3.猫を連れて、異界へ

 その夜。ドロッセルは自室で支度をしていた。

 引き出しから拳銃を取り出し、ホルスターに納める。中折れ式で、総弾数六発のそれは、かつて師匠が何かの担保でもらったものだった。


「よいしょ、と――」


 続いてドロッセルは手を伸ばすと、壁に固定していたカットラスを外した。

 鉈のような形をしたその分厚い刀は、異形狩りによく用いられる。それを腰の鞘に固定すると、ドロッセルは左手を確認した。


「……マギグラフの調整は万全だな」


 それは、機械仕掛けの籠手といった様子の外観をしていた。

 各所に機械や歯車が組み込まれていて、腕の部分には開閉できるスロットがある。手甲部分には透明な水晶が埋め込まれていた。

 その動作を確認した後、ドロッセルは続いてベルトに提げた革製のケースを開ける。ケースの中には、銀や真鍮で出来た札が束になって入っていた。


銀符ぎんふも使用後の奴は混ざってない。書き込み忘れもなし――よし。行こう、トム」


 ドロッセルはケースを閉じると、小さな鞄を背負って自室を出た。その後ろを、眠たげなトム=ナインが危なっかしい足取りでついていく。

 外の空気はいっそう冷えていた。

 ガス灯が煌々と灯り、昼とはまた表情の違う賑やかな街並みを照らしている。しかし辺りには霧が漂い、そのオレンジ色の明かりは淡く滲んでいた。

 フリート街はストランド街を直進した先にある。

 ドロッセルを載せた辻馬車はまるで宮殿のような王立裁判所の前を進み、ドラゴンの彫像が道を睨むテンプル・バー記念碑の横を通る。

 やがて辻馬車は止まり、ドロッセルは運賃を支払って外に出た。

 ストランド街とはまた違った街並みだった。並ぶのは出版社や新聞社が並び、新聞記者や作家達が足を運ぶ喫茶店やパブが軒を連ねる。

 もう少し歩けば、遠くにはセント・ポール大聖堂の丸屋根が見えるだろう。

 ドロッセルは店じまいした質屋に近づき、その影に立った。トム=ナインが地面に尻を下ろし、丹念に前足の毛並みを整え始める。

 まだ少し時間がある。ドロッセルはしゃがみ込み、猫の頭を撫でた。

 ふと目線を上げると、向かいの雑貨屋の軒先が見えた。気の早いもので、もうクリスマスのオーナメント飾りなどを売り出している。


「……もうほとんど冬だな。クリスマスももうすぐだ」


 ミイとトム=ナインが鳴く。

 ドロッセルはほうと息を吐く。その吐息は白く広がり、夜霧の中に消えていった。


「なぁ、トム。免許がもらえればきっと、私は認めてもらえるよな」


 猫は答えない。前足の手入れを終えたのか、今度は念入りに顔をこすっている。

 その耳をカリカリと掻いてやりつつ、ドロッセルはぼうっと考えた。


「……免許を持っていればきっと、今よりも色んな事がずっと良くなるはずなんだ」


 ドロッセルの言葉も無視して、トム=ナインは後ろ足の手入れを始めた。

 その毛並みを適当に撫でつつ、ぼうっと考える。


「……筆記試験は満点だった。苦手な実技も、あの時は合格点とってた……でも、私だけ失格した。合格でも不合格でもなく、失格」


 異端免許の試験は大きく分けて二つ。異端者ならば知っていなければならない規則や歴史等の筆記試験と、実際に自身の異能を用いて行う実技試験。

 この二つで合格すれば、正式免許が交付されるはずだった。

 ある事情から実技を大きく苦手とするドロッセルも、試験日はどうにか合格点をとった。

 それでも、失格となった理由は。


「……やっぱり、父さんのせいなのかな。それとも、やっぱり私が出来損ないだから?」


 寒さとは違う理由で身を震わせ、ドロッセルは膝に顔を埋めた。

 一通り毛皮の手入れを負えたのか、トム=ナインはごろごろと喉を鳴らしながらドロッセルの手に頭をすり寄せてくる。


「……それとも、その両方?」


 そう呟いた瞬間、指先に鋭い痛みを感じた。

 先ほどまで甘えていたトム=ナインが、ドロッセルの指先に鋭い牙を突き立てていた。


「いって! こら、何をするんだ!」


 ドロッセルの抗議の声も構わず、トム=ナインはごろりと横になった。

 痛む手をさすり、ドロッセルはため息を吐いた。


「……猫にも馬鹿にされる」


 惨めな気持ちで懐中時計を取り出す。蓋を開けば、ちょうど八時を過ぎたところだった。


「時間だ。――そろそろ行くぞ、トム=ナイン」


 声を掛けると、トム=ナインが面倒くさそうに立ち上がる。

 ドロッセルはポケットから小さな鏡を取り出した。異界への移動に慣れないうちは、こうして補助具として鏡面を用いる。

 必要なのはただ霊気の安定性と、集中力。

 扉をこじ開けるイメージが重要だと、ドロッセルは師匠に教えられた。

 ドロッセルは鏡面を前に向け、神経を集中させる。

 すると、鏡に青い光の波紋が走った。初めは小さかった波紋は徐々に大きく広がり、ついには鏡の縁から零れだすほどになった。

 広がる波紋に向かって、ドロッセルは慎重に一歩踏み出した。

 その瞬間、その姿は通りから消えた。

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