5.異域の闇へ
十分ほど経っただろうか。
左手薬指から伸びていた光の糸が、ふっと消えた。
「……えっ、消えた?」
ドロッセルは思わず足を止め、呆然と自分の手を見つめた。
光の糸は人形との間に繋がった
それが消えたということは――思わずドロッセルは駆け出していた。
いくつめかの通りに出た時、異様な光景が広がっていた。
まず眼に入ったのは、胸部に大穴が穿たれたモルグウォーカーの死骸。
そしてその近くに、ドロッセルの赤騎士だったものが転がっていた。頭はなく、その上半身と下半身は分断されている。
そしてその残骸の周囲には、粉々になった透明な破片が辺りに散らばっていた。
それは間違いなく、人造霊魂を宿していたクォーツ。
「嘘……赤騎士が……」
モルグウォーカーにやられるはずがない。
敵に接触した場合は交戦を避け、ドロッセルの方に向かうよう指示した。そして、不利に陥った場合はその場から離脱するはず。
「――なーんだ」
あざけりの声が響く。同時に眼前に、何かが落ちてきた。
ドロッセルは思わず、視線をそれに向ける。ひしゃげた金属塊――赤騎士の首。
「のろまな人形が入ってきたと思ったら、にんじんのガラクタか」
声も発せないドロッセルの前に、建物の屋根から誰かが降りてきた。
ウェスター・キーン。尖った顎を軽く上げて、ウェスターはニヤッと笑った。
「道理でやたらと簡単に壊れるわけだ。ちゃんと躾はしとけよ、にんじん。でなけりゃこうして、余計に散らかっちゃうじゃないか」
「お前、私の赤騎士を壊したな!」
「勝手に壊れたんだよ。僕のランスロットが小突いたら、すぐバラバラになっちゃった」
「小突いたって――そんなレベルじゃないだろ!」
ドロッセルは目を剥き、破壊された赤騎士を示した。
ウェスターは両手を上に上げ、やれやれといったジェスチャーをしてみせる。
「うるさいなぁ。大体お前が悪いんだよ。僕の仕事中に邪魔をしてきてさ。僕はバックヤードから仕事を受けてるんだぜ?」
「だからって私の人形を壊す必要はないだろう!」
「何度もいわせるなよ。壊したんじゃない。壊れたんだ。事故だよ。だいたい、あんな脆い人形を使ってるお前が悪い」
「事故で済まされるわけ――!」
「――あー、もう鬱陶しいな。大体前からお前は目障りなんだ」
冷やかな声音に、ドロッセルはハッと息を飲む。
ウェスターは腕組みをして、不愉快そうにドロッセルを見つめた。
「犯罪者の娘で、しかも魔術の腕も不安定。左手が痛くてたまらないんだろ? バックヤードの連中も、お前の師匠も。お前なんかとっとと見捨てちまえば良いのに」
「それは……」
ドロッセルは思わず言葉に詰まる。
「お前は出来損ないだよ、にんじん。なのにお前の待遇はどう考えても分不相応だ。ここは一つ、僕が教えてやろう。お前の立場ってのをさ! ――ランスロット!」
ウェスターが指を鳴らす。
その瞬間、地響きとともにドロッセルの眼前に一体のオートマタが降り立った。
それは昼間、ウェスターが連れていたあの鎧騎士。
ランスロット――ウェスターの最高のしもべであるそれが、二本のハルバードを構えた。
「御主人、何用か」
低い声音でたずねるランスロットに、ウェスターはドロッセルを顎でしゃくってみせた。
「適当に遊んでやれ。そいつに身の程ってのを教えてやれ」
「それは必要な事なのか」
「必要さ! 教育って奴だよ! いいからやれ!」
「承知した」
ランスロットはうなずき、ドロッセル達に向かって突撃の姿勢を取った。
ドロッセルは息を飲み、マギグラフを嵌めた左手を伸ばした。
「トム=ナイン! 【
左手に鋭い痛みが走った。しかし構わず、ドロッセルは
トム=ナインが氷の弾丸を形成し、撃ち出す。
突進してくるランスロットは、その一撃をもろに喰らった。しかし白煙の向こうから悠然と姿を現わし、ドロッセル達めがけてハルバードを振るう。
