第7話 アナログな手法が厄介だったりするのよね、あるいは、ヤサイニンニクアブラ
一仕事終えた打ち上げのつもりで、いくのんと二人で一杯呑んだあと。
呑むばかりで食べていなかったことに気付いて、〆に何か食べようということに。
あれこれ話していても、考えるのが面倒になってきて定番のラーメンに落ち着きそうになっていた。
「ラーメンって言っても色々あるじゃない。どういうのがいいの?」
「サバエちゃんに任せる」
なんて言われても、そこまで詳しいわけじゃないんだけど。
でも、全然知らないわけでもない。
いくのんは食が細いってこともないから、せっかくだし、ガッツリ食べるのもいいわね。
なら、あの店にしようかしら。
「本当に、なんでもいいのね?」
「うん」
これで言質は取れた。
「って、わざわざタクシーで移動って……近場じゃないの?」
「ま、いいじゃない。タクシー代は出すからさ」
そうしてやってきたのは、裏道にある小さなお店。お世辞にも綺麗とは言えない店だけど、メニューを考えれば、こういうのの方がむしろいいのよ。
「この店、大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫」
いくのんが不安そうにあたしの服の裾を引っ張りながらついてくるのが、
入ってすぐの人がぎりぎりすれ違える程度の幅の通路に、待ち用のベンチが窮屈に壁際に並んでいる。幸い、今は時間が半端だからか待ちはないみていね。
その先には、通路と同じ幅の壁があってこちらに向かって食券機が設置されている。
ここで少し左にずれて、店の奥に向かって長いカウンター伸びる。どん詰まりで右に曲がってアンバランスなL字型ね。
メニューは、基本のラーメンと、塩とカレー。あと、豚骨魚介つけ麺とカレーつけ麺、それにまぜそば、ね。
手堅いラインナップといったとことかしら。
「ま、ラーメンっていったからにはラーメンよね」
基本の食券を購入。
「わたしも、サバエちゃんと同じでいい」
どうにも慣れないみたいで、いくのんはビクビクしながら同じ食券を購入する。
「あ、これ、聞いたことある……トッピング無料で呪文を詠唱するタイプの店、だったんだ」
店内を観察したいくのんが、ようやくどういう店に連れてこられたか気づく。
「こういう店、その、女性客ってどうなのかな?」
店の雰囲気から、いくのんはそわそわと落ち着かないようだ。
「男性率が高いのは確かだけど、そこそこ女性客もいるわよ?」
今も、入ってすぐの席に女性客がいた。
「って、あれ、どうみてもアベックよね? 隣の男と談笑してるし。男に付き合ってとかじゃなくて、女性が主導になってるのがどうかって話をしてるのよ」
「前はメイド姿のおひとりさまがいたぐらいだから気にしなくていいわ」
「メイドって……そういえば、この辺りはメイド喫茶とかがある界隈だっけ」
どういう界隈に連れてこられたかは把握していたようだ。
「まぁまぁ、気にしなくていいから」
そこで、店員が、
「奥空いてるんで、こちらへどうぞ!」
と案内してくれた。
「すみません」
カウンター席と壁の間は、ぎりぎり人が一人通れるかどうかという幅だ。恰幅のいい人の後ろを抜けるには、体を横にしないといけないぐらい。そういうところは抜けるのがとっても窮屈なのよね。つっかえるから。
そうこうして、一番奥の席に二人並んで着く。
一息ついたところで、
「こういうとき、本当、いくのんがうらやましいわ」
つっかえずにすんなり後ろをついてきたいくのんの胸元を恨めし気に見てしまう。
「喧嘩売ってる、サバエちゃん?」
心からそう思ってるだけなんだけど、やっぱりこの話題はいくのんのデリケートな部分を刺激するみたいだから、深追いはやめておこう。
店員がやってきてお冷を出され、食券を取りに来る。
「麺の量はどうしますか?」
この店は、通常のラーメンで麺の量を100gから315gまでの範囲で選ぶことができる。知らずに頼んで大量の麺を食べさせられるのを回避できるわ。
並が220gだけど、これは一般的なラーメンの1.5倍に相当するわね。だから。
「150gで」
無難な量を頼んでおく。
「ニンニク入れますか?」
「ヤサイニンニクアブラで」
これは、それぞれマシってぐらいの意味ね。
あたしの注文は終了。
続いて、いくのんの番がくる。
