ナインを抱え上げた。

 しかし、そこに槍を振り上げた白薔薇の騎士が襲い来る。

 ドロッセルはとっさに背後に跳び、人形の凶刃から逃れた。からぶった刃が床に振り下ろされ、メキメキと音を立てて亀裂を刻み込んだ。


「さっきよりパワーが上がってる……!」


 ドロッセルは絶句しつつも騎士達の刃をかいくぐり、なんとか人形の包囲から抜けた。胸元ではトム=ナインがドロッセルの腕を振り解こうともがいている。


「いたた! 痛い! 落ち着けトム=ナイン――!」


 人形の凶暴化――思い当たる原因は一つだけだった。

 あの声が、人形達を操っている。

 しかしそれがわかっても、どうすることもできない。

 ぐるぐると唸り声を上げるトム=ナインを抱え、ドロッセルは必死で走る。

 走りながら、どうにかマギグラフに新たな銀符を叩き込む。


「【詠唱chant】!」


 左手の痛みをこらえつつ、ドロッセルはマギグラフを嵌めた手を前に広げた。

 掌に小さな光の輪が浮かび、そこから白煙が噴きだした。本来は異形から身を隠すための煙幕だが、暴走した人形にも通用するはずだ。

 しかし、この術にはトム=ナインを介していない。

 恐らくすぐに効果が切れてしまう。


「Laaaaaancaaaaasterrrrrr!」

「sterrrrrrLaaaaaaa!」


 煙幕の中で、騎士達が奇声を上げながら駆け回っている。

 意味不明だったその言葉が急にひっかかり、ドロッセルはふと首をかしげた。


「ランカスター……? 薔薇戦争の? ――っう!」


 鋭い痛みにドロッセルは顔を歪め、手の中を見下ろす。

 トム=ナインが唸り声を上げ、ドロッセルの手首に尖った歯を突き立てていた。


「トム……お前はちょっと、休んでろ」


 ドロッセルは歯を食いしばり、腰の後ろへと手を伸ばす。括りつけていたケースをどうにか片手でこじ開け、暴れるトム=ナインをその中に押し込んだ。

 直後、ふっと毛皮の感触が消える。

 これでトム=ナインは休眠状態に入ったはずだ。

 ケースを閉じ、ドロッセルは足音を潜めつつ更に速度を上げて廊下を走る。


「人形を操る人形なんてどうすれば……ともかく、この館から脱出しないと!」


 ドロッセルは歯噛みしながら煙幕の中を駆け、いくつめかの扉を開けた。

 すると冷たい風が頬を撫でた。

 見れば窓の一つは硝子が割れ、鉄製の窓枠だけになっていた。この窓だけ鎧戸も壊れていて、堅く閉ざされた枠さえどうにかすれば外に出ることが出来そうだ。


「ここから外に――ッ!」


 ドロッセルは目を見開き、窓へと駆け寄った。

 そして直後、絶句した。目の前に広がっていたのは、一面の青。遥か彼方まで静かな水面が広がり、夜風にさざめいている。月光の下に、岸はどこにも見当たらない。

 どうやらこの館は、湖面の中央に建てられているようだった。


「うそ……」


 館からの脱出は不可能。

 ドロッセルはよろよろと後退し、窓から離れた。


「こ、こんなの……こんなのって――!」


 膝から力が抜けていくのを感じる。そうして床に崩れ落ちそうになった瞬間、背後から近づいてくる人形達の奇声に気づいた。

 ドロッセルは我に返り、壊れた窓を背にして再び走りだす。

 もはや、どこに逃げれば良いのかもわからない。

 ただがむしゃらに屋敷の奥へ走る。

 突き当たりにあった扉を開き、中へと飛び込んだ。

 痛みをこらえつつ扉に封印を掛け、ドロッセルは深く息を吐く。そこでようやく、ドロッセルは周囲の様相が今までとは大きく変わっていることに気づいた。

 天井は高く、頭上の天窓から月光が仄かに差し込んでくる。

 奥の壁には祭壇のようなものがあり、掲げられた十字架が静かに光っている。祭壇周りの区画は外からの水が入ってきているのか、完全に水没していた。

 今までとはまるで違う空間に戸惑い、ドロッセルは辺りを見回した。

 そして、気づいた。


「ここは……これは、まさか……!」


 ドロッセルは壁に近づき、その表面を観察する。

 聖堂内の四方の壁には、びっしりと装飾が施されている。そしてそれらの装飾に混ざるようにして、無数の金属板が整然と並んでいた。

 五角形の金属板だ。表面には番号や名前の他、呪術的な意味を持つ印が刻まれている。

 そしてその印は、今最も見たくないものだった。


「に、人形の廃棄場だ……ここ……」


 その印は、内部に格納した人形が起動しないようにするためのもの。

 ここは不具合を起こした人形や人造霊魂が、完全に沈静化するまで保管する場所だ。沈静化した後、それらの失敗作は手順に沿って破棄される。

 恐らく金属蓋の奥には、製作に失敗した人造霊魂や人形がまだいくつか保管されているはず。


「ここじゃ駄目だ……! あいつに操られて、他の失敗作が目覚めたら――!」


 背後で扉がガツンと音を立て、ドロッセルはびくっと震えた。

 ガリガリと引っ掻く音が聞こえる。

 扉を封鎖した時に使った魔術の影響で、左手には完全に傷が入ってしまっている。

 ドロッセルはじりじりと後ずさり、水没している区画へと下がった。腰まで水に浸かってしまったが、もはやその冷たさも気にならなくなっていた。

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