第40話 第三幕 最終幕

 最終幕は力強いファンファーレとともに始まった。

 いきなり戦闘シーンになった。スペイン軍とオランダ独立軍が激しくぶつかりあう。クララはその中心にいて、独立の旗をふりかざしている。銃声と砲撃の音が絶え間なく流れる。

 フルオーケストラとロックそしてシンセサイザーが、混沌としながら勇壮でスピード感あふれる演奏で、この場面を盛り上げる。


 この新エグモントに限らないが、玲子は映画でもドラマでも戦闘シーンというものが、あまり好きではない。いや、それが好きな女性はこの世に多くはないだろう。

 周囲を見回すと、迫力ある場面に興奮気味の男性客とは対照的に、いささかしらけた表情の女性客も多少はいるようである。

 そしてクララが銃弾を浴びたと感じられるシーンとともに、いきなり戦闘の場面は終わってしまう。そこからクララの家族の場面に切り替わる。

 舞台の上で、クララの両親が、そして兄弟たちが彼女の身を案じている。


「クララ。愛しいわが娘。今は激しい銃弾の雨の中にいる。その運命を知るのは神を除いていない。」


クララの母親はそう歌う。


「クララは人々の指導者なのだ。オランダの人たちの期待を一身に集めている。そのことを父の私と母であるお前は、誇りに思おうじゃないか。」


「それは解っているわ。解っているけど、母である私の思いは、ただただその命があることを望むのみ。」


 クララの母親の、ひたすら娘の身を案じる気持ちが歌われていく。

 わが子がどんな英雄になろうとも、いかにリーダーとして支持されようとも、家族の心にあるのはその命の安泰のみだ。そう思わせる場面である。

家族。

 その言葉を玲子は思う。

 ここで描かれるクララの家族は、ごく当たり前の家族像であった。結婚した父母から生まれた兄弟たちがいる。クララを含めて皆血がつながっている。


 怜子にも家族はいる。4人の兄弟たち。そして義理の姉と、今は亡き養父。

 だが血は繋がっていない。この中で血縁があるのは兄のエルベルトと養父マッシミリアーノ・リドだけだ。あとはすべて養子縁組や結婚によって集まって作られた家族なのだ。

 これは家族と言っていいのだろうか。

 怜子も、マライカもフェアリーも、エルベルトでさえも自分たちを兄弟だと思っている。家族であることに何の疑問も抱いていない。

 作られたとしても、リド家は家族なのだ。


 少しの不安もある。

 家族愛とは、ひょっとして今の自分たちが感じているものとは違うものなのだろうか。あるいは玲子自身が感じているのは、疑似ともいえる家族愛なのではないか。

 新エグモントのように、家族の誰かが命の危険にさらされている時、自分はクララの母のようにひたすらその身を案じたり出来るのだろうか。

 …いや出来る。玲子はそう思った。フェアリーの事件の時にも、自分は彼女の身を案じあれほどまでに心を痛めたではないか。

 劇中のクララの家族の不安は、そのまま玲子の心にも重なっていく。


 養子社会という言葉が、このヨーロッパに定着して久しい。

ヨーロッパには作られた家族が溢れている。もはや学校でも養子は珍しいものではなかった。だからこそ玲子も、少しの違和感も感じずにリド家の一人として育ち、今があるのだ。

 ならば家族とは何なのだろうか。

 血が繋がっていても憎しみあう家族はいる。遺産を巡って巧緻なトリックで殺人を犯す家族像は、ミステリーでは定番のものだ。

 さらに離婚すれば他人になってしまう。夫婦はよい。だが子供たちはどちらかの親とともに暮らすようになり、もう一人の親とは他人になる。そして父か母の再婚とともに、血の繋がりのない家族がまた一つ作られる。


 そればかりではない、現代には新しい家族像が現れつつある。両親が男同士だったり女同士だったりする。彼ら彼女らが養子を迎え、今まで出現しなかった家族の姿がそこに出来上がる。

 それらの家族が抱く家族愛は、血の繋がった家族の抱く愛とは別のものなのだろうか。これまで人類が作り上げてきた愛の形とは種類が異なるものなのだろうか。


 そうではないはず。玲子は力強くそう思う。

 たとえ血は繋がらなくても家族に違いはない。その愛に性質の違いなどあるはずがない。

 だが一方で、家族は形を変えつつある。血縁は必ずしも家族の条件では無くなってきている。新しい形が作られようとしている。そこにそれぞれの家族愛を作り上げていかなければならない。