「麺の量どうしますか?」
「100gで」
お、堅実にきたな。
「ニンニク入れますか?」
これも、普通とかかな? と思っていたら。
「ヤサイマシマシニンニクマシマシアブラマシマシカラカラ……あ、あと魚粉もマシマシで」
詠唱してるわよ、この子。しかも、店内の表示を見て、この店特有の魚粉も加えて。
厨房に戻った店員を見送った後、
「あたしでもマシマシは頼んだことないわよ、大丈夫?」
「そのために、麺を一番少ない量にしたから。何事も経験。こうして連れてこられたからには、気になったことを試さないと損よ」
ああ、やっぱり、そういうことか。
「でも、マシマシして残すのはご法度よ?」
好奇心だけでマシマシ頼んで残すなんてのは最低の行為。食べ物を粗末にするなんて持ってのほかだし、店にも失礼よね。
だから、警告したんだけど。
「どうしても無理そうなら、サバエちゃん、わたしをこの店に連れてきた責任を取って手伝ってね。」
正直、驚かせてやろうかな? ってぐらいの安直な気持ちでこの店に連れてきたけど、いくのんの性格的にこういう行動に出る可能性を予測できなかったあたしの落ち度ね。
「……OK。分かったわ」
こんなこともあろうかと、ポケットに忍ばせていた某食べる前に飲む胃薬を飲んで備えておく。
出来上がりには結構時間がかかるから、その間は手持ち無沙汰ね。
「みんな、スマホ弄ってるね」
「まぁ、そういう時代よね」
入ってくるときに、まだ食事がでてきていない客はほぼ例外なくスマホを弄っていた。
「それで気になったんだけど。さっき人が後ろを通ってる目の前でスマホ取り出してロック解いてる人がいたんだけど、あの、指でパターンなぞるタイプのロックって覗かれたら簡単に破られるんじゃないかな?」
なるほど。そういう話題につながるのね。
なら、セキュリティ対策も含めてインフラ系エンジニアを生業にする人間の観点で教えてあげましょうか。
意味もなく眼鏡をくいっとしてみたりしつつ、
「いいところに気が付いたわね」
先生ぶった話の導入を添えて、
「いくのんは不可抗力で見てしまったけど、意図的に後ろからのぞいたりしてパターンやパスワードとかの情報を盗むのは、『ソーシャルハッキング』って呼ばれるわ。デジタル機器のセキュリティってデジタルな仕組みで考えがちだけど、手元を覗き見たり巧妙に情報を聞き出したり、パスワードのメモを写したりとか、そういったアナログな手法でセキュリティを突破する方法の総称ね」
「ああ、映画とかで、掃除を装ってオフィスに侵入してパスワードを手に入れたりとか、ああいうの? あと、そうそう後ろから手の動きを見てATMの暗証番号を盗むって手法が昔からあるけど、ああいうのも?」
自分の知識とつながると、いくのんの理解は早くて確実だった。
「それよ。後者については、番号をランダムにして手の動きだけじゃ分からないようにする対策もずいぶん昔から導入されているけどね」
あたしはそれでも気になるから、体全体でかぶさるようにして後ろから手元を隠した上で、空打ちを混ぜたりついつい余計な気を使っちゃうんだけど、それは一種の職業病かもしれないわね。
「さっきの居酒屋でも言ったけど、盗んだ痕跡がシステムには残りようがないし、システムから見たら正しい認証情報で入ってくることになるから、とても厄介なのよね」
本当、一人一人の意識改革しかないわ。
「いくのんも、前にあえてスケアウェアを入れようとしたりしてたけど、ああいうのは本当、危険だからね」
「大丈夫。サバエちゃんがいるから」
そういわれると、悪い気はしないけど、なんかはぐらかされた気もするのよね。
「ヤサイアブラニンニクと、ヤサイマシマシニンニクマシマシアブラマシマシカラカラ魚粉マシマシです」
そこに、なかなか見ごたえのある丼が二つやってきた。
「それ、本当に大丈夫なの?」
あたしは、初めてじゃないからいいけど、いくのんの丼は中々楽しいことになっていた。
マシとマシマシの差か、どれもあたしの丼の倍ぐらいの量ね。
麺が少ないからある程度は沈んでるみたいだけど、それでも丼の上に円錐形に盛り上がるもやしとキャベツの山は脅威ね。
さらに、上からドロドロの脂が無造作にぶっかけられて、灰褐色の魚粉がその中に混ざり込んでる。
