第5話 『外』での会話は気を付けよう、あるいは、名も知らぬ赤ワインとたこわさ

 いい感じに一仕事を終えた後。


 打ち上げ的にちょっと飲みたい気分だったんだけど、同僚を誘っても誰も付いてきてくれなかった。


 一人で呑んでもいいけど、こう断られちゃうと意地でも誰かと呑みたい気分になったりするのよね。


 よし、こうなったら。


 いつもいいようにあたしを呼びだす人間を、今日はこっちから呼びだすことにする。


 スマホでメッセージを飛ばし、家の近所の大衆的な居酒屋の前に行けば、既に呼びだした相手はそこにいた。


 明らかに手入れを怠ったボサボサの長い髪。

 白い肌に映える黒縁眼鏡。


「お待たせ」


 呼び出しに即応じてくれた親愛なる友人、いくのんに声を掛ければ、


「ううん、今来たとこ」


 と妙に嬉しそうに言う。こういうテンプレなやり取りを楽しむタイプだっけね。


 それはそれとして。


「相変わらずその格好なのね……」


 彼女は、だぼだぼのスウェット上下にサンダルという出で立ち。完全に部屋着だ。


 在宅の仕事でいちいち近場に出かけるのに着替えるのが面倒かな、って思ってたんだけど、


「サバエちゃんと外でいるときに、体の線が出るのは嫌」


 本当か嘘か、それが理由らしい。


 ま、人のコンプレックスを掘り下げるのはよくないわね。


 でも、仕事帰りなんで胸元がまた少しきつくなったパリッとしたパンツスーツ姿のあたしと並ぶと、フォーマルとラフの落差激しい組み合わせ。どうしても人目を引いちゃうのよね。


 特に、男性の視線を感じるわ。そりゃ、こういう店の客は女性率低いから物珍しいのもあるんでしょうけど。


 そんなことを言っていると、


「サバエちゃん、それ、多分、わたしいなくても一緒だよ」


 などといくのんは意味不明なことを言う。まるでどこにでもいるようなエンジニアに過ぎないあたしが人目引くみたいじゃない。


 ま、それは今はどうでもいいわ。


 百薬の長をいただかないとね。


 という訳で、ご近所様の憩いの場というか、いわゆる『せんべろ』もできるリーズナブルな居酒屋へと足を踏み入れる。


 混み合うには少し早い時間だったのが幸いして、すぐに入れた。


 もしも待ちが発生したら、コンビニに飲物買いに走らないと収まらないところだったから、手間が掛からずに済んで助かったわ。


「はぁ、でも、なんで同僚誘ったらことごとく断られちゃうのかしらねぇ」


 いくのんとサシで向き合って、思わず声が漏れた。


「自分の胸に聞いてみた方がいいと思う」


 いくのんは冷たい。ま、少なくともこの腐れ縁は来てくれるから、有り難いわ。


 それじゃ、注文ね。


 近くを通り掛かった店員を呼び止め、


「赤ワインボトル二本!」


「え? ボトル二本? グラス二つの間違いでは……」


 どうしていつもこれ、聞き返されるんだろう?

 こういうときは、誤解を招かないように伝えるべきね。


「ううん。ボトルをあたしとこの子の一本ずつ」


 自分といくのんを指差しながら、間違いないと示す。


「は、はい。承知しました」


 どうやら解ってくれたようだ。


「あと、とりあえず……たこわさを一つで。他は追々頼むわ」


「えっと……赤ワインボトル二本と、たこわさお一つ、ですね」


「うん、それでお願い」


 ふぅ、これでようやく呑めるわね。


 とワクワクしていると、ジトッとした目でいくのんがあたしを見つつ。


「そういうとこだと思うよ」


 ボソリと言う。


「ん? 何が?」


 しばし考えて思い至る。さっきの同僚が付き合ってくれない話か。

 今の注文に何か問題があったのかしら?