 新エグモントは、クララの家族の場面が終わり、獄中のエグモント伯爵が現れる。

髭が長く伸びてしまい、鎖でつながれたエグモント伯爵は、モノローグの形で後悔の念と人の良すぎる自からを自嘲気味に語る。


「このわが身の愚かさよ。常に人々のことを考えてきたつもりだった。世界の平和を第一に考えた。その結果がこれなのか。

 エリートの甘さというものなのか。」


 この当時、エリートという言葉があったとは思えないが、ここはクリストフの演出なのだろう。

 そこに看守がやってくる。オランダ独立軍の勝利を予感したのか、エグモント伯爵に対する態度は、看守と囚人とは思えないほど慇懃である。


「エグモント伯爵。オランダ独立軍は優勢のようです。あのクララ様が先頭に立っていると聞いています。」


「クララが! あのクララが!」


 エグモント伯爵は叫ぶ。BGMにベートーヴェンが流れる。


「そうなのか。クララが私の思いを繋いでくれている。私は何も案ずることはない。思いは次々と継承されていくのだ。

 神よ感謝します!」


 エグモント伯爵の死を象徴するかのように、舞台は暗くなる。そしてクララとエグモント伯爵が共に戦うシーンが現れる。

 この場面は、もはや夢のシーンになっている。背景も演出も観客にそれとわかるように、ファンタジックな印象与えている。


 クリストフ・ハイダーの演出は見事だった。

 途切れることのない思い。それが歴史を継いで受け継がれていく。言葉ではなく演技と演出でメッセージは届けられていた。


 クリストフの言葉を思い出す。

 ヨーロッパではかつて、問題に対しすぐに答えを出すことは無かったと。

 君主制と伝統文化、移民と難民たちと排外主義、そして新しい家族のかたち。すべてのことが今すぐに答えを求めている。だが残念ながらすぐに答えは出ないのだ。

 そんな時、人々は時間というものを使った。すぐに答えを出そうとしなかった。時間の力を借りたのだった。


 すぐに答えを出さなくてもいい。その思いが玲子の心を強くした。

 劇は終わり、観客たちは総立ちとなってアンコールを叫んでいた。


 その時、何か大きな音がした。ドンという地響きのような音である。

 興奮した観客たちにも、聞こえた人はいたようであたりを見回している者もいる。玲子はすすぐに席を離れた。事故が起きたことを考えたのだ。

 野外劇場の外に出た。すぐそこにいた若い男のスタッフを捕まえた。


「今の音は何なの。何かが爆発したように聞こえたけど。」


「わかりません。私たちも何が起きたのか…」


 若いスタッフはあるいは学生のアルバイトかもしれない。彼に何か聞いても解るはずもない。そのまま玲子は走ってプレハブの事務局に向かった。

 玲子の頭の中にベートーヴェン「運命」が鳴り響いていた。何かの不安な雰囲気を今の音に感じたからかもしれない。荘厳な「運命」の響きは、玲子の心を掻き立て、その足を激しく前後に走らせている。

 周囲にはスタッフたちがいた。音は野外劇場の外では、さらにはっきりと聞こえたようで、皆不安げな表情をしている。それでも慌てた様子はなく、まだスタッフたちも何も情報を得ていないようである。


 事務局にはバトラーがいた。ここは騒々しい雰囲気になっている。

バトラーは誰かとスマホで電話していた。玲子の姿を見ると「すまない、後でかける。」と言ってすぐに電話を切った。


「何かあったの。今の音は何?」


「爆発です。私が話していたのは正門の警備員です。正門のどこかで爆発が起きました。被害の状況はわかっていません。今警備の者たちが調べています。」


「爆発? どういうことなの。」


 事務局のプレハブの建物にはスタッフたちが出入りしているが、ほとんどは走っている。何か叫んでいる者もいる。パニックが起きはじめていた。


「爆発って何かの事故なの。」


「解りません。解りませんがおそらく爆発物による爆破だと警備員は言っています。車が何台か破壊されているようです。けが人はわかりません。」


「救急車と警察は。」


「もう連絡してあります。」


 バトラーは続けた。


「パラッツォだけではありません、この直前にも旧市街で複数の爆発が起きています。

今この時間、テレビはすべて臨時ニュースに切り替わっています。意図的な爆破であることは間違いありません。

 テロです!」


 ベートーヴェン「運命」は玲子の頭の中で鳴り響いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パラッツォ くりはらまさき @kurihara-kurihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