野菜の麓にはごつい豚が二枚というか二個乗っかっていて、その隣に黄色い刻みニンニクが定食の付け合わせのポテトサラダみたいなボリューム感でどんと乗っている。
一言でいえば、ジャンク。
その威容に少々辟易していると、
「うん、これ、すごいわくわくするね」
インパクトのある外見が気に入ったのか、いくのんは嬉々としてレンゲと箸を手に取っていた。
本人が楽しんでるなら、いっか。
あたしも、目の前の麺に挑むことにする。
「「いただきます」」
脂塗れの野菜をスープを潜らして食べれば、赤ワインと魚介で準備運動していた胃が、豚の獣的味わいに反応して活発に動き出す。
そこで、野菜の下から麺を引っ張り出す。
「ああ、やっぱり飲んだ後のラーメンっていいわね」
しっかりした麺をよく噛んで飲み込めば、とても心地よく胃の腑へと落ちていく。
ここにビールでもあれば最高だけど、この狭い店内だと飲んだ缶の置き場がすぐになくなっちゃった(経験済み)から自粛してるのよ。
「これはそういう〆のラーメンで想像する類のラーメンじゃない気もするけど……」
崩さないように慎重に箸とレンゲを駆使して、いくのんは野菜の山に挑んでいた。
「ジェンガみたいで面白いのは認めるけど」
ゲーム性を見出して、器用に野菜の山を切り崩していく。これは、時間が掛かりそうね。
硬くて太いこの店の麺は、少々のことでは伸びないからゆっくり食べても安心だから、見守ることにしましょう。
「ああ、やっぱりお酒が欲しくなる味ねぇ」
チャーシューというか肉塊といった方がよい豚に嚙り付けば、しっかりとタレに使っていて単品でも摘みとしていける味わい。
そこで、ニンニクをスープに混ぜていく。
ニンニクは色々女子として後処理が大変だけど、今を楽しむならこの刺激はたまらないわね。臭いは旨い、よ。
歯をしっかり磨いて胃の中から息の匂いをケアするやつのんどけば心配いらないわ。
いつもそれで凌いでるからね。
「うん、この麺、いける……」
みれば、いくのんは野菜の山を攻略というか、誰に教えられるでもなく野菜を沈めて麺を引っ張り出す天地返しを見事に決めて、麺を楽しんでいた。
「スープも、豚骨醤油? あと、ケミカルな旨み、かな? 脂も加わってくどいぐらいにこってりしてて……うん、ジャンクフードって感じだけど、想像してたよりずっと美味しいね」
どうやら彼女の口にあったようで、ずるずると麺を啜って野菜を喰らって豚にかぶりついてと豪快に食している。
これなら、あたしの出番はなさそうね。
安心して、続きを食べる。いくのんの言葉通り、ジャンクだけど、食べやすい味よね。麺量も選べば、無理なく食べられるわ。
自分の分を食べ終えて、水を飲んで一息入れていると。
「サ、サバエちゃん……ヘルプ」
少々顔色の悪くなったいくのんが、自分の丼をこちらに寄せてくる。
「え? ちょっと、これ……」
見れば、麺と豚はなくなっているが、野菜が結構残っている。
「野菜、多かった……」
辛そうに言うと、カウンターに突っ伏してしまう。
先に出ておいてほしいところだけど、この様子だと一人にするのも心配ね。
なら、頑張るしかないか。
「ま、野菜だけならヘルシーよ」
箸とレンゲで丼から野菜をどんどんサルベージしては、胃袋に収めていく。
少々ヘビーだけど、うん、これなら、なんとか。
「ガンバレ、サバエちゃん……」
いつの間にか顔を上げて、水を飲みながら、いくのん。
気楽なことね。
でも、自分が招いたことだもんね。責任、取らなきゃ。
マシと同じぐらい残っていた野菜を、どうにかこうにか処理し、丼の中はスープだけになった。
「流石に、スープはいいわよね……」
最後に、水を飲んで流石に量を食べて口の中に残った豚やらの味を流してさっぱりする。
「ありがとう、サバエちゃん」
「うん、ま、自分で蒔いた種だからね」
正直、きついんだけど、格好をつけて親指立ててウィンクしながら言ってみる。
ちょっと酔ってるかもしれないわ。
「「ごちそうさまでした」」
こういう店は食べ終わったら長居は無用。
さっさと出ることにする。
また、胸がつっかえて出るのが大変だったりしたんだけど、そこはいくのんの手前言及しないでおこう。
店を出て、近くにある公園のベンチでコンビニで確保したガラスのカップに入った蓋付の『ほぼ水のような飲み物』を飲みながら一休みする。
「サバエちゃん、あの店、結構行くの?」