 思い至るとしたら。


「赤ワインにたこわさみたいな組み合わせ?」


「……分からないなら分からないでいい」


 呆れたようにそれだけ言って、いくのんは答えを教えてくれなかった。


 ま、いっか。


 情報不足なら『答えが分からない』が正解となるのが科学的な考え方よね。

 エンジニアの端くれとして、科学的にこれ以上考えるのは無駄と結論しましょう。


 それに、


「ま、いくのんは付き合ってくれるから問題ないわね」


 こうやって今、一人じゃないんだから。


「うん。わたしなら、いつでも付き合うから」


「ありがとう、いくのん大好き」


 ま、これぐらいのリップサービスはしてもいいわね。


「……うん、わたしもサバエちゃんのこと、好き、だよ」


 いくのんも乗ってくれる。でも、あれ? 飲む前からなぜか頬が赤い。チークでも呑んできたのかな? 中から染めるタイプの。


 そうこうしている間に、ようやく注文の品がやってきた。


 お互いに注ぐような面倒はない。


 各々、手元のグラスに手元のボトルから注いで。


「「乾杯」」


 ふぅ、生き返るわ。


 言葉通りに一気に杯を干せば、赤らしい渋みとフルーティーな風味が喉を駆け抜けていく。

 こういうとこのワインって特に銘柄を気にしないけど、結構美味しいわね。


 空のグラスに再び赤い液体を注いで、もう一杯干して人心地。


 一方のいくのんも三杯目に突入している。


 お互い軽く呑んで、一息。


 寂しく一皿だけ置かれたたこわさに手を付ける。


 ピリッとした刺激と、蛸の甘みが口内に広がっていく。


「基本的に日本酒に合うものはワインにも合うと思うのよね」


 洋の東西とか形を気にする人も結構居たりするけど、料理なんて美味しく頂ければそれでいいのよ。


「日本酒って、確か英語でライスワインだもんね。ワインと同じ同じ」


 たこわさを更に摘まんでいると、


「ライスワインは米の醸造酒の総称だから間違ってないけど、今じゃ海外でも SAKE で通じるよ」


 いくのんがツッコミというほどじゃないけど、やんわりと言う。


 そういえばそうだったわ。カミカゼスキヤキゲイシャハラキリテンプラフジヤマみたいなものね。


「海外でも日本酒は人気みたいよ。結構海外製の日本酒もあるし」


「それは、呑んでみたいわね」


 メニューを見てみたけど、さすがにこんな大衆居酒屋にはないわね。そりゃそうか。


 仕方ない。目の前にある飲物に集中しよう。


 杯を更に乾かして追加を頼んでいると。


「そういえば、サバエちゃん、一仕事終えた打ち上げっていってたけど……」


「うん、担当してるシステムの導入が一件終わって本番稼働に入ったのよ。セキュリティ煩いところだけど、外部企業のセキュリティ監査でパーフェクトな結果が出たんで、現時点のお客さんの満足度も高かったからね」


 しんどいことも一杯あるけど、なんだかんだでお客さんに喜んでもらえるのが一番のモチベーションになるわ。これは、どんな仕事にも言えるんじゃないかしらね。


「さっすが、サバエちゃんね」


 尊敬の眼差しを向けてくるいくのん。


「そういういくのんは、仕事どうなの?」


「順調よ。喰うに困らない程度には稼げてるし」


 具体的な内容は伏せてはぐらかされる。


 学生時代からの付き合いなのに、ガードが堅くてこいつの職業を知らなかったりするのよね。守秘義務とかは守り守らせる職種にいるから、問い詰めるような真似もできないししたくないしね。


 ともあれ、何度も一緒に呑んでるのにボロを全く出さないのは、いくのんのセキュリティ意識が高いとも言えるわ。


 何せ。


「ああ、明日また××社で新製品の会議だって。本当、●●に対抗って今頃……」


「×××テクノロジーの●●さん、本当勘弁して欲しいよ。また、直前になって仕様変更って……」


 さっきから、酒で口が軽くなったのか、イニシャルトークも忘れて取引先の社名やら担当者の名前をモロに出してる話が耳に入ってくる。


「こういうのって、セキュリティの問題にならないの?」


「勿論なるわ」


 そこで、相手に聞こえていちゃもんつけられるのも嫌なんで声を落とす。こういうのもセキュリティよ。


「新商品の情報やら、取引先の担当者までバレちゃってもん。露骨に機密漏洩よ。多分、会社に通報したら懲戒ものでしょうね」


 ただ、実際にそれをやる人は少ないから、危機感が少ないってのはあるかもね。


「なるほど……新商品は元より、取引先の担当が分かれば、その会社を知ってる人には業務内容まで知られちゃうから、下手すれば、プレスリリース前の商品の情報に繋がったりもしそうね」


 相変わらず、もの解りがいいいくのんだった。

 全くその通り。気軽に社名を出すのはリスキー。だから、外ではイニシャルトークが基本って新人研修とかで教わるはずなんだけど、


「お酒の席だと飲み過ぎて口が軽くなっちゃったりもするからね。本当、お酒はほどほどにすべきってことね」


 あたしが通りかかった店員に三本目のボトルを頼みながら言うと、


「……説得力が仕事してないよ?」


「飲み過ぎが問題って話だから、絶対的な量は問題じゃないのよ」


「まぁ、いいけど……あ、わたしもボトルおかわり」


 あたしの三本目を持って来た店員に、自分も三本目を頼むいくのん。


「でも、酔っ払ってなくても、こういうことする人が増えちゃってて問題になったりもしてるわね」


「それって、SNSの炎上?」


「そうそう。居酒屋みたいな閉じた場所じゃなくて、世界中に大発信だからね。社内で自撮りって時点で問題だけど、その上、机上の書類が写り込んで顧客情報モロバレとかもあったり、個人的な取引先への愚痴が担当に届いちゃったり、トラブルの種を無自覚に蒔いちゃう人って、後を断たないわね」


「ああ、そういう事件、たまに聞くね」


「インターネット上に公開したら世界中に公開したのと同じことになるって感覚が希薄な人が多いからね。元々、リスクとかをしっかり伝えずに普及させちゃったから仕方ないんだけど」


 ま、便利さとリスクはどちらをとるかってところだから、今の社会が前者を優先した結果なら、犠牲がでるのはいいだろう。


「居酒屋にしろ、SNSにしろ、『外』での発言には気をつけないとねってことよね」


 四本目を頼みながら、そう締める。


「って、サバエちゃん、今、大事なことに気付いた」


「何?」


「おつまみ、たこわさしか頼んでない」


「あら?」


 飲みたさに、つまむのさえ忘れてたのね。


 水分だけでお腹を膨らませるのも寂しいわ。


「すいませーん!」


 近くを通り掛かった店員を呼び止め、追加を頼むことにした。


 さて、改めて飲み直しましょう。

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