第4話 魔道家ファウスハイド

 そこは、冷たい石壁と静寂に包まれた仄暗ほのぐらい部屋でした。そこで、

「もうすぐ、もうすぐだ……また君の笑顔を見れる日が来るんだよ……ネヴィア……」

 一人の男の人が、試験管の中を覗き込みながら語り掛ける様につぶやいていました。

 不精に伸ばした髭が年齢不詳なダンディズムを醸し出していますが、実年齢は見た目よりずっと若く、切れ長のまなこに宿るあおい瞳からは知性の光が煌々と灯っていました。

 後ろ姿が猫背気味なのが少々残念なところです。けれども、むしろそこがチャームポイント。完璧な人というのはどこか味気なく、超越した存在というのはどことなく近寄り難さを覚えます。欠点の一つや二つくらい、あった方が親しみもくというものです。

 そう、この方こそが――

「ファウスハイド先生?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ‼」

 不意に背後から声をかけたのが不味かったのか、先生は驚きの余り周りの機材を倒してしまいました。

「わっ、だ、大丈夫ですか!?」

 あまりの惨事に、わたし自身も驚いて駆け寄ります。倒れた人体模型を起こし、石灰筆チョークや魔石、羊皮紙などを拾い集める先生とわたし。

「ごめんなさい、いきなり声かけたりして」

「いや、良いんだが……その、聞かれてしまったかな?」

 ファウスハイド先生は真っ赤な顔でうつむきながらいてきました。

 わかります! わたしも、うっかり独り言をつぶやいていたのを誰かに聞かれた日には恥ずかしくて生きておられんごですからっ!

「す、すみません。少しだけ……あ、別に立ち聞きなんてしてませんから。は、入る時に、ほんのちょっと聴こえただけですよ!」

 わたしもわたしで決り悪そうに言い訳します。

 かえって苦しいですかね? 今のは……

 先生が少しわたしの顔を、より正確にはの動きを観察するように見つめます。

 ちょっと怖いです……でも、ここで目を逸らしたら悪い気がしましたので、わたしも見つめ返します。

 なんだか恥ずかしい……

 心臓が小刻みに動き、身体の芯から熱を帯びていくのを感じました。

 すると、今度は急に優しい眼差しを浮かべて微笑みかけて下さいました。

「いや、恥ずかしい所を見られたね。試験管に向かって話しかけるなんて、変な奴だと思っただろ?」

「いえ、ちょっとビックリしましたけど、別に変じゃないですよ」

 わたしも子供の頃に買ってもらった『ドラゴエモン』のぬいぐるみに話しかけたりすること、今でもありますし。

 ちなみに『ドラゴエモン』は百の眼球を持つ緑色の竜で、語尾に「モン」て付けてしゃべる絵本のキャラクターなんです。とっても可愛いんですよ。

「ところで、その試験管の中に入ってるのは何ですか?」

 そう、先生の持つ底の丸い試験管フラスコには小さな竜の子のような形をしたものが浮かんでました。

「見つかってしまったか、仕方ない……」と嘆息交じりにつぶやくと、先生は観念したように苦笑いします。

「これは『人間』だよ」

「に、人間!? これがですか!!?」

「お、おい、あまり騒がないでくれ。誰かに聞かれでもしたら結構困る」

 先生は左右を見回しながら、口に人差し指を当てて言いました。

「どうして……まっ、まさか禁忌とか……そ、そういうのでは無いですよね?」

「いや、禁忌も何も成功例が無いからな……ただ、他の大陸では宗教的な理由で禁じている地域もあるかな」

 宗教的な理由と聞いて、ふと、昔ある大陸で『魔女狩り』という因習があったという話を思い出しました。

「そうなんですか……でも、すごいですよ、人間を人工的に作るなんて。まるで神様みたいです」

「だからだよ、これが外に知れたらと思うと僕は恐ろしい……」

 そう言って本当におびえてるような顔で先生は語ります。

「まさか、異端審問を受けるとか……」などと、わたしが息を呑むと先生は頭を振りました。

「いや、それはない。この大陸に限ってはね。本当に恐ろしいのは……」

「お、恐ろしいのは……?」

 わたしは先生の険しいお顔を拝見しながら、わたしは思わず息を呑みます。

 薄明るいランタンの灯りが灯る部屋に冷たく静かな時間が流れていきました。

 そして――先生が重い口を開きました。

「恐ろしいのは、だ……誰かに研究をパクられるかもしれないってことなんだ……それを思うと僕は夜も寝られない……」

「あ、そっちでしたか……」

 わたしは思わず溜め息を漏らします。

 てっきりヤバい橋でも渡るのかと思って冷や冷やしてましたのに……


 せっかく盛り上がっていた、わたしのテンションどうしてくれるんですか!


 などと理不尽な怒りをぶつけるワケにもいかず、ゲンナリします。

「いやいや、確かに異端審問に比べたら大したことでもないかもしれないが。考えても見ろ、この世紀の研究を他の者に知られ、それが自分の功績のように語られでもしたら悔しくないか?」

「それはそうですね。でも、意外でした」

「何がだね?」

「先生ほどの方でも、他人にパクられるのは悔しいって思われるなんて」

「僕はただの小心者だよ。魔道技術を磨いたのも功績を残して世界に認めさせたい一心での事だ。下らない自尊心と功名心に左右される狭量な男さ」

「そんなことは無いですよ。それでちゃんと結果を出してきたんですから、すごいと思います」

 わたしはそう答えながら、しかし同時に少し安堵もしていました。

 先生は魔道家と呼ばれる大陸随一の魔学者で、魔石の精法を編み出したり、いにしえの伝承で精霊達が生息するとされていた魔幻界域アストリアを発見したりと、これまでにいくつもの研究成果を上げてきた方です。そんな雲の上の人が弱音を吐いているのを見て、なんだか親近感を覚えました。ズルいですね、わたし。

「それより、そろそろ今日の講義を始めようか」

 そうそう、それで来てたんでした。

「先生、今日もよろしくお願いします」

 言って、わたしは奥にあるテーブル席に座ります。

 先生はご自分の机の埃を軽く払ってから魔石を東西南北に規則正しく並べると、静かに呪文を唱えます。


 東に明けのかざ、西に暮れのつち、南に始まりの、北についみなを撒き、命の色を示せ――


 すると、四方の魔石がそれぞれ赤、青、黄、緑に光を放ちました。

「では、今日は魔石の特色とその活用法について紐解いていこうか」

 わたしの胸が高鳴ります。

 これから、先生と二人っきりの秘密の講義の始まりです。

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