第20話 毛皮

 ワンダは獣じみた身体能力を持っていると僕は何度か語ってきたかもしれない。そのことに嘘偽りはなく強靭かつしなやかな肉体は獣に匹敵する。特に破壊力(パンチした時に岩を砕く力とでも考えてほしい)や俊敏性(一瞬で音速に近しい速度までに加速できる)、そして頑健さ(崖から落ちても大岩を落とされても死なない堅さ)は少なくとも地球の獣を超越しているだろう。けれども、全てが獣じみているというわけではない。例えば、嗅覚や聴覚は普通の人間よりかは鋭いが犬や狼などには劣るし、夜行性ではないため夜目は効かない。なにより、待ち伏せや罠を張るという狩りの仕方をしないため潜伏することや気配を殺す技術が殆ど開発されていない。ワンダの気質に合わないということもあるが、隠密行動や偵察と言った斥候の任務のような行動が皆苦手なのだ。戦力的に最弱と言って過言ではない僕が敵情視察と言う名目でこの旅に出れたのもそういった理由があったりするがそれはまた別の話。

 逃げる獣を追うことや襲い掛かってきた獣をぶちのめすのはワンダの得意とするところだけれども、隠れ潜んだ獣を見つけるのは得意ではない。全員が不得意と言うわけでもないし、狩猟部族ではあるので獲物の痕跡を見つけるのは得意であったりする。

 でもまあ、ワンダ全体の欠点と言えるほどに斥候の人員が不足していることも事実。かろうじて斥候としての活動ができそうなのは大婆様か認めたくはないがアンブロシアか。

 

 で、何が言いたいかというと、ワンダは斥候の技術に劣っている分奇襲を受けやすいということだ。獣の待ち伏せのような隠れることに特化している生物に対しては特に。


◆ ◆ ◆


 襲い掛かる獣爪。

 僕はその一撃に気が付くのがかなり遅れた。

 僕の生まれつき見えない右目の死角から襲い掛かれたからだ。

 かろうじて接近してくる足音を優秀な僕のワンダとしての聴覚が拾い上げてくれたおかげで、振り向くことぐらいはできたが、その時には既に獣爪は眼前に迫り回避など間に合わず、精々反射的に腕で緩いガードをすることくらいしかできなかった。


「ガアッ!!」

「――――」


 ギインッ、という金属がはじかれたような音がする。

 瞬間移動してきたような速度で割り込んだ細い影が獣爪を弾いた音だ。

 影の正体は人で――もっと言えばワンダで、先ほどまで後ろで荷車を引いていたスイトピーだった。


 何故、拳で獣の爪を弾いただけなのに金属音がするのだろうか?

 

「グウッ!?」

「獣撃【蛇】」


 奇襲の一撃を弾いて体勢が崩れているその獣に対してスイトピーは間髪入れずに追撃を行う。

 人間であっても避けられない、格闘技など知るはずもない獣ならば尚更。

 しかしあろうことか、獣は弾かれていないもう片方の腕――右の腕を使ってスイトピーの拳をつかみにかかる。

 獣とは思えない身のこなし――いや、姿をはっきりと左目に映した今ではそれがただの獣ではないことが分かる。

 

狼男ライカンスロープ


 人型の獣。

 見た目狼のそれに違いない。前足の爪が通常の狼に比べてやたら長いことを除けば確かにそれは狼である。

 二足で大地に立ち、前足をかいなのように振るう姿を見れば獣かどうかは疑わしくなるが。

 

 正体は狼男と呼ばれる魔物であり、樹海には生息していなかったが大婆様曰く平原や山の方に行くとみることがあったとかなんとか。頻繁に出てくるような魔物ではないらしいがそれは人前に姿を見せない獣とは違う慎重さゆえのことらしい。まず複数の獲物は襲わないし、集団で狩りをするし、狡猾で疲労しているものや怪我をしている弱い奴から襲っていく。狼じみている狩りの仕方をする魔物で狼から変化していったともいわれている。人間のように二足歩行こそするものの人間との関係性はほぼないらしく、猿のような立って歩くことのできる獣に近い。狼よりは走ることに関しては劣るようだが代わりに待ち伏せや奇襲などを仕掛ける頭脳や人間ほどではないにしても腕を使った肉弾戦を仕掛けてくるとのこと。


「………。」

「ガッ!!」


 けれども、所詮は人間のように二足で立って両腕を使えるようになっただけのこと。獣じみたなどではない、獣を超えたような動きをするワンダの戦士――それも大戦士に近しい実力を持つスイトピーの拳は狼男のガードなどを容易く躱し、胸部に突き刺さる。

 ミシリと言う音が聞こえたような気がするほど深く突き刺さったスイトピーの拳は人体の急所が集まる正中線の心臓よりもやや高めの位置を強打している。スイトピーが人体急所などを知っているとは思わないけど、本能的に人型に効果がありそうな部位を狙ったのだろう。魔物によっては急所が人間と異なる場合なんてよくあるし頭よりかはガードされたとしても狙いやすい。胸か腹部なら生物の形をしていれば内臓があるだろうからダメージは通りやすいはずである。