「まぁ、たまに、かな?」
具体的な頻度は乙女の秘密よ。
「でも、サバエちゃんって結構ジャンクなもの食べるよね。カップ麺とかも好きだし、カレーとかも好きじゃなかったっけ?」
「そりゃ、ラーメンとカレーは鉄板よ」
子供の頃から親しんでるしね。
「それで、ずっと思ってたんだけど、聞いていい?」
「うん? 何を改まってるの。いいわよ。なんでも聞いて」
すると、いくのんは居住まいを正して、
「サバエちゃん、デスクワーク主体よね? それでこんな食生活してて……どうやってそのプロポーション保ってるの? 全然太らず、出るところはしっかり出て。何か秘訣はあるの? どうやったらそんなサイズになるの?」
いくのんには珍しく、ぐいぐいきたけど……
「改まって聞かれても、別に、何もしてないわよ。体質的に、肉が胸に集中しやすいってだけね」
本当、それだけ。いくのんの機嫌が悪くなるから続きは口にしないけど、本当、重たいし、さっきみたいなときにつっかえるしで、自分ではあまり嬉しくないのよね。ダイエットは胸から減るって聞いて試したけど、減らなかったし。
ただ、あたしの返答がお気に召さないのか、
「そんなはずはない。何か、何かない?」
妙に必死だった。酔ってるのもあるかもしれないわ。
まぁ、それなら、唯一思い当たることを言ってみるか。
「しいて言えば、飲酒、かしらね? 酒は百薬の長だし」
あたしが習慣的に行ってるって、それしかないし……って、あれ? なんだかそれって悲しいことなんじゃないかって思えてきたけど、ううん、違う。ちょっとお酒が回って感情の動きがおかしくなってるだけよ、きっと。
「『酒は百薬の長』の容量用法をガン無視してると思うけど……飲酒ね。確かに、サバエちゃんの習慣として納得だけど……あ、もしかして余計な分は吐いちゃうから太らないとか?」
そう来たか。でも、
「失礼ないなこと言わないでよ。吐くまで飲むようなまねしない、というかできないわよ。コストパフォーマンス悪いから」
「あ、それ、すごい説得力ある」
因みに、さっきの居酒屋の代金は諭吉さんが余裕で飛んでいきました。もちろん、付き合わせたいくのんの分も払ってだけど。ま、打ち上げだし一杯呑むのが目的で覚悟してたからいいんだけど。
それはさておき。
「いくのん、そんなにおっきくなりたいの?」
「うん。憧れる。ずっと馬鹿にされたし」
ダボダボの服の上から平坦な胸部に触れながら。
「じゃぁ、サバエちゃんのちょうだい」
「無理よ。持って生まれたものを大事にしたらいいじゃない」
「持たずに生まれたから言ってるんだけど」
それはそうだけど。
「あ、そうだ。だったらそのふくらみを揉ませて。触れることで何か霊的な効果で大きくなるかもしれないから」
「それ、趣旨変わってない?」
「『一杯飲んで』と『おっぱい揉んで』って似てるよね?」
カップの中身を一気に煽って、いくのん。
「今頃酔いが回ったの?」
と思ったけど、いくのんはそこまでお酒に弱くないはずよね。
「うん、そんなことない。素よ」
案の定、ケロッとしている。
「なおさら悪いけど……明らかに不審者だから謹んで」
スーツ姿のあたしに、スウェット上下のいくのんがふざけてとはいえ襲いかかろうとしているのは、絵面的に
「まぁ、そうね。わたしもサバエちゃんと戯れたいだけで他意はないし」
いくのんは座り直して、次のカップを空けて飲み始める。
どうやら、ふざけていただけのようだ。
そこからは、静かに飲み物を嗜む。こうやって、社会人になってからも悪友と公園で飲みながら時を過ごすって、これはこれで贅沢な時間なのかな? とか思いつつ。
そうして、飲み物がなくなったところで。
「さて、そろそろいい時間だし、帰りましょうか」
「うん、帰ろ」
いくのんが出した手を、ついつい自然に掴んでしまった。
ま、女同士だからいっか。
あたしは、いくのんの手を引いてタクシーを拾い帰路に着く。
お隣だし、家の前まで行ってもらいましょうかね。
家の前でタクシーを降りれば、向かって左があたしの住むマンション。
右がいくのんの住むマンション。
流れでずっとつかんでいた手を放し、挨拶を交わして別れる。
「「おやすみなさい」」
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