サエバサバエのちょっとセキュアなお話、あるいは、呑み女子エンジニアのだらしない食卓
第6話 セキュリティと利便性の両立はバランスの問題でどうしても自己責任にしかしようがないこともあるのよ、あるいは、名も知らぬ赤ワインとお刺身盛り合わせ
第6話 セキュリティと利便性の両立はバランスの問題でどうしても自己責任にしかしようがないこともあるのよ、あるいは、名も知らぬ赤ワインとお刺身盛り合わせ
「お刺身の盛り合せを」
仕事帰りにいくのんと呑む居酒屋。
軽く呑んだところでたこわさしかおつまみを頼んでいないことに気付いたので、次を頼む。
「海産物で揃えてみたけど、よかった?」
「そういうの、先に聞いて欲しいけど……別にいい。お魚好きだし」
「でしょでしょ? 結果オーライ」
ほどよく呑んで、少し気持ちよくなってきたわね。これぐらいのペースで呑むのがいいわよね。
時間と共に客も増え、雑多な声があちこちから聞こえてくる。
「悪意があると、情報の宝庫って考えられるね、こういうとこ。普段あまり外に出ないけど、うん。取材にはいいわね」
「何の取材?」
ここぞとカマを掛けてみるが、
「企業秘密」
いくのんは相変わらずセキュアな思考の持ち主である。これぐらいの意識を持つといいんだけど、それはそれでグイグイくるタイプの人が仕事の話題を振ってきたときには、「守秘義務が……」ってなってはぐらかしてるようになってコミュニケーションが上手くいかなかったりもするわ。でも、ここは
そこで、注文の品がやってきた。
いくのんと二人、最後の一杯を注いで空いたボトルを返しておかわりを頼むと、なんだか店員がギョッとしていた。何を驚いてるんだろう?
ま、いいわ。
せっかくきたお皿を楽しまないとね。
マグロ赤身、タコ、鯛、サーモン。大根のツマと大葉の定番付け合わせ。
ごくごくオーソドックスな刺身盛り合わせね。
「全部二枚ずつだから、ちょうどいいわ一枚ずついただきましょう」
さっきの流れでタコを。
そういや、赤ワインとたこわさとか最初に頼んじゃってて今更だけど、
「外国ってタコは食べないんじゃなかったっけ?」
ふとした疑問を感じる。だからなんだって感じだけど、思ったから口に出したのよ。
いいじゃない。ほろ酔いなんだから。
「英米で『デビルフィッシュ』として忌み嫌う風潮があるのは事実だけど、大阪で納豆を同様に忌み嫌う人もいれば食べる人もいるように、絶対に食べないって分けじゃないよ。ヨーロッパでも地中海方面は結構食べるし。イタリア料理なんかだと、タコ使ったのとか普通にあるよ」
なるほど。言われてみれば、『外国』って括りは雑だったわね。
ワサビ醤油に付け、タウリンを含んだコリコリした身を囓る。なんか、改めて考えると、タコって食感も味も個性的よねぇ。
白いご飯が欲しくなるところに、おもむろに赤い液体の入ったグラスを傾けるのも乙なものね。白とかロゼだと甘みが邪魔になりそうだけど、赤の適度な渋みと葡萄の香りが、主張の強い磯の風味と混ざり合うのは中々楽しい。
「これはこれで、いいね」
いくのんも同じように楽しんでいた。
次はサーモン。見慣れてるから気にしないけど、改めて考えるとオレンジの身っていうのも不思議なものね。
味も、特有の甘みがあって、これもこれで赤ワインと合わせるとちょっとおしゃれな感じ。
「そういえば、サーモンって鮭じゃないのよね?」
「英語で salmon は鮭を含むけど、カタカナでサーモンだと、確かに鮭じゃないともいえるね」
ふとした疑問に、いくのんからは哲学めいた回答。
「
「それ、どっちなのよ?」
「鱒でも鮭でもある存在、でいいんじゃないかな。人の都合で改良して生まれた種みたいだし。とはいえ、日本では『鮭』の方が高級なイメージがあるから、鱒鮭を鮭と偽ると食品偽装として叩かれたりって事例があった気がする」
「なんだか面倒臭いのね……でもま、美味しければなんでもいいんじゃない」
「うん。産地だとか細かい種類がどうだとかより、美味しく食べるのが一番ね」
サーモンを摘まみながら、いくのん。
って、この調子だと海産物の蘊蓄大会になりそうね。それはそれで楽しいんだけど、ちょっと気分を変えようかしら。
ちょうど、おかわりのボトルも来たことだしね。
いくのんも同じように感じていたのか、周囲の声に耳を済ませて、
「アカウントの乗っ取りって、判断付かないものなの?」
おもむろに聞いてきた。
少し離れたところの大学生の集団らしきところから、ソーシャルゲームのアカウント乗っ取りがどうのという会話が聞こえてくる。
個人の都合で第三者にアカウントを乗っ取られた場合は、運営として本人確認ができないから対処できないっていう運営の対応が冷たいって叩いているみたいね。
これは、心が痛いわ。
「ケース・バイ・ケースね。システムに不正アクセスしてのアカウント乗っ取りは、不正アクセスからの追跡で乗っ取りの事実をシステム側で確認できるわ。だからこそ、そんなことが起こらないように、どこだってシステムのセキュリティを盤石にして内外からの悪意ある接続を突っぱねて情報漏洩のリスクを限りなくゼロに近づける対策を講じてるわ」