 技と言うには荒々しいがされど剣などでは及ばない壊し狩るための拳。


「グ、ウウゥ……」

「…………」


 狼男はスイトピーの拳によってできた穴を抑え、ふらながら後ずさりしていく。

 スイトピーはその様子を見ながらも追撃することはなく血糊を掃うように殴りつけた拳を振り下ろす。

 ピッと地面に染みができあ上がる。皮膚を貫いていたらしい。拳と言うよりは貫き手に近いのかもしれない。

 母さんから教わったいくつかの技にはなかった種類の技。

 母さんが好んで使うのは過程はどうであれ破壊するための一撃。骨を砕く、肉を潰し、臓器を滅茶苦茶にするのが目的。一撃のインパクトを重視しており、そのために近づき方や殴り方を工夫しているがやることは同じ――壊す。

 が、スイトピーのはまた系列が違う。骨を砕くのではなく貫く、肉を潰すのではなく裂く、臓器を滅茶苦茶にすること無く穿つ。インパクトよりも力の集中。貫通に特化しているように見える。

 まあ、拳を振るった瞬間に突き刺さっているように見えたのでどうやっているのかはよくわからないのだけども。

 大戦士レベルの拳は音速とほぼ一緒だからなあ。


 スイトピーの目には既に力が抜けていた。警戒心の欠片もなく、目の前の狼男を一切敵として認識していない。奇襲を失敗した狼男など眼中にないのだ。一当てしただけでその力量を――獣に力量と言うのもへんな話だけども――推し量ったのだろう。


 ――追撃しないのはそれだけではないけれど。


「つーかーまーえーたー」

「ガェッ!?」


 気の抜けるような喋り方で、最初からそこにいたかのように、アンブロシアが狼男を後ろからからめとるように拘束していた。

 狼男の喉元に右手の中指を突き刺して泣き声すら上げられないように、同時に命を握っていることを獣にもわかるようにしながら、アンブロシアは僕の方を向いて微笑んだ。

 アンブロシアはワンダにおいて唯一隠密行動ができる戦士であり、大婆様でさえ彼女をとらえきることができない。大戦士としては十分以上の実力があり、それでいてなお大婆様を凌駕する特技を持つ。皆はいくら問題児と言えど認めざるを得なかった。目の前で突如消える彼女を見て集落の皆は煙と称すほどに。


「でー、このわんこはー、食べるのー? それとも、壊しちゃうー?」


 人型でも気にしないあたりワンダらしいというべきか。この世界では人型でも魔物や動物なら食べることが常識なのかもしれないけれども。


「狼肉嫌いなのでパスで」

 僕は狼とか肉食系の獣の肉は好きじゃないので断る。

 熊ならまだ食えるのだけども、狼や虎はおいしくない。臭みをとる調味料もないからけっこう食べるのはしんどい。

「……、……。」

 スイトピーは喋ることなく首を横に二回振った。

 拒絶している合図である。

「あ、ワタクシは自前の食料がありますのでお気になさらず」

 スターさんはやんわりと断る。

「ありゃー、皆いらないのかー。一人で食べてもいいけどー、狼肉は調理がてまー。うーん、食べる気ないならー、殺すのは止めとこーかなー」


 そういえば、壊すという選択肢はいったいなんだったのだろうか。解体?


「でもー、毛皮は欲しいからー、殺す」


 ああ……。

 リョコウバトもこういった心情だったのだろうか。


 アンブロシアの右手がブレたその時だった――


「ちょっと待ってくれ!!その人狼ウェアヴォルフどうせ殺すならオレにくれないか?」


 

 どこからか声がかかる。

 いや、声の位置自体は特定できている。

 真後ろ、三十歩も空いていない距離。

 スターさんを除く皆が一斉にそちらに視線を向け、それにつられるようにスターさんが振り向く。

 本日二回目。

 近づく生き物を感知できなかったのは。

 

 姿が見えなかったのはまだいい。気配も僕は感じ取れなくて当たり前。痕跡は隠そうと思えば隠せるから、発見できなくても不思議じゃない。けれども、音も臭いも感じ取れないのは流石におかしい。ワンダは感知能力自体低いわけじゃない。何よりも森でもないこんなまともに隠れられるものも精々脇に生えた背の低い茂み程度の街道で隠れられた程度で発見できないとなると、割と深刻な問題なのかもしれない。

 僕たちが探さなけらばならないのは戦力などではない。ワンダには既に強き戦士は揃っている。

 マリー姉は分かっていた。分かっていたから五年間探し続けた。仲間などマリー姉が欲していたものではないだろうに、彼女は五年間只管に探し続けた。魔術結社。大婆様の手ほどきを少しばかりの期間といえど受けていたマリー姉が魔術の存在を危険視しないわけがないが、同時に魔術以外の術も探してはずだ。魔術に頼り切るなどマリー姉はしない。五年間で探し当てたのだろうか。たったの五年で、見いだせたのか。そうでなければ、国など戦争など――


「……どちら様ですの?」


 と、思考に没頭していた僕の代わりをするかのようにスターさんが声に問いかける。


「オレはステイプル・ヴァン・ヘルシング。化物クリーチャー狩りでたつきを立てている――分かりやすく言えばハンター。ヴァンパイアハンターだ」


 少女は笑う、溌溂と。

 犬歯を覗かせ曇りのない笑みを浮かべるその姿は狼か或いは豹か。

 いずれにせよ肉食獣を彷彿とさせる野性味あふれる少女がそこにいた。


 このとき少女に出会わなければ、或いは樹海を出てすぐにでもあっていれば、一連の出来事はもっとマシになっていたかもしれない。ただこのときの僕らは無知に過ぎたし、何よりも無力だった。

 問題が起こったときに当事者がそれを解決できる力を持っているとは限らないのである。

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