「無傷……!」
息を飲みつつ、ドロッセルはなんとかハルバードの一撃をかわした。
「ばーか! ランスロットは僕の最高傑作だぜ? お前のちゃっちい猫の攻撃なんて効くわけないだろ! やっちまえ、ランスロット!」
「承知した」
くぐもった声でランスロットが応答し、ハルバードを手にして突撃してくる。
「くうっ……!」
歯噛みしながらも、ドロッセルは氷花の銀符をスロットから排出。代わりの銀符を叩き込み、ドロッセルは叫ぶ。
「【
心得たといわんばかりに鳴き、トム=ナインが前足で地面を叩いた。
地鳴りと共に、地面が変形。ドロッセルの背を遥かに超える石壁が立ち上がり、ランスロットとドロッセルとの間に立ちふさがった。
一対のハルバードが岩壁にぶつかり、甲高い音を立てる。
左手が脈打つように痛んだ。痛みは徐々に手から肩へと伝播しつつあった。
「今は逃げないと……!」
ドロッセルは歯を食いしばりつつ、踵を返した。
「それでランスロットが防げるわけがないだろ? ――仕方がない、お手本を見せてやるよ」
ウェスターがニヤリと笑うと、ベルトから小さな縦長の箱を外した。
それは確か、ウェスターのマギグラフだ。飴色の木材に、きらきらと光る孔雀の模様が施してある。脇には、オルゴールのように小さなハンドルがついていた。
そのマギグラフの上部に刻まれた溝に、ウェスターは一枚の銀符を差し込んだ。
その意図を察した瞬間、ドロッセルの顔が青ざめた。
「お、おい、ウェスター……!」
「【
ドロッセルの制止も空しく、ウェスターはにやりと笑ってハンドルを回した。
カチカチと音を立てて銀符が溝の中に消え、読み込まれる。
「トム! 緊急防御!」
トム=ナインがボフッと音を立てて膨れあがり、巨大なオレンジ色の毛玉と化した。
まさにその瞬間、石壁の向こう側に爆発的な一撃が叩き込まれた。
石壁は呆気なく崩れ去り、衝撃波と破片とがドロッセルとトム=ナインへと襲いかかる。
トム=ナインの厚い毛皮は破片はなんとか弾いた。
しかし、衝撃波には耐えられなかった。巨大な毛玉はぐらりと揺れ、その後方に隠れていたドロッセルごと吹き飛ばされる。
「う、うわ――!」
ドロッセルの体は背後の――開いたままだった扉へと吸い込まれた。
「あっ……」と、間抜けな声を上げるウェスター。
そんな彼の眼前で、ドロッセルの消えた扉はばたんと音を立てて閉まった。
ウェスターは慌てて扉へと駆け寄り、口元を押さえる。
「しまった……こ、こんなつもりじゃ……」
「――いかがなさるか、マスター」
ランスロットがたずねた。同時に音を立てて、その腹部に開いていた砲口に装甲が被さった。
「扉の向こうは未知の場所。ドロッセル・ガーネットを救出に向かわれるか」
「ぼ、僕は悪くない!」
青ざめた顔でわめき立て、ウェスターは踵を返した。
しかしすぐにはその場を離れず、彼は迷うようにドロッセルの消えた扉を振り返った。
「あいつが軽くて、弱いのが悪いんだ……! それにあいつだって、脱出の手段くらいは知ってるはず……そうだ、そうに違いない……行くぞ! ランスロット!」
金髪を片手で掻き乱しつつ、ウェスターはぶつぶつと呟く。
「……本当によろしいか?」
念押しするようにランスロットがたずねる。
するとウェスターは顔を紅潮させ、拳を振り回し喚いた。
「うるさいな! 僕は悪くない! それとも僕のせいだというのか、人形の分際で!」
「否、マスターの意志を確認したまで。承知した、帰還する」
「最初から大人しくうなずいていれば良いんだ! 行くぞ!」
ウェスターはランスロットを引き連れ、足音も荒くその場を立ち去った。
そして後には赤騎士の残骸と、朽ちていくモルグウォーカーの死骸だけが残った。
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