「でも、理解のない上司がセキュリティ予算削ったりとかあるんじゃ?」
「それは、会社の責任ではあるけど、技術者の責任じゃないわよ。プライドのある技術者はそんなの絶対許さない。少なくとも、あたしは盤石なセキュリティをいつだって構築してるわ」
「そういえば、今日はそんな仕事の一つを片付けたってことだったね。じゃあ、サバエちゃんが構築したシステムでは、アカウントの乗っ取りは絶対発生しない」
「ううん。発生するわよ」
即答する。そうなのよね。どんなにセキュリティを強固にしたって、アカウントの乗っ取りは起きるの。
「どうやって?」
首を傾げるいくのんに、あたしは答える。
「パスワードとか、システムの認証情報が第三者に知られちゃった場合ね。システムとしては、正規の手段で認証をクリアしてくるから、それが不正アクセスかどうかの判断はできないわ」
「いつもと違うところからアクセスしたとか、違う端末でアクセスしたとかで、本人確認できないの?」
「それも、ケース・バイ・ケースね。パソコンとかの固定した場所からのアクセスだったら、電話番号とか住所とか誕生日とかの個人情報を示してもらえば、ある程度は確度の高い本人確認ができるけど、スマホとか端末と紐付いた認証だと、お手上げのケースもあるわ」
一応、前回と違う場所や端末からログインされた警告を出すことはできる。
でも、旅行先や携帯の機種変更を想定すると、違う環境からログインしたからって別人とは言い切れないのよ。確率が限りなく100%に近くても、逆に別人を本人と判断する可能性が0%じゃなければ、リスクが高すぎて判断基準にできないわ。
ゲームだったらゲーム内の行動履歴なんかを示せば本人と確認してもらえると思いがちだけど、それを認めると逆に詐取した情報を元にしてアカウントを乗っ取るって手口が使えるようになるから、セキュリティがばがばになっちゃうのよね。
ほら、『ガチャで●●出した』『幾ら課金した』『イベントをクリアした』みたいなゲーム内の行動履歴を日常的につぶやいてる人っているでしょ? もしも行動履歴による本人確認がまかり通ったら、そういう人のアカウント乗っ取り放題になっちゃうからね。
それでうっかり乗っ取りに加担したら、大炎上間違いなしよね? それこそ重大なセキュリティ問題だから、冷たいと思われても、パスワードなどの認証情報を知られてアカウントを乗っ取られるのは自己責任と言わざるを得ないケースも多々あるのよね。
この辺りは、本当、ユーザのリテラシーの底上げしかないんだけど、教育に期待できないから草の根で啓蒙するしかないのが哀しいところね。
もちろん、認証をもっと厳しくして、旅行先や機種変更の度に書類などの外部の手続きで本人を特定しないとアクセスできないようにすればこういったケースを防げるけど、面倒過ぎて使いものにならないわよね。
セキュリティと利便性はバランスの問題で、過度なセキュリティ対策は時に利便性に致命的な問題を生じさせるってこと。利便性を取った部分では、どうしても自己責任でどうにかしてもらう範疇が生まれちゃうのも致し方ないわ。
勿論、テクノロジーの発展で利便性を保った上でもっとセキュアな手段が生まれてくるかもしれないけど、今、現実的に運用できるところでは、これぐらいのセキュリティ対策が限界なのよ。
運営を叩く前に、ちょっとでもセキュリティ事情に目を向けてくれると、システム屋さんに少し笑顔が増えると思うわ。
「サバエちゃん、少し声が大きくない? 聞こえちゃうよ」
「あら、うっかりしてたわ」
棒読みで答えつつ、ちらりと学生の集団を横目に見れば、なんだか気まずそうな雰囲気を感じる。ま、全面的に賛同しなくても、何か少しでも思うところがあったなら、お姉さん嬉しいわ。
そこで、空になったボトルに気づいて店員さんを呼び止め、
「ボトルおかわり」
って頼んだんだけど。
「申し訳ありません。ボトルがなくなりまして……」
あら、赤ワインボトル大人気なのかしらね。
でも、ここまで赤を続けると、チャンポンするのもなんだかいやね。
「あ、それじゃ結構です」
と注文を取り消す。
「酒も頼まず居座るのもなんだし、そろそろ、潮時かしらね」
いくのんに尋ねれば。
「そうだけど、あまり食べてないよね?」
確かに、たこわさと刺身盛り合わせしか頼んでないわね。
ワインは別腹だから、全然、お腹が膨れていないわ。
だったら。
「〆に何か食べにいくのもいいんじゃない」
提案すれば。
「それもそうか。うん、出よ」
いくのんも乗ってきて、話がまとまる。
なら、行動しましょう。レシートを手に会計を済ませて店を出る。
「何を食べにいこうかしら?」
「定番のラーメンでいいんじゃない」
そんな会話をしながら、店を後にした。
まだ食べるつもりではいるけど、ひと段落ということで。
「「ごちそうさまでした」」
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